- 上げ潮派の論客
上げ潮派(構造改革派)の経済理論を理解するため、高橋洋一東洋大学教授(最近よくテレビに登場する)の9月5日付日経新聞「経済教室」に寄稿された文章を取上げる。高橋教授は同じ内容を文芸春秋9月号に寄せている。今日、高橋氏は上げ潮派(構造改革派)の論客で理論的中心人物となっている。ただし筆者は、高橋教授の考えが、これまでの上げ潮派(構造改革派)の本流とかなり違うと感じる。これについては後ほど触れる。
「経済教室」の寄稿文書は、厳密性の点で経済学の論文ではない。これも元財務省官僚であり元内閣参事官という経歴が示すように、高橋氏が純粋な学者ではないからと解釈している。ただ長い間官僚機構の中心にいたため、氏は日本の財政の実情に通じている。
高橋教授はまず上げ潮派(構造改革派)の位置関係を説明している。自民党には上げ潮派の他に「財政再建派」と「積極財政派」とがあり、主張する経済政策が異なる。氏は財政再建派が増税(消費税)による社会保障支出の増大、つまり大きな政府を目指していると批判する。
また積極財政派を、いわゆる旧来のバラマキ政策を踏襲しており、これも大きな政府指向と見ている。しかし積極財政派への一番の批難は、2011年度のプライマリーバランスの回復という目標を放棄している点である。上げ潮派は、積極財政派と同様に経済成長を目指すが、同時に財政再建も目的にしていると教授は主張している。
上げ潮派(構造改革派)と財政再建派の争点は、特別会計の剰余金(いわゆる霞ヶ関埋蔵金)の扱いである。財政再建派は、特別会計の剰余金のほとんどは損失に備えた引当金などであり、自由になる剰余金はほとんどないと反論する。またそもそも剰余金は一過性のものであり、安定的な財源が必要な社会保障の財源には向かないと上げ潮派を批判している。
この財政再建派からの攻撃に対して、高橋氏はまず行政機構のムダを徹底的になくしてから増税を検討するべきと主張する。また安易に増税で財源を賄えば、行政機構のムダを削減しようとする意欲がなくなると指摘する。
高橋教授が特に問題にするのは、天下り官僚が関与する公社・公団に特別会計から毎年多額の資金が無駄に流れていることである。例えば労働(雇用)保険は取り過ぎで余剰金が発生しているが、これが無駄な「私のしごと館」などの建設に使われていることを取上げている。氏は社会保障費が足りないと同じ厚労省が言っているのだから、制度改正を行って余った雇用保険を社会保障に使えるようにすべきと説く。
このように行政の無駄をなくしたり剰余金(埋蔵金)を使えば、増税を行わなくとも財政資金が賄われ、経済の成長と財政再建を同時に実現できると、上げ潮派の高橋氏は主張する。筆者は行政の無駄を省くことは大事であり、この点で高橋教授の意見には賛成である。しかし筆者は上げ潮派の政策で経済成長と財政再建が同時に達成できるとは思わない。
- 中途半端な構造改革派
高橋教授の主張は、今日の構造改革派を代表するものであるが、従来の構造改革派とは異なる点がある。先週号で経済成長の定式(モデル)をg(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)と示した。まず従来の構造改革派の主張は、経済成長のために必要なことは構造改革によってt(技術進歩・・技術進歩あるいは生産性の向上)を大きくすることであった。具体的な施策は行政改革による政府部門のスリム化と規制緩和による競争の促進である。
ところで高橋氏は、公社・公団に流れている資金や特別会計の剰余金を問題にしている。つまり政府部門の合理化による日本経済全体の生産性のアップを訴えている。ところが不思議なことに、従来の構造改革派が最も重視する規制緩和について高橋教授は一言も触れていないのである。
また先週号で構造改革派が全く経済の「需要」面を全く無視していることを指摘した。ところが高橋氏は需要面を無視していることはない。これについては氏のスタンスは中途半端である。経済成長のために剰余金(霞ヶ関埋蔵金)の活用を説いている。これは明らかに財政支出の需要創出効果を認めていることを意味する。
高橋氏は、積極財政派をオールドケインジアンと批判する。特に国債(赤字国債・建設国債)を発行しての財政政策を手厳しく否定する。一方、上げ潮派は剰余金(霞ヶ関埋蔵金)を使っての財政支出を推進している。
しかし筆者から見れば、どちらも同じことと考える。国債発行によって財政支出を行えば、剰余金(霞ヶ関埋蔵金)の方は余るのだから、これを国債の償却に使えば同じ結果になる。問題は剰余金(霞ヶ関埋蔵金)を国債の償却に使うことを官僚が承知するかどうかである。しかし本来これは政治の判断であり、そもそも官僚が勝手に決めることではない。
また氏は、先月まとめた与党の総合経済対策をバラマキで問題多いと指摘している(筆者はあまりにも対策の規模が小さいため効果はほとんどないと見ている)。さらに氏は「90年代は公共投資を中心とした財政政策を大いに行ったが、効果は限定的で、債務が残った」と述べている。もし本流の構造改革派なら「財政政策の効果はなく、借金だけが残った」と言うところであろうが、高橋の言い方は中途半端である。
しかし筆者はこれを虚言・妄言の類と本誌で何度も指摘してきた。例えば04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」で述べたように、「90年代の公共投資に効果がなかった」という話は真っ赤な嘘である。90年代から低成長が続いているが、これはバブル期に激増した設備投資が逆に激減したからである。バブル期の日本の設備投資はGDPの20%に達していたが、これがバブル崩壊後15%(日本の平均的レベル、ただしこれでも米国よりずっと大きい)まで激減した。設備投資だけで年間20〜25兆円減少したことになる。
この設備投資の大きなマイナスの乗数効果を、公共投資と輸出の増加で埋め合わせた(輸出の激増は95年の超円高を招きしっぺ返しを受けた)。しかしこれで精一杯であった。この他に住宅投資の促進を行ったが、バブル期のピークにはとても追い付くものではなかった。たしかに公共投資の増加は国・地方の財政赤字を増やした。一方、企業は設備投資を控え、借金返済に励んだ。これによって銀行は資金需要がなくなり、余った金で国債を買ったという図式になる。しかし国・地方が公共投資を増やさなかったら、日本はものすごい大不況に陥っていたことは確実である。
ガチガチの構造改革派は、90年代の公共投資は全く効果がなかったと言う。しかしこれは公共投資が全く乗数効果を生まなかったことを意味する。つまり公共投資で所得が増えた分から全く消費が行われず、全て貯蓄に回されたことになる。そんなばかげたことは絶対にない。もっとも中途半端な構造改革派の高橋教授は「効果は限定的」と言っているが、「効果はゼロ」であったとまでは言っていない。しかし「効果は限定的」とは実に曖昧である。こういうところが自民党内で上げ潮派が信頼されない原因であろう。
|