- 江戸時代の抹殺
日本の歴史教科書(公的な歴史観を反映していると言っても良い)で、荻原重秀は、改鋳という悪行を行ったと言われるか、もしくは良くて抹殺されている。しかし金の含有率を低めても、小判が流通することを初めて証明したのが荻原重秀である。その後、反対に金の含有率を高めた小判が造られたことが一時的にあったが、幕末にかけどんどん金の含有率が低い小判が製造されるようになった。最後の万延小判の金の含有量は最初の慶長小判の実に八分の一である。両方とも同じ一両小判である。
ものは考えようで、改鋳による造幣益によって江戸幕府の財政はある程度支えられていたと言える。もし改鋳を行わず、緊縮財政と増税で財政赤字の補填をしていたなら、江戸時代の日本経済はもっと沈滞し、また農民の不満はもっと大きなものになっていたと考えられる。筆者は、270年も太平の世が続いた要因の一つとして度重なる改鋳を挙げたい。そしてその先べんをつけたのが荻原重秀である。
荻原重秀は、存在量の限られた貴金属が貨幣に使われていた時代において、改鋳(金の含有率の低い小判を流通させた)という手段によって幕府に莫大な収益をもたらした。ところが多くの歴史家は重秀の改鋳がうまく行かなかったと評価を下している。しかし筆者には、歴史家達がそのような評価を下したがっているとしか見えないのである。これはおかしな話である。その後、江戸時代において何度も金の含有率を低める改鋳が行われたことを考えると、重秀の改鋳はやはり成功していたと見るべきである。
改鋳は、幕府に莫大な収益をもたらしただけでなく、江戸時代の日本経済にマネーサプライを供給している。マネーサプライが増えることによって、江戸時代の日本経済は穏やかであるが成長することができたと考える。これは重要な点である。
筆者は、江戸時代の日本経済は既にかなり高い水準に達していたと見る。歴史家の説では明治になって始めて日本は急速な経済成長を実現し、極めて短期間のうちに欧米列強に追い付いたことになっている。しかしこれも極めて変な話である。やはり江戸時代の経済的基盤があったからこそ、明治時代の経済発展が可能だったと考えるべきである。そして江戸時代の経済成長を支えたのが、荻原重秀が始めた改鋳によるマネーサプライの増加政策とも言えるのである。
また江戸時代になぜ改鋳が可能だったかを考えてみる必要がある。筆者はその要因の一つとして鎖国政策を挙げたい。当時、外国との貿易の決済には金や銀が使われていた。貿易が活発になれば、当然、金や銀の流出入が大きくなる。もし外国との貿易が大きい状態で改鋳(金の含有率を下げる改鋳)を行えば、たちどころに輸入品の高騰を招き、次には国内の物価が上昇することになる(もっとも日本の生産品の価格は相対的に安くなるので輸出が伸びると考えられる)。改鋳が輸入物価を通じ日本経済に多大な影響を及ぼすのである。
つまり鎖国によって外国との貿易が最小限に抑えられていたため、初めて政策としての改鋳が自由になったと言える。ところがこの鎖国についても歴史家の評判は一般的に悪い。しかし鎖国によって、外国の混乱の影響を受けなくて済んだことに加え、国内の経済だけを睨んだ均衡政策(デフレ経済下においての改鋳によるマネーサプライの増加政策)を採ることができたと考えるべきである。
- 明治時代の抹殺
歴史教科書の上では、荻原重秀がほぼ抹殺されているのに対して、由利公正(こうせい、きみまさ)は業績の半分が抹殺されている。教科書上で由利公正は「五箇条の御誓文」の起草者として重要人物である。これはこれで正しい話であり、重要である。また公正は、この他、国会開設に奔走したり、東京府知事として大火災に遭った東京の復興にも尽力をつくした。
しかし由利公正が太政官札という政府紙幣を発行したというもう一つの偉業が、歴史教科書上では全く無視されているのである。当初、明治維新政府の財政の94%がこの太政官札の造幣益で賄われた。また太政官札の発行がうまく行ったので、その後も政府紙幣が発行され続けた(新紙幣など)。税制度の整備が進むにつれ財政収入に占める政府紙幣造幣益の割合は低下したが、初期の明治政府の財政が公正が先べんを付けた政府紙幣発行に大きく依存していたことは確実である。
もし明治新政府が政府紙幣を発行せず、税の徴収を無理に行っておれば国民の反感をかっていただろうし、外国からの借り入れに頼っておれば他国の干渉を受けていたと考えられる。つまり由利公正の太政官札の発行がなければ、明治新政府は短命政権で終わっていた可能性がある。かりに短命で終わっていなくとも、明治初期の殖産新興政策は困難であり、日本経済の発展は大幅に遅れていたと思われる。
このように由利公正の太政官札の発行は画期的な政策であった。明治維新のヒーロとしては、いつも西郷隆盛、大久保利通、そして伊藤博文らが挙げられる。しかし筆者は、明治維新の一番の立て役者はこの由利公正ではないかと思っている。ところがその由利公正の太政官札発行という偉業が歴史教科書ではみごとに抹殺されているのである。
筆者が由利公正の太政官札発行を高く評価するのは、公正がこの政策をうまく行くと確信を持って実行しているからである。決してたまたまうまく行った政策ではない。元々公正は、財政のプロとして維新政府の中心メンバーから認められ、新政府に招かれたのである。
由利公正は福井藩の藩士として財政の再建に手腕を振るった。公正は兌換の藩札を発行し、この資金を福井藩の殖産新興に使った。これによって福井藩では、繊維産業などが発展した。福井藩は、この生産物を長崎を通じ外国に輸出し、多大な収益を得た。この収益によって藩札を償還し、さらに藩の財政を再建したのである。
太政官札の発行は、福井藩で行ったことの延長線上の政策であった。ただ福井藩の時の藩札は兌換紙幣であったのに対し、太政官札は不換紙幣であった。おそらく公正は福井藩での経験から、維新政府なら不換紙幣でも行けるという感触を持ったと考える。これは筆者の推測ではあるが。
荻原重秀にしても、由利公正にしても通貨というものの本質を理解した上で政策を実行している。筆者は両者の行った政策は正しかったと評価する。ところが歴史教科書を執筆する歴史家は、こぞって両者の業績を抹殺したがっている。しかし歴史家が単に経済に無知とか怠慢とは思われないのである(可能性がゼロではないが)。やはり教科書に今日の政府の方針が反映されていると考えるのが普通と思われる。
|