- 「合成の誤謬」は簡単な概念
3週にわたり財界と財界人を取上げたが、今週号はそのまとめである。日本の財界は、変質して構造改革派の財界人で占められるようになった経緯を述べた。しかし考えてみれば、企業の経営者である財界人が構造改革派的思考を持つことは自然と言える。今日の財界人は、個々の企業で構造改革的経営で認められたサラリーマン経営者の集まりである。たしかに構造改革を否定することは、自分達の存在を否定することに繋がる。
だいたい今日の財界や財界人に国や社会の問題、そして日本の将来を考えることを期待する方が無理である。ところが世間には財界人が経済全般に精通していると勘違いしている人々がいまだに多い。実際、国の政策決定に関与する審議会や諮問機関に、多くの財界人が加わっていることを疑問に思う人々がほとんどいない。
財界人は、業界や企業グループの代表であり、個々の大企業の代表である。財界活動にはかなりの経費がかかるが、ほとんどは出身企業が負担している。ところで物事には、国や国民にとって良いが、企業にとって都合が悪いことが多々ある。しかし誰が財界活動の費用を負担しているか考えれば、財界人が出身企業にとって不利益になるような言動をするはずがない(出身企業にとって不利益になる言動は株主代表訴訟の対象になる)。つまり公正さが求められる審議会や諮問機関の委員に、大勢の財界人が任命されていることは異常なことである。
筆者は、財界人が国政に意見を述べることに異議を唱えているのではない。財界人が企業グループや大企業を代表しているということをもっとはっきりすべきと言いたいのである。ところがこの点がメディアではあいまいにされている。ともすれば財界人の意見があたかも中立公正のような扱いをしている。
構造改革派の財界人の思考の背景には、個々の企業、あるいは一つ一つの会社が良くなれば、それによって国全体も良くなるという発想がある。財界人でなくとも誰もが陥る誤りである。しかしこれには条件があり、常に正しいとは言えない。それどころかこれこそが「合成の誤謬」である。
合成の誤謬について本誌でもこれまでに何回か取上げたことがある。例えば03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」で『これは個々の主体が正しい行動を採ることによって、経済全体ではむしろまずい方向に進むことを意味する。デフレ下で、それぞれの主体が自己の防衛を行うため、支出を控えることによって、さらにデフレが深刻化する今日の状態が「合成の誤謬」である。』と説明した。
「合成の誤謬」は理解しやすい概念である。マクロ経済学を学んだ者なら誰でもが認識していると思われる。経済学を学ばなくとも現実の経済に携わっている者なら漠然と理解しているはずである。ところがこの言葉は一般の人々に浸透していない。特に日本のメディア界ではほとんど無視されている。したがっていまだに多くの人々は、一企業が良くなることが常に日本経済全体にもプラスになると誤解している。
- 古き良き時代の財界人
「合成の誤謬」の概念は簡単であり、構造改革派の経営者も薄々解っているはずである。下請企業や系列販売網を整理したり、従業員をどんどんリストラすれば、自分の会社にとってメリットはあるが、国全体にとってはマイナスが生じる。まさにこれが「合成の誤謬」である。しかしそんなことにこだわっていては企業の合理化はできない。またリストラをどんどん進める者が優れた経営者という評価がなされる今日においては、経営者は「合成の誤謬」を知っていても知らないフリをする。
この結果、日本中で企業の合理化が進められることになった。筆者は企業が合理化を進めることに反対している訳ではない。しかし企業が合理化する時には、マクロ経済が成長している必要があると考える。経済が成長している場合には生産資源の移動がよりスムースに行われ、合理化による犠牲はそれだけ小さくて済むのである。
経済が成長していない場合には、企業の合理化に併せて政府による総需要創出政策が必要になる。ところが不思議なことに、今日の構造改革派の企業経営者や財界人は、政府の総需要創出政策に対して猛烈に反対するのである。構造改革派の経営者は、自分達だけが生き延び、利益が得られれば良いと考えるのであろうか。
このように今日の財界はあたかもエゴイストの集まりであり、「共生」という言葉と無縁の存在になってしまった言える。ところがマスコミはこのような構造改革派の経営者をもてはやさすのである。例えばカルロス・ゴーン氏が日産の救世主と評価が高い。しかしカルロス・ゴーン氏の日産の合理化は、日産の経営を一時的に立直したかもしれないが、排除された者も産み出したのである。
ところがカルロス・ゴーン氏の経営手法を国でも採用すべきと主張する「ばか者」が多いのには驚かされる。01/10/15(第226号)「カルロス・ゴーンと上杉鷹山」で触れた小泉前首相もその一人である。また学者なのかバラエティタレントなのかはっきりしない田嶋陽子氏もテレビ番組で「日本の財政を立直すにはカルロス・ゴーン氏を日本の総理大臣にしろ」と叫んでいた。「合成の誤謬」は簡単な概念であるが、この簡単な理屈を全く理解できない人々が実に多いのである。
民間の企業は「排除の理論」で余剰な人員や下請企業を切ることができる。一方、切られた人々を救済するのが政府の役目である。その政府にカルロス・ゴーン流の経営手法を採用すると言うのである。しかしよく見てみると、カルロス・ゴーン改革によってメリットを受けたのは、会社のトップに近い人々と株主だけである。
日本の大企業は、どこも構造改革によって立派になった。しかし一方で排除された人々が生まれ、国民の所得は伸びない。したがって立派になった大企業の製品が国内では売れないのである。自動車も登録車の売上が年々減り、売れるのは軽自動車だけである。立派になった企業は、仕方なく輸出に頼ることになる。つまり輸出こそが「合成の誤謬」の解決策になっている。
国に積極財政を求める勉強会で知り合ったある経営コンサルタントは「自分は積極財政に賛成であるが、仕事で企業に出向いた時には構造改革を唱えている」と自分の矛盾した言動を明かしていた。「合成の誤謬」は日本社会で一種のタブーになっているのである。こんなことがあってか経済同友会で会員にアンケートを取れば、98%が小泉改革に賛成という結果になる。
財界は構造改革派に席巻されたが、昔の財界人の流れに属するような人々が少しは残っている。二年ほど前、そのような財界人と話をした機会がある。その人は「誰も適任者がいなかったので、しょうがなく小泉を首相にしたがこれが大失敗だった」と嘆いていた。古き良き時代の財界人もわずかに残っているのである。
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