経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




12/2/20(697号)
地方自治体と通貨

  • 地方から日本を改革?
    今週は、地方自治体や都道府県・市町村の首長などを取上げることにした。しかし筆者はこれらについてそれほど興味があった訳ではない。実際、これまで本誌でこれらについて触れたことはほとんどなかった。

    ただ橋下大阪市長の維新の会が話題を集め、ギリシャの財政破綻が問題になり地方自治というものを少し取上げることにした。もっとも前述の通り筆者は地方自治にそれほど関心がないので、今週はこれらについて雑駁な感想を述べる程度となろう。


    まず筆者が取上げたいのは、都道府県という行政単位である。「地方から日本を改革」とか言って有名人が知事になり、人々に地方から日本の改革が実現するような錯覚を与えている。しかしそもそも今の都道府県は、国の廃藩置県によって生まれたものである。

    そして明治新政府は今日の知事にあたる県令を任命した。元々国の政策や方針を地方に浸透させることがこの行政単位を設置した目的であった。つまり地方住民の声を中央に吸い上げるのではなく、国の支配を徹底するための機関であった。そのため県令には、その地域となるべく縁のない者が選ばれた。


    今日の都道府県は、明治政府が作ったこの行政機構の性格を多分に引継いでいる。戦後、知事が選挙で選ばれることになったが都道府県の機能はそれほど変わったとは思われない。実際、都道府県の知事には旧自治省を始めとした中央官庁の官僚出身者が多い。

    また官僚の都道府県の要職への出向者が多い。ただこれによって中央官庁が地方を支配しているような印象を受ける。しかし実際のところ都道府県が人材不足であり(同様なことは市町村にも言える)、地方自治体から官僚の出向を要請しているケースが多いようである。このような状況で「地方自治の強化」とか「地方からの日本の改革」と言われてもピンとこない。


    今の都道府県は、国の100%の下部機関ではなく、地域住民にそれほど密着しているわけでもない。筆者から見れば中途半端な存在である。特に大きな政令都市を抱える所は都道府県の影が薄い。さらに合併が続き市町村が大きくなったため、ますます都道府県の存在意義が小さくなっていると筆者は感じる。

    基本的に江戸時代の藩という行政単位を今の都道府県は引継いだ。いずれにしても交通の便が悪く通信手段が発達していなかった時代に出来上がった行政単位である。例えば馬に乗って一日か二日で回れる程度の範囲が一つの藩や県になったと思えば良い。しかしこれだけ交通機関や通信が発達した今日、地域住民はこの中途半端な行政機関をすっ飛ばし、直接国と交渉したいところである。逆に国としても行政を円滑に進めるには直接住民の意見を直接聞きたいと思うであろう。つまり都道府県という存在自体が段々と邪魔になってきたと筆者は思っている。この事がまだよく理解されていないのか、いまだに都道府県の知事選で「地方から日本を改革」といった妄言が幅をきかしている。


    都道府県の体たらくさが証明されたのが東日本大震災の時であった。国は必要最小限の国道のガレキ処理をただちに実施し、その後の救命・救助のための生命線を確保した。仙台空港にあったヘリコプターを津波の直前に退避させるヒットもあった。市町村は、職員や首長自身が被災者でありながら、出来る範囲で震災に対応していた。

    一方、都道府県はその存在が全くなかった。何日も「被災地の市町村と全く連絡が取れない」の一点張りであった。連絡ぐらいその気になれば取れるであろう。またこの地域が震災を受けやすいという認識があれば、それに対する備えも考えておく必要があったはずである。


  • 通貨発行権の重要性
    ところが東日本大震災が復興の段階に入ると、途端に都道府県がうるさくなった。唐突に復興税の必要性を訴える知事が現れた。また原発事故が収束していない段階から、全原発の廃止を主張する知事もいる。民主党に「言うだけ番長」と言われている政治家がいるが、これらの知事も似たようなものである。

    震災直後、あれだけ無力であった県という行政単位が復興では前面に出ようとしているのである。住民と接点の乏しい都道府県が主役に踊り出てもうまく行くはずがない。またこのような話は今回の震災復興に限らない


    「国の権限や予算を都道府県に移すことによって地方主権の実現」と都道府県の首長は都合良く考えている。しかし筆者はむしろ都道府県の権限を市町村に移す事の方が重要と考える。あくまでも住民と接点のあるのは市町村である。都道府県の権限を縮小し簡素化する方が地方にとって好ましいと考える。

    このような実情を踏まえると今日言われている「道州制」に筆者は絶対反対である。都道府県という行政単位の存在意義さえ怪しいのに、その上に「道州」をもってくるなんて考えられない事である。また「道州制」について定まった考えさえないのが現状である(中には都道府県を廃止し道州をもってくるという極論もあるようだ)。このビジョンがない現状で「道州制で地方主権の実現」と言っても何の意味もない。


    市町村、都道府県そして国といった三層構造の組織体は他にも沢山ある。例えば農協も、単協、経済連などの県単位の組織、そして全農のような全国組織がある。ところがここでも単協が合併をし大きくなっている。したがって同様に都道府県のレベルの組織が邪魔になっている事が考えられる。

    前段で述べたように、日本ではこれだけ交通の便が良くなり航空運賃が大幅に下がった。またインターネットなどの通信手段が発達すれば、これまでの組織体の運営も大きく変わる必要があると筆者は考える。東日本大震災直後の様子を見ていて、この事を痛切に感じたものである。


    何回も述べているように、ギリシャの財政問題の解決には、ギリシャのユーロ離脱しかない。これによって国としての通貨発行権の回復をする必要がある。ギリシャはEUという組織の一つの地方自治体みたいなものである。その地方自治体に実行不可能な条件を突き付け、当座の金を融通しようとしているのが、今のEUでありユーロ加盟国である。

    このままユーロ圏に止まる限り、ギリシャは経済的に衰退するだけである。おそらくギリシャ人の多くは、難民のごとく欧州各国に移住する他はなくなるであろう。これを一気に解決する方法は、自国通貨の回復と通貨の大幅な切下げである。ギリシャは、国として信用と面子を失うことになるが、自国民の最低限の生活確保の方が大事であろう。


    国にとって最も重要と思われる事の一つは通貨の発行権である。これを放棄したのが今日のギリシャである。通貨の発行権は日本の地方自治を考える場合にも重要である。本気に地方主権を訴えるなら、地方の通貨発行までを考えるべきである。ところが地方自治の重要性を強調する政治家で、地方での通貨発行について触れる者は皆無である。つまり「地方主権」とか「地方分権」と言っていても口先だけである。

    例えば「道州制」を主張する人々は、地方での通貨の発行を考慮すべきである。道州毎に中央銀行を設置し「九州円」とか「東北円」を発行すれば良い(半分冗談であるが)。これによって中国を始めとしたアジア各国との競争に曝されている地方は通貨を切下げて対抗することができる。

    本当に「地方主権」とか「地方分権」を主張するのなら、通貨の発行権まで言及する必要があると筆者は考える。少なくとも都道府県の前身であった江戸時代の「藩」は、藩札という通貨の発行権を持っていた(正確には廃藩置県まで)。いかに「地方」「地方」と言っている政治家に「言うだけ番長」が揃っているのかが分る。彼等はギリシャ危機の本質を考えず、何も学んでいない。



来週のテーマは今のところ未定である。



12/2/13(第696号)「デフレ経済下での増税」
12/1/30(第695号)「無税国家への道」
12/1/23(第694号)「世界的な金利低下」
12/1/16(第693号)「過剰貯蓄による災い」
12/1/9(第692号)「バーチャルな話」
11/12/19(第691号)「シミュレーションモデルの話」
11/12/12(第690号)「財政破綻のすすめ」
11/12/5(第689号)「「騒ぎ屋」の時代」
11/11/28(第688号)「技術進歩の恩恵」
11/11/21(第687号)「避けられる根本問題」
11/11/14(第686号)「物事の本質」
11/11/7(第685号)「組織の異端児的存在」
11/10/31(第684号)「組織の研究」
11/10/24(第683号)「気乗りしないTPPの話」
11/10/17(第682号)「解決策はユーロ離脱か」
11/10/10(第681号)「ポール・クルーグマン教授の変心」
11/10/3(第680号)「現実論者VS観念論者」
11/9/26(第679号)「世界的な「日本化」」
11/9/12(第678号)「欧州発のリーマンショック」
11/9/5(第677号)「野田政権の成立」
11/8/29(第676号)「円相場の今後の動き」
11/8/22(第675号)「欧米経済の変調」
11/8/15(第674号)「脱・反原発派の人々」
11/8/8(第673号)「食品安全委員会の問題」
11/8/1(第672号)「タウンミーティングの報告」
11/7/25(第671号)「意味の解らない暫定基準値」
11/7/18(第670号)「政府が明らかにすべきこと」
11/7/11(第669号)「放射線防護の専門家」
11/7/4(第668号)「ダイオキシンとプルトニウム」
11/6/27(第667号)「付加価値を生まない発電」
11/6/20(第666号)「付加価値と発電」
11/6/13(第665号)「ポスト原発はやはり原発」
11/6/6(第664号)「菅政権に対する不信任案騒動」
11/5/30(第663号)「ニューニューサンシャイン計画」
11/5/23(第662号)「原発と電力会社の経営」
11/5/16(第661号)「原発推進派と反・脱原発派」
11/5/2(第660号)「菅政権の迷走」
11/4/25(第659号)「放射線は身体に良い?」
11/4/18(第658号)「山を越えたか?」
11/4/11(第657号)「原子力の専門家」
11/4/4(第656号)「本当に重大な事は何か」
11/3/28(第655号)「電力不足で表沙汰になった事実」
11/3/21(第654号)「東日本巨大地震」
11/3/7(第653号)「日本が貿易立国という誤解」
11/2/28(第652号)「日本は本当に貿易立国?」
11/2/21(第651号)「関税以外の貿易障壁」
11/2/14(第650号)「TPPに関する推理」
11/2/7(第649号)「菅首相の消費税増税」
11/1/31(第648号)「モラルハザードの話」
11/1/24(第647号)「問題は分配ではない」
11/1/17(第646号)「永久債の日銀引受け」
11/1/10(第645号)「日本の経済成長シナリオ」
10/12/20(第644号)「難しい日本の経済成長」
10/12/13(第643号)「日本における新経済成長論」
10/12/6(第642号)「経済成長理論に対する批判」
10/11/29(第641号)「「ケインズはもう古い」?」
10/11/22(第640号)「不況下の反ケインズ政策」
10/11/15(第639号)「政治家に向かない職業」
10/11/8(第638号)「米政府に対するロビー活動」
10/11/1(第637号)「この日をつかめ(Seize the Day)」
10/10/25(第636号)「人民元安容認の経緯」
10/10/18(第635号)「本誌の中国経済の見方」
10/10/11(第634号)「「腹を括る」べき時」
10/10/4(第633号)「中国漁船の公務執行妨害」
10/9/20(第632号)「菅政権の行方」
10/9/13(第631号)「中央銀行の制度設計」
10/9/6(第630号)「日銀悪玉説」
10/8/30(第629号)「外為特会の31兆円の評価損」
10/8/23(第628号)「野田財務大臣を罷免せよ!」
10/8/9(第627号)「世界に広がるデフレ」
10/8/2(第626号)「米国もデフレ?」
10/7/26(第625号)「国債利払いの名目GDP比率」
10/7/19(第624号)「中国の日本国債購入」
10/7/12(第623号)「10年参議院選挙の結果」
10/7/5(第622号)「サミットの変質」
10/6/28(第621号)「各党のデフレ対策」
10/6/21(第620号)「菅首相の想定」
10/6/14(第619号)「EU市場混乱の本質」
10/6/7(第618号)「EU経済の混乱とIMF」
10/5/31(第617号)「議論の前提条件」
10/5/24(第616号)「現実離れの構造改革派」
10/5/17(第615号)「これも一歩前進か」
10/5/10(第614号)「一歩前進か」
10/4/26(第613号)「ガラパゴス症候群」
10/4/19(第612号)「マクロによる検証」
10/4/12(第611号)「ミクロで捉えた日本経済」
10/4/5(第610号)「何事もタイミング」
10/3/29(第609号)「政策提言の想定問答」
10/3/22(第608号)「政策提言(後半)」
10/3/15(第607号)「政策提言(前半)」
10/3/8(第606号)「税収と名目GDPの関係」
10/3/1(第605号)「政治ができる事」
10/2/22(第604号)「積極財政への雑音」
10/2/15(第603号)「経済と金融の間の緊張関係」
10/2/8(第602号)「第二回目キャンペーン」
10/2/1(第601号)「第一回目キャンペーン」
10/1/25(第600号)「日本の財政構造」
10/1/18(第599号)「財政非常事態宣言」
10/1/11(第598号)「10年今年の景気」
09年のバックナンバー

08年のバックナンバー

07年のバックナンバー

06年のバックナンバー

05年のバックナンバー

04年のバックナンバー

03年のバックナンバー

02年のバックナンバー

01年のバックナンバー

00年のバックナンバー

99年のバックナンバー

98年のバックナンバー

97年のバックナンバー