経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




16/8/1(902号)
大きな車はゆっくり回る

  • 債務と悪魔の間で

    ここに来てヘリコプターマネー(ヘリマネ)への関心が急速に高まっている。15/11/23(第869号)「今度こそは盛上がるかシニョリッジ」でシニョリッジ(=ヘリコプターマネー)を取上げてから、たった半年の間に筆者の予想をはるかに越えて議論が盛上がっている。これまでもたまに話題になることがあったが、一時的に話が盛上がったあと尻すぼみとなるのが通例であった。

    しかし今回はかなり様子が違う。市場関係者までが政府・日銀がヘリマネ政策に踏出すか注目するまでになった。本誌がシニョリッジ(=ヘリコプターマネー)を最初に取上げたのは、16年前の00/2/21(第151号)「もう一つの累積債務の解決方」である。また02年から一年間くらい筆者は丹羽経済塾(丹羽春喜大阪学院大学名誉教授を中心にした勉強会)に参加し、シニョリッジについて学んだ。ここには金融機関系シンクタンクの研究員が参加することもあった。この時の話によれば、日本にはシニョリッジに関する著書ががほとんどなく、また研究者も丹羽教授を除けばほとんどいないということであった。


    ここから最近のヘリマネに関する記事の中で筆者が注目したものをいくつか紹介する。まず今回ヘリコプターマネーが脚光を浴びた第一の立て役者と見られるのが、元英金融サービス機構(FSA)長官アデア・ターナー氏である。彼のヘリマネに関する著書「債務と悪魔の間で」は世界的に大きな反響を呼んだ。このターナー氏は6月7日の日経新聞「経済教室」にヘリマネについて寄稿している。彼は日銀の保有国債を永久化し実質的な償却と財政出動を提案している。ただインフレ率が回復したなら財政を引締めるといった公約が必要とも指摘している。

    また彼は日本では一部の公的債務の「マネタイゼーション(ヘリマネはその一つ)」は避けられない状況と断じている。一説では彼は5年内の日本のヘリマネ実施を予想しているという。面白いのは、ターナー氏が日銀は既に公的債務の実質的なマネタイゼーションを実施していると指摘していることである。これによって統合政府(政府・日銀が一体化したもの)ベースでは、日本の純債務はGDP比で62%になるとターナー氏は言っている。これは筆者が日本の実質的債務残高が100〜300兆円と言っているのに近い(おそらく債務や資産の範囲が少し異なることによる相違が若干あり、また公的年金の積立金をどう見るかによる違いもある)。アデア・ターナー氏の話は穏当であり、概ね筆者達も納得行くものである。


    とうとう6月16日から日経新聞は、「やさしい経済学」というコーナーでヘリコプターマネーについて8回に渡る連載を始めた。執筆者は若田部早稲田大学教授である。ヘリマネの仕組や歴史、またヘリマネの置かれている現状を易しく解説している。若田部教授は、アデア・ターナー氏の著書「債務と悪魔の間で」を紹介したり、ターナー氏と同様、統合政府による規律付けとガバナンスが必要と主張している。

    ただ若田部教授の連載の文章で一点「明治政府が最初に発行した太政官札は高いインフレをもたらした」という部分は間違っていると筆者は指摘したい。この種の誤解(嘘を言っている同じ発信元があるのだろう)に対し、本誌は03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」で詳しく反論した。この部分を除けば、若田部教授の解説は多岐に渡り極めて有益である。

    他にもヘリコプターマネーに関するコラムや解説をよく見かけるようになった。例えば渡部亮法政大学教授(日経6月15日夕刊・十字路)や日経新聞の大塚節雄氏(ニューヨーク)(日経5月29日3日3面)などの文章である。これらはヘリマネに賛成とも反対とも言えない微妙な内容である。しかし筆者は、むしろこのような多様な意見が出て、議論が大いに盛上がることが大事と考える。


  • 議論は物価が高騰するかに収斂

    ちょっと前まで、経済の専門家の間ではシニョリッジ(=ヘリコプターマネー)の話はタブーになっていたと筆者は認識していた。ただしこれは日本だけでなく世界的な傾向であった。例えば03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」の欄外で述べたように、政府紙幣の話をするにあたりスティグリッツ教授が「博士号を剥奪されるかもしれない」と冗談を言っていたくらいである。

    ずっと日本の経済学界では、とにかく頭からシニョリッジ(=ヘリコプターマネー)を全否定することが常識になっていた。例えば09/2/23(第558号)「政府紙幣(貨幣)への巧妙な反対論」11/1/17(第646号)「永久債の日銀引受け」で、ある大学教授(経済学者)のシニョリッジに対する「日本はそこまで落ちぶれていない」といった非論理的なセリフを紹介した。実際、筆者にも「シニョリッジ、おう恐い」といったメールが送られてきたことがあった(もちろんなぜ恐いのか一切説明はない)。

    09/3/2(第559号)「政府紙幣(貨幣)論の評判」で紹介したように、丹羽春喜教授は読売テレビの「たかじんのそこまで言って委員会」に出演しシニョリッジを説明したことがあった。ところがこの翌週に司会の辛坊治郎氏は丹羽春喜教授のことを「アンポンタン教授」と極めて失礼な表現で罵倒していた(辛坊氏は丹羽教授と一度議論してみることを奨めたい(当然、辛坊氏は徹底的に叩きのめされる))。このように少なくともつい最近まで、シニョリッジ(=ヘリコプターマネー)はずっと異端視され、近付いてはいけない話として敬遠されてきた。


    シニョリッジ(=ヘリコプターマネー)に対しては、筆者など賛同する者がいる一方、頭から徹底的に反対する者がいる。これまでは後者が前者を圧倒していた。本来、両者が経済理論のテーマとして議論すべきであるが、反対する者は「財政規律が乱れる」「ハイパーインフレが起る」といった薄っぺらな非論理的な理由をいつも盾にしている。本来は、本当にハイパーインフレが起るのか、あるいは万が一にもそのような徴候が現れたらコントロールする手段が全くないのか議論すべきであるが、ここまで話が進むと彼等は逃げてしまうのである。

    シニョリッジ(=ヘリコプターマネー)の是非を論じる議論が進むと、究極的に論点はほぼ一つに収斂して行くと筆者は思っている。シニョリッジ(=ヘリコプターマネー)政策によって物価が高騰するかどうかと言った話にである。これには現実のデフレギャップ(GDPギャップ)をどの程度の大きさと認識するかに関係してくる。

    この話は本誌で度々取上げてきた。実際、シニョリッジを研究する丹羽経済塾でもテーマのほとんどがこれに関することであった。最近になって06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」で取上げた日銀など政府関係機関が使っている「可変NAIRUアプローチ」がおかしいという声が、ようやく一部の経済の専門家から出るようになった段階である(この「可変NAIRUアプローチ」によって日本の潜在成長率はほぼゼロといった現実離れした話が出ている)。ところがここまで深く議論が進むと泥沼に落ち入る(嘘をついてきた大多数の経済学者やエコノミストは生活に係わるため必死になる)。しかし前段のアデア・ターナー氏や若田部教授の話はこの点を巧みに避けている(その分ちょっと物足りないが、現状ではしょうがない)。


    おそらく日本はシニョリッジ(=ヘリコプターマネー)政策に踏出すと筆者は思っている(もっとも日銀が国債の買入れ限度を撤廃した時点でほぼ実質的に始まったと言えるが)。ただ安倍政権が「これからヘリコプターマネーを実施する」と宣言して行うとは考えない。残念ながらシニョリッジ(=ヘリコプターマネー)政策はそれほど世間で認知されていない。せいぜい「これはヘリマネでは」といった形で進められるものと筆者は見ている(おそらくこれに対して政府は「これはヘリマネではない」と言う他はない)。

    とにかくシニョリッジ(=ヘリコプターマネー)という政策はとてつもなく大きく、かつ極めて重要である。したがって出来るところから部分的に進める他はないと筆者は見ている。この話は筆者が言い始めてから既に16年も経っている(丹羽教授なんかはそのずっと前から主張している)。つまりあと1,2年は平然と待つ心構えが必要であり、市場関係者も焦ってはいけない。これからの合い言葉は「大きな車はゆっくり回る」である。



来週は、安倍政権の新しい追加経済対策についてコメントする。これに関連し、先週までの経済循環における注入と漏出の説明が参考になる。



16/7/25(第901号)「アベノミクス下における注入と漏出」
16/7/18(第900号)「経済循環における注入と漏出」
16/7/13(第899号)「16年参議員選の結果」
16/7/4(第898号)「奇異な話二題」
16/6/27(第897号)「ヘリコプター・マネーと国民所得」
16/6/20(第896号)「ヘリコプター・マネーと物価上昇」
16/6/13(第895号)「ヘリコプター・マネーと消費増税の比較」
16/6/6(第894号)「消費増税問題の決着」
16/5/30(第893号)「安倍政権の次のハードル」
16/5/23(第892号)「アベノミクス停滞の理由」
16/5/16(第891号)「ヘリコプターマネーは日本の救世主か」
16/5/2(第890号)「毎年1,000件もの新製品」
16/4/25(第889号)「日本は消費税の重税国家」
16/4/18(第888号)「財政問題に対する考えが大きく変る前夜」
16/4/11(第887号)「民進党が消費税増税を推進する背景」
16/4/4(第886号)「財政問題が解決済みということの理解」
16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
16/3/21(第884号)「国際金融経済分析会合の影響」
16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
16/3/7(第882号)「「政界」がおかしい」
16/2/29(第881号)「一向に醸成されない「空気」」
16/2/22(第880号)「緊縮財政からの脱却」
16/2/15(第879号)「超低金利の今こそ国債発行を」
16/2/8(第878号)「日銀の「マイナス金利」政策の実態」
16/2/1(第877号)「CTAヘッジファンドの話」
16/1/25(第876号)「今後の原油価格の動きは「売り投機筋」に聞いてくれ」
16/1/18(第875号)「日本の経済論壇は新興宗教の世界」
16/1/11(第874号)「日本のデフレギャップは資産(財産)」
15/12/21(第873号)「敬虔なクリスチャンの感覚が日本を沈没させる」
15/12/14(第872号)「「名目GDP600兆円」達成のシナリオ」
15/12/7(第871号)「日本の経済学界の惨状」
15/11/30(第870号)「堂々と新規の国債発行を」
15/11/23(第869号)「今度こそは盛上がるかシニョリッジ」
15/11/16(第868号)「小黒教授の文章(論文)への反論」
15/11/9(第867号)「小黒一正教授の文章(論文)」
15/11/2(第866号)「シニョリッジ政策は現在進行中」
15/10/26(第865号)「避けられる物事の根本や本質」
15/10/19(第864号)「安保法案騒動に対する感想」
15/10/12(第863号)「安保法制改正の必要性」
15/10/5(第862号)「フォルクスワーゲンの排ガス不正問題」
15/9/28(第861号)「今回の安保騒動」
15/9/21(第860号)「数年後、中国はIMFの管理下に?」
15/9/7(第859号)「中国の為替戦略の行き詰り」
15/8/31(第858号)「唐突な人民元の切下」
15/8/24(第857号)「改めてメガ・フロートを提案」
15/8/10(第856号)「鰯の頭も信心から」
15/8/3(第855号)「個別的自衛権だけなら国連からは脱退」
15/7/27(第854号)「時代に取残された人々」
15/7/20(第853号)「宮沢俊義という変節漢」
15/7/13(第852号)「「緊縮財政路線」はジリ貧路線」
15/7/6(第851号)「議論のすり替えとデマ」
15/6/29(第850号)「安倍政権に対する提言」
15/6/22(第849号)「憲法は不要」
15/6/15(第848号)「22才のベアテが作った日本国憲法条文」
15/6/8(第847号)「中国は外貨不足?」
15/6/1(第846号)「中国は資金繰り難?」
15/5/25(第845号)「今こそ郵貯と財投をアジアに広めろ」
15/5/18(第844号)「AIIBの資金力は「ゴミ」程度」
15/5/11(第843号)「中国との付合い方」
15/4/27(第842号)「中国はマイナス成長?」
15/4/20(第841号)「ドイツ軍の敗走開始の話」
15/4/13(第840号)「反・脱原発派の陥落は近い?」
15/4/6(第839号)「「エコ」の横暴と呪縛」
15/3/30(第838号)「原油の高値時代の後始末」
15/3/23(第837号)「ドバイショック再現の可能性」
15/3/16(第836号)「価格暴落でも供給増」
15/3/9(第835号)「原油価格は二番底に向かう?」
15/3/2(第834号)「実態がない地政学的リスク」
15/2/23(第833号)「米大手金融機関の「情報発信力」」
15/2/16(第832号)「「今が潮時」とうまく撤退」
15/2/9(第831号)「代替資源(非在来型資源)のインパクト」
15/2/2(第830号)「原油価格の動きに変調」
15/1/26(第829号)「低調になった経済論議」
15/1/19(第828号)「「どんぶり勘定」の経済運営」
15/1/12(第827号)「IMFの借金取りモデルの導入」


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