経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
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14/8/25(809号)
ハシゴを外された話

  • クルーグマン教授の変心

    今週は「ハシゴ」を外された話をする。最近では、朝日新聞の「従軍慰安婦問題」に関する誤報が世間の注目を集めた。昨日まで朝日の報道を信じて、この問題で騒いでいた者達はまさに「ハシゴ」を外されたのである。

    だいたい朝日は、戦前は軍国主義を鼓舞し、戦後は一転して左翼に転換し「平和の新聞」を気取ってきた。日米安保や自衛隊に反対し、ソ連や中国には好意的な新聞であった。また消費税の導入時には消費税反対を激しく唱えていたにもかかわらず、今回の消費税増税は推進する論調を展開している。

    つまり「根」からいい加減な新聞である。ちなみに我が実家では朝日新聞をずっと取っていて、昔から筆者は「酷い新聞」といつも思いながら読んでいた。特に筆者は、朝日の「声」欄が嫌いであった(この欄に掲載されるほとんど全ての投書は偏向していた・・朝日はどこかの政党の機関紙と変わらない)。このように日経新聞は酷いが、朝日新聞もいい加減さでは負けてはいないのである。


    経済論壇でも「ハシゴ」を外された話がいくつもある。ポール・クルーグマンの論調の変化もその一つであろう。本誌ではこのことを11/10/10(第681号)「ポール・クルーグマン教授の変心」などで取上げた。

    00/1/17(第146号)「有力エコノミストの対談」で述べたように、昔のクルーグマン教授は、金融政策一辺倒の論客であった。この13年前のリチャード・クー氏との対談でも、財政政策を主張するクー氏に対して、教授は否定的な見解を示している(筆者はクー氏の意見の方に賛同している)。つまり当時のクルーグマン教授は、日本のリフレ派にとっての教祖的存在であった。


    ただクルーグマン教授だけではなく当時の米国のほとんどの有力なエコノミストは、日本の財政政策を中心とした経済対策に否定的であった。特に公共事業による景気対策に強い違和感を持っていた。したがってデフレ対策は金融政策を中心にするよう、彼等は日本に度々忠告・勧告していた(また構造改革を推進しろと言った的外れな意見も多かった)。

    しかしこれは日米の経済体質(財政制度)の違いとデフレの程度の差を認識しない考えに基ずくものと筆者は思っていた。まず昔から米国経済の方が金利に感応的であることが知られている。米国はカード社会であり、国民もローンで住宅だけでなく一般消費物資までも購入することが一般的になっている。

    例えば、今日、米国では新車の販売が好調であるが、これも金利が低下しているからである。また金融機関の貸出の審査が住宅に厳しくなった反面、自動車購入への貸出審査が甘くなっている。この結果、米国の自動車販売は年間ベースで100万台ほど実力より多くなっているという話まである。つまり車の販売でミニバブルが発生していて、いずれそのうちこれは崩壊すると思われる。


    また米国社会には政府が経済対策のために公共投資を増やすといった発想がない。そもそも公共投資は州政府が行うものであり連邦政府は基本的に関与しない。例外は戦前の大恐慌に対するニューディール政策のTVA計画ぐらいである。

    また米国の国土が広いため、一つの公共投資の波及効果が全国に広がるということが難しく、地域によって不公平が生じる。ところで今日、米国のインフラはかなり老朽化しており、近い将来、連邦政府が州政府に補助金を出し経済対策として全国的な大規模改修に踏出す可能性がある。つまり日本と同じような政策(これまで批判的に見てきた政策)を採るかもしれないという話である。


    クルーグマン教授は、90年代に米国の識者(おそらくクルーグマン本人も含め)が日本になすべき課題をあげつらったことについては「謝るべきかもしれない」と述べている。これもリーマンショック後の米国の経済の落込みが大きく、これまで有効だった金融政策が十分には効かなくなった現実に直面したからである。

    大事なポイントは、クルーグマン教授が日本の採って来た経済政策(公共投資を中心とした)への批判が間違いだったと認めたことである。昔から日本の識者は、マスコミに登場し賢ぶって公共投資を徹底的に批判することが流行っていた(今でも彼等の一部は懲りずにテレビ東京系の番組に出て同じことを言っている)。中には「公共投資のような生産性の低い分野に資源配分を傾けるから低成長から脱却できない」といったトンデモない話まであった。これも彼等が、自分の頭では何も考えず、単にクルーグマンような欧米の有力エコノミスの尻馬に乗っていたに過ぎなかったのである。


  • 高台の一戸建て住宅

    クルーグマン教授は財政政策に肯定的になっただけではない。13/1/14(第739号)「年頭にあたり」で述べたように、米政府の債務残高引上げが問題になった際、1兆ドルのプラチナ硬貨を発行し米国政府の債務に充てれば良いとまで言っている。もちろんこれは半分冗談であり、国家の債務残高を異常に気にする財政均衡派(財政至上主義者)や小さな政府の信奉者を牽制し揶揄するための発言である。

    客観的に見て、クルーグマン教授の経済認識はかなり変わっている。つまりこれまで彼を絶対的に信じていたとしたなら、そのような人々はハシゴを外されたかっこうになる。しかしこれを認めたくない者や知らないフリをしている者がいる。いまだに金融政策が万能と思っているガチガチのリフレ派の人々である。


    ただリフレ派もいくつかの考えに別れ始めたと筆者は思っている(以前から別れていたという見方も可能)。金融政策だけでなく財政政策の有効性を認める柔軟なリフレ派と、あくまで財政政策を否定する硬直的なリフレ派である。前者は筆者などに近いと言える。

    この試金石の一つが消費税増税に対する対応である。前者が増税に反対しているのに対して、後者は賛成している。黒田日銀総裁などは後者であろう(本心は不明であるが)。また後者(硬直的なリフレ派)は明らかにクルーグマン教授にハシゴを外されているが、前者(柔軟なリフレ派)は教授の変心に違和感をほとんど感じていないと思う。


    たしかに世間にはハシゴを外した者が一方的に悪いという見方がある。しかし人には勘違いがあり、また状況の変化というものがある。クルーグマン教授の場合は、リーマンショック後の米国経済の回復のあまりの弱さを見て考えを変えたと思われる。ただ筆者は、現実を見てこれまでの考えを柔軟に変えることは決して悪いとは思わない。

    またクルーグマン教授のように、過去の認識が半ば間違っていたことを率直に認める態度の方が学者として立派と感じられる。むしろ間違いと薄々と気付きながらも従来の考えに固執する者の方が大きな問題である。日本の経済学者やエコノミストには、このタイプが非常に多い。


    経済論壇では、これからもハシゴを外されるケースがどんどん出てくると考えられる。「財政の均衡主義(財政再建至上主義)」や「供給サイド重視の経済感」などがその有力な候補である。筆者は、経済論議に虚言・妄言が多いということは、この分野でそのうちハシゴを外されるケースがそれだけ多くなると見ている。

    ちょっと前(30〜40年前)までは、社会主義・共産主義経済が輝いて見えたものである。例えばマスコミとマル経左翼経済学者が作った、「社会主義の北朝鮮は楽園」という無責任な風潮に乗って多くの人々が北朝鮮に渡った。この人々もハシゴを外された典型であろう。


    経済論議から離れてもハシゴを外されるケースがどんどん出てくると筆者は思っている。例えば都市郊外の高台の一戸建て住宅が問題と以前から筆者は考えていた。今回の広島の土石流災害を見てそれを再認識した。

    バブル経済時代、住宅開発が進み住宅としては相応しくない所まで住宅がどんどん建つようになった。筆者は、高台の一戸建てが「夢のマイホーム」というムードは住宅メーカや不動産会社によって作られてきたと思っている。どうもこのブームに乗って高台の一戸建てを購入した人々は、ハシゴを外された可能性がある。

    まずバブル崩壊後、都心が再開発されもっと便利で平らな所に空き地がどんどん出てきている。また駅の近くの便利な所に利用されていない休耕田が広がっているケースもある。何も山を切崩してまでも住宅を建てる必要が本当にあったかということである。日本のこれまでの住宅政策が間違っていたかもしれないと筆者は考える。また年を取って足腰が弱ると高台での生活は厳しいものがある(こうゆうことに若いうちは気が付かない)。ちなみに25年ほど前、筆者の実家も高台から平地に引っ越した。



来週は今週の続きで、サミュエルソンを取上げる。



14/8/4(第808号)「トマ・ピケティの「21世紀の資本論」」
14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
14/7/21(第806号)「一家に一台が需要の天井」
14/7/14(第805号)「ポンコツ経済理論の信奉者達」
14/7/7(第804号)「経済成長の三つのパターン」
14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
14/6/23(第802号)「奇妙な話ばかり」
14/6/16(第801号)「石油は人々をおかしくさせる」
14/6/9(第800号)「ベトナム沖の一大事」
14/6/2(第799号)「金利低下の背景」
14/5/26(第798号)「政策目標の変更」
14/5/19(第797号)「「美味しんぼ」騒動」
14/5/12(第796号)「使えない経済指標」
14/4/28(第795号)「推理小説のような中国経済の実態」
14/4/21(第794号)「中国1〜3月期のGDP成長率」
14/4/14(第793号)「日本のマスコミの問題体質」
14/4/7(第792号)「ウクライナとロシアの関係」
14/3/31(第791号)「怪しくなったアベノミクスの行方」
14/3/24(第790号)「中国のバブル生成の過程」
14/3/17(第789号)「バブル経済崩壊の序章」
14/3/10(第788号)「中国経済にまつわる奇妙な話」
14/3/3(第787号)「中国経済に変調(その2)」
14/2/24(第786号)「中国経済に変調」
14/2/17(第785号)「経済戦略会議から15年」
14/2/10(第784号)「理論と現実の狭間・・金利編」
14/2/3(第783号)「経済理論と現実の狭間」
14/1/27(第782号)「なつかしい経済理論の復活」
14/1/20(第781号)「窮地に立つリフレ派」
14/1/13(第780号)「新春のトピックス」
13/12/23(第779号)「周辺国の異常行動」
13/12/16(第778号)「ピカピカのバランスシート」
13/12/9(第777号)「中谷巌氏の変心」
13/12/2(第776号)「何処に行った経済成長戦略」
13/11/25(第775号)「アベノミクスの行方」
13/11/18(第774号)「ここ一ヶ月の出来事」
13/10/14(第773号)「虚言・妄言の判断基準」
13/10/7(第772号)「消費税増税、次の焦点」
13/9/30(第771号)「消費税にまつわる諸問題」
13/9/23(第770号)「「声なき声」が届くか」
13/9/16(第769号)「利払い額のGDP比率の推移」
13/9/9(第768号)「利払い額で見る財政の健全性」
13/9/2(第767号)「消費税増税は雲行きが怪しくなった?」
13/8/26(第766号)「財政が危機という怪しい話」
13/8/10(第765号)「消費税増税は絶対に避ける道」
13/8/5(第764号)「消費税増税を促す包囲網」
13/7/26(第763号)「参議院選の結果を考える」
13/7/15(第762号)「アベノミクスの評価他2件」
13/7/8(第761号)「デフレに興味のない大新聞」
13/7/1(第760号)「日経新聞の論説の特徴」
13/6/24(第759号)「アベノミクスを牽制する人々」
13/6/17(第758号)「長期金利上昇で騒いでいる人々」
13/6/10(第757号)「雲行きが怪しいデフレ脱却」
13/6/3(第756号)「財政再建論者のサークル」
13/5/27(第755号)「財政の2010年問題」
13/4/29(第754号)「国民一律の年金」
13/4/22(第753号)「日銀のリスク資産購入」
13/4/15(第752号)「異次元の金融政策」
13/4/8(第751号)「久しぶりの「朝まで生テレビ」」
13/4/1(第750号)「不穏な中国と日本の安全保障」
13/3/25(第749号)「TPPの基本は友好」
13/3/18(第748号)「日本の雪崩的輸出の歴史」
13/3/11(第747号)「TPP交渉と日本警戒論」
13/3/4(第746号)「TPPの実態」
13/2/25(第745号)「有り得る軍事的衝突」
13/2/18(第744号)「群盲象をなでる」
13/2/11(第743号)「まず印紙税の廃止」
13/2/4(第742号)「「構造改革」と「規制緩和」の本当の姿」
13/1/28(第741号)「意志を持った「やじろべい」」
13/1/21(第740号)「金融政策に対する提言」
13/1/14(第739号)「年頭にあたり」


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