- 続信用収縮を招いた三幕の「掟破り」
今週号は、先週号10/5(第84号)「経済の「あいまいさ」を考えるーーその2」の続きから始める。「掟破り」の第一幕は昨年4月の日債銀の系列ノンバンク「クラウンリーシング」の法的整理であった。信用不安を噂されていた日債銀は、海外業務から撤退することに加え、系列ノンバンクを整理することによってこの難局を逃れようとしたのである。負債額は約1兆2千億円であった。この系列ノンバンクの倒産に至った経緯は、当局が作った救済スキームが実現せず、一部の債権を持つ金融機関が回収を急いだことである。「クラウンリーシング」には他の金融機関も貸し込んでいた。金融機関の中には、「最終的には日債銀が面倒をみる」と信じて、十分な担保も取らず貸し込んでいたものもいたはずである。法的整理となれば、担保で保全されていない部分は一律カットである。反対に日債銀にとっては負担がそれだけ軽く形で系列ノンバンクを整理することができたのである。日債銀は、法律上では問題がないが、結果的には業界の「掟破り」を行なうことで生き延びたと言える。 そして最後の第三幕は長銀の系列ノンバンクの法的整理である。当初長銀は、系列ノンバンクに対する債権を放棄することを考えていた。これにより系列ノンバンクに貸し込んでいる他の金融機関の負担を小さくすることができるのである。この結果不足する自己資本を公的資金の導入で切り抜けることを考えたスキームであった。これは業界の「掟」を守ろうとした考えである。当局もここまで傷ついた信用秩序をこれ以上壊さない方法として、これしかないと考えたであろう。しかし、政局に振り回され、最終的には「日本リースの会社更正法の申請」、つまり事実上の倒産と言う結果になった。負債額は約2兆3千億円であった。ここでも各金融機関は被害を被ったのである。 長銀救済のスキームには、野党の猛烈な反対があり、暗礁に乗り上げた。また自民党の野党との折衝に当っていた若手議員も、金融再生法の成立を重視するあまり、長銀救済スキームはどうなっても良いと言う態度であった。最終的には野中官房長官が「長銀の系列ノンバンクへの債権放棄は認めない」と言う言葉で命運は尽きたのである。長銀救済スキームが怪しくなったあたりから、他の金融機関の「日本リース」への債権回収の動きは出ており、これは新聞でも事前に報道されていた。問題は、金融問題を議論している政治家が、この動きがどのような意味を持っていたのかを正しく理解していたかである。筆者には、どうも「債権放棄」が道徳上「悪いこと」と言う次元で捉えているのではないかと疑っている。これでは「長銀の系列ノンバンクへの債権放棄は認めない」ことを決めた政治家達は「経済や金融には素人であり、一般人やテレビキャスターと同レベル」ではないか。宮沢大蔵大臣は当然これらのことを理解していたはずであるが、この時点まではまるで存在が無視されていたのである。どうしてわざわざ元首相を大蔵大臣に据えたか自民党の若手議員もすこしは考えるべきである。とにかく報道では「日本リースの破綻」で全体で1兆3千億円の新たな不良債権が現実のものになった。銀行によってはある程度引き当てを行なっていたであろうが、引き当ててなかった場合には、これを償却することになり、自己資本はその分減少することになる。この結果、自己資本比率を維持するために、計算の上では日本全体で10兆円近い融資が回収されても不思議はないのである。 「債権放棄は認めない」と言うことになれば、「日本リース」は会社更正法を申請するしか選択肢はなくなった。つまりついに「掟破り」の第三幕となったのである。おかしいのは法的整理に踏み切ったのは長銀の系列ノンバンク三社のうち一社だけである。他の二社は債権を持つ金融機関の数が少ないからと言う理由になっているが、筆者は「日本リース」は会社更正法を申請の影響があまりにも大きいのを驚き、とりあえず二社については結論は後送りになったと考えている。しかし、この二社についても債権者が回収に入れば、何らかの結論を出さざるを得ないであろう。 このように日本の信用はぼろぼろに傷がついているのである。当然この動きは一般の企業への融資にも影響を与える。メーンバンクがある大企業でも、安心して融資を継続するわけにはいかないのである。メーンバンク以外の銀行は、融資の回収や担保の増額の要求に走ることになる。これまでの協調融資と言うものも怪しくなる。バブル崩壊で不良債権を持つ企業や、業績が悪く、借入金が多い企業はますます窮地に追い込まれるのである。地方銀行が地元以外の企業への融資を回収に回っているのもこの流れの一つである。 経済政策のミスの影響は直ぐには現われないことが多い。今日の信用の収縮も、3回にも及ぶ「掟破り」が大きく影響していると筆者は考えている。第一幕は別として、第二幕は「大蔵官僚」のミスであり、第三幕は政治家の判断ミスと筆者は考えている。これらがホディーブローのように今後も日本の信用状況に悪影響を与え続けるのである。 業界の「掟破り」を行なって生き延びている日債銀と、「掟」を守ろうとして事実上消滅しようとしている長銀が好対照であり、世の中の「無常」を感じるのである。世の中を生き抜くためには「たくましさ」が必要と言うことなのであろう。
- 行政指導による信用収縮の回避
先週の後半あたりから、政治の金融安定化に対する取り組みが徐々に変わってきた。金融安定化法の廃止と早期健全化スキームの作成はワンセットであった。筆者は当初の自民党の早期健全化スキーム案がとんでもないものであったから、先週号ではこれに強く反対した。しかし、自民党が提出し直した案は「元の金融安定化法」に一歩近づいたものとなっている。どうしたことか野党もこれには以前ほどの抵抗は示していないのである。なぜこの2ケ月以上揉めていたのか不思議である。筆者は、これは米国の理解が正しい方向に変わったことと、株式市場の下落の影響と考えている。これらによって政治家も多少現実的になったと考えている。自民党の若手がまとめた当初案との大きな違いは、自己資本比率が8パーセントを越える銀行にも公的資金の投入する道を復活したことである。 当初自民党の若手が取りまとめた案は、民主党との妥協だけを考えたものであり、酷いものであった。これではどの銀行も公的資金の導入を避けるはずであり、何の意味もないものであった。そして当初案が成立するようでは、銀行は猛烈な融資金の回収に走らざるを得ないことになる。現実には、既にそれに近い銀行があるはずである。早期健全化どころか、世の中に倒産の嵐を招くような案であった。 話はちょっとづれるが、この2ケ月の自民党若手と野党、特に民主党の議員との折衝の様子はまるで小学生の学級会であった。全く現実の危機的状況が頭にないようであった。両者にとって一番大事なことは大蔵省の関与を排除し、自分達で法案を作ることであった。法案が経済にどのような影響があるか関係がなかったのであろう。したがって金融安定化法の廃止も簡単に決めてしまった。特に気になるのは、自民党の若手議員の「これまで大蔵省にまかせていてうまくいかなかったから自分達が全て決める」と言う言葉である。この結果、宮沢大蔵大臣の存在は消えたのである。筆者は、この自民党の若手議員のセリフは全く理屈になっていないと考えている。これまで失敗して来ても、次も失敗するとは限らない。たしかに大蔵省はこれまで失敗してきた。筆者が指摘したように「三洋証券への会社更正法の適用申請」はその典型であろう。この政策の決定は大蔵官僚の独断であり、政治家には事後報告だけだったと言う。しかし、これに続く拓銀と山一証券の破綻以降、大蔵省も考えが変わったと思われる。むしろ全く危機感のない彼等の折衝は単なる時間の無駄である。この間にどれだけ株式が下落し、どれだけ銀行の自己資本が減少し、貸し渋りが酷くなったか考えるべきである。筆者は、むしろ危機的状況の今こそ専門家である大蔵官僚が積極的に動くべきと考える。ところが民手党などは「金融と財政の分離」と言う、筆者に言わせるとまったくどうでも良いことに今の時点でこだわっているのだから驚きである。これについては別の機会に述べることとして、ここでは省略する。 ミスは誰にもあることであり、自民党も随分ミスを繰り返してきたはずである。財政再建路線の推進はその一つであり、橋本総理の再選を対抗馬なしで決めたことも大きなミスではなかったか。この結果、参院選では大敗を喫したのである。ミスをしたからと言ってその存在まで否定するのは問題である。むしろなぜミスを犯したか考えることが重要である。筆者は大蔵省がミスを犯した原因について考えがあるが、長くなるので別の機会に述べたい。 早期健全化スキームは自民党の案を元に決まる可能性がある。ただし、これがうまく機能するか疑問である。野党との妥協の結果、機能しないケースも考えられる。その場合には修正がさらに必要になるが、またもや時間がかかることになる。特に公的資金投入にともなって、条件がまだ厳しいようである。しかしとにかく公的資金の投入までの段階までは、十分とは言えないが一応見通しがついたのである。しかし、公的資金の投入が実現しても、肝腎の「貸し渋り」が本当に収まるかは疑問である。「貸し渋り」は自己資本の不足だけで起こっているのではない。銀行はこれ以上の不良債権を抱え込みたくないのである。つまり自己資本が十分になっても、融資が増えない事態が考えられるのである。これは難しい問題である。特に業績の悪い企業への融資の継続が問題である。しかし、世間でも名の広く知られる企業が次々破綻することの影響は大きい。つまりこのようなケースは一つの政治的判断が必要になると考える。 筆者は、公的資金を投入する以上、当局の行政指導を復活させるべきと考えている。中小企業への融資継続はもちろん、大きな有力企業への個別の融資についても、当局の関与が必要と考える。少なくとも景気が回復するまではこれを続けるべきと筆者は考えている。今後、色々な景気対策が講じられることになる。ところがこれらが効果を生み、経済活動が活発になれば、逆に倒産が増える可能性が強い。取引が拡大すると資金がショートするのである。金融が正常に機能しておれば問題がないのだが、現在のよう状況では、取引の拡大が命取りとなるのである。特に信用が絞られている、業種や企業は要注意である。 公的資金が投入されても、融資が増える保証はない。公的資金が投入されても銀行の救済に止まるのなら意味がないのである。投入された何倍かの融資が増えて始めて、公的な資金投入が生きるのである。今、銀行への風当りが強い。「銀行にはモラルがない」と政治家から非難を受けている。しかし、今、銀行の非難をしていてもしょうがないのである。銀行に機能してもらわなければならないのである。私企業である銀行に対して、法律で融資を増やすことを命令することはできない。したがって金融システムが公共財と言うなら、「あいまいな手法の復活」と非難されようと当局の行政指導でこれを実現する他はないと筆者は考える。
|