- 設問の設定
先々週号と先週号でアンケート調査や世論調査に伴う問題点について述べた。今週号ではさらに「設問の設定」について述べる。これらの調査も設問の設定により結果に違いが生じるからである。 世の中には不快施設と言うものがあり、具体的には「ゴミの焼却施設」や「産業廃棄物の処理施設」などである。これら施設の建設では、建設する側と住民の間でよく軋轢が生じる。地域住民もこれらの公共施設がどこかに建設されることが必要なことは理解しているが、自分たちの住んでいる所の近くはこまると言うことである。これに似たケースは「軍事基地」や「原子力発電所」などの建設である。最近これらの建設にあたって、投票により住民の意思を問うケースが増えている。これは重要な問題だから住民の「声」を直接聞くと言う説明である。しかし住民投票には法的に効力がないにもかかわらず、実施されているのである。投票の結果は投票が行なわれる前から分かっている。毎回、建設に反対する投票が圧倒的多数になっている。 本題と多少はずれるれるが、筆者にはこのような住民投票と不快施設の建設については二点ほど考えがある。一つは「重要な問題だから住民の「声」を直接聞くと言うのはおかしいのではないか」と言うことである。むしろ重要な問題だからこそ権限者が自分で決定すべきと考える。特に不快施設の建設となれば、投票の結果ははっきりしている。これらの建設を受け入れるかどうかは高度な政治判断が必要になるのである。建設を拒否するなら、権限者が独自に判断すべきである。反対に建設を受け入れる場合も、自分で判断し、予想される反対意見を持つ者に対しては説得する他はないと考えられる。このような難しい判断ができず、住民の意思を問わなければならないようなら、そもそも市長や町長に立候補する資格はないのである。マスコミの論調では、このような「住民投票」を直接住民の意見を聞くと言うことが、民主政治の理想のようになっているが、筆者の考えは全く逆である。 もう一つはこのような不快施設の建設が地域住民の負担になっているのに対して、あまりにも地元にはメリットがないと言うことである。近くに不快施設の建設されれば、周りの土地の評価も下がることが有り得る。しかし、それに対し、十分に保障がなされないことである。よく似た例では「区画整理事業」がある。「区画整理事業」には「区画整理」がされ、道路が広くなれば、土地の評価が上がり、拠出した土地の損が残りの土地の評価増で相殺されると言う考えが根本にある。しかし、これも土地が値上がりしていた時代には説得力があったが、現在のように地価が上昇しない時代には実態に合わないと思われる。「公共性」と言うものは社会が効率的に運営されるために必要なことであるが、一部の人にだけこれを求めることは酷なことである。また、公共工事をスムーズに進めるためにも、収用に伴う保障などに対してはもっと柔軟性が必要と考える。 本題に戻る。ほとんどの住民投票の設問の設定は単純である。たとえば建設に「賛成」と「反対」のどちらかを選択することになっている。これでは前述したように結果ははっきりしているのである。ここで注目されるのが、名護市の住民投票である。ご存じの通り名護市では米軍の海上ヘリポート基地の建設問題が存在している。もし従来通りの方法で住民投票が行なわれたなら、結果ははっきりしている。そこで名護市の住民投票では「地域の開発がなされることを条件にヘリポート基地の誘致に賛成」と言う選択肢を追加していた。この設問の設定の仕方は住民の意思をより正確に調査するには良いことである。ヘリポート基地の建設に賛成する者の中にも温度差があるからである。 これは世論調査を行なう際にも参考になる。特に経済政策は色々な政策を組み合わせて行なわれるのが普通である。減税を行なう場合には財源が必要である。これを赤字国債の発行で行なうか、あるいは政府の支出の削減や将来の増税で賄うかを併せて問う必要がある。さらに本来なら、これらの経済政策による予想される経済効果も明示されることも必要であろう。そしてもしこのような手順を踏んで世論調査が行なわれたなら、一年前までの世論調査で、一番望まれる経済政策が「財政再建」と言うバカげた結果にはならなかったはずである。また「財政再建路線」が不況やアジアの経済の混乱に繋がることを知られていたなら、「財政再建」が最重要課題になることはなかったと考えられる。もっとも世論調査の結果通りの政策を実際に行なうかどうかの判断力が政策遂行者、つまり首相にあるかどうかが最も重要なことであるが。
- 世論調査の操作
全てと言わないが、筆者は、かなりのアンケート調査や世論調査は多少なりとも、意識的あるいは無意識的に操作されていると考えている。また、反対にこれらの調査結果が世論自体に影響を及ぼしている。特に日本のように他人との調和を重んじる風土のある国では、多数意見に自分の考えを合わせる傾向が強いと見られるからである。つまり結果的にこれらの調査を通じて世論が操作されていると言うことである。先々週号から述べてきたように、アンケート調査や世論調査の実施方法によって結果をある程度左右することが可能と考えられる。調査のプロなら設問方法、対象者や時期などを工夫することで調査結果に影響を与えることが可能だからである。 テレビ番組などの中でよくアンケートの結果が使われる。当然、アンケートの結果は番組の主旨に合ったものである。しかし、ちょっと考えてみれば、先にアンケート結果があって、番組が構成されているわけではない。むしろ番組を制作する中でアンケートが実施されていると考えるべきである。問題は、普通にアンケートが実施されたら、当然、調査結果が番組の主旨に合わないケースも起こりうることである。たしかにその場合にはアンケート結果を使用しないことも考えられる。しかし筆者は、むしろそのような事態にならないよう、アンケート調査を行なう際にはある程度工夫がなされると考える。このような工夫が「操作」に該当するかと言うことになるが、筆者は、これも一種の「操作」と考える。 では昨年まで、どうして国民の多くが、「財政再建」が国の政策として一番重要と考えるようになったかが興味のあるところである。国や地方の借入金は500兆円と国のGDPの一年に達したのは事実であるが、借入残高がいきなり500兆円になったわけではなく、徐々に増えてきたのである。当初は、借入金残高が500兆円に達っし、財政が破綻すると危機感を煽り、消費税率のアップを実現させようとしたのは財政当局かもしれないが、そのうちマスコミがこれに飛びつき「公共事業性悪論」や「将来の財政危機」を訴え始めたのである。よく耳にしたのは「国や地方の借入金は500兆円にもなり、これは一人当り400万円にもなる」と言うセリフであった。この400万円が大きいか小さいかは判断に迷うところであるが、2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」で述べた東京電力の例を参考にしたい。東京電力の従業員数は4万4千人で、5兆4千億円の借入金があり、一人当りの借入金は1億2千万円になる。しかし、東京電力についてはその借入金が大きいと言うことだけで、将来の不安を指摘する声はない。また、最近話題になっているいる日産自動車の借入金残高は2兆5千億円である。国や地方の借入金の500兆円が本当に大きいのかどうかは、国の資産の大きさなど、色々な角度から研究する必要がある。また、長期国債の金利が1.2パーセントまで下がっており、一頃の5分の1の水準であり、このままでは1パーセントを割り込むと言う前代未聞の事態も有り得る。つまり少なくとも市場は「誰でも良いから金を使ってくれ」と言うサインを発しており、これは需要が大幅に不足している実物経済とも符号するのである。つまり国は借入金を増やしながら、不足する需要を補填してきた。少なくとも金利面ではこの政策は正しいのである。 アンケート調査と世論調査をテーマにしたコラムは今週号で一応終わりであるが、日本人の特徴としてマスコミなどの動向で簡単に考え方が変わることが気になる。日本社会では、いわゆる「空気」と言うものの作用が大きく、これを支配するものが皆の考えを支配することになる。そしてこの「空気」を作ることにマスコミが大きく係わっているのである。この「空気」については後日また述べたい。
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