- 米政府の円安への対処
最近になって経済に少し動きが出てきた。今週号は予定を変更して、これらを取り上げる。一つは米国株価の不安定化と為替の円安である。そしてこの動きを受け、日本の株式も少し下落している。またこれらがアジアの経済にも影響を与え、株価と通貨が一層下落している。まず米国の株価であるが、これは「今までの株価は高すぎる」と言う認識が一般的であったことから、下落は方向として正常化への道とも考えられる。反対に、円の為替水準については、これまでも日本政府だけでなく各国政府も「円が安すぎる」と言う認識を持っていたのであるから、一段の円安は正常化に逆行していることになる。つまり現在進行中の経済数値の変動も、均衡値により近づくものと、一段と離れようとしているものがあると言うことを冷静に判断する必要がある。米国の株価については、今後も下落を続けるのか、今しばらく見極めることになる。今週号では円の下落と米国政府の対応を中心に述べたい。 本誌でも為替の動向については何度となく取り上げてきた。筆者の一貫した意見は「円の水準は安すぎ、これがアジア経済に悪影響を与え、一方で経常収支の大きな黒字を生み、各国との軋轢を大きくする。これを避けるためにも内需を拡大する政策を採る必要がある。」と言うことである。世間には「円安」に対してちょっと誤解があるようである。円安自体はそれほど外需に大きく依存した日本経済には悪いことではない。円安の被害はアジア諸国を始めとした各国である。むしろ日本の経済にとって最悪のケースは、内需が回復する前に為替が円高に転換することである。今の円安は、最悪の日本経済にとっては唯一の好材料なのである。そのような事情にも拘わらず、政府の首脳は円安に懸念を示している。本当の迷惑を受けているのは他の国のはずであり、それらの国から見れば、日本政府が円安で懸念を示していること自体が矛盾しており、単にリップサービスと受け止めているであろう。 日本政府が円安に懸念を示し始めたのは昨年2月のG7からである。当時、円レートが125円に達し、三塚大蔵大臣がG7の場で円が経済の実態を示していないと表明した。日本はこれまでも何回か、円高と円安を経験してきたが、この時はそれほど円安が進んでいないのに拘わらず、政府は「円安」を認識し、それを表明したのである。米国政府はその言動を評価したが、その矛盾にも気が付いていたと考えられる。「日本経済がそれほど回復していないのに本当に円高になっても良いのか」と考えたはずである。日本政府の経済政策はこの頃既に迷走していたのである。この後、日本政府は「財政再建」を目指した97年度の緊縮予算を本当に決めたのである。これには米国政府はびっくりしたはずである。4月には急遽ルービン財務長官が東京に飛んできた。出張嫌いの同長官が、特に重要案件もないのにやって来たのである。この後グリーンスパン議長まで来日し、「日本経済は特に問題はない」と暗に日本の財政再建路線を牽制していた。筆者は、これは米国が日本政府の経済対策の真意を知りたかったのと、橋本総理の性格を認識することが重要と考えたからと思われる。それ以降も、デンバーサミットではアジアや日本経済の行くすえに懸念を示すクリントン大統領に対して、橋本総理は「規制緩和」で内需拡大を図りたいと訳のわからない説明を行なっている。 それ以降、アジア経済の混乱や日本大型金融機関の破綻が続くのである。米国政府の日本政府首脳の言葉対する不信感は相当のものであろう。前述した総理の説明と言い、経常収支の大きな黒字に対しては「一段と日本企業の海外移転が進み、そのうち収支は均衡するはず」と言う官僚が用意した言葉が繰り返されるだけであった。筆者が注目する橋本総理の発言は「日本発の世界恐慌は断固阻止する」である。最近の経済状況や市場の動きを見ていると、円安を契機とした世界同時不況が全く非現実的なこととは思われなくなった。そのひきがねは、各国間の協調体制が崩壊し、互いに不信感が生まれ、各国がかってな経済政策を始めることである。少なくとも、日本は各国からは協調を乱す国と見なされているはずである。日本政府がさらに政策を間違うようなら、本当に日本が世界恐慌の火元になりかねないのである。 このところの円安に対して、日本政府首脳は、米国を始めとした各国に協調介入することを求めている。この日本の要請に対して各国の反応は悪い。特に米国は「日本が内需拡大に努めることが第一である」とこれを拒否している。米国の言うこともっともであり、これまでの経緯を見れば無理がない。米国が為替介入に協調したのは、95年の夏場である。これは日本が円高不況からなかなか回復できなかった時である。この時は「日本が内需拡大に努める」と言う約束のもと協調介入したのである。ところが最近の日本の経済政策は全く逆のことを行なったのである。しかし、一段の円安が米国の景気にも影響を与え、アジア経済にさらに悪影響を及ぼすことがはっきりしてきたら、最終的には協調介入を行なわざるを得ないことになろう。これがいつ頃になるかは、市場の動きがポイントとなろう。 そもそも円安への介入は、日本の経済状況に矛盾している。為替を円高にするには金融市場から円資金を引き上げることになる。これはここから資金を調達している金融機関の資金調達を難しくするのである。筆者は、昨年の金融機関の破綻も、政府日銀による為替介入に少なからず影響を受けていると考えている。米国政府もこの点に気が付いているはずである。つまり現状において為替介入は極めて危険な行為なのである。
- 橋本総理退陣の経済効果
日本経済の現状で、為替を円高に持って行くのは、政策矛盾を生む。まず、前述した金融機関の資金調達の問題であり、第二にそれだけ輸出が減ることになり、一段と景気が悪化させることである。一歩ゆずり、輸出が多少減ることを覚悟して円高を実現するにしてもこれ以上の金融機関の破綻は避けるべきであろう。これほど現在の為替調整は難しいのである。 為替は色々な要因で変動する。しかし、これらの要因が理論的に正しいとは限らない。以前は内外の金利差と言われていたが、現在は日本の景気の動向がポイントとなっているようである。現在、ヘッジファンドなどの投機筋が活躍中であり、為替の変動要因は何でも良いのである。当面米国の協調介入が期待できない現状で、金融市場から円資金を吸い上げることなく、為替を円高に持っていくには市場のムードを変える他はない。ムードを変えることに一番効果があるのは橋本総理の退陣である。橋本総理に対する市場の不信感は相当なものである。総理は180度の政策転換を行なったが、全く以前の政策の間違いを認めていない。仮に今回の景気対策により景気が持ち直したら、また元の政策に戻る可能性を残しているのである。この辺を市場は敏感にキャッチしているのである。 筆者は、橋本総理の経済に関する認識は極めて低いと判断しており、橋本再選にも反対であった。このことは以前から6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」などで述べてきた。特に問題なのは橋本総理と言う人物が独断専行型であり、他人の意見に耳を傾けないことである。その判断に間違いがないのなら良いのであるが、それが間違っているから問題なのである。ここからは筆者の憶測であるが、それにもかかわらず、他人の意見を聞かない総理も特定の人々の意見は鵜呑みにしていると感じられることが度々ある。総理の政策決定に影響を与えているものは、本誌5/18(第66号)「世論と経済政策を考えるーーその1」5/25(第67号)「世論と経済政策を考えるーーその2」で取り上げた「世論調査」と「一部の取り巻き」と考えている。「一部の取り巻き」とは数人の官僚と一部のエコノミストである。筆者が問題視しているのはこれらのブレーンとしての「取り巻き」の存在である。橋本政権の経済政策から推理できることは、これらの「取り巻き」の考えが「小さな政府指向」と言うことである。「小さな政府」を指向する経済政策が現在の日本経済に悪い結果をもたらすことは本誌で何度も取り上げたので、ここではあえて繰り返さない。 これまでも経済に疎い総理は何人もいたが、橋本総理ほど経済政策で失敗した総理はいない。筆者が橋本総理退陣にこだわるのは、橋本総理個人の問題ではなく、これらの「小さな政府指向の取り巻き」の政策決定の中枢からの排除が必要と考えるからである。「小さな政府」を指向するエコノミストは今だに「米国経済が好調なのは「小さな政府を指向」した政策が行なわれているから」と信じているようである。しかし最近、米国政府の高官が「ここへ来て米国経済がバブル化している」と述べ、その理由の一つとして「市場で小さな政府を求める声が大きくなってきた」ことを挙げていた。つまり米国政府自身は決して「米国政府は小さな政府」とは考えていない。軍事力一つ採っても、たしかに冷静に客観的に見れば、米国は決して「小さな政府」の国ではないのである。
チャードクー氏は、筆者が評価している数少ないエコノミストの一人である。そのリチャードクー氏が、最近「一円の円安で約一兆円の貸し渋り」が起こる可能性を指摘している。これについてよくわからない点があるが、筆者の理解は「日本の銀行は外債を持っており、円安で為替差益が発生している。しかし、日本の銀行は外貨建て債権債務を同額持つことが義務付けられているため、同額の債務を持っており、こちらからは円安により差益と同額の為替差損が発生している。この結果、差損と差益は同額で利益に変動はないが、差損と差益でバランスシートは膨らんで表示されることになる。このため損益は変わらないが、自己資本比率が低下し、この分銀行の貸出余力が小さくなる」と言うことである。これが事実とすれば、円安が単純に日本経済にメリットがあるとは言えなくなる。これは今後も検討すべき指摘である。
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