- 改革という名のデフレ政策
先々週号07/5/28(第483号)「荻原重秀と新井白石」で、日本の歴史が歪んだ形で教えられている可能性を指摘した。荻原重秀は、金の含有率の高い元禄小判を潰し、含有率の低い小判(元禄小判)を造った。この改鋳により徳川幕府は莫大な収益を得た。そして今日の教育現場では、これによってインフレが起ったが、新井白石が登場し、小判の金の含有率を元に戻す(正徳の治)ことによってインフレは収まったと教えられている。
要するに荻原重秀は改鋳という悪行を行ったことになっている。また金の含有率の高い元禄小判は良貨、含有率の低い元禄小判は悪貨という図式になる。当初流通しなかった元禄小判だが、20%のプレミアムを付けることによってうまく流通するようになった。そのうち出回るのは元禄小判(悪貨)ばかりになり、元禄小判(良貨)は蓄蔵されることになる。まさに「悪貨は良貨を駆逐する」という「グレシャムの法則」状態になった。
教科書の記述がこのようになる根底に、日本にはインフレが「悪」という観念があると筆者は考える。また好景気も行き過ぎると「元禄バブル」といったように、これも否定的な表現がなされる。まさに秩序を重んじる朱子学者新井白石と同じ視点からの物の見方である。
江戸時代は元禄時代以降も改鋳が幾度となく繰返された。改鋳は金貨(小判)だけでなく銀貨でも行われた(二朱銀から丁銀、丁銀からまた二朱銀など)。改鋳は主に幕府の財政の都合で行われたが、改鋳が行われる度に通貨の流通量が増減し、これが経済の状態に影響を与えた。
ところが日本の歴史教科書はデフレ経済の弊害をほとんど記述していない。むしろ「正徳の治」によるデフレ経済への逆戻りが、インフレ経済からの正常化という表現になっている。歴史教科書では江戸時代のデフレ政策を改革(亨保、寛政、天保の三大改革)と呼んでいる。たしかに改革と名が付くと今日の人々はプラスのイメージを持つ。
しかしこれらの改革は途中でことごとく頓挫している。例えば八代将軍徳川吉宗の亨保の改革では、当初、金の含有率の高い亨保小判が造られたが、後に金の含有率を低めた小判に改鋳された。デフレ政策が行き詰まり、インフレ政策に転換したのである。
筆者は、教科書が教える歴史に大きな偏向があると思う。しかし歴史教科書の歴史観が変更される気配は今のところはない。残念ながらその記述に問題があると指摘することができても、間違っていることを証明することは難しいようである。したがって世間では荻原重秀や田沼意次はいつまでも悪党という認識のままである。
- 歴史の教訓
筆者はずっと日本の歴史教科書の記述がおかしいと言って来た。しかし全く根拠がないままそう言って来ているのではない。その一つの例を示したい。数年前、ある掲示板に吉田さんという方から投稿があった。この吉田さんは02/10/7(第269号)「銀座のデモ隊」でご紹介した「銀座のデモ隊」の広報の責任者である。筆者はこの投稿に興味を持ったので、ご本人に連絡し、これを経済コラムマガジンに使わせてもらうことを承諾してもらった。ただ承諾を受けてから日が経っておりそのまま使うわけには行かず、先週号と先々週号で一部を使わせてもらった。
吉田さんの家は日本橋で代々扇子を扱う「伊場仙(いばせん)」という老舗である。創業が1590年であるから、創業400年を越える老舗中の老舗である。創業者が徳川家康と共に江戸に上がった浜松の商人(浜松の伊場村出身・・現在の伊場町)というのだからとにかく古いお店である。
吉田さんの5代前の当主であった伊場屋勘左衛門という人は、天保の改革の時、江戸の町民を救うため、お取潰し覚悟で水野忠邦を批判する浮世絵を出版したという話である。絵師は当時人気の歌川国芳、浮世絵の名は「源頼光土蜘蛛妖怪の図」である。この浮世絵は江戸町民の意識を高め、水野忠邦の悪政への批判は一挙に高まり、ついに浮世絵の出版から6ヶ月、水野忠邦は失脚したのである。
吉田さんは荻原重秀の改鋳を高く評価しておられる。デフレの江戸の経済を浮揚させ、経済活動を活発化させたからである。ただ吉田さんも、江戸の町民が荻原重秀の業績を身を持って知ったのは、重秀が失脚した後と言っておられる。新井白石のデフレ政策によって酷い目にあってから町民は目覚めたのである。
また吉田さんは「江戸っ子は宵越しの金を持たねい」のセリフを徳川政権の町民に対する一種の洗脳と指摘されている。100万の江戸町民が貯蓄など始められたら一挙に需要不足に陥り、江戸の経済は立ち行かなくなるからである。さらに参勤交代は外様大名の蓄財を防ぐ目的もあったが、街道沿いと江戸の経済を潤す一種の公共投資と見なしておられる。これは我々も聞いた話である。
このような現実の歴史が、江戸の町民の間で代々受継がれ今日に到っていると思われる。白石の改革以降、吉田さんの先代だけでなく、江戸の町民は「改革」という名のデフレ政策に敏感になったと考える。日本橋の人々が小泉・竹中構造改革に警戒的になってデモをの行ったのも、このような歴史の教訓というものが生きていたからである。
このように歴史教科書が教える歴史と、日本橋の老舗に伝わる歴史の間には大きな開きがある。どちらの歴史が真相に近いのか判断が必要である。筆者は江戸時代からの老舗に伝わる歴史が100パーセント正しいとは思わない。しかしかなり真実を含んでいると考える。
商売人の立場からは、常に景気が良い方が好ましいことははっきりしている。しかし農業に基盤を置く江戸幕府や武家社会にとっては、行き過ぎた商品経済の発展は、自分達の立場を危うくするものである。したがって幕府内には江戸町人達の華美な生活を牽制する雰囲気がいつもあったと見られる。しかし公平な立場から見れば、今日の歴史教科書は大幅に書き換えられる必要があると考えられる。
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