経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
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10/12/6(642号)
経済成長理論に対する批判

  • 特殊理論と一般理論
    ケインズは第二次大戦後まもなく亡くなった。したがって短期静学であるケインズ経済学が、新古典派(ネオクラシカル)と呼ばれる弟子達によって経済成長理論に代表される長期動学に発展した(景気循環論も長期動学に分類される)ことについて、ケインズはコメントを残していない。しかしこのようなマクロ経済学の流れにはいくつかの落とし穴があった。弟子達の経済成長論は、供給サイドの分析に片寄っていて、需要面をほとんど考慮していない。例外はハロッドぐらいである。


    ハロッドは供給サイドの成長に需要が付いて行けない事態を想定している。彼は、経済成長の過程で需給がバランスし均衡するのは非常に難しく、ちょうどナイフの刃の上を渡るくらい危ういと指摘している。つまり彼は政府の介入なしでは均衡ある経済成長は難しいと考えた。しかし米国の経済は作ったものがどんどん売れるという状況であり、このような声はかき消された。

    作ったものが全て売れ消費されるということになれば、これはまさに古典派経済学の中心的教義である「セイの法則」が適用されることを意味する。これはケインズが苦労して否定したはずの「セイの法則」を、皮肉にも弟子達が復活させたことを意味する。

    ケインズは、賃金の下方硬直性の存在や流動性のワナによって金利が一定以下には下がらないことを指摘した。そしてこれらによって経済に失業や設備の遊休といった不均衡が生じることを指摘した。つまりケインズは、古典派経済学の適用(セイの法則が成立ち商品の売残りや失業は発生しない)できるのは特殊なケースだけであり、より一般的には不均衡(失業や設備の遊休)が生じるとした。したがって古典派経済学を特殊理論と見なしたのに対して、ケインズは自らの著作を「(雇用・利子および貨幣の)一般理論」と命名した。


    筆者は、理論経済学を学んでいてケインズの短期静学まではほとんど違和感がなく理解できた。ただ二、三の疑問点はあった。例えばケインズ経済学に組込まれている「収穫逓減の法則」などであった(これについては後日取上げるかもしれない)。

    ところがケインズの短期静学が終了し、講議が長期動学の経済成長理論に入ると、途端に理論経済学に興味を失った。筆者は、少なくとも当時の日本においては、既に経済の成長を決めるのは需要と考えていたため、この供給サイドだけに着目した経済成長理論には強い違和感を覚えた。率直に、これは(新古典派の経済成長理論)は「嘘」であろうと筆者は思った。


    実際、政府(当時は経済企画庁、現在は内閣府)が公表する現実の経済成長率や予想する経済成長率は、昔から需要項目(消費、政府支出、設備投資、輸出入差額など)ごとの積上げである。生産能力の増大で経済成長を示すといったばかげたことは絶対に行わない。しかしおそらくどこの大学もカリキュラム上、ケインズ経済学の次にこの現実離れした経済成長理論を学ぶことになっていたと思われる。

    したがって経済学の教授は、カリキュラム上、義務的に経済成長理論を教えなければならない立場にあった。また後ほど述べるが、経済成長理論はやたら数学を使用していた。経済学の講義なのに、まるで数学の講義のようになっていた。心ある経済の教授の多くは、ケインズ経済学を教える段階までは生き生きとしていたのに、次の経済成長理論を教えるようになるとつまらなさそうに教壇に立って数式を解いていたはずである。


  • 数学系経済学者の問題点
    サミュエルソンなどのケインズの弟子達は、経済学にやたらと数学を持込んだ。たしかに経済学にとって数学は理論の科学化と精緻化に役立った。しかし経済学における数学の多用は、一方で数々の問題を引き起したと筆者は考える。

    まず経済学者が数学と格闘するのに精力を使い果たし、理論の前提となる諸条件の検証を怠るようになったことが挙げられる。この結果、現実離れをした経済理論がまかり通ることになった。経済成長理論を供給サイドからのみ構築するというのもその一つであろう。


    第二として、数式に乗せるため経済要素が過度の単純化がなされた。例えば生産設備などの資本を集積したものをKと表した。しかし同じケインズの弟子であったジョーン・ロビンソンは、全く異なる製品を製造する生産設備をどうやって集積することができるのかと強い疑問を呈している。

    また資本の蓄積額であるKは、設備投資額から減価償却費を差引いたものの累計額ということになろう。しかし現実には減価償却が終了したような古い生産設備がりっぱに稼動しているのである。日本の製鉄所の高炉や石油精製設備のほとんどは建設後40年は経っている。つまり資本Kとしてはほとんどゼロであるはずの資本が、日々大きな付加価値を生んでいるのである。


    第三の問題は、経済学の世界に大勢の数学者が参入してきたことである。たしかにケインズなども数学に長けていた。しかしケインズは基本的に現実の経済をよく知る社会科学者であった。ところが新古典派経済学の登場後、新たに経済を研究する者に、現実の経済を知らない、あるいは現実の経済に興味がない数学屋が増えたのである。

    彼等は、数式を解くことが経済学の研究と誤解している。しかし数式自体が過度に単純化され現実離れをしていることを無視している。現実の経済を知るより、高等数学を使っての経済理論の精緻化や厳密化にしか興味がない。


    数学系経済学者の一番の問題点は、自分達の経済理論に問題があるのに(前提条件がボロボロなのに検証しない)、間違っているのは現実の方と思い込んでいる。したがって経済が不調になると、やたらと規制緩和、小さな政府そして構造改革を主張する(「構造」なんてちょっとやそっとでは変わらないから「構造」と言っているのに)。そして彼等は単に需要が不足しているからとは考えない。

    また彼等は原因と結果を取り違えることが得意である。例えば生産性(多くの場合彼等が勝手に定義した生産性)や潜在成長率が上がることによって、経済成長率が大きくなると主張する(したがって企業や社会のリストラが必要と結論付ける)。しかし彼等は、経済が成長したから生産性や潜在成長率が上がったとは考えない。

    もう一つの彼等の特徴は、インフレ(筆者の理解では物価上昇)に過度に敏感であるが、デフレの方はあまり問題にしないことである。おそらくもしデフレを問題にすると、ケインズ理論に近寄らざるを得なくなるからと筆者は考える。


    今日、数学者や理工科系技術者の進出は他の分野でも問題を起している。本誌でも何度も取上げたように、米国ではITバブル崩壊後、多くの理工科系技術者が機関投資家に転職した。彼等は投資戦略決定に高等数学を駆使し重宝がられた。ところがバブル崩壊で大手投資銀行が破綻したり大きな損害を抱えた。

    この大きな原因の一つが、格付機関の格付が正しいことを前提にした高等数学の方程式を基にして巨額の債券投資をしてきたことにある。理工科系技術者や数学者は、格付機関の格付がいい加減ということに思いも及ばなかったのであろう。ところがその前のロシア危機においても、大手ヘッジファンドが同様の手法を用いて事実上破綻している。筆者の記憶では、この時は方程式に、過去からの経験上ロシアの債券は一定以上は下がらないという非現実的な前提条件が組込まれていた。


    このようにケインズの弟子である新古典派(ネオクラシカル)の経済成長論は重大な問題を抱えている。ところが長い間これに対する批難めいた発言がほとんどなかった。そしてこの新古典派(ネオクラシカル)の経済学が、政府の経済への介入を否定するさらに過激な新古典派(ニュークラシカル)登場の素地を作ったと言える。



来週は筆者なりの経済成長論を展開する。



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