- 「空気」の研究
今週号は、ちょっと経済とは直接関係ないと思われる事柄から始める。集団の行動と言うものは不思議なものである。「今となってはどうしてあのような事をしてしまったのか」と言うことがよくある。事の成り行きに反対する人もまれに現われるが、どうしようもないのである。このような場合をよく「空気」に支配されている状態と言う。 このような集団心理をテーマに、昔ある月刊誌で連載があった。著者は故山本七平氏であり、題名は「空気の研究」であった。氏は、宗教研究家であり、ベストセラー「日本人とユダヤ人」の著者イザヤベンダソンその人と言われていた人物であった。氏は、特に日本人は「空気」に支配されやすく、場合によってはこのことによってとんでもない行動をしでかすことを指摘している。この連載では「戦艦大和の出撃」をその典型的な例としている。第二次世界大戦も最終の場面で「戦艦大和」は出撃したのである。十分な護衛艦もなく出撃するのだから、撃沈されることは誰にも分かっていた。しかし、当時の日本の「空気」に支配されており、「戦艦大和」は出撃せざるを得なかったのである。日本の領土である「沖縄」に米軍が攻撃を仕掛けてきたのである。撃沈されることが十分予想されていても、それに反対できる「空気」ではなかったのである。予想通り、出撃してまもなく鹿児島の沖で「戦艦大和」は米軍によって撃沈されたのである。 そもそも日本が、第二次世界大戦に参戦したこと自体が「空気」に支配されていたと筆者は考えている。戦争が終わった時点では、ほとんどの人々は「なぜ米国と戦争する必要があったのか」と考えたのに違いない。しかし、開戦の直前では「米国なにするものぞ」と言う「空気」に支配されていた。無理もない、明治以来日本は戦争と言う戦争に全て勝ってきたのである。一般の国民は自信満々であった。開戦前にアンケート調査したら、開戦に賛成する人は8割以上であったと思われる。米国の軍事力の実情を知っており、開戦に反対する意見を持っている人がまれにいても、当時の世間の「空気」の中では「開戦に反対」することは難しいことであったと想像される。 山本七平氏は、「日本人は空気に支配されやすい」と指摘しているが、筆者はなにもこのような現象は日本に限られることとは考えない。この現象は世界中に見られることと考えている。第二次世界大戦に当初米国は参戦しなかった。米国は孤立主義、いわゆる「モンロー主義」を貫いていた。同盟国である英国がドイツから攻撃を受けていても、米国は動かなかった。大統領ルーズヴェルトとしては動かなかったと言うより動けなかったのである。しかし、米国国民の意識を決定的に変える事態が発生した。日本軍の「真珠湾の攻撃」である。これを日本は「奇襲」と捉えているが、米国国民は「だまし討ち」と捉えた。そしてこの事態は米国の「空気」を一変させたのである。これをきっかけに米国は第二次世界大戦に参戦することになった。日本軍が「真珠湾」を攻撃することをルーズヴェルトが事前に知っていたことは常識となっている。ルーズヴェルトは日本軍に「奇襲」をあえてさせることによって、国民の中にある孤立主義の「空気」を変えたかったと言う解説があるが、ありうることである。ところで「空気」に支配されるのはなにも日本人だけではないと筆者は述べたが、たしかに日本人は他の国民に比べ、「空気」に支配されやすいことは否定できないかもしれない。人々の結び付きが強い日本ではこの「空気」の働きが大きいのである。 「空気」自体は無色透明であり、いつも正しいとも、反対に間違っているとも言えないが、筆者の感想ではこれまでは間違っていたケースが多かったと考える。そしてこの「空気」を増幅するのがマスコミなどのメディアである。したがって間違った「空気」がこれらによって増幅されると大変な事態となるのである。 経済の世界にも「空気」がある。バブル期の最盛期には「土地は値下がりはしないもの」と言う「空気」が支配していた。銀行も競って土地融資を増やした。当時、銀行でもこれはおかしいと考える人はいたはずであるが、この動きに反対できる「空気」ではなかったのである。銀行のトップから一般行員までがバブルに走ったのである。身を挺してまでもこの流れを止めようとした者は現われなかったのである。そしてこの「空気」が変わるにはバブルが崩壊するまで待たなければならなかった。 日本人が「空気」に支配されやすいと言う指摘が正しいなら、いつもどのような「空気」が支配しているかを考えている必要がある。「空気」は油断ならないのである。
- 経済政策と「空気」
経済政策をめぐる「空気」も変わってきている。ここ2年間に限っても、相当変わっている。筆者は少しずつ正しい方向に変わりつつあると考えている。 自民党が衆議院選挙で善戦したのが96年の秋であった。そして公約で消費税の増税を訴え選挙に勝ったことから、今日の混乱が始まったのである。筆者は、まさかと思ったが、政府は緊縮型の97年度予算を決めたのである。この間の事情は8/31(第79号)「政治と経済の混乱を考える」で述べた通りであり、この路線の主導的立場にあったのは、橋本総理ではなく、むしろ当時の梶山官房長官であった。財政再建路線には当然自民党内にも反対があったはずであるが、実力者である梶山官房長官にあえて異を唱えることができなかったのであろう。不思議なことに日本全体に財政再建路線をバックアップする「空気」が強くなったのである。世間では「清貧の思想」がはやり、「政府にはもうおねだりしてはいけない」と言う経済学者が現われ、「小さな政府」の信奉者もまた活発に発言しだした。日経新聞は「2,020年からの警鐘」と言う連載を始め、財政支出を抑え、規制緩和をしないと20年後の日本は悲惨な状態になると警告していたのである。 筆者は、これは大変なことになると考えたが、世間の「空気」は財政再建路線を突っ走り始めたのである。この頃の各種のアンケート調査でも「財政再建」が求められる一番の政策であった。「景気対策」や「公共投資」を求める声はほとんど皆無であった。会社経営者やエコノミストを対象にしたアンケート調査でも結果は同じであった。当「経済コラムマガジン」を発行したのもこの頃であり、当時の「空気」をよく理解しているつもりである。 しかし、株価だけはこれに敏感に反応して、96年の12月から下落し始めた。株価は翌年1月にさらに下落し、世間も騒ぎ始めた。ところがテレビに登場したある財政学者は「財政支出の削減が甘く、日本売りが行なわれ、株価が下落しているのだから、もっと財政削減を厳しく行なうべき」と言う珍解説を行なっていたくらいである。しかし当時のマスコミの論調はこれに近く、財政再建の「空気」はどんどん増幅されていったのである。「経常収支が大きな黒字である日本が、緊縮財政を行なったらどうなるか」と言う議論はほとんどなされなかった。今日になってようやくこの財政再建路線が間違いだったとされているのが現実である。実際、緊縮財政を敷いたが、今年度の税収は国と地方で9兆円もの歳入不足となる予定である。この傾向は当分続くはずであり、財政再建路線とはなんだったのかと言うことである。ちなみにこの財政再建路線を強く主張していたこの国立大学の財政学者は、教授からさらに上のランクに出世していると言うのだから、日本は一体どうなっているのであろうか。「私は財政学者であり、経済のことは解らない」と言うなら経済のことについては発言を控えるべきである。 当時、それまで景気を引っぱっていた「住宅投資」は限界にきており、公共投資も地方財政の逼迫で実行が難しくなっていた。つまり緊縮財政どころか景気対策が必要な段階だったのである。唯一の救いは「円安」による外需であった。しかし、筆者は、この外需依存へのシフトがこの後のアジアの経済危機と無縁とは言えないと考えている。そもそもマクロ経済の循環の中で需要が不足するのであるから、その不足を財政で埋めなければ、輸出が増えるか、あるいは輸入が減る他はないのである。そして有効需要が不足している場合にこれを補填することは、「政府におねだり」の善し悪しとは全く別次元の議論なのである。 はたして経済政策の「空気」が変わるには97年の11月まで待たなければならなかった。三洋証券、拓銀、山一証券の破綻があり、ようやく国全体の「空気」が変わる気配を見せたのである。しかし、ここで十分に変わったわけではではなかった。ところで、「日本の金融不安が不景気の原因」と言う意見があるが、これは正確ではない。むしろ景気の後退と株価の下落が金融不安を顕在化させたと考えている。そしてこの一番の原因はまさに「財政再建路線の開始」であった。銀行の貸し渋りが目立ってきたのもここ1年余りの現象であり、バブル崩壊後も、不動産などの一部を除き、銀行は貸し出し残高を増やしていたのである。つまり今日の金融不安の責任者も、銀行、不動産関係者を除けば、財政再建路線を決めた政府とそれを「はやし立てた」エコノミストやマスコミと言うことになる。この続きは来週号で述べたい。ところで現在、「減税」が景気対策の中心として活発に議論されている。先週号10/26(第87号)「景気対策論議を考える」で述べたように、どのような形で「減税」が行なわれても、景気対策としての効果は極めて小さいのである。この様子を見ていると、筆者は、まだもう一つ大きな出来事がなければ、「空気」が本当には変わらないのではないかと考えているくらいである。
|