- 金本位制の終焉
日本で金や銀などの貴金属を、市場に流通する貨幣(通貨)に初めて使ったのは武田信玄と言われている。甲州では金が産出し、信玄はこの金を小判型に加工し、これに貨幣価値を刻印して流通させた。これが甲州金と呼ばれるもので、信玄はこれを使って鉄砲などの武器を購入した。徳川家康は、この甲州金を真似て慶長小判を造った。金の含有率や両という貨幣の単位も甲州金を踏襲した。
先週号06/5/28(第483号)「荻原重秀と新井白石」で注目していただきたいのは、徳川幕府は全国の金山を支配下に置いたが、幕府開びゃく100年くらいでこれらの金山の金を掘り尽したことである。金・銀などの貴金属を貨幣(通貨)に使っている経済では、これは通貨の供給量が増えないことを意味する。この結果、元禄の前の時代から日本経済は長期不況に陥っており、デフレ経済が進行していた。
金や銀が通貨発行の基準(金本位制、銀本位制)となっている国では、ベースマネーとなっている金や銀の産出量の増減がストレートに経済の活動に影響を与える。これらの貴金属の産出量が増えると通貨の流通量が増え、景気が良くなる。反対に金や銀の産出量が頭打ちになると、デフレ経済に陥る。通貨供給量が増えなくなるからである。
もちろん日本だけでなく、金本位制、銀本位制の国では金・銀の産出量の増減が経済活動に大きな影響を与えた。英国は1873年から1896年の23年間の長期に渡り経済は不調であった。もっと正確に言えば英国だけでなく、世界中の金本位制の国々の経済が低迷した。これは米国や豪州のゴールドラッシュが終わり、世界の金の産出量が減少したからである(その他にスエズ運河の完成による安い農産物の流入などが要因として考えられる)。金本位制の国々の経済が回復するには、南アフリカの金が本格的に採掘されるまで待たなければならなかったのである。
1873年から1896年の間、英国だけでなく世界的不況という様相であったが、主に不況に陥ったのは金本位制の国であった。06/5/21(第482号)「インフレと歴史教科書」で述べたように、日本は金本位制が建前であったが、実質は銀本位制であった。日本はいわゆるデュアルカレンシーの国であった。これは日本の主な貿易相手国(中国・清)が銀本位制であったからである。幸い金とは違い、銀の産出は順調に増え続けた(メキシコ銀)ため、日本は世界不況の影響を最小限に食い止められたのである。
マクロ経済の成長が金や銀の産出量に制約されるという事態が、ばかばかしいことは今日なら誰でも知っている。しかしこのばかばかしいことが、つい最近まで続いていたのである。それを考えると明治初期の政府紙幣発行や荻原重秀の改鋳は、先進的で開明的な通貨政策であった。
1929年の世界恐慌で金本位制は揺らぎ、第二次世界大戦後、各国は管理通貨制度に移行した。たしかに長い間貿易の決済には貴金属が使われていた。しかし貿易決済に英ポンドや米ドルといった主要国の通貨が使われるようになって、貴金属を貨幣に使う必要性は低下した。ただしばらくは金を外貨準備に用いることが続いた。しかしニクソン米国大統領が1971年8月米ドルと金の交換を停止し(いわゆるニクソンショック・・ただ同年7月の電撃訪中をニクソンショックと呼ぶ場合もある)、金本位制は止めを刺された。
- 歴史教科書の問題
ところが今日でも金本位制や管理通貨制度について正しく理解されていないのか、時々大バカ者の経済専門家の発言が見受けられる。なんと松方政義が金本位制への移行にこだわっていたことを評価しているのである。政府紙幣の回収や日銀の創立もこの準備であった。日銀の創立は明治15年(1882年)であり、南アフリカで金が発見される4年前である。しかし前段で説明したように金本位制の国々が、まさに長い不況のどん底にあった頃の話である。
日本は実質銀本位制であったからこそ、金本位制の国々からの不況の連鎖が断たれ助かっていたのである。もし松方の主張通り強引に金本位制に移行していたら、明治の日本の経済的発展はなかったと思われる。日清・日露の戦争の勝敗の行方もどうなっていたか分からない。
さらに1886年にたまたま南アフリカで金が発見されたため、金本位制の国々の経済も1896年頃から回復できたのである。もし日本が早期に金本位制に移行し、南アフリカで金が発見されることがなかったら、明治の日本経済は壊滅状態になっていた可能性が強い。しかし日本の歴史教科書にはそのような解説は皆無である。
歴史教科書は、むしろ金本位制への移行によって、まともな金融制度が確立したような印象を与えている。反対に政府紙幣の発行が異常な出来事という捉え方である(政府紙幣の流通量をコントロールさえすれば十分機能したはず)。さらにたまたま日本が実質銀本位制だったから助かったとは、教科書に一言もないのである。
歴史教科書の執筆者や文部官僚が経済オンチと言えばそれまでである。しかし日本のインテリの常識が、このどうしようもないこの歴史教科書の記述で形成されているとすれば事は重大である。今日の政府の経済政策が迷走するのも当り前である。
正しく公平な歴史教科書の記述というものは難しい。どうしてもその時の為政者の思惑というものが教科書に反映されるからである。特に政権が変わった場合には、前政権時代のことを良くは書かない。今日ならどうしても大戦前の日本の政治や社会は否定的な記述になる。おそらく明治時代の教科書では、江戸時代は暗黒の時代であり、幕府の役人は無能者という記述がなされていたと思われる。
しかしこと経済の歴史については、イデオロギーと離れて公平な記述というものが必要である。しかし筆者は意図的に全くこれがなされていないと考える。これではデフレ経済が続いていた元禄時代に、突然華やかな元禄文化の花が咲いた背景がぜんぜん分からない。また税制が確立されておらず金もなかったはずの明治新政府が、なぜ治安を維持したり、鉄道を敷くなど次々と近代社会のインフラを整えて行くことができたのか誰も答えられないではないか。
|