経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




10/11/29(641号)
「ケインズはもう古い」?

  • 短期静学と長期動学
    今週から、筆者が理解している範囲で、マクロ経済学がどのように日本で教えられ、また学ばれているかについて述べる。今日の状況に詳しくはないが、筆者達が理論経済学を学んだ頃は、マクロ経済学で最初に習うのはケインズ経済学であった。具体的にはケインズの「(雇用・利子および貨幣の)一般理論」について学んだ。ただこの著作は内容が難解なため、これをヒックスやディラードといった経済学者が解説し、さらにこれらを日本の経済学者が解説したものをテキストにしていた。

    ケインズ経済学は数々の条件を前提にして経済を分析している。例えば前提条件の一つとして、一時点の経済を対象に分析するというものがある。これによってケインズ経済学は短期静学と称されている。つまり資本の蓄積や技術の進歩といったものは考慮していない。他の前提条件では競争が完全競争といったものなどがある。


    ケインズは、これらの前提条件を設けることによって、なるべく論点の単純化、明確化を狙ったと考えられる。「一般理論」によって、ケインズは、資本主義経済において需要不足、つまり失業・設備の遊休といった不均衡が起ることのメカニズムを明らかにした。これは価格、賃金率、金利などのパラメータが変動し不均衡は起らないと主張する古典派経済学(マーシャルあたりを新古典派とする分類もある)の理論を完全に論破することが目的であった。

    1929年に始まった世界恐慌の説明が全くできない古典派経済学を根本から否定し、恐慌から脱するための処方箋を示すことが必要だったからである。実際、第二次世界大戦に繋がる政府の軍事支出の拡大によって各国の景気は回復した。つまり図らずも戦争によってケインズ理論が正しいことが証明された形になった。


    ケインズ経済学は、サミュエルソンやソローなどのケインズの弟子によってより進歩したことになっている(本当に経済学がこれによって進歩したのかどうか、筆者が疑問に思っていることが今週と来週の主要なテーマである)。彼等はケインズの「一般理論」で設定されている前提条件を外し、理論の一般化(拡張)を試みた。その一つが資本の蓄積や技術進歩を経済モデルに組込むことであった。

    資本の蓄積や技術進歩によって経済が成長し、彼等はその経済成長の条件を考えることを経済学の研究テーマとした。いわゆる経済成長理論であり、ケインズと異なり経済モデルに時間の概念を取入れた。ケインズ経済学が短期静学であるのに対して、彼等の経済成長理論は長期動学と呼ばれる。


    サミュエルソン達は、需要が不足している段階ではケインズの考えが正しいが、需要不足が解決した以降は、古典派の経済理論が適用できるとした。これを新古典派綜合と呼び、彼等は新古典派、あるいはネオクラシカルと呼ばれている。

    ただしネオクラシカルは決してケインズ経済学を否定していない。筆者は、彼等の理論は需要が満たされた場合といった特殊なケースにおける、ケインズモデルの拡張と理解している。それに対して後にケインズ経済学やケインズ政策を全面的に否定する一派が台頭してきた。フリードマンなどのシカゴ学派などであり、彼等は自らを(新古典派)ニュークラシカルと称している。


    ネオクラシカルとニュークラシカルの一番の対立点は、政府(中央銀行を含め)の働きである。ニュークラシカルは、政府の経済への介入を徹底的に否定し、小さな政府を標榜する。むしろ政府(中央銀行を含め)の働きがないほど、経済は円滑に運営されると主張するのである。

    ところが日本ではこの両者を共に新古典派と呼んでいたので混乱が生じている。本誌はこの辺りを08/10/6(第544号)「マンキュー教授の分類」で取上げた。ネオクラシカルに分類されているサミュエルソンなどは本質的にケインジアンであり、特に晩年には日本に対して政府による需要創出政策の必要性を訴え続けていた。


  • 進化論の信奉者
    ハロッドの経済成長論を除き、長期動学、つまり経済成長論で扱うのは主に供給サイドであり、需要サイドはほとんど無視されている。いやむしろ需要は常に十分に存在することが暗黙の前提となっていた。したがって経済学の主要テーマは、生産資源(労働力と生産設備)をいかに配分し、より高い経済成長を成し遂げるかということになった。極端な例がターンパイク理論(定理)であろう。


    ネオクラシカルの経済成長論が一世を風靡したのには、時代背景がある。1950年代には、第二次世界大戦の前からあった巨大なデフレギャップは解消し(経済の好転で1951年のアコードによって、FRBによる青空天井の米国債購入が停止された)、米国は空前の好景気となっていた。一方、大戦の戦場となった欧州や日本の生産力はいまだ回復途上にあり、米国製品は、国内で売れるだけでなくどんどん輸出もされた。当時、米国は大きな貿易黒字と経済成長を実現していた。

    米国の好景気を背景に、サミュエルソンなどの新古典派の経済成長論が関心を集めた。むしろ物価上昇などが問題にされ、ケインズ政策のような政府支出による需要創出政策が否定される方向に進んだ。また経済の高度経済成長期末期の日本では物価上昇が続き、「ケインズはもう古い」という認識が一般の常識になった。


    理論経済学の世界にも進化論を信奉する者が多い。ケインズ理論より新しいサミュエルソンなどの新古典派(ネオクラシカル)の方が正しいと考えるのである。この結果、ケインズ経済学を否定することが当り前になった。ケインズを否定的に見る「ポストケインジアン」とか「ケインズ以後の経済学」が流行った。そして日本においてもこの時代以降に経済学を学んだ政治家や官僚が、今日の経済政策を仕切っていると考えて良い。


    さらなる問題は、ケインズ経済学を完全に否定する新古典派(ニュークラシカル)の登場である。彼等は供給サイドだけにしか興味を持たず、需要サイドは全くと言って良いほど関心がない。彼等は政府による需要創出政策を否定し、政府(中央銀行を含め)の経済への関与を徹底的に嫌う。ただ現実の経済における需要不足を指摘されても、彼等は規制を緩和すれば需要は生まれると誤魔化す。

    ところが新古典派(ニュークラシカル)はより進歩した経済学と認識され脚光を浴びた。特にソ連などの社会主義国の崩壊が見えてきた頃から、新自由主義とか新保守主義という思想と結び付き、勢力を拡大した。今日のティーパーティー派(茶会派)や今回のFRBの追加金融緩和に抗議した経済学者グループもこの流れにあると筆者は見ている。筆者は、この新古典派(ニュークラシカル)を一種の新興宗教と見なしているが、かってノーベル経済学賞を何人も取るなど、一時期経済学界の主流派にのし上がった。


    米国の政府機関で働く著名なエコノミストは多いが、このほとんどは新古典派であるがネオクラシカルの流れであり基本的にケインジアンである。一方、同じく新古典派と呼ばれているニュークラシカルの方は純粋な学者である。こちらの方は共和党系の政治家に観念的な影響を与えてきたが、実際的な経済政策の策定にはほとんどタッチしていない。

    ところが日本人には新古典派に対する誤解がある。そのせいか多くの若手経済学学者や官僚は米国に留学しニュークラシカルの観念的経済学を学んで来ている。これにはニュークラシカルの経済学が脚光を浴びていたことも影響していると筆者は考える。そして彼等が、日本に供給サイドの経済学を紹介し、また構造改革運動を主導したと考える。



来週は今週の続きである。



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10/8/2(第626号)「米国もデフレ?」
10/7/26(第625号)「国債利払いの名目GDP比率」
10/7/19(第624号)「中国の日本国債購入」
10/7/12(第623号)「10年参議院選挙の結果」
10/7/5(第622号)「サミットの変質」
10/6/28(第621号)「各党のデフレ対策」
10/6/21(第620号)「菅首相の想定」
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