- 構造改革の定式化
自民党の総裁選で経済論争が行われている。その中で積極財政派と財政再建派の主張は、正しいかどうかを別にして分りやすい。しかし上げ潮派(構造改革派)の言い分が曖昧である。そこで今週から筆者なりに上げ潮派の主張の背景にある経済理論を解明してみる。
まず最初に理論経済における経済成長の定式(モデル)を示すと次のようになる。
g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)
v(資本係数)とはY(生産・所得)1単位を増やすのに必要なK(資本・・生産設備など)である。つまりv(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)となる。そこでv(資本係数)が一定ならば(技術進歩がなく生産設備の効率が不変ならば)、s(貯蓄率)が大きい国ほどg(経済成長率)が大きくなる。
つまり生産されたもの(所得)が、なるべく消費されず貯蓄され、これが投資に回される国ほど経済成長率は大きくなる。極端なケースで生産されたものが全て消費されるような国は、経済成長率はゼロになる(外資の導入はないものとする)。またs(貯蓄率)が同じ大きさであっても、資本係数(生産(所得)1単位を増やすのに必要な資本量)が小さい、したがって生産効率の高い資本備えている国の方が経済成長率は大きくなる。
次にこの定式にn(労働人口増加率)の要素を加味すると次のようになる。
g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)
この式はs(貯蓄率)/v(資本係数)が一定ならば、n(労働人口増加率)が大きい国ほど経済成長率が大きくなる。よく上げ潮派の政治家やエコノミストが「人口がこれから減るのだから、日本は経済成長のため積極的に移民を受入れる必要がある」と主張するのもこのような定式が頭の中にあるのであろう。
さらにここにt(技術進歩あるいは生産性の向上)の要素を加味すると次の通りになる。 g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)
ただしこのt(技術進歩あるいは生産性の向上)は、資本(生産設備など)と労働の双方の効率化の成果を外に出して一つにまとめたものである。具体的には、生産工程の改良や新しい技術を体現した設備の導入であり、労働者の教育・訓練による生産性の向上である。 またt(技術進歩あるいは生産性の向上)を外に出さない表現も考えられる。この場合「技術進歩あるいは生産性の向上」は、v(資本係数)を小さくするとか、n(労働人口増加率)を大きくするものとして理解される。
上げ潮派(構造改革派)は「構造改革なくして経済成長なし」と主張する。しかしこの「構造改革」という言葉がはっきりしない(もっとも構造改革派の人々もこれを本当に理解しているか疑わしいが)。そこで筆者の示した経済成長の定式(モデル)でこれを考えてみる。
構造改革とは端的に言えばt(技術進歩あるいは生産性の向上)を大きくすることである。その方法はのv(資本係数)を小さくし、n(労働人口増加率)を大きくすることである。たしかにこれによってg(経済成長率)は大きくなる。
これをさらに具体的に説明する。v(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)である。v(資本係数)を小さくするには、K(資本)が一定ならそれから産まれるY(生産・所得)を大きくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。またY(生産・所得)が一定ならば、一単位のY(生産・所得)を産出するためのK(資本)を小さくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。さらに教育・訓練による労働の生産性を向上させることがn(労働人口増加率)を大きくする。
これらを一つの企業で考えた場合、当り前の話である。しかしこれを一国の経済で考えた場合は多少複雑になる。一国の資本(K)と言った場合、民間の生産設備や販売設備などだけではなく、道路や港湾と言った公共資本や社会資本も含まれる。また一国のY(生産・所得)はGDPということになる。したがってY(生産・所得=GDP)の増加に結び付かないような公共投資を構造改革派は「無駄な公共投資」と批判する。
また上げ潮派(構造改革派)は「官」が「民」より非効率と考え、政府部門の縮小を訴える。「「民」にできることは「民」」ということになる。そして社会全体の「技術進歩あるいは生産性の向上」のために行う施策が、規制緩和などの競争促進政策である。このように構造改革に必要な具体的な施策は、規制緩和や公企業の廃止や民営化ということになる。
- スッポリ抜けているもの
ところが上げ潮派(構造改革派)が念頭に置いていると思われる経済成長の定式(モデル)には、大事なものがスッポリ抜けている。抜けているのは「需要」である。彼等が訴える施策は全て「供給サイド」に関するものに限られる。しかしどれだけ企業や国を効率化しより多くの生産物を生産しても、需要がなければ生産物は余る。生産物が売残れば、その次には資本や労働が余剰となり、資本や労働の遊休が生じる。
しかし上げ潮派(構造改革派)の考えには、作った物は全て売れ消費されるというびっくりするような前提条件が、暗黙のうちに設定されている。ところが上げ潮派(構造改革派)の人々は、このことに気付いていないか、もしくは気付いていても誤魔化す。多くの場合、単に需要不足が原因で遊休設備や失業状態になっていることを、上げ潮派(構造改革派)は認めない。
彼等は遊休設備や失業という現実を突き付けられても、遊休状態の設備は既に陳腐化して使い物にならないと決めつける。また失業者は、生産性の向上に追いつけない人々であり、新たな教育・訓練が必要であると主張する。したがって一時的に余った資本や労働といった生産資源は、もっと生産性の高い成長分野にシフトさせるような構造改革が必要があると説く。このように上げ潮派(構造改革派)は供給サイドのことしか言わない。
しかし筆者は遊休設備の全てが陳腐化しているとは考えない。また職に就いている人と失業している人の間に、技術や知識に大きな差は認められない。そういう事ではなく、多くの場合需要の不足によって遊休設備や失業が発生していると考えるべきである。特に日本は慢性的に需要不足(内需不足)に陥る体質にあり(このことを本誌は何回も取上げてきた)、むしろ構造改革を目指す政策がさらなる需要不足を促進している。
上げ潮派(構造改革派)の考えの背景には、「作ったものは全て売れる」という古典派経済学の「セイの法則」がある。しかし現実の経済を知っている者は「そんなばかなことはない」とすぐ分る。ところが頭がおかしい構造改革派は、この単純な経済理論の信奉者なのである。
「セイの法則」が成立つのは極めて特殊な時だけと指摘したのはケインズである。たしかに「作ったものは全て売れる」のは、例えば戦争で大半の生産設備が破壊され極端な物不足に陥った国や、新興国における経済の高度成長期くらいのものである。古典派の特殊理論に対して、彼は一般的な一国の経済状態での理論展開を行った。ケインズは著書「一般理論」で、ごく普通に需要不足が起き、遊休設備や失業が発生するメカニズムを解明した。またケインズの弟子のハロッドは、経済成長理論を展開したが、供給と需要の増大の過程での両者の関係の不安定さを指摘した。
ケインズは需要不足による不況が起ることを理論的に解明した。彼はその場合には金利を下げるだけでなく、政府が財政支出を増やすことによって需要を創出することが有効とした。今日このような政策は世界中の国で採られている。これもあってか第二次世界大戦後、先進資本主義国家は深刻な不況に陥っていない。
また上げ潮派(構造改革派)が盲目的に信奉する「供給サイド重視」の考えは、貿易収支が慢性的に赤字の米国で生まれた。たしかに米国のように供給サイドに問題のある国で、このような考えが一定の支持を得るのは解る。しかし慢性的に貯蓄が過剰で内需が不足し、過剰生産のはけ口を外需に頼っている日本に「供給サイド重視」の考えを適用しようとするからおかしくなるのである。
だいたい供給サイドに問題のある米国でさえ、今日サブプライム問題で不況になったため、減税などによる需要創出政策、つまりケインズ政策を行っているのである。需要創出政策を「オールドケインズ政策」と否定的な決めつけをするエコノミストや、自民党の総裁候補の中で今だに「私は構造改革派」と言っている人々は、頭の中の構造の改革が必要だ。
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