- ケインジアンとニュークラシカル
新保守主義・新自由主義者のニュークラシカルと、ケインジアンから出発したサミュエルソンなどのネオクラシカルとは、同じように新古典派と呼ばれるが、両者は似て非なるものである。米国では第二次世界大戦前から始まった深刻なデフレ経済がようやく克服され、有効需要不足による不況からの脱却といったケインズが想定していたテーマから、いかに持続的に高い経済成長を実現できるのかということが経済学の中心テーマになった。これは1950年代以降の話で、サミュエルソン達の「ネオクラシカル(新古典派)」はまさに「ケインズ以降の経済学」の主流派で、当時の正統派ということになった。(ただしケインズの先代のマーシャル教授達を新古典派と呼び、サミュエルソン達を新新古典派とする者もいる)
50年代の米国経済は黄金期であり、ケインズ時代の世界恐慌による大量の失業とは無縁になった。したがってケインズが問題にした有効需要不足による失業や設備の遊休の問題は解決された状態になり、そうなれば古典派の経済学が有効になるとネオクラシカル(新古典派)は考えた。しかしポストケインジアンの間にも温度差がある。
当時流行した経済成長論においても、ハロッドのように自由主義経済下での経済成長の不安定さを強調する経済学者がいた。またジョーン・ロビンソンは、ネオクラシカル(新古典派)の資本の概念そのものを痛烈に批難している。しかしこれはある意味では内輪のもめごとである。ところがその後もう一つの新古典派と呼ばれる新保守主義・新自由主義のニュークラシカル経済学が登場し、今日これが強い影響力を持つようになった。ネオクラシカル(新古典派)とニュークラシカル(新古典派)は異質なものである。
ケインジアンは、あるがままの経済の状態を前提に経済を考え、経済政策の解を求めた。一方ニュークラシカルは、自由放任(レッセ-フェール)の元での経済が理想であり、今日の経済に起っている不都合は、色々な障害が経済の機能を阻害しているからと考える。これらの障害を排除することこそが正しい経済政策と主張するのである。
そして彼等が障害と考えるのはあらゆる社会的、経済的な規制である。したがって規制の緩和や撤廃、あるいはもう一歩進んで経済の構造の改革こそが最重要な課題ということになる。またもちろん政府の経済への介入も大きな障害である。したがって政府に関しても「小さな政府」、つまり減税と歳出の削減を強く主張する。
自由放任(レッセ-フェール)経済に対して、ケインジアンとニュークラシカルの経済学者の間には大きな考えの違いがある。ケインジアンは放任された経済の元では、往々にして不都合が起こり、これを是正する必要がある考える。例えば有効需要の不足が起こり不況になり失業が発生すれば、ケインジアンは政府が有効需要創出政策を行うことを主張する。
ニュークラシカルは、失業について、これは硬直的な雇用慣行や雇用環境に問題があると考える。この解決には賃金水準を柔軟に変更することが可能な制度改革が必要と考える。具体的には、最低賃金制の撤廃や人材派遣の自由化と言ったものである。これには自由放任(レッセ-フェール)経済こそが正しいという確信が根底にある。自由放任経済には往々にして間違いが伴い、この是正が必要というケインジアンと、自由放任経済こそ絶対間違いがない「真理」と信じるニュークラシカルとの間では、全く発想の次元が異なっており、まともな経済論議さえできない。
- アジアの通貨危機とトービン税
このようにケインジアンは、決して自由放任(レッセ-フェール)経済そのものを否定しているのではない。ただ自由放任のままでは間違いが生じることがあり、間違いが生じた場合、これを是正する措置を採ることによって、むしろ自由主義経済はよりうまく機能すると考えるのである。ケインズの弟子で、ノーベル賞経済学者の故トービン教授が1972年に提唱した「トービン税」のアイディアもその一つである。
今日のグローバル化した経済の元では、物だけでなく、多額の資金が国家間を移動する。特に資金移動に係わる費用がゼロ、もしくは極小の場合にはこのような資金の移動が活発になる。ニュークラシカルの学者ならまことに結構な話であろう。しかし大量の資金の移動が瞬時に起こった場合、一国の経済に大きな問題を引き起す。
「トービン税」が注目されたきっかけは、1997年に起ったアジアの経済(通貨)危機である。ASEAN諸国から、短期資金が大量に流出した結果、これらの国々の経済は危機的状況になった。原因は色々言われている。本来長期資金の借入で賄われるべき、設備投資などの長期資金を短期国際金融市場から調達していたことがまず指摘されていた。また技術力がなく人件費が安いだけのこれらの国々の経済成長には、脆弱さが伴っているのに経常収支の赤字を放置していたことも問題であった(実際、経常黒字を維持していた台湾、中国、香港などでは、アジア経済危機の被害は最小限に止まった)。
しかしトービン教授は、全く別の観点からこの通貨危機を捉えている。金融市場のグローバル化により、国際間を行き交う資金がかなり大きくなっており、かつその資金の移動が極めて素早いことを教授は問題にしている。さらにIT技術の進歩もこの動きを加速している。このように資金移動に伴う機会費用が極めて小さいことが国際的な大きな資金の流れを作っている(IT技術の進歩もこれに寄与している)。例えばデマ的な情報にも、これらの資金が大きく反応し、瞬時に大量の資金の流出といった事態が起こり得る。特に今日投機的な資金が大きくなり、資金移動の状況によってはかなり大きな国の経済までも破壊する可能性がある。
トービン教授は、ほとんど機会費用がゼロになったこの国際間の資金移動(具体的には為替取引)に、ほんの軽い税をかけることを主張している。資金の移動を阻害しない程度の小さな税である。これによって投機的な資金移動に牽制をかけることになる。
教授はこれを高山鉄道を走る列車の轍(わだち)とレールの間に砂を注ぐことに例えている。列車が登り勾配にさしかかると、砂を注ぐことによって、轍(わだち)とレールの間の摩擦が生じ、むしろこれによってよりスムーズに列車が坂を登ることができる。つまり国際間の資金移動(為替取引)にも、小さな税という障害物を設けることによって、国際金融市場がよりうまく機能するという考えである。
筆者が「Eメールの発信税の導入」を主張するのも、Eメールという通信インフラがより良く機能するためのアイディアである。今日、Eメールを1通発信するのも、100万件送るのも、費用的には大差はない。このことによって今日、詐欺まがい、あるいは無駄なメールが大量に飛び交う事態になっている。受信するメールの99%以上が意味がないもので占められるケースもある。
そこでEメールという通信インフラを守るためにも、「Eメールの発信税」と言った類の措置が是非とも必要と筆者は考える。携帯電話のワン切りについても同様の問題がある。たしかに「Eメールの発信税」に技術的に困難な問題があることは承知している。しかし物事の発想としては、このような措置が必要な段階に来たと考える。
特に筆者が「トービン税」で注目しているのは、25年も前に提唱されたトービン教授のこのアイディアを実際に実現しようというアタック(ATTAC)という名の国際的なNGOが発足していることである。面白いのはこのNGOがトービン教授の祖国の米国ではなく、フランスで発足したことである。そしてこの流れはヨーロッパ諸国を中心に広がっている。ATTACについては来週でもう少し触れることにする。
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