経済コラムマガジン 平成9年2月10日より
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09/6/1(571号)
日本のケインズ経済学

  • どうしようもない経済学者
    前にも指摘したが、人々の今回の世界的経済危機に対する認識が混乱している。経済危機の呼称が変わってきていることでもその事が示されている。最初の一年間くらいは「サブプライムローン問題」と呼ばれていた。ところが昨年の9月にリーマン・ブラザースが破綻し、株価が暴落したり、改めて巨額の金融機関の不良債権が認識されるようになると、経済危機は「金融危機」と呼ばれるようになった。

    さらに自動車・家電などの耐久消費材の売上が極端に落込んでからは、「世界同時不況」と呼ばれるケースが増えた。筆者は「金融危機」と呼ばれていた頃、この呼称に違和感を感じていた。むしろ「世界同時不況」という今日の呼び方の方がしっくり来る。


    よく今回の世界的不況を「100年に一度の規模」と言われている。筆者はそれほどのものとは見ていないが、大きな経済危機には間違いない。もっとも各国の対応が大きく間違っていたなら、本当に「100年に一度の規模」のものになっていた可能性はある。

    しかしこれだけ大きな経済の変調にもかかわらず、今日の経済を適確に予想した経済学者やエコノミストがいないのである。ひょっとしたら本当はいたかもしれないが、少なくとも我々には届いていない。例えば前FRB議長のグリーンスパーン氏なども「今の米国経済はバブルではなく、せいぜいフロス(小さな泡)程度である」とずっと楽観的であった。


    ただ米国は、一旦事が起ってからの対応が速く適切である。米国の場合、08/10/6(第544号)「マンキュー教授の分類」で取上げたように、政府の中枢部に現実的な経済学者やエコノミストが多い。ほぼ全員がケインジアンのマクロ経済学者である。代表的なのがバーナンキFRB議長である。

    またスティグリッツ教授やポール・クルーグマン教授といった、影響力のある経済学者もケインジアンのマクロ経済学者である。一方、今日、オバマ政権の経済政策に批判的なのが共和党の政治家とシカゴ学派に代表される構造改革派である。彼等はケインズ的政策を批難することが自分達の使命と捉えている。だいたいブッシュ政権末期のケインズ政策にも共和党の政治家は反対していた。

    しかし彼等に有効な政策提案があるわけではない。さすがに米国国民の間では共和党離れが進んでいる。共和党の政治家の中には、現実離れした共和党の主張にあきれ、民主党に鞍替えしようとする者も出ているほどである。


    一方、日本の場合は悲惨である。日本政府を取巻いている経済学者は、ほぼ全員、構造改革派の御用学者である。元々ケインズ政策に反対する者達である。また政策を立案する政治家や官僚も、大学時代これらのどうしようもない経済学者から経済学を教わっている。したがって今回の経済危機に際しても、彼等からまともな政策提言やアイディアが出てくるわけがない。

    今日の日本政府の経済対策は混乱の極みである。公共投資を増やしたり、定額給付金を支給している一方で、公的年金の保険料の引上げや公務員の俸給をカットしている。一体、何をやっているのかと思う。彼等は、経済対策がデタラメであっても、これまでのように輸出が回復して経済が持直すとかすかな期待を抱いているのであろう。


  • 自分の経済(生活)
    日本には経済学に対して大きな誤解がある。08/10/6(第544号)「マンキュー教授の分類」で述べたように、米国で著名な経済学者、例えばサミュエルソンなどをケインズに批判的な新古典派と思い込んでいることである。しかし彼等は立派なケインジアンである。新古典派はシカゴ学派に代表される構造改革派を指すと思えば良い。このような誤解からか、日本ではケインズ理論は廃れた経済理論と思っている人々が非常に多い。

    もう一つの大きな誤解は、日本では大学で専門的にケインズ経済学を学んだ者が多いと思われていることである。たしかにケインズ経済学は戦後の一時期、日本でも脚光を浴びた。その時にケインズ経済学を学んだ人々がいるが、今ではその人達もかなり高齢となっている。筆者はまともにケインズ経済学を学んだ者は今日では極めて少数派と見ている。


    戦後、ケインズ経済学を学びたくともケインズ理論を理解している経済学者は日本にほとんどいなかったのである。旧帝大を始め、日本の大学で経済学と言えばマルクス経済学(マル経)であった。対するマーシャル、ケインズなどの経済学の流れは近代経済学(近経)と呼ばれていた。

    戦後、かなり長い間、大学ではマル経が主流であった。例えば経済学部に30くらい講座があれば、せいぜい2つか3つの講座が近経を教えていた程度であった。おそらくケインズ理論が脚光を浴びた時、ケインズ経済学を学んだのはもっぱら一般の社会人や官僚などであったと思われる。また彼等はほとんど独学でケインズを学んだものと考えられる。


    ちなみに戦後、経済安定本部(後の経済企画庁、現在の内閣府)の長官を要請されたのが有沢広巳教授であった。しかし彼はマルクス経済学者であった。当時、めぼしい経済学者といえばマルクス経済学者しかいなかったのである。氏は長官就任を断ったが、傾斜生産方式というものを提案している。このように意外とケインズ経済学は大学とはずっと縁が薄かった。

    大学で近経が主流になったのは、戦後かなり経った頃である。それはマル経の教官が少しずつ定年で退官していったからである。しかし世界の大学で、マルクス経済学を経済学部で教えていたのは日本くらいであった。これも日本では学問としての真偽より、教官の生活の方が重視されてきたからと考える。


    しかしようやく近経が経済学部で主流になった頃には、ケインズ経済学の評価が変わっていた。近経の経済学者の間では「ケインズ以後の経済学」が流行っていた。経済成長理論がその一つである。さらにケインズ経済学そのものに非難的な学派の発言力が大きくなってきた。供給サイド重視、小さな政府論などを唱える構造改革派である。

    特に日本ではオイルショック後、財政再建路線が定着し、むしろケインズ理論が目の敵にされ始めた。機を見るに敏な経済学者は、ケインズ経済学からどんどん離れて行った。ケインズ経済学を唱えているようでは、政府関連の仕事に就かれないのである(あこがれの御用学者にはなれない)。したがってケインズ経済学を否定することが流行るようになった。


    ケインズ経済学が否定されるにつれ、経済をマクロで見るという習性がなくなった。経済学もゲームの理論のようなミクロ経済学指向が強くなった。これは先々週で取上げた「半径10mぐらいの事にしか関心がない」という日本の風潮と合致するのである。今日の経済学者の多くは、国全体のマクロ経済に関心がない。一番関心があるのは、ミクロ経済と言おうか、自分の経済(生活)である。



来週は、経済をマクロで見ることをテーマにする。



09/5/25(第570号)「裁判員制度に一言」
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