経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
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17/4/3(933号)
シムズ理論の裏

    シムズ理論での財源

    先週号で述べたように、シムズ理論の最大の疑問はどのような手段で「通貨価値を大きく毀損(大きな物価上昇)」させるかである。シムズ教授は「例えば2%の物価上昇が実現するまで増税を行わないと政府が宣言する」と言った提言を行っている。しかしこの程度のことで「通貨価値を大きく毀損」がうまく行くとは誰しも思わない。実際、安倍政権は2度も消費増税を延期したが物価は上昇しなかった。

    一方、シムズ教授は、金融緩和が極限まで行った段階(ゼロ金利)では財政政策が有効と説いている。この点は、筆者達もこれを「オーソドックスなポリシーミックス」と賛同する。しかし教授は、財政政策の具体的な財源については明確にしていない。

    財源としては国債の増発が考えられる。しかし国債は償還が前提となり、将来の増税などによる財政の健全化を「予想」させる。これではインフレ期待が生まれず「通貨価値の毀損」は起らないとシムズ教授は判断しているようである。


    このようなシムズ教授の政策提言を突き詰めれば、筆者は財源はまさに「政府紙幣」となるのではと思っている。先週号のシムズ理論とシムズ教授の提言の「裏」とはこれだと筆者は考える。ところで教授は他のシニョリッジやヘリコプター・マネーを容認しているようである。さらに中央銀行による国債などの債券の買入れ政策(QE)も決して否定していない。

    しかし国債の発行には償還が付きまとい、またQEには「出口」を唱える勢力が必ず現れる。また中央銀行を介したシニョリッジは、中央銀行の独立性が問題にされる。特に米国では、FRBが1951年のアコード締結で独立性を回復した後、政府の金融政策への関与は憚れるようになっている。

    これらの障害を全てクリアし、財政支出を増大させ減税を実施するための究極の手段は前述の「政府紙幣の発行」と筆者は考える。シムズ理論に沿った政策を実現するための最も合理的な解答はこれしか考えられないのである。ただ中央銀行が政府に協調し、国債の買入れを行うことには教授は異議を唱えないであろう。また国債の償還期間を長くすることにも賛成すると筆者は考える。要するに教授の発言は、その国での政策の実現性にポイントを置いていると筆者には感じられる。

    シムズ理論の「通貨価値の大きく毀損」に対し、当然、「ハイパーインフレ」を意図的に招くとは何と恐ろしい発想というヒスティリックな声が必ず上がる。これに対してシムズ教授はインフレが起るからこそ財政状態が良くなると、両者の主張は噛み合わない。


    そこで問題になるのが「政府紙幣の発行」の実現性である。筆者は、日本ではほとんど実現性はないが、米国ではある程度実現する可能性があると見ている。もちろん「政府紙幣」を口に出せば米国でも猛反発が起るであろう。06/4/24(第434号)「もう一つ勇気を」で紹介したように、「経済学者が政府紙幣発行を主張する時は、経済学界から追放されることを覚悟しておかなければならない」とスティグリッツ教授も半分冗談を言っているくらいである。

    しかし12/12/24(第737号)「日銀とFRBの違い」で述べたように、過去に米国では16代リンカーン、20代ガーフィールド、そして35代ケネディと3人の大統領が政府紙幣を発行するか、あるいは発行しようとした。特にケネディは政府紙幣発行の大統領令に署名していた。ところがこれらの3人の大統領の全てが暗殺されたのである。シムズ教授も内心では「政府紙幣」と思っていても、なかなか口に出せない事情が色々とあると筆者は勝手に憶測している。


    容易ではない通貨価値の毀損

    シムズ理論に関して分かりにくい課題を二つ挙げる(一つは来週)。一つは「インフレ」に関する事柄である。シムズ理論に反対する日本の財政再建派(財政規律派)は、シムズ理論に沿った政策はインフレを起こす力が全くないか、あるいはハイパーインフレを招くかのどちらかと支離滅裂なことを言っている。ところが実際のところ、日・米・欧の先進国では、近年、物価上昇が起らなくなっている。米国ではこれを「ニューノーマル」と称している。

    一般の国民にとって物価が上昇しない方が好ましいのに、何故、シムズ教授が経済をインフレ化させることを政策目標にしているのか分かりにくいと筆者は思っている。この点を低インフレが消費の弱さの裏返しと解釈でき、またこの低インフレが政府の累積債務問題を悪化させる。この財政悪化による消極財政がさらに低インフレを招くといった悪循環を招くと教授は考えているのであろう。


    筆者は、財政が積極財政に転換に転じても容易には物価上昇は起らないと考える。伝統的な経済学の論争では、物価上昇についてはデフレギャップの大きさが問題にされてきた。デフレギャップが大きいと見る経済学者は、多少の財政支出増による需要増ぐらいでは物価は上がらないと見る。一方、デフレギャップが小さいと見る経済学者やエコノミスト(日本の主流派)は、小さな追加的な需要増でも物価は急騰すると主張する。中には今日の日本の雇用状況を既に「完全雇用」とバカげたことを言っているエコノミストがいる。

    ところで日本(他の先進国も同様)の消費構造の変化によって、需要が増えるほど価格が下落する「モノ」や「サービス」の消費割合が大きくなっていると筆者はずっと主張してきた。IT製品や通信費などがその典型である。経済学的には「収穫逓減」産業から「収穫逓増」産業への移行と言ったところであろうか。この影響も物価上昇を抑えていると筆者は考える。

    また先進国で増えている雇用は概ね専門的な知識や技術を必要としない単純労働が中心である。この分野の労働者は「競争的周辺部」であり(労働組合などない)、人手不足となっても賃金は上がりにくい。特に欧米では、多くの移民がこの種の職業に就くのでますます賃金の上昇が望めなくなっている。しかもこのような労働者の割合は確実に大きくなっている(したがって失業率が下がっても平均賃金は上がらない)。このようにデフレギャップの大きさだけで物価上昇を語るのは、時代の変化に背を向けていると筆者は考える。


    先週号で取上げた日本経済復活の会(会長小野盛司氏、顧問宍戸駿太郎筑波大学名誉教授)のシミュレーション分析でも物価はなかなか上がらなかった。公共投資や減税の金額を段々と増やしてみたが、物価への影響力は限定的であった。ちなみに小野さんは日経NEEDSのプログラムをレンタルし(レンタル料はけっこう高かった)、シミュレーションを行った。もちろん計量経済学者の宍戸教授はご自分のプログラムをお持ちであったが、世間で多少なりともオーソライズされている日経NEEDSを使った方が良かろうという宍戸さんのアドバイスがあった。

    これも宍戸さんのアドバイスで、小野さんはこのシミュレーション分析の結果を何名かの著名経済学者に送ってみた。すると03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で述べたように、驚くことにサミュエルソンから返事が来たのである。

    その中に「大規模な減税が日本経済の著しい回復をもたらすのであればインフレ率が十分高くならないとしても、気にしなくても良い。インフレ率自身は政策の最終目標ではないからだ。重要なことは、流動性のわなに起因される消費の欠如を取り除くことであり、それ以外のものではない。」(If strong tax cuts were "to bring remarkable recovery of Japanese economy",then I would not worry about a failure to achieve a positive inflationrate. This latter condition is not itself a primary goal of policy.)という記述があった。


    筆者は、今日、シムズ理論が脚光を浴びていることを見て、このサミュエルソンのこの指摘を改めて思い出した。おそらく同様にシムズ教授も多少の財政政策で、物価が簡単に上昇すること(三流経済学者の言っているハイパーインフレ)は絶対にないことを承知しているはずと筆者は憶測している。だからこのようなことを踏まえ「通貨価値を大きく毀損させる程の大胆な財政政策が必要」と言っていると筆者は解釈している。



来週は、もう一つの課題である財政の均衡と、さらに経済再生政策提言フォーラムの話を取上げる。



17/3/27(第932号)「シムズ理論とシムズ教授」
17/3/20(第931号)「シムズ理論とアベノミクス」
17/3/13(第930号)「アメリカの分断を考える」
17/3/6(第929号)「移民と経済成長」
17/2/27(第928号)「トランプ大統領のパリ協定離脱宣言」
17/2/20(第927号)「トランプ現象の研究」
17/2/13(第926号)「為替管理ルールの話」
17/2/6(第925号)「日米主脳会議への対策はアラスカ原油輸入」
17/1/30(第924号)「そんなに変ではないトランプ大統領」
17/1/16(第923号)「今年の展望と昨年暮れの出来事」
16/12/26(第922号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(まとめ)」
16/12/19(第921号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(モラルハザード他」
16/12/12(第920号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(日銀の独立性他」
16/12/5(第919号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(物価上昇編(2))」
16/11/28(第918号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(物価上昇編(1))」
16/11/21(第917号)「ヘリコプターマネーに関するQ&A集(基本編)」
16/11/14(第916号)「トランプ大統領誕生は良かった?」
16/11/7(第915号)「Q&A集作成のための準備」
16/10/31(第914号)「中央銀行に対する観念論者の誤解」
16/10/24(第913号)「落日の構造改革派」
16/10/17(第912号)「ヘリコプター・マネー政策への障害や雑音」
16/10/10(第911号)「事実上のヘリコプター・マネー政策」
16/10/3(第910号)「財政均衡主義の呪縛からの覚醒」
16/9/26(第909号)「日本経済こそが「ニューノーマル」」
16/9/19(第908号)「プライマリーバランスの回復は危険」
16/9/12(第907号)「労働分配率と内部留保」
16/9/5(第906号)「経済学者の討論の仕方」
16/8/29(第905号)「吉川教授と竹中教授の討論」
16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
16/8/8(第903号)「新経済対策への評価」
16/8/1(第902号)「大きな車はゆっくり回る」
16/7/25(第901号)「アベノミクス下における注入と漏出」
16/7/18(第900号)「経済循環における注入と漏出」
16/7/13(第899号)「16年参議員選の結果」
16/7/4(第898号)「奇異な話二題」
16/6/27(第897号)「ヘリコプター・マネーと国民所得」
16/6/20(第896号)「ヘリコプター・マネーと物価上昇」
16/6/13(第895号)「ヘリコプター・マネーと消費増税の比較」
16/6/6(第894号)「消費増税問題の決着」
16/5/30(第893号)「安倍政権の次のハードル」
16/5/23(第892号)「アベノミクス停滞の理由」
16/5/16(第891号)「ヘリコプターマネーは日本の救世主か」
16/5/2(第890号)「毎年1,000件もの新製品」
16/4/25(第889号)「日本は消費税の重税国家」
16/4/18(第888号)「財政問題に対する考えが大きく変る前夜」
16/4/11(第887号)「民進党が消費税増税を推進する背景」
16/4/4(第886号)「財政問題が解決済みということの理解」
16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
16/3/21(第884号)「国際金融経済分析会合の影響」
16/3/14(第883号)「信用を完全に失った財務省」
16/3/7(第882号)「「政界」がおかしい」
16/2/29(第881号)「一向に醸成されない「空気」」
16/2/22(第880号)「緊縮財政からの脱却」
16/2/15(第879号)「超低金利の今こそ国債発行を」
16/2/8(第878号)「日銀の「マイナス金利」政策の実態」
16/2/1(第877号)「CTAヘッジファンドの話」
16/1/25(第876号)「今後の原油価格の動きは「売り投機筋」に聞いてくれ」
16/1/18(第875号)「日本の経済論壇は新興宗教の世界」
16/1/11(第874号)「日本のデフレギャップは資産(財産)」


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