経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




12/7/23(717号)
吉川洋東大教授の文章

  • 所得再配分効果と逆進性
    7月17日付け日経新聞の経済教室に吉川洋東大教授の「一体改革残された課題・・社会保障の姿、議論深めよ」という文書が掲載されていた。ただ論文という呼ぶにはあまりにも粗雑なものである。しかしこの文章に書いてあることが、今回の消費税増税を推進する人々の理論的バックポーンになっているようだ。実際、消費税増税を推進している経済評論家や大手マスコミが全く同じような事を言っている。また増税に賛成票を投じた民主党、自・公の国会議員もこの程度の話で納得している可能性がある。

    吉川教授の文章のポイントを列挙する。(1)「消費税の逆進性が問題にされているが、消費税税収は社会保障給付に充当するのだから、豊かな人から人から貧しい人への大きな所得再配分効果が生まれる」(2)「97年秋からの深刻な不況の主因は、消費税ではなく金融危機とアジアの通貨危機であった」(3)「07年にドイツでは付加価値税を16%から19%へ引上げられたが、経済への影響はなかった」(4)「財政破綻リスクの芽は早く摘むのが正しい」(5)「年金支給開始年齢の一段の引上げを検討しなければならない」(6)「消費税率10%への引上げは財政再建と社会保障の改革にとって越えなければならない一里塚だ」と言った具合である。

    全体を通して、教授は夫々の事象で自分に都合の良い所だけを拾い上げ議論を進め結論を出している。もしこのような論法が許され通用しているのなら問題である。そこで上記の各々について筆者の反論を簡単に記す。


    (1)「消費税の逆進性」について述べるなら、そもそもほとんどの「税」というものは基本的に「所得再配分効果」がある。ここが一つのポイントである。問題は他の諸税に比べた時の消費税の「所得再配分効果」の大きさである。明らかに所得税や法人税の方が消費税より「所得再配分効果」が大きい。それにしても世間での「逆進性」という言葉の使い方が正確性を欠いている。消費税は「所得再配分効果」が小さいと言うべきところを「逆進性がある」という間違った表現がなされている。

    ところで消費税導入後、最高税率を引下げたことによって所得税の累進カーブはなだらかになり、法人税の税率も下げられてきた。たしかに過去の所得税の最高税率が極端に高く、筆者はこれを是正したことに反対しているわけではない。ただ高額所得者の所得税税率や法人税率を下げ、消費税だけを上げるのなら間違いなく「税」の「所得再配分効果」を非常に弱めることになる。

    したがってもし消費税増税と同額の所得税・法人税の減税を行えばまさに「逆進性」という表現は適切になる。教授の「消費税」に「所得再配分効果」があるという論法は、世間の「消費税の逆進性」という間違った言葉の使い方を逆手にとっている。つまり教授の論法は話のポイントを意識的にずらした詐欺師的強弁みたいなものである。このような単純な話に騙される政治評論家やマスコミ人は本当に幼稚である。


    これらに関連し、今日、日本の貯蓄の主体が家計から企業(民間非金融法人企業)に変わっていることを指摘しておく。雇用者報酬はリストラと年金受給者(無業者)の増加によって年々減少し、一方、企業の所得は増えた。しかし企業の利益は投資されるのではなく、借入金の返済や貯蓄に回っている。

    デフレ経済が続きこれだけ国内の需要が縮小すれば企業が投資を控えるのが当り前であり、あるいは投資をするとしても減価償却費の範囲であったり海外である。ところが、今日、民間企業の投資を増やすため法人税の引下げを叫ぶ声が大きい。しかし需要がないのに法人税減税で民間企業の利益を増やしても投資は増えず、銀行の預金が増えるだけである。銀行は借手がいないので国債ばかりを買っているため、預貸率は小さくなり国債利回りは下がる一方である。

    ちなみにこの傾向は世界的であり、米国でも預貸率が80%程度まで下がり(日本は70%)、10年物の米国債の利回りは1.5%まで下がっている(日本は0.7%台)。米国などが日本を追掛けているのである。このような状況で法人税を下げても、民間企業は喜ぶかもしれないが、肝心の設備投資が日本で増えることはまずない。ただ筆者は、消費税を下げて所得税や法人税を上げろと言っているのではない。


  • 金融危機とアジアの通貨危機
    (2)「97年秋からの深刻な不況の主因は、消費税ではなく金融危機とアジアの通貨危機であった」も論点をずらしたものである。97年4月の消費税増税以降、日本経済は急降下し、その後の参議院選挙で自民党は大敗し橋本首相は退陣した。この景気の急降下を消費税増税が原因という論調に教授は反論しているのだ。

    筆者も消費税率の3%から5%へのアップが経済に及した影響を過大には評価していない。おそらく消費税増税によって物価は1.5%程度上昇したと推定されるが、その程度で消費が大幅に縮小するということはないと思っている。実際、ここ15年くらい逆に物価はずっと下がり続けているが、それによって消費が増えているわけではない。ただし筆者は消費税が消費に悪影響を与えないと言っているのではなく(消費にマイナスであることはたしか)、影響は限定的と言っているのである。


    そのような事より橋本政権が消費税増税と同時に緊縮財政に転じたことを筆者は指摘したいのである。ところがこのことを皆が忘れている。例えばそれまでバブル崩壊からの経済回復のため日本は公共投資を増やしてきたが(下記の表を参照)、97年度に一転してこれを大幅に減額したのである。与党の自民党内には、この動きを強く危惧する声が大きかったが、07/9/3(第494号)「内閣改造に対する感想」で述べたように、当時の与謝野官房副長官が「不況なら規制緩和で景気を良くすれば済む」とつっぱねた(当時から構造改革派と与謝野氏のような財政再建派は手を組み積極財政派を抑え込んでいた)。

    筆者は、97年からの不況の主因は、消費税増税を別にして(ある程度の悪影響はあったであろう)、この緊縮財政と消費税増税を睨んだ前年度の駆け込み需要(仮需)の反動と見ている(例えば新設住宅着工件数は前年度から30万件も減っている)。ここで関連する当時の経済数字の流れを示す。
    公的固定資本形成(前年比:%)と貿易収支の黒字額(億円)
    年  度公的固定資本形成貿易収支の黒字額
    90年度4.6102,836
    91年度7.2141,232
    92年度16.6160,305
    93年度12.6152,690
    94年度▲1.1141,031
    95年度8.3115,242
    96年度▲1.087,829
    97年度▲7.1136,340
    98年度6.0160,431


    上記の表を見れば分るように、97年度に公的固定資本形成、つまり公共投資を大幅に削減している。ところが吉川教授は、都合が悪いのかこれに一切触れていない。当時の公共投資は金額が大きく、公共投資減額による逆乗数効果も大きかったと考えられる。


    97年のアジア通貨危機の日本経済の悪影響の話にいたっては真っ赤な嘘である。上記の表を見れば明らかなように、97年度、98年度と日本の貿易収支の黒字額は順調に増えている。95年度、96年度が急減しているが、これは日本の輸出急増への世界からの批難と95年度の80円を割込むような超円高の影響である(円高の期間は長くなかったが)。

    たしかにアジア通貨危機で当時混乱が起った。しかし悪影響が大きかったのはタイや韓国といった経常収支の赤字国であった。通貨が暴落し、決済資金の不足が起りIMFの管理下に置かれ緊縮財政を強いられた(このIMFによる緊縮財政の強制がトラウマになって、その後これらの国々は貿易で稼いだ金を国内に使わずにせっせと欧米に送った。そしてこの資金が欧米経済のバブルの一因となったという指摘がある)。

    一方、個別の企業の話を別にして日本、台湾、中国といった経常収支の黒字国はほとんど影響はなかったと筆者は記憶している。たしかにアジア通貨危機の当事国への輸出は停滞したか、あるいは少し減っていると思われるが、他の諸国への輸出は急回復しているのである(これは橋本政権の緊縮財政で内需は不振になると思った企業が輸出ドライブを掛けたからであり、為替も外債投資の活発化によって円安に振れていた)。このように97年のアジア通貨危機が決定的なダメージを日本経済に与えたという話は明らかに事実誤認である。それにしても経済学者でありながら、実際の経済数値を無視して強引に話を進めるのが吉川教授の特徴と見られる。


    金融危機が97年からの日本経済の急降下の主因の一つという教授の指摘は「あべこべ」である。原因と結果を意図的にすり替えている。事実は「日本経済の急降下」によって日本の金融機関の不良債権問題が表面化し、金融危機が深刻になったのである。日本の金融機関が膨大な不良債権を抱えていることは、当時、世間で周知の事実であった(後に橋本首相は自分には知らせられていなかったと驚くような馬鹿げたことを言っていたが)。しかし少なくとも当時までは、金融機関は貸出しに積極的であった(金融が緩和され収益を上げるため)。また土地などの資産価格の下落はずっと続いていたが、ようやく下げ止まりの徴候を見せていた頃であった。

    ところが橋本政権の逆噴射的な緊縮財政政策によって経済が落込み、再び株式・土地といった資産の価格の下落が止まらなくなり、金融機関の不良債権問題がもっと深刻化した。さらに後に金融機関の不良資産の処理を急がせたことが、企業や金融機関の株式・土地といった資産の投げ売りを誘発し、さらなる日本の資産価格の下落を招いた。

    また銀行と企業の株の持合いが問題にされたことによって、双方の持株が市場に放出され株価下落が止まらなくなった。このような日本の資産を底値で買ったのが外資であり、その頃から日本の株式市場における売買の主役は外資となった。とにかく当時は日本の金融機関を痛めつけるような奇妙な政策が続いた(他では時価会計の強引な導入やペイオフの解禁など)。これらの話は当コラムでも何度も取上げてきた。


    「97年からの不況は金融機関の不良債権が原因」は、橋本緊縮財政に賛同したり推進してきた人々(財政再建派と構造改革派)が言い始めたセリフである。橋本行財政改革を進めてきた人々は、経済の急落を責められた。この時に咄嗟に出てきたのがこの言い訳(もちろん嘘)であり、これが彼等の常套句となった。今日、吉川教授の文章でこのセリフに再び出会うとは驚きである。



吉川教授の文章については今週で終わらせるつもりでいたが、あまりにもデタラメが過ぎるので来週にも続くことになる。



12/7/16(第716号)「消費税増税が待ち遠しい?」」
12/7/9(第715号)「消費税は「鬼門」」
12/7/2(第714号)「増税騒動の感想」
12/6/25(第713号)「今日の諸情勢の変化」
12/6/18(第712号)「世界中「展望がない」」
12/6/11(第711号)「schole(スコレー、暇)の話」
12/6/4(第710号)「ギリシャ化の話」
12/5/21(第709号)「単式簿記の世界」
12/5/14(第708号)「文春と朝日の関係」
12/4/30(第707号)「続・増税論議と文芸春秋」
12/4/23(第706号)「増税論議と文芸春秋」
12/4/16(第705号)「増税論議と政界」
12/4/9(第704号)「増税派の人々」
12/4/2(第703号)「松下政経塾政治家と増税」
12/3/26(第702号)「英国の永久債発行」
12/3/19(第701号)「過去の号の修正」
12/3/12(第700号)「本誌700号に寄せて」
12/3/5(第699号)「投資顧問AIJの事件」
12/2/27(第698号)「橋下維新政党へのコメント」
12/2/20(第697号)「地方自治体と通貨」
12/2/13(第696号)「デフレ経済下での増税」
12/1/30(第695号)「無税国家への道」
12/1/23(第694号)「世界的な金利低下」
12/1/16(第693号)「過剰貯蓄による災い」
12/1/9(第692号)「バーチャルな話」
11/12/19(第691号)「シミュレーションモデルの話」
11/12/12(第690号)「財政破綻のすすめ」
11/12/5(第689号)「「騒ぎ屋」の時代」
11/11/28(第688号)「技術進歩の恩恵」
11/11/21(第687号)「避けられる根本問題」
11/11/14(第686号)「物事の本質」
11/11/7(第685号)「組織の異端児的存在」
11/10/31(第684号)「組織の研究」
11/10/24(第683号)「気乗りしないTPPの話」
11/10/17(第682号)「解決策はユーロ離脱か」
11/10/10(第681号)「ポール・クルーグマン教授の変心」
11/10/3(第680号)「現実論者VS観念論者」
11/9/26(第679号)「世界的な「日本化」」
11/9/12(第678号)「欧州発のリーマンショック」
11/9/5(第677号)「野田政権の成立」
11/8/29(第676号)「円相場の今後の動き」
11/8/22(第675号)「欧米経済の変調」
11/8/15(第674号)「脱・反原発派の人々」
11/8/8(第673号)「食品安全委員会の問題」
11/8/1(第672号)「タウンミーティングの報告」
11/7/25(第671号)「意味の解らない暫定基準値」
11/7/18(第670号)「政府が明らかにすべきこと」
11/7/11(第669号)「放射線防護の専門家」
11/7/4(第668号)「ダイオキシンとプルトニウム」
11/6/27(第667号)「付加価値を生まない発電」
11/6/20(第666号)「付加価値と発電」
11/6/13(第665号)「ポスト原発はやはり原発」
11/6/6(第664号)「菅政権に対する不信任案騒動」
11/5/30(第663号)「ニューニューサンシャイン計画」
11/5/23(第662号)「原発と電力会社の経営」
11/5/16(第661号)「原発推進派と反・脱原発派」
11/5/2(第660号)「菅政権の迷走」
11/4/25(第659号)「放射線は身体に良い?」
11/4/18(第658号)「山を越えたか?」
11/4/11(第657号)「原子力の専門家」
11/4/4(第656号)「本当に重大な事は何か」
11/3/28(第655号)「電力不足で表沙汰になった事実」
11/3/21(第654号)「東日本巨大地震」
11/3/7(第653号)「日本が貿易立国という誤解」
11/2/28(第652号)「日本は本当に貿易立国?」
11/2/21(第651号)「関税以外の貿易障壁」
11/2/14(第650号)「TPPに関する推理」
11/2/7(第649号)「菅首相の消費税増税」
11/1/31(第648号)「モラルハザードの話」
11/1/24(第647号)「問題は分配ではない」
11/1/17(第646号)「永久債の日銀引受け」
11/1/10(第645号)「日本の経済成長シナリオ」
10/12/20(第644号)「難しい日本の経済成長」
10/12/13(第643号)「日本における新経済成長論」
10/12/6(第642号)「経済成長理論に対する批判」
10/11/29(第641号)「「ケインズはもう古い」?」
10/11/22(第640号)「不況下の反ケインズ政策」
10/11/15(第639号)「政治家に向かない職業」
10/11/8(第638号)「米政府に対するロビー活動」
10/11/1(第637号)「この日をつかめ(Seize the Day)」
10/10/25(第636号)「人民元安容認の経緯」
10/10/18(第635号)「本誌の中国経済の見方」
10/10/11(第634号)「「腹を括る」べき時」
10/10/4(第633号)「中国漁船の公務執行妨害」
10/9/20(第632号)「菅政権の行方」
10/9/13(第631号)「中央銀行の制度設計」
10/9/6(第630号)「日銀悪玉説」
10/8/30(第629号)「外為特会の31兆円の評価損」
10/8/23(第628号)「野田財務大臣を罷免せよ!」
10/8/9(第627号)「世界に広がるデフレ」
10/8/2(第626号)「米国もデフレ?」
10/7/26(第625号)「国債利払いの名目GDP比率」
10/7/19(第624号)「中国の日本国債購入」
10/7/12(第623号)「10年参議院選挙の結果」
10/7/5(第622号)「サミットの変質」
10/6/28(第621号)「各党のデフレ対策」
10/6/21(第620号)「菅首相の想定」
10/6/14(第619号)「EU市場混乱の本質」
10/6/7(第618号)「EU経済の混乱とIMF」
10/5/31(第617号)「議論の前提条件」
10/5/24(第616号)「現実離れの構造改革派」
10/5/17(第615号)「これも一歩前進か」
10/5/10(第614号)「一歩前進か」
10/4/26(第613号)「ガラパゴス症候群」
10/4/19(第612号)「マクロによる検証」
10/4/12(第611号)「ミクロで捉えた日本経済」
10/4/5(第610号)「何事もタイミング」
10/3/29(第609号)「政策提言の想定問答」
10/3/22(第608号)「政策提言(後半)」
10/3/15(第607号)「政策提言(前半)」
10/3/8(第606号)「税収と名目GDPの関係」
10/3/1(第605号)「政治ができる事」
10/2/22(第604号)「積極財政への雑音」
10/2/15(第603号)「経済と金融の間の緊張関係」
10/2/8(第602号)「第二回目キャンペーン」
10/2/1(第601号)「第一回目キャンペーン」
10/1/25(第600号)「日本の財政構造」
10/1/18(第599号)「財政非常事態宣言」
10/1/11(第598号)「10年今年の景気」
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