平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




07/1/29(467号)
日本の財界人の自信

  • 共生派と構造改革派
    先週は財界の変質について述べた。財界の変質を簡単に説明すれば、「反共の砦」であった財界の構造改革派への転換である。これに伴い財界の政府の経済政策への注文は、国家経済の全体的な成長から、企業減税や規制緩和になった。ただし規制緩和とは、政府の経済への関与を小さくするという意味での規制緩和である。これは「企業の活動に政府は口を出すな」という風に捉えて良い。

    企業経営者は国全体の経済のパイの拡大に昔ほど関心がなくなった。経済全体への関心が低下する一方、自分の会社の存続のみ(極端には経営者個人の存続)に興味が移った。ともすれば生き残るためには手段を選ばないという風潮が、企業、特に大企業経営者に生まれている。


    考えてみればこのような方向こそが、本来の資本主義経済・自由主義経済における企業の在り方と言える。ある意味では昔の日本の企業の経営の方が奇妙だったのかもしれない(昔と言っても正確には昭和恐慌後の労資協調路線が定着した以降)。従来の企業経営は、一口で言えば日本的会社経営と言われるものである。

    ここで筆者が理解している日本的会社経営というものを簡単に述べる。外部に対しては系列の重視である。販売会社なら代理店、特約店、販売店などの系列店との依存関係の強化であり、製造会社なら下請企業との協力関係の強化である。会社内部に対しては、従業員の終身雇用と年功序列賃金の維持である。

    会社が長期に成長して行くなら、日本的経営は決して間違っていないと筆者は考える。むしろ日本の経済が拡大して行くなら、優秀な系列販売網や系列下請会社そして会社に忠誠心の高い従業員を確保しておくことが必要であり、このような日本的経営の方が適切であったと言える。しかしこのような日本的経営には甘えが生じることが有りうる。企業が、それほど優秀ではない販売会社・下請会社・従業員を抱え込むハメに陥るのである。


    ちょっとした会社なら昔から系列企業や社員との関係を重視する勢力と、反対に厳しく対処すべきと主張する勢力があった。筆者は、前者を「共生派」、後者を「競争派」もしくは「構造改革派」と呼びたい。両者は会社内部で対立していた。

    たしかに昔から共生派色が強い会社と構造改革派色が強い会社があった。前者は温情主義の会社、後者は経営に厳しい会社と評された。一般的に昔は共生派色の会社が多かったと言える。経営者も口先では構造改革派的な事を言っていても、やっていることは温情主義的という具合である。また株式を関係企業と互い持合い、株主構成も安定していた。経営危機にでもならなければ、人員整理なんてどの企業も行わなかった。


    しかしいつの時代からかはっきりしないが、どの会社でも構造改革派の勢力が段々と強くなった。構造改革派サラリーマンの得意なセリフは「これから流れの早い川を一緒に渡る。これに着いて来れない者が振り落とされ、流されてしまっても止むを得ない。」などである。つまり系列でも合理化できないところは切捨てるという意味になる。社員にも厳しく成果を求めるようになった。

    日本の高度経済成長が終わった頃から構造改革派は強くなり、バブル経済崩壊後、これが決定的になった。今日では「構造改革派であらずば人にあらず」という雰囲気である。しかし日本の会社から日本的経営というものが完全に消えたという訳ではない。日本的経営の名残りみたいなものは残っている。


  • 財界人の成功体験
    会社経営における構造改革は、国家経済における構造改革に通じる。競争を通じて企業経営の合理化を達成するのが企業の構造改革である。国家経済の運営にもこの手法を適用すべきと主張するのがみの構造改革派である。たしかに企業経営において構造改革は成果を納めた。むしろ今日存続している大企業で構造改革を経験していないところは皆無といえる。バブル経済崩壊後はどんなに温情主義の会社でも、構造改革は避けて通れなかったのである。

    大企業の構造改革を通じ、効率の悪い下請は切られ、余剰な正社員は整理された。むしろ構造改革が遅れた温情主義の会社は倒産や解体の憂き目に会っている。構造改革派の完全勝利である。


    しかし考えて見れば、バブル崩壊がなくとも企業の構造改革は必須であった。団塊の世代の大量採用でどの企業も人員構成はいびつになっており、どこかの時点で大きなリストラが必要と誰もが漠然と思っていた。バフル崩壊はそのきっかけになったと言える。世間体を気にする大企業でも、他がやるならうちもやるという雰囲気になったのである。時流に乗ることが得意といった構造改革派サラリーマン経営者の特徴がいかんなく発揮され、リストラは加速された。

    バブル崩壊後の構造改革の影響は一企業内に留まらなかった。例えば日産自動車の経営改革が、資材納入業界にも波及し、鉄鋼メーカの合理化と再編を促した。このような経過を辿り、日本のあらゆるところで合理化が進んだ。


    企業の構造改革ムードが高まるにつれ、企業のトップの資質も変わった。共生派の温情主義的な会社経営者は消え去り、合理的な構造改革派のサラリーマン達が出世して、会社のトップを占めるようになった。当然、この流れは財界にも波及し、財界は構造改革派の牙城に変身した。先週号から財界の変質について述べているが、財界を構成する大企業経営者陣の資質の変化もこれに大きく影響している。

    今日の財界人は変な自信に溢れている。この背景に自分達の成功体験がある。構造改革によってバブル崩壊後の経営危機を乗切り、かなりの大企業は今日最高の利益を上げている。彼等の認識では、構造改革はやはり正しかったということになる。


    構造改革派に席巻された財界は、自信を持って国にも構造改革を要求する。自分達の成功体験が元になっているから強い。そして日本経済の低迷も国の構造改革が不十分だからと主張する。国も構造改革を行えば、日本経済は停滞から脱却できると考える。一企業で正しいことは、国全体でも正しいと無邪気に信じ込んでいるのである。

    例えば日本の大企業は構造改革によって過剰債務を解消してきたのだから、国も財政赤字を解消すべきと考える。またリストラで小さな本社機能を実現したのだから、国も小さな政府を目指すべきと主張する。成功体験が背景にあるため彼等は頑固である。


    今日、構造改革派に変質した財界のターゲットとなっているのが国の行政機構である。民間がリストラでスリムになったのだから、官も合理化すべきというのである。公共投資などの財政支出を削減し、政府が行う事業にも民間手法を取入れるべきと主張する。いわゆる小さな政府の実現である。

    たしかにこれらの主張は大衆の賛同するところである。しかしこれらが実現したとしても、本当に日本経済が浮上し国民が幸福になるのかが問題である。もちろん構造改革派の財界人は、これによって日本経済は良くなると固く信じている(信じたがっている)。



来週は、今日の財界(人)の考えの間違いと嘘を取上げる。



07/1/22(第466号)「日本の財界の変質」
07/1/15(第465号)「日本の財界」
07/1/8(第464号)「面白みがない景気予想」
06/12/11(第463号)「筆者の主張のサマリー」
06/12/4(第462号)「高速増殖炉にまつわる誤解」
06/11/27(第461号)「高速増殖炉の話」
06/11/20(第460号)「日本の核融合研究」
06/11/13(第459号)「将来のエネルギーの本筋」
06/11/6(第458号)「LNG(液化天然ガス)の話」
06/10/30(第457号)「筆者の国防・防衛論」
06/10/23(第456号)「日本の核武装論」
06/10/16(第455号)「北朝鮮の核実験」
06/10/9(第454号)「安倍政権の生産性」
06/10/2(第453号)「安倍政権の発足にあたり」
06/9/25(第452号)「ポスト小泉の経済論議」
06/9/18(第451号)「ポスト小泉の経済と対米外交」
06/9/11(第450号)「ポスト小泉の対アジア外交」
06/9/4(第449号)「ポスト小泉について」
06/8/7(第448号)「郵政改革と宗教戦争」
06/7/31(第447号)「郵政改革論議の混乱」
06/7/24(第446号)「宗教・哲学と経済学」
06/7/17(第445号)「宗教と哲学への入門」
06/7/10(第444号)「劣勢のケインズ」
06/7/3(第443号)「トービン税について」
06/6/26(第442号)「自由放任(レッセ-フェール)の経済」
06/6/19(第441号)「筆者の税制改正案」
06/6/12(第440号)「筆者のニート対策」
06/6/5(第439号)「美しくない話」
06/5/29(第438号)「第三セクター鉄道の危機」
06/5/22(第437号)「テレビ番組の制作現場」
06/5/15(第436号)「日銀の実態・・憶測」
06/5/8(第435号)「日銀は魔法の杖か」
06/4/24(第434号)「もう一つ勇気を」
06/4/17(第433号)「格差とマスコミ」
06/4/10(第432号)「官僚の力と限界」
06/4/3(第431号)「日経新聞のダブルスタンダード」
06/3/27(第430号)「金融政策の失敗の歴史」
06/3/20(第429号)「量的緩和解除の波紋」
06/3/13(第428号)「コンビニ弁当の話」
06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
06/2/20(第425号)「労働力と経済成長」
06/2/13(第424号)「大衆社会における経済論議」
06/2/6(第423号)「皇室典範改正法案に一言」
06/1/30(第422号)「ホリエモンと政治家」
06/1/23(第421号)「改革の旗手の危機」
06/1/16(第420号)「今年の景気予想」
06/1/9(第419号)「思考停止の日本」
05/12/19(第418号)「日本人の変質」
05/12/12(第417号)「日本的経営の行く末」
05/12/5(第416号)「アメリカ人」
05/11/28(第415号)「遠ざかる豊かな社会」
05/11/21(第414号)「移民問題と市場経済」
05/11/14(第413号)「ブリエアの解放者たち」
05/11/7(第412号)「第三次小泉内閣の感想」
05/10/31(第411号)「現実経済の乗数値」
05/10/24(第410号)「公共投資に伴う誘発投資」
05/10/17(第409号)「誘発投資の拡張版」
05/10/10(第408号)「経済理論上の乗数」
05/10/3(第407号)「政治家達の沈黙」
05/9/26(第406号)「大谷氏への公開質問状」
05/9/19(第405号)「デマの検証」
05/9/13(第404号)「選挙結果の雑感」
05/8/29(第403号)「今回の総選挙を読む」
05/8/22(第402号)「今回の総選挙の沿革」
05/8/8(第401号)「中国経済の本当の脅威」
05/8/1(第400号)「中国の為替戦略」
05/7/25(第399号)「経済のグローバリズムの行末」
05/7/18(第398号)「経済のグローバリズムの本質」
05/7/11(第397号)「郵政法案と小泉政権の行方」
05/7/4(第396号)「経済のグローバリズムと競争の公正」
05/6/27(第395号)「日本語の研究」
05/6/20(第394号)「公的年金とセイニアーリッジ」
05/6/13(第393号)「日本国民全員がばん万歳の政策」
05/6/6(第392号)「公的年金とマクロ経済」
05/5/30(第391号)「マクロ経済政策で解決するもの」
05/5/23(第390号)「ヴァーチャルなもの(その2)」
05/5/16(第389号)「ヴァーチャルなもの(その1)」
05/5/9(第388号)「中国進出の主導者」
05/4/25(第387号)「鎖国主義への誘惑(その2)」
05/4/18(第386号)「鎖国主義への誘惑(その1)」
05/4/11(第385号)「ノストラダムスの大予言」
05/4/4(第384号)「法律と現実社会との間」
05/3/28(第383号)「株式に関する非常識」
05/3/21(第382号)「人とグローバリズム」
05/3/14(第381号)「資本とグローバリズム」
05/3/7(第380号)「貿易とグローバリズム」
05/2/28(第379号)「マスコミの暴走」
05/2/21(第378号)「マスコミが流す誤った概念」
05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」
05/2/7(第376号)「日本のマスコミの体質」
05/1/31(第375号)「財政当局の変心」
05/1/24(第374号)「経済成長の条件(その2)」
05/1/17(第373号)「経済成長の条件(その1)」
05/1/10(第372号)「中国経済の実態」
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」
04/12/6(第370号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その3」
04/11/29(第369号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その2」
04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」
04/11/15(第367号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その1」
04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」
04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
04/10/25(第364号)「クライン博士を招いてのシンポジウム」
04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」
04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」
04/9/27(第360号)「豊かな社会ーー競争と共生」
04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
04/4/12(第340号)「火星の土地」
04/4/5(第339号)「円高は構造的」
04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
04/3/22(第337号)「矛盾の出発点」
04/3/15(第336号)「日経の貧乏神」
04/3/8(第335号)「実感なき経済成長」
04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
04/2/16(第332号)「為替介入資金の働き(その2)」
04/2/9(第331号)「為替介入資金の働き(その1)」
04/2/2(第330号)「為替介入政策の限界」
04/1/26(第329号)「今日の政治課題」
04/1/19(第328号)「今年の政局の課題」
04/1/12(第327号)「今年の日本の景気」
03/12/15(第326号)「日本の公的年金」
03/12/8(第325号)「足利銀行の破綻処理」
03/12/1(第324号)「日本経済を支えているもの」
03/11/24(第323号)「総選挙結果から見えるもの」
03/11/17(第322号)「総選挙結果の分析」
03/11/10(第321号)「総選挙の結果他」
03/11/3(第320号)「総選挙の予測」
03/10/27(第319号)「動態的会計による企業価値算定」
03/10/20(第318号)「道路公団、財務諸表の怪」
03/10/13(第317号)「藤井総裁解任劇」
03/10/6(第316号)「総裁選と総選挙」
03/9/29(第315号)「総裁選の総括」
03/9/22(第314号)「ドキュメンタリー総裁選」
03/9/15(第313号)「レポート総裁選・・その2」
03/9/8(第312号)「レポート総裁選」
03/9/1(第311号)「混迷の終始符」
03/8/25(第310号)「急がば回れ・・再び」
03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」
03/8/4(第308号)「日本の実稼働率」
03/7/28(第307号)「設備投資の実態」
03/7/21(第306号)「企業経営と創造的破壊」
03/7/14(第305号)「頭が破壊されている人々」
03/7/7(第304号)「頭が混乱している構造改革派」
03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
03/6/23(第302号)「経済の循環(その1)」
03/6/16(第301号)「経済政策の混乱」
03/6/9(第300号)「りそな銀行の件」
03/6/2(第299号)「規制緩和と日本経済」
03/5/26(第298号)「経済学と経営学」
03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」
03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」
03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」
03/4/21(第294号)「逆噴射の財政政策」
03/4/14(第293号)「危機管理下の経済政策」
03/4/7(第292号)「国債の管理政策」
03/3/31(第291号)「経済再生政策提言フォーラム」
03/3/24(第290号)「日本の有名経済学者達」
03/3/17(第289号)「波乱の株式市場」
03/3/10(第288号)「政府貨幣の理解」
03/3/3(第287号)「軽視される高橋是清の偉業」
03/2/24(第286号)「日本の清貧の思想」
03/2/17(第285号)「日本のデフレの原点」
03/2/10(第284号)「小泉首相の「もっと重要なこと」」
03/2/3(第283号)「スローパニック経済」
03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」
03/1/20(第281号)「マネーサプライ政策の限界」
03/1/13(第280号)「データに基づく経済論」
02年のバックナンバー

01年のバックナンバー

00年のバックナンバー

99年のバックナンバー

98年のバックナンバー

97年のバックナンバー

日頃忙しいビジネスマンへのオンラインマガジン