- 株価の変動要因
市場関係者やエコノミストの間に「小泉首相の再登板待望論」があることを先週号で紹介した。どうも小泉政権の最期辺りに株価上昇が起り、これが小泉構造改革の成果と思い込んでいる人々が結構いるようだ。もっとも一方に「小泉政権は言葉だけで何も構造改革を行っていない」と指摘する構造改革の狂信者もいて、構造改革派の中でも混乱が見られる。
しかし小泉政治の結果はかんばしくない。これは日本経済の現状を見れば一目瞭然であり、筆者が多くを語る必要はないであろう。小泉政権の施策によって一層内需が縮小し、輸出企業とその周りだけが恩恵を受ける日本経済の形がより鮮明になった。先の参議院議院選挙で自民党は大敗したが、もし小泉政治が国民にとって好ましいものだったなら、このような結果には絶対にならなかったはずだ。
株価は経済の状態を表すと一般に思われている。経済が好調でこれを反映し企業業績が良くなり、株価が上昇するというというのが一般のイメージである。しかし必ずしもこれは正しくない。株価はもっと複雑な要素で決まる。
そもそも日本においては、必ずしも高い株価が国民の幸福と結び付いてはいない。上場している大手企業の株価が上昇するには、一株当たりの利益が増える必要がある。マクロ経済が好調で企業利益が増え、株価が上昇しているのなら問題はない。しかし利益の増大が人件費の抑制や下請企業への発注単価の引下げで達成されたものなら、株高は多くの日本国民の不幸の裏返しである。
日々の株価は、企業業績の鏡といってもずっと先の業績を折り込んだり、さらに金融情勢を反映するものである。今日の業績が悪くても、半年先の業績が良いと予想されるなら株価は上昇することがある。また金融緩和で街に資金がだぶつき、この資金が株式市場に流入し株高を演出する場合がある(小泉政権末期の株価上昇や都心で起ったミニバブル、さらに円キヤリー取引の増大は日銀の超金融緩和の継続が原因と筆者は見ている)。不況下の株高という現象はしばしば見られるものである。
さらに株式市場の株価の動きは行き過ぎることがあり、時間を掛けこれが調整される。もちろん株価操作的な動きもある。株価の変動にはこの他にも色々な要因がある。 例えば株式には信用取引というものがあり、これが市場の混乱要因にもなる。本来、信用取引自体は市場取引をスムーズにするものと設計されたが、清算されない残高が増えるとこれ自体が波乱要因になる。
話はちょっとそれるが、ここで最近の米国の株価の変な動きを取上げる。サブプライムローン問題を発端に世界同時株安が起っているが、当の米国の株価はそれほど下落していない。これについて本誌は、大手多国籍企業の業績があまり悪くなっていないことと、米ドル安による米国企業の業績回復期待というものがあることを指摘してきた。しかしこれ以外にも理由がありそうである。
それにしても先週の米国の株価の動きは、世間の予想を裏切るような堅調な動きを見せた。本誌は月始の経済指標の公表によって株式市場の混乱を予測したが、今のところほとんど影響がないようだ。例えば4日の雇用統計は相当悪く、大幅な株価下落が起っても不思議はなかった。しかし4日の株式市場は取引開始こそ下落して始まったが、取引終了時にはダウ平均はかなり戻した(わずか17ドルのマイナス)。
この米国株価の奇々怪々な動きには裏に何かがあると考えざるをえない。その一つが信用取引残高と思われる。米国株式市場の信用残高は、売り残が買い残の二倍もあるという話である。これは米国の投資家の多くが企業業績が相当悪くなると予想して、これまで売りを膨らませた結果である。実際、当の米国の投資家が見ているように米国経済の現状はかなり悪いと見られる。
ところがこれまでの株価急落の場面で、米国政府とFRBが迅速な対応をして来た。これによって米国の株価はそれほど下がらなかったのである。この結果、株価が下がらないため、カラ売りされた株式が清算されないまま大量に残っているのである。したがって悪い経済指標が公表されたり悪いニュースが流れ、株価が一時的に下落しても、売り方の買い戻しが入るためなかなか株価は下がらなくなったとも見られる。さらにひょっとすると、売り方の買い戻しを狙った意識的な株価のつり上げが行われている可能性もある。改めて言うが株式市場の動きはこのように複雑である。
- 「小泉的なもの」の登場
小泉政権を取上げると言っても、小泉首相だけを対象にするつもりはない。筆者が問題にするのは小泉首相を含め、小泉政権を生み、考えに賛同し小泉政権を支えた人々全部である。一言でいえば「小泉的なもの」である。「小泉的なもの」を具体的に示すとしたなら「盲目的な財政再建論者」と「狂信的な構造改革派」、そして「妄信的な小さな政府論者」である。つまり「小泉的なもの」をこのように定義すれば、「小泉的なもの」は小泉政権成立よりずっと前から存在していたことになる。
「小泉的なもの」が初めて政治力を持ったのは、橋本政権の二期目頃からである(筆者は橋本政権の中枢も「小泉的なもの」と見なしている)。それまでも財政再建論者や構造改革派は沢山いたが、政治に及ぼす影響力は限定的であった。したがって昔なら景気が後退すれば、必ず財政政策を求める声が自然と大きくなったものである。
筆者は、「小泉的なもの」が政治に力を持つようになった背景に、小選挙区制の導入があると見ている。小選挙区制の元ではより多くの票を獲得する必要があり、政治家はこれまでの組織的な選挙戦術に限界を感じた。そこで大衆に影響力のあるマスコミの助けを得ようとして、政治家がマスコミの論調に迎合するようになった。つまりマスコミの力が強まったのである。ちなみに中選挙区制から小選挙区制に変わっての初めての衆議院選挙は96年10月に行われた。
マスコミの政治への影響力が大きくなるにつれ、マスコミが唱える「財政再建」や「構造改革」になびく政治家が多くなった。特に日経新聞は97年に「2,020年からの警鐘」という気持の悪い特集を長い間続けた。これは「小さな政府」実現ための構造改革を唱えるものであった。橋本自民党は、このマスコミ受けする「行財政改革」をスローガンに掲げ、96年10月の総選挙で勝った。
これで勢いに乗った橋本政権は、行財政改革に突っ走った。97年度は緊縮財政の実施と消費税の増税を行い、とうとう緊縮財政を法制化する「財政構造改革法」まで成立させた(法律は制定されたが実施は凍結された)。
しかし景気は96年に少し持直していたが、橋本構造改革が具体的に実施される97年には既に悪くなっていた。さらに橋本政権の逆噴射的政策がこれに加わり、日本経済は急速に落込んだ。これによって金融機関の不良債権問題が再びクローズアップされることになった。この経済の悪化が原因で98年の参議院選挙では自民党が大敗し橋本首相は辞任した。
当時はバブル崩壊後の経済低迷から少し回復してきた頃であった。しかしまだ地価の下落が続いており、金融機関の不良債権問題も片付いていなかった。ところが「小泉的なもの」による橋本構造改革が強引に実施されたのである。
当時、筆者が主張していたのは積極財政の継続であった。また地価の下落が止まらない限り、経済は持直さないと考えていた。資産価格の下落が続く限り、積極的に投資をしようという者はいない(この辺りについては来週号で経済理論的に説明する)。もちろんバブル崩壊直後の地価の下落は止めようがない。しかし96年、97年には都会の地価も相当下落しており、適正価格に近付いていた頃であった。
筆者は、さらなる積極財政によって実態経済を一気に引上げ、地価の下落に歯止めをかけることを主張していた。これによって金融機関の不良債権を処理するのではなく、あわよくば不良債権そのものを「蒸発」させることを狙った主張である。このように橋本構造改革が実施された97年頃は極めて重要な時期であった。
次の小渕政権の初期には積極財政が実施され景気は少し持直した。しかし経済が少し良くなるとまた構造改革派が復活してきた。この結果小渕政権の政策も後半には中途半端になった。宮沢財務大臣は「小泉的なもの」に周りを取り囲まれ「積極財政の修正」を迫られた。彼等は「景気は良くなったのだから次は財政再建だ」と主張していた。
小渕首相の突然の死亡で森政権が成立したが、積極財政は一段と後退した。このような事が続き実態経済を一気に引上げることができなくなった。この結果、地価の下落はさらに続くことになった。このように日本経済の長期低迷の原因にはこの「小泉的なもの」の存在が大きい。彼等は経済の長期低迷の原因を「日本の少子高齢化」とよく言い訳するが、先進国はどこも「少子高齢化」である。
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