経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
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17/5/29(940号)
安倍総理の憲法改正の提案

    ハードルを下げた改正案

    安倍総理の「憲法9条改正を目標に掲げる」発言を発端に、憲法改正論議が活発になりそうである。当初、この話が出た時、野党の「国会軽視」という批難だけでなく、与党内からも「唐突だ」「自民党の憲法改正の草案を無視している」といった不満が続出した。たしかに不意打ち的な話なので受取る側は混乱した。

    しかし総理の投じたこの一石で、憲法論議が具体的に動き出しそうな雰囲気になって来た。憲法改正を唱える政権はこれまでもあったが、具体的に期限を明示して憲法改正に踏出すことはなかった。せいぜい憲法改正を目指す検討会の類を立ち上げることが精一杯であった。実際、筆者などは憲法改正は未来永劫無理と半分思っていた。ところが今回は改正実現の可能性が出て来たのである。


    改正の実現性が高まった要因は、安倍総理の提案が憲法改正のハードルを著しく下げたことにある。総理の提案は「9条の1項と2項を残しつつ自衛隊を明文で書き込む」というものである。つまり賛否の議論が集中する9条の改正ではなく、自衛隊の存在を憲法上に明記することを追加するに過ぎないことになる。

    9条を死守しようとする護憲派にとって、なかなか反対しにくい提案である。一方、この提案の線で憲法改正案がまとまれば、これによって護憲派は分裂するなど大きなダメージを受けると筆者は予想する。結果を述べるにはちょっと早いが、この憲法改正のシナリオを考えた者は本当に賢い「知恵者」と筆者は見なす。


    一口に護憲派と言っても、自衛隊の存在を認める者と認めない者がいる。また自衛隊に対する考え方で大きく分ければ、次の三つのグループになる。自衛隊の存在を「合憲であり合法」「違憲であるが合法」「違憲であり違法」とすると言った具合になる。

    最後の「違憲であり違法」ははっきりしている。自衛権を認めず日本の完全な武装解除を目指す人々である。日本共産党と大半の憲法学者、左派系労働組合、護憲派市民団体などがこれであり、これらは護憲派の中核として憲法改正に徹底的に反対して来た。


    最初の「合憲であり合法」は積極的に自衛隊の存在を認めるグループである。このグループには、昔から強く憲法改正を求める人々、つまり正統派の改憲派が含まれる。(正統派)改憲派は憲法9条そのものを問題にして、この改正を主張してきた。したがって今回の安倍総理の「自衛隊の憲法明記を追加」というハードルを下げた改正方針では、諸手を上げて賛成とは行かないかもしれない。しかしこれを全ての第一歩と見なし渋々賛同するか、少なくとも正面を切ってこれに反対することはないと考える。

    実際のところ(正統派)改憲派が目指す憲法9条の全面改正は、非常に困難と筆者は見ている。まず両院の三分の二の賛成と言っても、与党の中から必ずある程度の反対者が出る可能性がある。これに対し「自衛隊の憲法明記を追加」だけなら、造反者は最小に抑えることができると筆者は考える。

    仮に(正統派)改憲派の言う全面改正案がやっと両院を通っても、次の国民投票が大問題である。大半の日本国民は戦後のいわゆる平和教育に洗脳されていて、憲法改正に反対票を投じる人の比率はかなり高いと筆者は見ている。万が一にも国民投票で憲法改正が否決されればそれこそ一大事である。


    15/6/29(第850号)「安倍政権に対する提言」などで述べたように、筆者は憲法そのものを重く見ていない。実際、世界には憲法を重視し一般の法律が憲法に逸脱することを許さないドイツやフランスといった大陸派の国と、英米のような成文憲法を軽く見る一方でむしろ判例を重視する英米派の国がある(特に英国は成文憲法を持たない)。大陸派の国では、現実社会の動きに合せ、頻繁に憲法改正が行われている。

    日本だけは、英米派、大陸派のどちらとも言えない曖昧なことをやっている。もし憲法を重視するなら憲法改正を積極的に進めるべきであり、反対に判例を重視するなら自衛隊を違法とするのはおかしい。このように自衛隊でいつも揉めるのなら、自衛隊の存在をはっきりさせるよう憲法を改正することも意義があろう。今日の朝鮮半島情勢を考えると、このような動きはもっと前から起っていてしかるべきであった。


    民進党にとって致命的な一球?

    残る「違憲であるが合法」と考える人々が問題である。自衛隊が違憲なら、当然、自衛隊の存在は違法とするのが普通であるが、そうではないと考える人々がいる。法曹界にもこのような矛盾した考えを持つ者が案外多い。このような者は、自衛隊を認めながらも憲法改正には反対する可能性がある。彼等は消極的な護憲派と言える。また自民党の中にもこれに近い考えの国会議員がかなりいる。

    前段で憲法9条の改正を前面に出せば国民投票で否決される可能性が高いと述べた。しかしどのような世論調査結果を見ても、国民のほとんどは自衛隊を認めていることが分る。しかし一般国民は自衛隊の存在に賛同していることは間違いないが、自衛隊が憲法に合致しているかあるいは違反しているか見方はバラバラである。ただ憲法のことを深く考えている人々は、そんなに多くないと筆者は思っている。


    とにかく自衛隊に賛成していても、9条を変えてもらいたくない国民は意外と多い。つまり憲法9条に関する限り、結果的にかなりの日本国民の考えはこの「違憲であるが合法」に近いと筆者は考える。平均的な国民レベルの感触は「自衛隊は、憲法に違反しているかもしれないが、しょうがないじゃないか」と言った具合であろう。これに対し自衛隊を認めるのなら、憲法9条を改正した方がスッキリすると(正統派)改憲派が説得してもうまく行かない。

    これは前段で述べたように戦後の平和教育の影響が大きい。護憲派のプロパガンダの「戦後、70年日本が平和だったのは平和憲法のお陰」といったセリフを信じている人々は多い(実際は自衛隊と日米同盟が日本を守ってきた)。しかし今日、日本国民の気持は揺らいでいると思われる。中国の海洋進出に加え、不穏な朝鮮半島情勢に直面しているのである。

    この状況で日本国民の中には、今日、防衛力の強化に賛同する者は確実に増えていると筆者は見る。しかし憲法9条を改正することにはまだ抵抗感がある。これらを勘案すると安倍総理の「自衛隊の憲法明記を追加」という今回の提案は、国民もギリギリ受入れられるのではと筆者は感じる。


    安倍総理の提案は野党にとって厄介である。自民党の憲法改正案と言えば(正統派)改憲派の考えが色濃く反映されると護憲派は想定(期待)してきた。ところが今回は9条を改正せず「自衛隊の憲法明記」を追加するだけであり、まさに肩透かしである。

    おそらく日本共産党は安倍提案に猛反対するであろう。とにかく憲法に触れることには絶対反対であり、この動きは国民の一定の支持が得られる。大半の憲法学者も「改正は憲法条文に矛盾を生じさせる」とか言ってこれに同調するであろう。


    注目されるのが民進党である。民進党には「合憲であり合法」「違憲であるが合法」「違憲であり違法」の全てのタイプの政治家が揃っている。したがって憲法改正論議を始めるとか、与党案に対する対抗案を策定するとなると途端に考えの違いが表面化する。場合によっては収拾のつかない混乱に陥ると思われる。例えば民進党の最左派は、自衛隊を「違憲であり違法」と考える日本共産党と同じである。つまり憲法改正の議論することが民進党の分裂を誘発する。

    したがって憲法論議は民進党にとって絶対避けたいテーマである。ところが民進党は、支持母体の連合から憲法改正論議を行うことを強く促されている(要するに共産党に近い左派を切れという意味)。まさに絶体絶命のピンチに直面する。今回の安倍総理の提案は、民進党にとって致命的な一球となる可能性がある。



来週は、最近のトピックスをいくつか取上げる。



17/5/22(第939号)「半島有事への日本の備え」
17/5/15(第938号)「朝鮮半島の非核化」
17/5/1(第937号)「予備自衛官の大幅増員を」
17/4/24(第936号)「理解されないシムズ理論の本質」
17/4/17(第935号)「シムズ理論と「バカの壁」」
17/4/10(第934号)「経済再生政策提言フォーラムとシムズ理論」
17/4/3(第933号)「シムズ理論の裏」
17/3/27(第932号)「シムズ理論とシムズ教授」
17/3/20(第931号)「シムズ理論とアベノミクス」
17/3/13(第930号)「アメリカの分断を考える」
17/3/6(第929号)「移民と経済成長」
17/2/27(第928号)「トランプ大統領のパリ協定離脱宣言」
17/2/20(第927号)「トランプ現象の研究」
17/2/13(第926号)「為替管理ルールの話」
17/2/6(第925号)「日米主脳会議への対策はアラスカ原油輸入」
17/1/30(第924号)「そんなに変ではないトランプ大統領」
17/1/16(第923号)「今年の展望と昨年暮れの出来事」
16/12/26(第922号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(まとめ)」
16/12/19(第921号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(モラルハザード他」
16/12/12(第920号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(日銀の独立性他」
16/12/5(第919号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(物価上昇編(2))」
16/11/28(第918号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(物価上昇編(1))」
16/11/21(第917号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(基本編)」
16/11/14(第916号)「トランプ大統領誕生は良かった?」
16/11/7(第915号)「Q&A集作成のための準備」
16/10/31(第914号)「中央銀行に対する観念論者の誤解」
16/10/24(第913号)「落日の構造改革派」
16/10/17(第912号)「ヘリコプター・マネー政策への障害や雑音」
16/10/10(第911号)「事実上のヘリコプター・マネー政策」
16/10/3(第910号)「財政均衡主義の呪縛からの覚醒」
16/9/26(第909号)「日本経済こそが「ニューノーマル」」
16/9/19(第908号)「プライマリーバランスの回復は危険」
16/9/12(第907号)「労働分配率と内部留保」
16/9/5(第906号)「経済学者の討論の仕方」
16/8/29(第905号)「吉川教授と竹中教授の討論」
16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
16/8/8(第903号)「新経済対策への評価」
16/8/1(第902号)「大きな車はゆっくり回る」
16/7/25(第901号)「アベノミクス下における注入と漏出」
16/7/18(第900号)「経済循環における注入と漏出」
16/7/13(第899号)「16年参議員選の結果」
16/7/4(第898号)「奇異な話二題」
16/6/27(第897号)「ヘリコプター・マネーと国民所得」
16/6/20(第896号)「ヘリコプター・マネーと物価上昇」
16/6/13(第895号)「ヘリコプター・マネーと消費増税の比較」
16/6/6(第894号)「消費増税問題の決着」
16/5/30(第893号)「安倍政権の次のハードル」
16/5/23(第892号)「アベノミクス停滞の理由」
16/5/16(第891号)「ヘリコプターマネーは日本の救世主か」
16/5/2(第890号)「毎年1,000件もの新製品」
16/4/25(第889号)「日本は消費税の重税国家」
16/4/18(第888号)「財政問題に対する考えが大きく変る前夜」
16/4/11(第887号)「民進党が消費税増税を推進する背景」
16/4/4(第886号)「財政問題が解決済みということの理解」
16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
16/3/21(第884号)「国際金融経済分析会合の影響」
16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
16/3/7(第882号)「「政界」がおかしい」
16/2/29(第881号)「一向に醸成されない「空気」」
16/2/22(第880号)「緊縮財政からの脱却」
16/2/15(第879号)「超低金利の今こそ国債発行を」
16/2/8(第878号)「日銀の「マイナス金利」政策の実態」
16/2/1(第877号)「CTAヘッジファンドの話」
16/1/25(第876号)「今後の原油価格の動きは「売り投機筋」に聞いてくれ」
16/1/18(第875号)「日本の経済論壇は新興宗教の世界」
16/1/11(第874号)「日本のデフレギャップは資産(財産)」


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