- ケインズ政策の登場
今週は経済理論の大雑把な歴史から始める。まず資本主義経済とか自由主義経済という言葉が正しく理解されていない。そもそも資本主義とか自由主義という思想が確立された後、資本主義や自由主義の経済が始まったのではない。資本を提供する者がいて、人を使って事業を行い、その事業の収益を得ると言った資本主義経済のスタイルは古来からの通常の経済の形である。ことさらに「資本主義経済だ自由主義経済だ」と言い始めたのは、通常の経済システムを否定する共産主義や社会主義が登場してからと筆者は考える。
アダムスミスが唱える自由放任(レッセ-フェール)、つまり経済活動に政府などが干渉しない事が、経済をより発展させるという古典派経済学の思想が根強くある。しかし19世紀以降、自由放任(レッセ-フェール)の経済の欠陥が露(あらわ)になった。独占資本の登場や、大きな景気変動による社会の混乱などである。また自由放任(レッセ-フェール)の行く付く先は、どうしても経済のグローバル化であり、先進国の資本は後進国にどんどん流出することになった。先進各国は後進国に経済進出し、これらを植民地化した。そしてこの植民地の分捕り合いがこれまでの世界大戦の原因になった。
そして自由放任(レッセ-フェール)経済の最大の問題は、巨大な需要不足状態、つまり恐慌の発生である。そして経済恐慌が起ることを一応理論的に予想したと言うことで、マルクス経済学は一世を風靡した。資本主義経済とか自由主義経済の経済システムには重大な欠陥があり、共産主義・社会主義経済こそが新しく正しい経済システムと考えられたのである。そして自分が賢いと思った者は皆共産主義者、つまりマルクスボーイになった。
共産主義・社会主義社会では、需給によって価格(物の価格や賃金)が決まり、それと同時に資源の配分(どの産業や企業にどれだけの資本を投下し、どれだけの人員を配置するか)が決まるという市場の価格調整機能は否定される。市場に任せば、必ず需要の過不足が生じると考えるからである(市場の失敗)。したがって市場に委ねるのではなく、人(政府)が計画的に価格や資源の配分を決定することによって、経済は正しく動くと共産主義者達は信じた。
マルクスとは別の方法で、自由放任(レッセ-フェール)の経済には欠陥があること(有効需要の不足が起ること)を理論的に解明したのがケインズである。しかしケインズは、需要不足という市場の失敗を政府が是正してさえやれば、市場はうまく機能すると考えた。つまり共産主義経済を採らなくとも、政府が金利を低下させ、財政支出を増やし、有効需要を創出すれば、資本主義・自由主義経済は均衡を回復することができると主張した。
一方、自由放任(レッセ-フェール)の流れをくむ古典派経済学は、全く当時の世界恐慌に対して有効な処方箋を示すことができなかった。むしろ恐慌時に、政府支出を削減したり、高金利政策と言ったトンチンカンな経済政策を行った政府さえあった。たしかに古典派経済学の理論では、高金利によって貯蓄が増えても、これが自動的に投資に回ることによって、需要の不足は起らないことになっている。日本においても世界恐慌時、浜口政権は緊縮財政を行って日本経済を壊滅に追いやった。
第二次世界大戦後、経済政策はケインズ政策が主流となった。実際、不況になれば、金利を下げ、財政支出を増大させるケインズ政策が当り前になっている。この結果、大戦後、資本主義経済国家は深刻な経済不況に遭遇したことがない。例外はバブル崩壊後の日本経済ぐらいである。いまだに規制緩和を行えば需要が生まれ、経済が成長するという呪い(まじない)のような経済理論が日本ではびこっているのである。しかし今日の日本経済の実態は、金融の超緩和と異常な為替介入により需要を間接的に創出し、これによって支えられている。つまり今日の日本はいびつなケインズ政策が採られているという見方ができるのである。
- 政府の経済介入
戦後、自由放任(レッセ-フェール)の経済、つまり古典派経済学は否定され、ケインズ政策の資本主義・自由主義経済の国家と共産主義・社会主義経済の国家の対立という図式になった。ところが米国経済が、日独などの追い上げによって窮地に立つと、どういう訳か米国でケインズ政策が否定されるようになった。米国の経済力が低下したことと、ケインズ理論とどう関わるのか明確にされないまま、ケインズ政策が否定されたのである。
これには共産主義・社会主義国家の没落が影響していると思われる。ソ連が崩壊し、中国で経済改革運動が起り、共産主義・社会主義経済の壮大な実験が失敗に終わったことを誰もが認めざるを得なくなった。共産主義・社会主義経済の失敗が明らかになるにつれ、政府の経済への介入自体を否定する風潮が強くなった。この延長線上で、政府の経済への関与を認めるケインズ政策が否定されるようになったと考える。
新しい経済政策は規制の撤廃と小さな政府の実現であり、また各国の参入障壁の撤廃による「物」と「金」の世界的な自由な移動の促進である。まさに自由放任(レッセ-フェール)経済の再登場である。死んだはずの自由放任(レッセ-フェール)の経済思想がゾンビのように蘇った。この経済思想が新保守主義、新自由主義である。新保守主義・新自由主義者達は自らを「ニュークラシカル(新古典派)」と称して、サミュエルソン、ソローそしてクラインなどの「ネオクラシカル(新古典派)」と一線を画している。筆者の感想では「ネオクラシカル(新古典派)」の方はほとんどケインジアンに舞い戻っている。ところがどちらも新古典派と呼ばれているから混乱を招くのである。
このように一世を風靡したケインズ経済学は、理論経済学界の中では落ち目になった。しかし各国の基本的な経済政策は依然ケインズ政策である。経済成長率の予想や実績も、消費、投資、輸出入、政府支出と言った需要項目の積み上げで算出されている。
もちろんケインズ経済学は、市場の価格メカニズムを否定しているわけではない。むしろ市場が間違った動きをした時、政府などが介入した方が、市場の機能がうまく働くと主張しているのである。一方、新保守の「ニュークラシカル(新古典派)」は自由放任(レッセ-フェール)の信者であるから、全ての政府の経済介入を否定する。
筆者は、経済活動に障害となるくだらい規制の撤廃にはほとんど賛成である。しかしこれも程度の問題である。例えば世界中の国々の経済を全て開放し、完全な自由競争にすべきと言ったばかげたことには賛成しない。また規制緩和や規制の撤廃が、即、経済成長に結びつくとはとても考えない。
先週号で「1.Eメールの発信税の導入」と「3.印紙税の廃止(これは増税ではなく減税)」の話をした。後者はまさに規制の撤廃に繋がるものであり、これによって経済活動を活発化させる政策である。今日、手形の発行が減少しており、この大きな原因が印紙税の負担である。代金の受領を手形にすると、手形と受領書の双方に印紙が必要となる。しかしこの費用負担が重いため、有力企業は手形の発行を控えるようになった。
大企業は手形の発行を止め、期日に代金を銀行に振込んでいる。こうすればたしかに手形発行に伴う印紙は不要になる。しかし手形は有価証券であり、裏書きすれば民間の間を流通し、一種の貨幣となる。手形発行の減少は、民間の信用の収縮に繋がり、流通貨幣の減少と同じことになる。印紙税の廃止は、民間の信用取引の復活に有効と考える。
一方、「1.Eメールの発信税の導入」は、逆に機会費用がほとんどただのメールの発信に小さな負担を掛けようという話である。ニュークラシカル(新古典派)の経済学者なら「とんでもない」と反対するはずである。これはケインジアンであるトービンのトービン税にヒントを得たアイディアである。
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