- モノ扱いの一般人
柳沢厚生労働大臣の「女性は子供を産む機械」発言を受け、政界は混乱している。過去にも閣僚の不用意な発言が世間や国会で問題になったことは幾度となくある。しかし今回の問題発言は女性有権者の反感を招きかねないものであり、参議院選を控え自民党にとって思いのほか大きなダメージになりうる。さらに柳沢大臣は辞任を強く拒否しており、当初の予想より問題は大きくなって長引きそうである。
マスコミは連日この問題を大きく取上げ、野党は与党へのかっこうの攻撃材料としている。柳沢氏は誤解を招きかねない表現を謝罪したが、簡単には事は収まらない。選挙戦への影響を考えるとこの問題の成行きが注目される。
筆者は柳沢大臣の発言の問題点は二段階あると考える。まず第一段階は女性を機械というモノに例えたことである。しかし昔から為政者や一般人を管理する立場の者、具体的には官僚や多くの政治家が、女性に限らず人々をモノとして見ることは稀ではない。人々はモノとして数値化される。むしろ管理する側の人々は、一般人をモノとして見ることが仕事であり、モノとして見るよう教育訓練を受けている。
例えば戦前の軍隊なら、兵隊はモノであるから数値化され、戦線にモノとして投入された。何十万の兵力なら敵に勝てるとか、何万人ならこの軍事拠点は何ヶ月持ちこたえられると言った具合である。今日では、過疎化の進む地方の町村の合併が強引に行われている。そこに住む人々はモノであり、住民の気持なんてほとんど考慮されない。
現代社会においては、行政機関だけではなく、あらゆる所で人はモノ扱いされている。例えば生産現場でも労働者は投入される生産資源である。何人の労働者を投入すれば、何時間で何個の製品が製造されるかと言った具合である。そこでは働く人々の「思い」や「息づかい」みたいなものは無視される。大体そんなことを気にしていては生産管理はできない。今日、生産現場では派遣社員が増えているが、派遣社員こそがこのような生産プロセスに最も適合した労働力と言える。もっとも長期的に見た場合、このような雰囲気が製造現場にとって良いのかどうか分からないが。
人々は日頃からあらゆる場面で、自分達がモノ扱いされていることに薄々気付いている。中にはモノ扱いされることに慣れていて、ほとんど気にしない人もいる。しかしかなりの人々はこれを不快に感じている。このような人々が今回の柳沢発言に対して「やはりそのように考えていたのか」と強く反発したのである。誤解を招く表現を使ったと謝ったが、「いやそれが本音だろう」とむしろ反感が大きくなったと考える。
今日、官庁や公務員に対する人々の反感はかってないくらい大きくなってる。マスコミで公務員の不祥事が取上げられる度に人々の公務員への反発が大きくなっている。特に民間はバブル崩壊後の長期のデフレ経済下で給与水準が下がったのに対して、公務員の待遇は相対的に良くなったと人々は感じている。
ところで一昨年の郵政改革選挙で自民党は大勝したが、筆者はその要因を05/9/13(第404号)「選挙結果の雑感」から05/10/3(第407号)「政治家達の沈黙」までの4週に渡り分析した。しかしそこでは敢て触れなかった別の大きな勝因がある(そのうち取上げるつもりでいた)。小泉政権による「公務員たたき」作戦である。自民党は郵政改革選挙の直前の都議会選挙で負けた。その大きな敗因は政府税調のサラリーマン増税構想の公表であった。
これを受け小泉自民党は急遽「公務員たたき」という作戦を持出した。政府系金融機関の整理や公務員の大幅削減の案を提示し、小さな政府を目指すことを選挙戦略として採用した。これは官公労の支持を受ける民主党への牽制にもなった。郵政改革も郵便局員という公務員の削減に繋がると言ったデマまがいの宣伝を行った。「公務員たたき」は選挙に行ったことのないフリータ層にもアッピールし、自民党の大勝を実現した。自分達は将来の不安を抱えているのに、公務員だけがいい思いをしていると言うのである。
公務員に対する大衆の反感は意外なほど強い。最近、地方の首長選で官僚出身候補が大敗しているが、これも人々の公務員への反感の大きさが影響していると考える。おそらく苦戦を伝えられている参議院選の前には、自民党は次なる「公務員たたき」作戦を打出すものと筆者は見ている。このような今日の日本の空気の中での大蔵省官僚出身の柳沢厚生労働大臣の官僚的失言である。反発を招くのは当然である。
- 問題の矮小化
柳沢大臣の発言の問題点の第二段階は「子供を二人産む女性は普通」発言である。あたかもそれ以下は女性として失格という印象を人々に与えている。本人は必死に否定しているが、これが本音であろう。これに対して筆者は、これこそが官僚的発言の典型と見る。しかしこれに対しては賛否両論がある。正直言って筆者も判断がつきかねる。ただ柳沢大臣の持論なら発言を撤回する必要はないし、言い訳すことこそがなさけない。
たしかに女性が二人以上の子供を産まないと日本の人口はいずれ減少することになる。人口が減って自分の国が衰退することを歓迎する者はいない。その意味では柳沢大臣発言の主旨自体は間違っているとは思わない。ただ二人以上の子供を産めないような社会を作っておきながら、そのような発言をするとは何事かと憤慨している人々の気持も解る。
筆者は今回の柳沢発言に対するマスコミと野党の取上げ方に強い不満がある。まるでポイントをわざとずらしているとしか言えない。女性の不満を煽り読者や視聴者の関心を呼んだり、選挙戦を有利にしたいという思惑がミエミエである。両者とも物事の本質に迫る気が全くないのである。
一方、柳沢大臣の発言を擁護する声があるが、こちらもトンチンカンである。柳沢厚生労働大臣は小子化対策担当大臣でもある。小子化は将来の日本の活力を削ぐのだから、担当大臣として小子化を心配するのは当然と柳沢発言を擁護している。
しかし日本の出生率は1.2台である。小子化を阻止するには2.0以上の出生率が必要である。多少出生率が改善してもとても2.0を超える状況ではない。実際、日本だけでなくほとんどの先進国は2.0を大きく割り込んでいる。小子化は日本だけの問題ではない。
いくら柳沢大臣が小子化対策担当大臣といえど、小子化がストップするまでの出生率の改善を目論んでいるはずがない。当然、柳沢大臣の小子化への言及は、年金に関連したものと考える。つまり柳沢大臣発言が日本の将来の活力を心配したものという擁護発言は的外れもよいところである。
柳沢大臣は厚生労働省の役人に囲まれている。厚生労働省の官僚にとっての一番の関心事は年金であり年金制度である。厚労省の役人が日本の将来の活力うんぬんまでを考えているはずがない(中には個人的に日本の将来を考えている厚労省官僚が例外的にいるかもしれないが)。今日の年金制度を維持するには、少なくとも1.3以上の出生率が必要である(将来的には1.5以上)。しかし2年前の改正年金法は既に現実離れし、瓦解寸前である。想定以上に小子化が進んでいるからである。当然、柳沢大臣の失言はこの厚生労働省の官僚の危惧が背景にある。
日本の年金制度は「ねずみ講」である。小子化が進めば、どんどん年金給付額が少なくなる仕組になっている。先進国の中で優位だった年金支給額は、今日のままなら最低水準になることが見えている。つまり日本の「ねずみ講」的年金制度は抜本的な改正が必要である。
年金制度を抜本的に改正するとなれば(積立て方式から賦課方式への変更)、今日146兆円(公務員共済を加えると200兆円)という途方なく巨額に積み上がった年金積立金がどうしても問題になる。しかし厚生労働省はどうしてもこのような抜本的な年金制度の改正の話を避けたがっている。年金積立金は自分達のものと厚労省の役人は勘違いしているのでないかと、筆者には感じられるほどである。
本来なら柳沢厚生労働大臣の「女性は子供を生む機械」発言を受け、日本の年金制度の抜本的改正の話に進むべきと筆者は考える。ところが日本のマスコミも野党も全くその気がなく、問題を矮小化している。どうかしている。小子化は年金と全く別次元の問題である。また時たま話題になる社会保険庁の解体・再編なんて、日本の年金制度の抜本的改正と全く関係がない話である。
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