経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
経済コラムマガジン


夏休みにつき来週から2週間休刊、次回号は8月25日を予定

14/8/4(808号)
トマ・ピケティの「21世紀の資本論」

  • r(資本収益率)>g(経済成長率)という不等式

    トマ・ピケティの「21世紀の資本論」が欧米で大きな話題になっていることを、本誌でも何回か紹介した。週刊東洋経済はこのフランス人経済学者の特集を組んでいる(7月26日号)。これにはピケティの経済理論の説明と本人へのインタビューが掲載されている。また日本人エコノミストによる解説が載り、日本の「中間層の実態」や「格差」についても取上げていて、この特集はちょっと大掛なものになっている。

    日本でも翻訳本が今年の12月に発刊される予定になっている。ただ出版元が経済関連ではなく、「みすず書房」ということに筆者は注目している。みすず書房は、哲学、思想、宗教、心理学など人文科学系の書物を主に発行している出版社である。こんなところにも「21世紀の資本論」の立ち位置が解るというものである。


    トマ・ピケティは、この本を著すため、20ヶ国以上の国の3世紀に渡る所得と資産に係わるデータを収集した。この作業には15年間を要し、対象国に日本も含まれている。この膨大なデータを分析し、その結果を一年かけて読みやすくまとめたのが本書である。

    英語版が出版され、特に米国での反響が凄まじい。一般の読者だけでなく経済学者の間でも高い評価を受けている。例えばクルーグマンは「ピケティはわれわれの経済的論議を一変させた。この本によって社会の見方や経済のあり方が変わる」と絶賛している。


    ピケティの論議を簡単にまとめると次のようになる。「19世紀末からの技術革新によって欧米各国は、近代工業が目覚ましく発展し経済は成長した。ただその過程で所得と資産の格差がとほうもなく拡大した」。これは経済の中心が所得格差の生まれにくい農業から、格差を生みやすい工業に移ったことが一因と考えられる。

    「格差の拡大は第一次世界大戦(1914年)まで続いた。しかしその後二度の世界大戦で資産が破壊された結果、格差は小さくなった。また第二次世界大戦後、先進各国は高い経済成長を続けたが、この過程では格差が拡大しなかった。ところが1980年代以降、先進国が低成長に転じると格差は拡大の一途となった。今日の格差は第一次世界大戦前夜の不平等な時代と変わらない水準に達している(この結果にはピケティ自身も驚いたという)」

    ピケティは、「格差の拡大」を社会の緊張を高め、人々を不幸にするものとして弾劾する。またこのままでは中産階級は消滅すると彼は予想する。そして格差の是正の方法として「所得」と「資産」に対して累進課税をかけることを提言している。


    「21世紀の資本論」のポイントは三つある。一つ目がr(資本収益率)>g(経済成長率)という不等式である。ピケティは20ヶ国以上の過去200年の税務統計から平均資本収益率が4〜5%に収まることが分ったという。つまり経済成長率がこれを下回ると格差が拡大するという説明になる。

    この不等式は、極めてシンプルであるがちょっと理解が難しい。筆者は、g(経済成長率)を平均所得の増加率と置き換えれば良いと思っている。今日の先進国の経済成長率が1〜2%の低成長なら、常に資本を提供する側が優位になるという結論がこの不等式から導かれる。給与所得者の所得がほとんど伸びない低成長下では、コンスタントに5%の収益を得る資本側との格差は拡大するのである。

    もちろんピケティも、現実の経済においては資本側への課税や国民に対する社会保障政策によって、発生する格差が是正されていることを理解している。しかし経済成長率が1%や2%まで下がればさすがに今日の是正措置では追いつかず、格差が拡大すると言っているのである。


    二つ目のポイントは、所得と富の格差や不平等が今後さらに拡大すると予想していることである。この要因として高い収益が見込める金融資産の偏在とその働きを挙げている。したがってより多くの金融資産を持っている者ほど、より大きな収益を得ることができ資産の増加を加速させることが可能と彼は分析している。

    三つ目のポイントは、前述した格差是正のための累進課税に関するものである。ピケティは、資本が国境を越えて移動する(逃げる)今日においては、グローバルな累進課税制度が必要と訴えている。ただこれが「夢想的なアイディア」であることをピケティ自身も承知している。


  • 資本主義と民主主義のバランス

    格差の拡大が社会にとって問題であることには、多くの人々も異論がないと筆者は考える。この格差が生まれる背景を分析したピケティの業績は高く評価されてしかるべきである。ただ現実を考慮すると、彼が示す解決策は弱く、また実現性に乏しいことも事実であろう。

    しかし空疎で不毛な論議が横行している今日の経済学界に対して、歴史的な事実に基づくピケティの分析と指摘は大きな一石を投じたことになる。前段のクルーグマンだけではなく、スティッグリッツ、ロバート・ソロー、そしてサマーズまでも彼の研究を高く評価している。特に格差の拡大は、平均貯蓄率を上げ消費を抑える働きがある。成長の天井にぶつかっている先進国にとって消費の低迷は、さらに有効需要を減少させる要因となる。つまり低成長による格差拡大が、さらに経済成長を抑えるといった悪循環を生むのである。


    ただ本のタイトルの「21世紀の資本論」が誤解を招く可能性があることを指摘しておきたい。この本がマルキシズムを標榜するものと勘違いする者が出てくる可能性が考えられる。翻訳本の発行元がみすず書房ということも何か象徴的である。しかしピケティは決してマルキストではない。ただ資本主義経済が抱える危うさを指摘しているのである。

    彼は資本主義と民主主義のバランスを問うている。中間層や中産階級が消滅の方向に進むとしたなら、持たざる者の割合がそれだけ増えることになる。しかしもし民主主義が機能すれば、持たざる者の意見が政治の世界により強く反映されるはずとピケティは判断している。したがって累進課税の強化といった難しい政策も、民主主義国家においては可能と彼は考えるのである。


    おそらくピケティの研究成果は各方面で反響を呼ぶものと考えられる(前述のように欧米では既に話題になっている)。筆者は「歴史的に平均資本収益率が4〜5%に収まっている」という点に注目している。経済の成長期には、資本収益率が大きくなると誰もが思いがちであろう。ところがこの常識らしいものが覆されているのである。

    たしかに成長期においては、人手不足による賃金の上昇があり、また過剰な投資がなされ資本の収益率が低下する事態が考えられる。また市場への参入者が増えることによる過剰設備の発生も考えられる。中国の鉄鋼業などはその典型と筆者は考える。つまり一時的に資本収益率が上がっても、数年のタームで見れば平均資本収益率が4〜5%に落着くと理解すべきなのであろう。


    筆者は、前段で言及した二つ目のポイントの「所得と富の不平等が今後さらに拡大」に対してコメントがある。ピケティは4〜5%の平均資本収益率が将来も続くものという前提で格差の拡大を予想している。筆者は、成長率1%程度が続くようなら、資本の収益率もある程度下がるのではないかと予想する(資本収益率が経済成長率に近付く事態)。

    したがって格差は今日以上には広がらないが、経済も低迷するという事態が考えられる。つまり「皆で貧乏になる」ということである。今日の日本はこれに近いのではないかと筆者は思っている。


    全体を通じ、ピケティの見解に筆者が疑問に思うところがある。彼は格差の是正に「所得」と「資産」に対する累進課税の強化といった敢てハードルの高い政策を唱えている。しかし筆者は、財政支出の増大による格差是正という手段もあると考える。

    どうも本書では財政についてほとんど語っていないようである(金融緩和政策については、格差を拡大させるとピケティは明確に反対している・・この点はサマーズなんかと意見がちょっと違う)。筆者は、財政による格差是正の方が現実的であり、有効と思っている。それにしても面白い著作が登場したものである。



来週から2週間、夏休みにつき休刊である。次回号は8月25日を予定している。



14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
14/7/21(第806号)「一家に一台が需要の天井」
14/7/14(第805号)「ポンコツ経済理論の信奉者達」
14/7/7(第804号)「経済成長の三つのパターン」
14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
14/6/23(第802号)「奇妙な話ばかり」
14/6/16(第801号)「石油は人々をおかしくさせる」
14/6/9(第800号)「ベトナム沖の一大事」
14/6/2(第799号)「金利低下の背景」
14/5/26(第798号)「政策目標の変更」
14/5/19(第797号)「「美味しんぼ」騒動」
14/5/12(第796号)「使えない経済指標」
14/4/28(第795号)「推理小説のような中国経済の実態」
14/4/21(第794号)「中国1〜3月期のGDP成長率」
14/4/14(第793号)「日本のマスコミの問題体質」
14/4/7(第792号)「ウクライナとロシアの関係」
14/3/31(第791号)「怪しくなったアベノミクスの行方」
14/3/24(第790号)「中国のバブル生成の過程」
14/3/17(第789号)「バブル経済崩壊の序章」
14/3/10(第788号)「中国経済にまつわる奇妙な話」
14/3/3(第787号)「中国経済に変調(その2)」
14/2/24(第786号)「中国経済に変調」
14/2/17(第785号)「経済戦略会議から15年」
14/2/10(第784号)「理論と現実の狭間・・金利編」
14/2/3(第783号)「経済理論と現実の狭間」
14/1/27(第782号)「なつかしい経済理論の復活」
14/1/20(第781号)「窮地に立つリフレ派」
14/1/13(第780号)「新春のトピックス」
13/12/23(第779号)「周辺国の異常行動」
13/12/16(第778号)「ピカピカのバランスシート」
13/12/9(第777号)「中谷巌氏の変心」
13/12/2(第776号)「何処に行った経済成長戦略」
13/11/25(第775号)「アベノミクスの行方」
13/11/18(第774号)「ここ一ヶ月の出来事」
13/10/14(第773号)「虚言・妄言の判断基準」
13/10/7(第772号)「消費税増税、次の焦点」
13/9/30(第771号)「消費税にまつわる諸問題」
13/9/23(第770号)「「声なき声」が届くか」
13/9/16(第769号)「利払い額のGDP比率の推移」
13/9/9(第768号)「利払い額で見る財政の健全性」
13/9/2(第767号)「消費税増税は雲行きが怪しくなった?」
13/8/26(第766号)「財政が危機という怪しい話」
13/8/10(第765号)「消費税増税は絶対に避ける道」
13/8/5(第764号)「消費税増税を促す包囲網」
13/7/26(第763号)「参議院選の結果を考える」
13/7/15(第762号)「アベノミクスの評価他2件」
13/7/8(第761号)「デフレに興味のない大新聞」
13/7/1(第760号)「日経新聞の論説の特徴」
13/6/24(第759号)「アベノミクスを牽制する人々」
13/6/17(第758号)「長期金利上昇で騒いでいる人々」
13/6/10(第757号)「雲行きが怪しいデフレ脱却」
13/6/3(第756号)「財政再建論者のサークル」
13/5/27(第755号)「財政の2010年問題」
13/4/29(第754号)「国民一律の年金」
13/4/22(第753号)「日銀のリスク資産購入」
13/4/15(第752号)「異次元の金融政策」
13/4/8(第751号)「久しぶりの「朝まで生テレビ」」
13/4/1(第750号)「不穏な中国と日本の安全保障」
13/3/25(第749号)「TPPの基本は友好」
13/3/18(第748号)「日本の雪崩的輸出の歴史」
13/3/11(第747号)「TPP交渉と日本警戒論」
13/3/4(第746号)「TPPの実態」
13/2/25(第745号)「有り得る軍事的衝突」
13/2/18(第744号)「群盲象をなでる」
13/2/11(第743号)「まず印紙税の廃止」
13/2/4(第742号)「「構造改革」と「規制緩和」の本当の姿」
13/1/28(第741号)「意志を持った「やじろべい」」
13/1/21(第740号)「金融政策に対する提言」
13/1/14(第739号)「年頭にあたり」


12年のバックナンバー

11年のバックナンバー

10年のバックナンバー

09年のバックナンバー

08年のバックナンバー

07年のバックナンバー

06年のバックナンバー

05年のバックナンバー

04年のバックナンバー

03年のバックナンバー

02年のバックナンバー

01年のバックナンバー

00年のバックナンバー

99年のバックナンバー

98年のバックナンバー

97年のバックナンバー