平成9年2月10日より
経済コラムマガジン


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98/3/2(第55号)


日経新聞と経済を考えるーーその2
  • 大きな政府の説明
    日経新聞を始め、日本のマスコミの論調は「小さな政府」指向である。このことは筆者だけでなく、誰でも気が付いていることであろう。この影響もあってか、各種のアンケート結果や世論も「小さな政府」を良しとする意見が大勢を占めている。そして景気対策についても、「公共投資」ではなく、「減税」の方が賛同者が多いのである。実際は、本誌で主張してきたように、財政負担としては同額でも、「公共投資」の方が「減税」よりずっと効果は大きい。筆者が問題とするのは、この事実に反して、「公共投資には景気対策としての効果がなく、景気には減税だ」と言う間違った考えがマスコミから発信され、大多数の人々がそれを信じていることである。特に政府がこの論調に惑わされ、政策を間違えることが心配される。
    筆者は本誌で、日本の経済の現状を考えると、一般の考えとは逆に「今後ある程度の期間は、日本が大きな政府的な政策を採らざる得ない」と言うことを述べてきた。そこで今週号では、筆者が念頭に置いている「大きな政府」の意味について説明したい。
    究極の「大きな政府」は共産主義や社会主義の政府である。もちろん筆者が念頭においている「大きな政府」は、これらとは全く違うものである。まず政府と経済の係わりを考えるには次の三つのポイントがある。第一に「市場」、第二に「経済に係わる法律や規制」であり、第三に「財政の規模」である。まず共産主義や社会主義が現代の社会に適合しないことははっきりしている。しかし、これについては別の機会に述べたい。
    第一に「市場」である。「小さな政府」論者の考えでは「市場」にはなるべく政府が関与してはいけない。実際「市場」は不完全であり、時として不合理な動きをしたり、「市場」自体が壊れることもあるが、政府はこれに介入してはならないと言う考えである。これについては筆者もある程度賛成である。問題は程度である。筆者は「市場」は完全なものではなく、「市場の不完全さ」による混乱が実体経済に著しい悪影響を及ぼす場合には政府の介入も止むを得ないと言う考えである。具体的には不況時の景気対策などである。信用不安回避のための公的資金の導入などもこれであろう。また、株式市場で起こる株価の急落場面で、取引が停止されることがある。いわば値幅制限である。これによって、市場に起こっているパニックを一時的に静めることもあるが、これも一種の公的制限である。「市場」を重んじる米国にもこれはある。「サーキットブレーカー」と呼ばれ、一日の間にダウが一定のパーセント以上下落した場合、取引が停止される。基本的には、極端な「小さな政府」論者はこれらについても不要と考えるであろう。つまり「市場の完全性」を信じているため、これらの公的介入が却って市場の持つ調整力を歪めると言う考えである。
    第二の「政府による経済の規制」についても同様である。「小さな政府」論者にとって経済に係わる規制は諸悪の根源である。規制によって適正な資源の分配が阻害され、社会が不効率となると言う考えである。これにより法律に守られた産業が生き延び、消費者が損をしていると言う主張である。また、現在政府行なっていることについても、民間ができることは民間が行なうべきと言う。ここまでについては筆者も大体賛成である。例えば郵政事業の民営化についても賛成である。これについては別の機会に述べたいが、郵政三事業は全部まとめて民営化すべきと考えている。その一つや二つを民営化すると言うのは混乱の元であり、非現実的であり、やるならワンセットである。ただ全てをすぐに民営化すれば問題が全て解決すると言うことにはならない。色々な準備が必要と言うことである。
    しかしここからが問題である。「小さな政府」論者は言う「規制緩和や撤廃」を行なえば、経済活動が活発になり、景気にもプラスになると言う。これについては5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」で述べたが、筆者は「規制緩和」を行なえば、景気にプラスになる面もあるが、マイナスになることもあると考え、これには賛成しかねる。また、「規制緩和」が景気に対して短期的にはプラスであるが、長期的にはマイナスになるケースもあり、その経済効果を予測することは難しい。ただ間違いと考えるのは、「小さな政府」論者が言っている「景気対策のため規制緩和を徹底的に行なえ」と言う主張である。安土桃山時代の「楽市楽座」の例を採って、規制を緩和すれば経済が活発になると言う考えがあるが、これは単純で分かりやすいが、21世紀を向かえようとしている日本経済にはとても適合できるとは思われない。当時は商品経済も満足に発達していない社会であり、資本主義経済から遠い以前の世界である。現在でも原始的な経済を営んでいる地域やこれまで社会主義経済でやっていた国には適合するかもしれないが、今日の日本のように情報が発達し、消費レベルもかなり高いところに達した国の経済にとってこの考えは無意味である。「楽市楽座」が現在の景気にプラスになると単純に考えている人々は、「日本史の受験勉強のやり過ぎ」であろう。
    経済企画庁と並んで、「規制緩和」がGDPを増やす、つまり景気にとってプラスになると主張しているのが通産省である。しかし、環境問題で規制を厳しくした場合には新しい産業が興り、GDPも増えると主張しているのも通産省である。今後、世界的に環境産業が発展し、100兆円以上の産業になると言うのである。これでは通産省は規制緩和の経済効果についてまったくのダブルスタンダードになっているのである。たしかに環境の規制を強化すれば、企業は環境に投資を行なうことになり、景気にはプラスになる。しかし、長期的には規制の厳しい国から緩やかな国に企業は移動することになり、逆に景気にはマイナスになるであろう。また全世界が一斉に環境規制を強化することも考えられ、この場合は効果も変わって来る。このように「規制緩和」の経済に及ぼす影響は複雑であり、とても単純に「規制緩和は景気にプラス」とは言えないはずである。

  • 財政の大きさ
    最後は「財政」の大きさである。「小さな政府」の支持者は「減税」と政府の支出の削減を求める。彼等の理想は、政府は最小限の仕事、具体的には「防衛」や「警察」と言った仕事だけを行なうことである。政府支出を徹底的に削減し、公共投資も行なわない。必要な公共事業は採算が合えば民間が行なうはずと言う考えである。公務員も必要最小限の数に制限することになる。そして最近の公務員の不祥事を見れば、国民の大多数がこの意見に賛成するのも納得できる。筆者さえも景気に問題がなく、必要な公共事業が行なわれるならこの考えに賛成するかもしれないのである。
    一方、「大きな政府」を指向する考えもある。一番極端なケースが共産主義国家や社会主義国家である。資本主義国家であっても大きな政府の国々がある。欧州、特に北欧などがそれである。「大きな政府」論を支える理論がある。政府の所得の再配分機能についてである。経済学の世界ではよく「効用」と言う言葉が使われる。これは「使いで」とか「ありがたみ」と解釈できる。この「効用」を量的に計測できるかどうか問題であるが、概念としては理解できる。ここに金持ちと貧乏人がいたとすれば、各々にとって「一万円」の「効用」、つまり「ありがたみ」が違うと言うことである。当然、貧乏人にとっての「一万円」の「効用」の方が金持ちにとっての「一万円」より「効用」が大きいであろう。したがって政府は金持ちから「一万円」を徴収し、貧乏人にそれを渡すことによって社会全体では「効用」を増やすことができる。またこれは金持ちにとっても全て悪いことではない。社会全体で「効用」が増えると言うことは社会がより安定することを意味する。金持ちにとって社会の安定は重要なことである。しかし、この働きが極端になると社会はどんどん共産主義国家に近くなる。また、努力して収入を増やしても、税金としてどんどん持って行かれることになり、ほとんど努力しない人々と生活レベルに差異がなくなることになる。この動きが極端になれば、世の中に努力して収入を増やそうとする人間がいなくなることも考えられる。この場合には社会全体にも悪影響を与えることになる。「小さな政府」論者はこの点を強調するのである。そしてこれを行なっている各種の累進課税制度を否定するのである。したがって「小さな政府」論者はフラットな税制を主張するのである。そして「消費税」は「小さな政府」論者にとって、その点では理想に近い税金かもしれない。

  • マスコミと小さな政府
    12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」で述べたように、今日の日本経済は慢性的な需要不足の状態に陥っている。それを軽視して政府は、97年度の緊縮財政を決めたのである。公共支出を抑えると言う考えは「小さな政府」に沿うものである。「小さな政府」論者は「増税」の方を問題にするが、筆者はやはり政府支出を抑えた方が問題と考えている。景気対策として「減税」を行なっても大した効果がないとしたら、筆者の考えの方が正しいと言うことができるであろう。
    所得の大きい層は貯蓄率が大きいはずである。所得税減税を大きくすると言うことは所得の大きい層により恩恵が大きいと言うことである。反対に収入の低い層は消費性向が大きいが、元々税金をほとんど払っておらず、減税の恩恵はほとんどない。つまり日本では「所得減税」が行なわれても、それほど消費が増えず、貯蓄だけが増える恐れがある。一方貯蓄が増えると市場金利が低下し、民間の投資が活発になると言う考えもあるが、需要不足の日本経済においてはこれが成り立たないことは、今日の現状を見ても明らかである。たしかに、筆者も日本の累進課税のカーブがきつ過ぎることは承知しており、将来的には是正されるべきとは考えている。しかし、これが現在の不況対策として正しいとはとても考えられない。
    筆者はここまで述べてきたように、全面的に「小さな政府」論に反対ではない。政府が効率的であるべきと言う点では一致する。無駄な「規制」を撤廃し、「市場」を重視することにも賛成である。ただし筆者の場合は、「市場」は万能ではなく回復が困難なほどに壊れた場合には、政府の介入が必要と言う付帯条件が付く。一番の違いは財政の規模である。筆者は、民間の需要が不足する現状では、政府がそれになり変わって需要を満たす必要があると言うことである。「小さな政府」論者の言うように、これを行なわないと言う選択もあるが、その場合には日本経済が「縮小のスパイラル」に陥るだけである。理想的には、民間の投資や消費を喚起するような「公共投資」を行なうことである。そしてこれを行なうには長期的な計画と事業をスムーズに行なえるよう法整備が必要である。ただ景気対策として従来から行なわれる、どちらかと言えば無計画な工事には賛成できかねるが、これでも「所得減税」より景気には効果的であることは事実である。少なくとも今後は「公共投資」の質を考慮されるべきと考える。ところが「小さな政府」論者は、「整備新幹線」や「高速道路」のような筆者が効果的と考える「公共投資」に対してより否定的である。とても不思議なことである。
    「小さな政府」論の主張は単純である。資本主義の原点に還ることである。その考えはアダムスミスの「神の見えざる手」による市場の調整力を全面的に信頼している。むしろ経済に困難や不均衡が生じるのは、政府などの介在物のせいと考えるのである。つまり政府の関与さえなければ、経済はスムーズに発展すると主張する。しかし、歴史を見ればこれが誤りであることは明らかである。現実は、世界には色々な国があり、経済のシステムももっと複雑なのである。
    筆者は、マスコミが「小さな政府」論に飛びついたのはその単純さと考えている。マスコミがキャンペーンを行なうにはそのテーマが「単純」であることが必要である。そして現在、「小さな政府」がマスコミの一種のスローガンとなっている。しかし「小さな政府」の善し悪しは説明されない。「小さな政府」論者によっては結論ははっきりしているのである。そして政策が「小さな政府」論に反する場合には「悪い政策」とレッテルがはられるのである。
    筆者は「小さな政府」論は一種の宗教と考えている。ただ筆者は、ここで断わっておきたいが、宗教一般の善し悪しを論じたいのではない。「小さな政府」論が宗教的であるから、教義そのものを吟味することはないと考えられることを言いたいのである。「小さな政府」が実現すれば、世の中の全ての問題が解決することと考える。これは一頃の「マルクス主義」と非常に似ている。マルクス主義者は世界中が共産国家になれば、世の中に貧困はなくなり、戦争もなく、環境問題もなくなる。そこはユートピアで差別や人間疎外もないと主張していた。「小さな政府」論者の主張もこれに似ており、「小さな政府」が実現すれば経済だけでなく、あらゆる問題が解決すると主張している。日経新聞は昨年の一年間「2,020年からの警鐘」と言う特集を行なってきた。これは明らかに「小さな政府」こそが日本の問題を解決すると主張している特集であった。取り上げている問題も極めて多岐に渡っていた。底に流れる主張は「小さな政府」の実現であり、「個の確立」と言うことである。そしてそれにはあらゆる分野で「改革」が必要と主張しているのである。ただこの「改革」の内容がよく分からないのも特徴である。筆者には、まずこの特集の題名も「神がかって」いると感じられるし、現在「改革」をしなければ「2,020年の日本はこんなにみじめな状態になる」と現状の危機を訴えると言う手法も、非常に「宗教的」と感じられるのである。そして問題なのはこのような主張が政府の政策に影響を与えていることである。「財政構造改革法」と言うとんでもない法律ができたり、景気が回復していないのに緊縮予算を組んだりしたのも、このような主張に強く影響されていると考えられる。日本のように経常収支が大幅に黒字の国が、財政を絞るとどのような悪影響を世界に及ぼすか、もはや分からなくなっているのである。




98/2/23(第54号)「日経新聞と経済を考えるーーその1」
98/2/16(第53号)「貸し渋りと景気を考える」
98/2/9(第52号)「政治と経済を考える」
98/2/2(第51号)「官僚と経済を考える」
98/1/26(第50号)「「小さな政府」を考えるーーその3」
98/1/19(第49号)「「小さな政府」を考えるーーその2」
98/1/12(第48号)「「小さな政府」を考えるーーその1」
97/12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」
97/12/15(第46号)「景気の現状と対策を考えるーーその8」
97/12/8(第45号)「景気の現状と対策を考えるーーその7」
97/12/1(第44号)「京都会議と経済を考える」
97/11/24(第43号)「景気の現状と対策を考えるーーその6」
97/11/17(第42号)「景気の現状と対策を考えるーーその5」
97/11/10(第41号)「景気の現状と対策を考えるーーその4」
97/11/3(第40号)「景気の現状と対策を考えるーーその3」
97/10/27(第39号)「景気の現状と対策を考えるーーその2」
97/10/20(第38号)「景気の現状と対策を考えるーーその1」
97/10/13(第37号)「市場の心理を考える」
97/10/6(第36号)「公共事業とマスコミを考える」
97/9/29(第35号)「リクルート事件と経済を考える」
97/9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」
97/9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」
97/9/8(第32号)「住宅と貯蓄を考える(その1)」
97/9/1(第31号)「労働組合と経済を考える」
97/8/25(第30号)「競争時代の賃金を考える」
97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」
97/8/11(第28号)「米国の景気を考える(その2)」
97/8/4(第27号)「米国の景気を考える(その1)」
97/7/28(第26号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その2)」
97/7/21(第25号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その1)」
97/7/14(第24号)「香港返還と中国経済を考える(その2)」
97/7/7(第23号)「香港返還と中国経済を考える(その1)」
97/6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」
97/6/23(第21号)「投機と市場を考える」
97/6/16(第20号)「規制緩和と日米関係を考える」
97/6/9(第19号)「ビックバンと為替を考える」
97/6/2(第18号)「内需拡大と公共工事を考える(その2)」
97/5/26(第17号)「内需拡大と公共工事を考える(その1)」
97/5/19(第16号)「金利と為替を考える」
97/5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」
97/5/5(第14号)「為替の変動を考える」
97/4/28(第13号)「日本の物価と金利を考える(その2)」
97/4/21(第12号)「日本の物価と金利を考える(その1)」
97/4/14(第11号)「日本の土地価格を考える」
97/4/7(第10号)「当マガジン経済予測のレビュー」
97/3/31(第9号)「日本の株式を考える」
97/3/24(第8号)「たまごっちと携帯電話を考える」
97/3/17(第7号)「政府の景気対策を考える」
97/3/10(第6号)「オリンピックと景気を考える」
97/3/3(第5号)「為替レートの動向を考える(その2)」
97/2/24(第4号)「為替レートの動向を考える(その1)」
97/2/17(第3号)「日本の金利水準と為替レートを考える」
97/2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」
97/2/1(第1号)「株価下落の原因を考える」「今後の景気動向を考える」

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