- 日本の貯蓄率の推移
自民党の案をもとに、本格的な政府の景気対策も検討されており、その骨格も見えてきた。ところで、日本のように何度も景気対策を行なってきた国は世界中を探しても皆無である。たしかに政府がそれを放置しておくことも可能であるが、その場合には日本経済は自立反転するどころか、そのまま縮小の方向に落ち込んでしまう可能性が高い。そしてその結果、輸出にドライブがかかり、各国からの非難が強まり、国によっては保護主義が台頭するであろう。景気対策は、単に国内向けの不況対策に止まらず、このような国際的要請でもある。日本経済については、その特殊性を強調することに対して批判もあるが、明らかに違う点を認識することは大切なことと考える。つまり、日本経済はほっておくと需要が不足する経済である。 本誌では、12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」において同じテーマで述べたことがある。ただ前回は日本の貯蓄率が大きいことを中心に述べた。それに対して今週では、貯蓄と裏腹の存在である消費に焦点を合わせ考えたい。まずその前に日本の貯蓄率の推移について触れたい。戦後、76年まで日本の家計貯蓄率は一貫して上昇し、23パーセントまで達した。その後、90年頃までは反対に貯蓄率は下がり続け、13パーセント前後がボトムであった。ところがそれ以降は横這もしくは若干上昇しており、現在は15パーセント前後と推定される。ただし直近においては一時的かもしれないが、15パーセントをある程度超えていると考えられる。 貯蓄率の推移の説明には色々な仮説がある。その一つに「ライフサイクル」仮説がある。それによれば、人々は若い時代に所得を稼ぎ、その一部を老後に備え貯蓄し、そして老後は蓄えた貯蓄を取り崩して生活費を賄う。したがって老年人口比率が小さいほど、国全体の貯蓄率が大きくなり、また逆に老年人口比率が大きくなれば貯蓄率は小さくなることになる。なるほど日本の場合、90年まではこの仮説のシナリオに沿ったような動きであるが、それ以降の貯蓄率の推移はこの仮説に全く反している。また米国のように、今だに人口増加率が大きく、人口のピークを向かえるのが日本よりずっと後になるような若い国の貯蓄率が日本よりかなり低く、大きくなる気配がないのも不思議である。つまり少なくとも米国の貯蓄率の推移は「ライフサイクル」仮説ではとても説明できないのである。筆者も「ライフサイクル」仮説で貯蓄率の推移を全て説明するには無理があると考えている。さらに筆者が着目するのは、日本の貯蓄率の絶対水準の高さである。ボトム時にも13パーセントと大きく、これは米国の3倍である。さらに90年以降の貯蓄率の推移は、むしろ若干上昇しており、これは特徴的と考える。筆者は、そこで貯蓄ではなく消費に着目し、「消費には限界があるのではないか」と言う筆者の仮説から、日本の貯蓄率の推移を考えることにしたい。
- 色々な消費の限界となる要因
どうも日本の貯蓄率の推移は、単純に「ライフサイクル」仮説などで全てを説明できないようである。また90年以降の貯蓄率の推移は、バブル崩壊の影響もあると考えられるが、それだけで説明できるとは考えない。筆者は、むしろ日本の消費の形態が80年頃から変わってきたのではないかと考えている。たしかに90年までは貯蓄率がダラダラと低下しているが、86年からの低下は「プラザ合意」以降の円高不況に対する「内需拡大策」の一環として住宅建設が促進された影響があり、この要素を除けば、86年以降は貯蓄率はほぼ横這で推移していると考えられるのである。つまり日本の消費はバブル経済崩壊以前から変質していたと考えている。 日本の大きい貯蓄は、高度成長期には大きい設備投資を可能にし、それ以降は資金不足の各国に流出したり、日本政府の大きな財政赤字を補填してきた。しかし、これは大きな貯蓄を良いこととして解釈した場合であり、反対にそれが弊害とも解釈できるのである。日本国内に投資機会がない資金は海外に流出し、資金不足の国の助けとなっているが、同時に資金流出により為替が「円安」となり、その国の貿易収支の対日赤字を大きくしている。また、国内でも大きな貯蓄は消費の不足を生み、これが不況の原因となり、政府は財政出動による景気対策を必要とさせているである。つまり財政赤字の累積の原因は日本の大きな貯蓄とも言えるのである。 筆者は、貯蓄が積極的な貯蓄と消極的な貯蓄に分けられると思われる。消費を抑制しても、目標となるもののために行なう貯蓄を積極的な貯蓄とすれば、買う物がなくなりただ漠然と将来の不安に備えて貯蓄を行なっている場合を消極的な貯蓄と定義している。特に後者は、消費水準が一定の段階に達した場合には起こりそうなことである。また、消費がこの段階に達した経済では、景気が多少良くなり所得が増えても、消費がそれほど伸びないことになる。筆者は、日本の消費社会は既にこの段階に達しているのではないかと考えている。そして消費にも限界と言うものがあるのではないかと考えているのである。そしてこのような消費にも限界があれば、経済が成長し、所得が増えても、追加的な所得に対する消費の割合、つまり限界消費性向が小さくなる。筆者は日本経済の慢性的な需要不足状態はこれが原因と考える。そしてこれが事実なら政府の経済政策も、これを前提に行なわれるべきと考えられる。ひっとすれば、日本は先進国の中で経済がこの段階に一番先に達した国とも考えられる。このため景気対策を行なうことによって景気が一定の水準に達しても、以前のように自立的な成長軌道に乗ることが難しく、もしこの段階で緊縮財政への転換などの政策を行なうと、たちどころに景気後退に陥るのである。今回の不況もこの経過で起こったと考える。つまり他の先進国の経済政策を日本に適用することが、とんでもない結果になるのである。 次に筆者が消費にも限界を招く要因と考える事柄について列挙したい。だだし、これらは筆者が考える一つの仮説であるから、気軽に読んでいただきたい。
- スペースの限界
日本は人口密度が大きいだけでなく、住宅の一戸当りの面積が小さく、特に都市部の住宅は狭い。日本は高い所得水準を長年続けてきており、平均的な家庭には既に必要な製品は一揃いある。一つの家の中にテレビやエアコンが複数台あるケースもめずらしくない。つまり新しい商品が発売されてもこれ以上置くところがないのである。それでなくとも日本の場合、一部屋にある品物のアイテム数は非常に多い。テレビなどで日本の家の中を時々映し出されるが、欧米の家の中に比べると実に雑然としている。このような状況では、不況や将来に不安があれば、簡単に苦痛なく消費を減らすことは可能なのである。消費には必需的な物と選択的な物がある。不況時には選択的な消費が真っ先に影響を受けるが、スペースに限界がある日本では「買わない」と言う選択が行なわれる可能性があるのである。
- 世帯数の限界
日本においては、大家族制から核家族制への移行に伴って、これまで住宅や耐久消費財の購入が増え続けてきたが、この流れも限度に近づいている。つまりこれ以上世帯数が伸びないのである。これまで日本においては、核家族化に伴う消費が通常の消費にプラスされていたのである。
- 時間の限界
経済が成長し、所得が増えても、一人の人間に与えられている一日の時間は24時間であり、これに変化はない。日本人は次々に物を購入しても、時間の制約でそれを消費しきれない状態にあることが考えられる。テレビを観たり、本を読むにも時間がかかる。ホームビデオを買っても、それで撮影したり、撮影した物を観るにも時間が必要である。さらに衛星放送、インターネットにファミコンである。また自動車を買ったら、それを運転しなければならない。ドレスを買ったらパーティにも出かけなければならない。 日本人の睡眠時間は年々短くなっている。これは、日本人が睡眠を削ってまでも物や情報を消費しているからと考えられる。しかしこれもそろそろ限界であり、何もせず「ぼぉーっと」していたいと言う人々が増えても不思議はないのである。
このように日本では所得が増えても消費が増えない現象が起こり得るのである。ポイントは平均的な消費者は苦痛を伴わず、消費を減らすことができることである。つまりこのような状況下で「所得税減税」を行なっても、消費が増えず、大半は消極的な貯蓄に回る可能性が大きいと予想されるのである。
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