平成9年2月10日より
経済コラムマガジン


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98/2/2(第51号)


官僚と経済を考える
  • 官僚の経済運営
    三塚大蔵大臣が辞任し、さらに大蔵省の高官も辞任することになった。これは直接的には、銀行の監査部門の銀行との癒着問題であった。しかし底流には、昨年の大型金融機関の破綻の責任、そして昨今の経済の低迷の原因とされている「緊縮財政」に代表される経済運営の失敗の責任があったと考えられる。大蔵大臣の辞任の報道を受け、株価が一時的と言え上昇したのもその象徴である。もっともそれなら一番の責任者はこれを率先して進めた首相と言うことになる。今後は総理に対する風当りが一段と厳しくなるはずである。単に政策転換を行なうと言うだけではすまないと思われる。
    銀行と当局との癒着問題は最近始まったと言うものではない。しかし、具体的なこれらの実態にコメントを行なうことは本誌の得意とするところでなく、またそれについての詳しい情報もない。むしろ週刊誌などの方がこれらについて詳しくおもしろく書いているだけに、そちらを読んでいただきたい。ただ筆者の認識ではこのような実態はかなり以前からあったことであり、どうして今日になるまで問題として問題にされなかったのか不思議であると言うことである。そして今週号では、政治や官僚が行なっている経済運営がどうしていつも間違ってしまうのか考えたい。
    「景気対策には減税を」としか言わないように、最近の財界人の首脳の発言はピントがづれている。しかし、ピントがづれているいるのはなにも今に始まったわけではない。30年ほど前、ある財界の首脳が「大蔵省の官僚は実に優秀である。日本は、大蔵省の官僚が20人もいて、彼等にまかせれば安泰である」と発言していた。自分の会社の社員より大蔵省の官僚の方が優秀であると言いたかったのかどうかしらないが、このような誤解が今日までも続いているのである。しかし、日本の国民も漠然とこのようなことを考えていたのではないであろうか。つまり「政治家は信用できないが官僚はしっかりしているから日本は大丈夫」と言う考えが一般にもあったと思われる。特に大蔵省の官僚に対する期待みたいなものがあったはずである。ところがこのような考えが完全に間違っていることを証明したのが最近までの経済運営である。特に目立つようになったのは80年代以降である。
    筆者が、一般の人々が大蔵省や大蔵省の官僚いだいているイメージで間違っていることが2点あると思われる。一つは「大蔵省の官僚は経済のスペシャリスト」ともう一つは「経済に関する権力は大蔵省に集中している」と言う迷信である。もしそれが本当ならバブル崩壊もあんなにひどくならなかっただろうし、今日の経済の混乱もなかったはずである。

  • 大蔵官僚は経済のスペシャリストではない
    日本の官僚機構には「マクロ経済」を管轄している部署はない。マクロ経済指標を集計しているところはあるが、経済の運営に責任を持つところがないのである。景気が悪くなって失業者が出ても、責任者はいないのである。失業者が出るからと言って、まさかそれは労働省の責任でもない。しいて言えばそれは政治の責任である。景気が悪化すれば選挙にも影響するからである。景気の動向には官僚はほとんど関心はない。もしあるとしたら、景気悪化により企業倒産が続き銀行などがピンチになったり、輸出が伸びすぎて諸外国から非難されるケースなどで、それを所管する官庁である。
    官僚の主流は法学部出身者であり、法律家である。本来、官僚の仕事は法律を執行することであり、法律の改正の素案を作ることである。経済官庁と言われるところも基本的には経済に係わる法律に基づき業界を管轄しているだけである。また役所で力を持つのは、スペシャリストではなく、ゼネラリストである。これらの人々はその官庁の伝統的な価値観をもとに、全てを判断する。こう言う官僚ほど出世し、力を持つのである。30年くらい前まではそれでもマクロ経済の運営はできた。それは日本の経済が小さかったことと仕組が単純だったからである。為替も1ドルが360円の固定相場であった。景気が悪くなれば金融を緩め、財政支出を増大すれば、景気も回復したものである。逆に景気が加熱すれば、金融を絞り、財政支出を抑制すればそのうち景気も落ち着いたのである。そして国際収支がその指標となつていた。今日では考えられないが当時日本は慢性的に国際収支は赤字であった。景気が加熱し、国際収支の赤字額が大きくなったら景気を抑えていたのである。つまり日本のマクロ経済の運営は極めて単純であった。不景気で失業者が発生しても、新しい産業が次々に生まれ、すぐにそこに吸収された。むしろ慢性的な人手不足の方が問題であったくらいである。
    しかし、日本の経済が大きくなり、世界経済に占める比重が大きくなるにつれ、事情は変わった。そして為替も変動するようになり、この動きも内外の経済に影響を与えるのである。30年前までは国内の均衡だけを考えていれば良かったのであるが、それ以降は世界経済への影響も考慮する必要が出てきたのである。つまり日本経済の運営はものすごく難しくなった。これはまるで「解のない連立方程式」を解くようなものである。さらに本誌で指摘したような日本経済の慢性的な需要不足も生まれているのである。かりに固定相場制ままで、輸出が無制限に可能だったら、これまでの内需の拡大策も不要で、日本の財政赤字もこんなに大きくなっていないはずである。日本では経常収支の黒字幅が大きくなり、為替が円高になるたび財政出動を行ない、財政の赤字を膨らませて来た。これも国際協調を意識する政治の判断によるものであり、大蔵省の官僚はむしろこれに反対しているはずである。しかし大蔵省の官僚の言う通りの政策を行なって来たら、日本は失業者であふれているか、諸外国から総スカンを食っていたはずである。
    ここは大切なところであるが、大蔵省にはマクロ経済を管轄する義務もないのだから、大蔵省の官僚にマクロ経済の運営を期待する方がおかしいことである。橋本総理は官僚を相手に政策決定を行なってきた。マクロ経済に関心がなく、経済のスペシャリストでもない彼等に頼って経済運営を行なえば、経済がおかしくなるのが当り前である。今日の日本経済をめぐる環境はそれほど難しくなっているのである。

  • 官僚の経済運営
    大蔵省は「官庁の中の官庁」と言われているように巨大な権限を持つと言われている。しかし、筆者には、こと経済についてそのような力があるとは思えないのである。もし力があるようなら、バブル末期の不様な事態にならなかったと思われる。繰り返すようだが、大蔵省はマクロ経済を管轄していないのである。こと金融についてもさえも全てを管轄しているわけではない。影響力が及ぶのは一般銀行、証券、保険のだけである。郵便局は郵政省、農林系金融機関は農林省、労働銀行は労働省、信用組合は都道府県が管轄している。ノンバンクにいたっては一応通産省の管轄と言うことになっているが、どこまでコントロールされているか不明である。
    バブル絶頂に達し、政府日銀は金融引き締めに政策を転換したが、当初全くききめがなかった。貨幣の流通量も対前年で10パーセント以上の増加をかなり長い間続けていた。土地融資の規制が行なわれても、銀行からの直接融資がなくなっただけで、銀行からはノンバンクを経由して融資は続けられていた。これは後ほど問題になったが、ずさんな融資に気がつき、銀行は「住専」への融資を抑制して行ったが、その穴埋めをし、融資を増やしたのが農林系金融機関である。農林系金融機関は当時、土地の売却代金からの預金が増え、運用先がなかったのである。そこで銀行が手を引きつつあった「住専」に過剰融資を行なった。これが後ほどこじれた問題になったのである。本当に大蔵省に力があり、一貫した政策を行なったら、銀行の「住専」への過剰融資を止めるだけではなく、農林系金融機関の融資にもストップをかけていたはずである。大蔵省のこの動きは自分の管轄している銀行だけに責任を持つと言う行動であった。どうしようもなくなって、農林系金融機関の融資は保証するといった「念書」が書かれたのもこのような事情のもとであった。どちらもどちらと言った状況であった。しかし、このようなチグハグな政策がバブルの傷跡を大きくしたことは否めない。
    この反省から将来「金融庁」となる「金融庁監督庁」を創設し、金融全般の管理を行なうことになったが、筆者に言わせてもらえば、これは「あとの祭」である。さらにこの「金融庁監督庁」と農林系金融機関の関係さえもすっきりしていないのである。
    大蔵省の権限が大きすぎると問題になっている。しかし、こと経済についてはこれだけ大きくかつ難しくなっているのであるから、どこかが一括して係わる体制が必要と考える。それを現状の大蔵省が行なうのが適当かどうか議論の余地があるが、それがなくては一貫したマクロ経済政策は無理である。本来これは政治家が行なう仕事かもしれないが、スタッフが必要なのである。筆者がこのように考えるのも、最近の米国政府の経済の見方が極めて的確なことである。特に日本経済に対する見方が正確であり、要求も的確である。これはマクロ経済の分析が正しく行なわれている結果と考えている。そして日本政府も少なくとも自国の経済を分析する力が必要と筆者は考えるのである。とにかく日本の現状はひどい。身近の例では、都市銀行や大手証券会社が次々に倒産しているのに、「景気は穏やかに回復している」と言った寝ぼけていることを言ったり、「財政構造改革法」を決めておきながら、その政府が数週間後には「2兆円の減税」を決めたりで、本当にメチャクチャである。日本政府は経済政策として、一体何をしたいのかさっぱりわからないのである。




98/1/26(第50号)「「小さな政府」を考えるーーその3」
98/1/19(第49号)「「小さな政府」を考えるーーその2」
98/1/12(第48号)「「小さな政府」を考えるーーその1」
97/12/22(第47号)「需要不足の日本経済を考える」
97/12/15(第46号)「景気の現状と対策を考えるーーその8」
97/12/8(第45号)「景気の現状と対策を考えるーーその7」
97/12/1(第44号)「京都会議と経済を考える」
97/11/24(第43号)「景気の現状と対策を考えるーーその6」
97/11/17(第42号)「景気の現状と対策を考えるーーその5」
97/11/10(第41号)「景気の現状と対策を考えるーーその4」
97/11/3(第40号)「景気の現状と対策を考えるーーその3」
97/10/27(第39号)「景気の現状と対策を考えるーーその2」
97/10/20(第38号)「景気の現状と対策を考えるーーその1」
97/10/13(第37号)「市場の心理を考える」
97/10/6(第36号)「公共事業とマスコミを考える」
97/9/29(第35号)「リクルート事件と経済を考える」
97/9/22(第34号)「ロッキード事件と経済を考える」
97/9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」
97/9/8(第32号)「住宅と貯蓄を考える(その1)」
97/9/1(第31号)「労働組合と経済を考える」
97/8/25(第30号)「競争時代の賃金を考える」
97/8/18(第29号)「米国経済の生産性の向上を考える」
97/8/11(第28号)「米国の景気を考える(その2)」
97/8/4(第27号)「米国の景気を考える(その1)」
97/7/28(第26号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その2)」
97/7/21(第25号)「内需拡大と整備新幹線を考える(その1)」
97/7/14(第24号)「香港返還と中国経済を考える(その2)」
97/7/7(第23号)「香港返還と中国経済を考える(その1)」
97/6/30(第22号)「日本の米国債保有を考える」
97/6/23(第21号)「投機と市場を考える」
97/6/16(第20号)「規制緩和と日米関係を考える」
97/6/9(第19号)「ビックバンと為替を考える」
97/6/2(第18号)「内需拡大と公共工事を考える(その2)」
97/5/26(第17号)「内需拡大と公共工事を考える(その1)」
97/5/19(第16号)「金利と為替を考える」
97/5/12(第15号)「規制緩和と景気を考える」
97/5/5(第14号)「為替の変動を考える」
97/4/28(第13号)「日本の物価と金利を考える(その2)」
97/4/21(第12号)「日本の物価と金利を考える(その1)」
97/4/14(第11号)「日本の土地価格を考える」
97/4/7(第10号)「当マガジン経済予測のレビュー」
97/3/31(第9号)「日本の株式を考える」
97/3/24(第8号)「たまごっちと携帯電話を考える」
97/3/17(第7号)「政府の景気対策を考える」
97/3/10(第6号)「オリンピックと景気を考える」
97/3/3(第5号)「為替レートの動向を考える(その2)」
97/2/24(第4号)「為替レートの動向を考える(その1)」
97/2/17(第3号)「日本の金利水準と為替レートを考える」
97/2/10(第2号)「国と地方の長期債務残高を考える」
97/2/1(第1号)「株価下落の原因を考える」「今後の景気動向を考える」

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