- 環境と経済
経済学の世界では、昔から環境問題をいかに経済の問題として捉えるか色々と試みてきた。その一般的な捉え方は「外部不経済」の「内部化」と言う方法である。例えば、企業の生産活動に伴い公害が発生する場合である。この公害は、企業にとって構わない物かもしれないが、周辺の住民にとって迷惑な物、つまり外部に対しては「不経済」な物である。この解決は、企業が費用を払ってそのような公害を発生させる物質を除去することである。企業がこのように、自分の負担で公害物質を除去することは、「外部に対して不経済な物を内部化」することになる。さらに当然、企業はこの費用の一部または全部を商品の価格に転嫁することになる。本来ならこのように最終的に消費者の負担するところまでを「外部不経済の内部化」と言うべきかもしれない。 具体例としては電力会社と自治体の協定が挙げられる。電力会社と自治体は公害防止で協定を結んでいる。例えば亜硫酸ガスの濃度などである。協定で定められた濃度以上になりそうだと電力会社は硫黄分のより少ない重油を燃やすことになる。重油は硫黄分が低いほど値段は高い。つまり公害に対して厳しい協定になるほど、コストの高い燃料を使うことになるのである。これは最終的には、このコストを電力料金の一部として消費者が負担するのである。このように亜硫酸ガスと言う「外部不経済」が、消費車の電力料金の負担増と言う形で経済に「内部化」されているのである。 京都会議でテーマとなっている二酸化炭素は、現状では「外部不経済」とは認識されていないのである。ところが会議の流れでは、これが始めて「外部不経済」として認識され、この「経済への内部化」が検討されることになるかもしれないのである。ことが二酸化炭素と言うことになれば、これは経済に莫大な影響を持つ訳で、関心を持たざるを得ないのである。
- 科学と経済
地球の温暖化については専門家で構成する気候変動に関する政府間パネル、つまりIPCCは95年11月に「産業革命以降、地球は人間活動で温暖化していると明言、2,100年には地球の平均気温は現在より2度上がり、海面は平均で50センチメートル上昇する」と予測した。そしてこれで温暖化をめぐる科学的根拠をめぐる論争は一応決着したことになっている。これが世間の一般的な受け止め方であり、マスコミに登場する識者の多くもこれを根拠に色々発言している。 しかし、筆者はかねがねこの考えに疑問を持っていた。ただこの考え方がまったく違うと言うことではない。まず、温暖化ガスとしては、二酸化炭素以外にメタンやフロンが指摘されるが、問題の大きさから二酸化炭素以外の物質にはとりあえず触れない。ここで「ほぼはっきりしていること」と、「あまりはっきりしていないこと」に分ける。ほぼはっきりしていることは、大気中の二酸化炭素の濃度が上昇すると、その温室効果で気温が上昇すると言うことである。反対によくわからないことは、100年くらいの長い期間を前提にすれば、何度上昇するかと言うことである。これは専門家によって1.5度から4.5度までくらいの幅で違いがあると言うことである。そして一番問題なのは、人間が出す二酸化炭素の気候への影響である。IPCCや世間はこれが地球温暖化の一番の原因と結論づけている。筆者の疑問はこれである。はたしてこの結論はそれほど確定的なものであるのかと言う疑問である。二酸化炭素の地球温暖化への影響の地球規模の観測は、最近始まったばかりのはずである。結論があまりにも早く、確定的に考えられ過ぎと思われるのである。 話はこの結論を前提にどんどん進んでいるのである。筆者はこれについて科学的に結論はまだ出ていないと考えているのである。筆者は、この問題が科学者の手から、あまりにも早く政治家や経済学者の手に移っている印象を受ける。具体的に「炭素税」や「二酸化炭素放出権の売買」と言う話さえ出ている。科学的に決着していると言う立場なのはヨーロッパ諸国であり、まだはっきりしないと言うのが米国の考えで、日本は両者の中間と言ったところである。そして京都会議では米国と日本が悪役を演じることになりそうなのである。 ヨーロッパは昔から「ローマクラブのゼロ成長論」に見られるように、資源の枯渇や人口増加による環境の悪化に神経質な地域で、また環境保護に関心が高い人々が多い所である。つまり環境問題が政治問題化しやすいのである。しかし、事が環境や健康に及ぶと人々は異常に情緒的になるケースが多いことを忘れるわけにはいかない。ときには科学性と言うものが不当に無視されるのである。このようなことを前提に、筆者の考えは、ヨーロッパの主張はある程度割り引いて受け止めるべきと言うことである。つまり筆者は米国の考えに近いのである。まだ、地球温暖化のメカニズムについてはさらに研究を続け、その後結論を出せば良いと言うことである。マスコミはこのような考えは「反環境的」と烙印をおすであろうが、事があまりにも重大だから、簡単には結論を出すべきではないと考えるのである。
- 二酸化炭素と地球温暖化
一般的な受け止め方としては、二酸化炭素と地球温暖化は関係があり、人類が発生させる二酸化炭素が大気中に累積し、どんどん温暖化が進み100年後には気温が2度くらい上昇すると言うことである。まず、おかしいのは一次エネルギーの大きな比重を占める石油の採掘可能年限があと35年と言うことである。つまり、環境問題が深刻になる前にエネルギー問題があると言うことである。ただ、これについては、昔から石油の採掘可能年限は30年とか40年と言われながら今日に至っていることからわかるように、クリアできる問題と考える。コストさえかければ、オイルサンドとかオイルシェールと言うものが使え、この埋蔵量は石油に比べ桁違いなのである。つまり当分人類は化石燃料を使い続けることが可能なのである。ただ、これによりコストが上昇する可能性があることは、あまり指摘されない。つまりコストが上昇で、化石燃料の使用にある程度自然にブレーキがかかるのである。 しかし、これら、「人類の活動による二酸化炭素が地球温暖化の原因」と言う考え自体に真っ向から反論する意見もあるのである。雑誌「アエラ」の最新号にこれが紹介されていた。これによれば「地球の気温は500年から600年の周期で上下しており、今は200年ほど前に始まった上昇の過程にある」と言うことである。そしてこれも原因は二酸化炭素の濃度と言うことであるが、人間が排出する二酸化炭素の規模なんて問題にならないほど大きな別のメカニズムによると言うことである。つまり、人類がたとえ今日から化石燃料を一切使用しなくとも、二酸化炭素は増え続け、気温はまだ何度か上昇すると言うのである。考えてみれば縄文時代は現在よりも温暖であったことが知られている。それは何も日本だけではなく世界中温暖であったのである。平安時代も温暖であったと言うことである。注目されるのはこれらの温暖な時代に人類が化石燃料を大量に使用したと言う事実はない。つまり化石燃料の使用のいかんに拘わらず、気温の上下が起こることである。もしこれが事実としたら大変なことである。つまり京都会議は全く意味がなくなるのである。ただ、この主張にもピーク時の反転のメカニズムがはっきりしていない弱みがある。ある学者は太陽の働きによる循環としているが、これも仮説の段階である。 年間に大気に放出される二酸化炭素の量は1,600億トンで、人類の化石燃料使用による二酸化炭素の量が年間60億トンである。ところが海水は大気の何十倍もの二酸化炭素を含んでいると言うことである。そしてこれは海水面に近い所に蓄積されている。放出された二酸化炭素のほとんどは再び海水に吸収されるが、毎年30億トンだけ吸収されずに大気に累積されていることになっている。この30億トンが人類の化石燃料の使用によると言うのがIPCCの主張である。まず、筆者が気になるのは、誤差の問題である。1,600億トン対30億トンであるから観測の方法で変わって来ると言うことである。さらにこれには興味深い事実がある。つまり「海水は水温が上昇すれば二酸化炭素を放出し、下降すれば逆に二酸化炭素を吸収する」と言うことである。さらに「二酸化炭素を放出すれば温暖化が進み、さらに二酸化炭素を放出する」ことになる。下降する場合はこれのまったく逆である。つまり、一旦地球が温暖化すればピークまでは温暖化が続くメカニズムが地球の気候には組み込まれていると言うことである。かりに次のピークが100年後とし、さらに一歩ゆずって人類の排出する二酸化炭素が影響を与えるとしても、このピーク時を何年か早めるに過ぎないのである。例え今日から化石燃料の使用を止めても、ややおくれでピークがやって来ると言うことである。つまり南極の氷が溶け、沈む島があるが、これを止めることは不可能なのである。したがって化石燃料の使用を制限すれば、これらの島が大丈夫かの印象をマスコミは与えているが、この理論でもいずれ沈むと言うことになる。 筆者が「化石燃料による二酸化炭素性悪説」に疑問をもったのは、昔「二酸化炭素が増え、気温が上昇すれば、当然蒸発する水分が増える。したがって降雨量も増えるはずである。二酸化炭素は水に溶けやすい性質を持つから大気中の二酸化炭素は雨に吸収される。つまり一直線には大気中の二酸化炭素の濃度は上がらない」と言う仮説を聞いてからである。筆者は、ここで海水と二酸化炭素の関係を考えると温暖化のピーク時には相当の雨量が想定されるのではないかと考える。さらに筆者は、雨が二酸化炭素を吸収するだけでなく、地球から気化熱を相当奪うのではないかと考えるのである。一旦、これで地球が冷やされると、海水温度が下がり、二酸化炭素が大気から吸収され、地球の寒冷化がさらに進むと言うメカニズムである。寒冷が進めば、反対降雨量が減少し、最後に気温のボトムを向かえると言う循環である。 筆者は、地球の気温のメカニズムについては素人である。しかし、素人と言えど筆者は人類の発生させる二酸化炭素と地球温暖化についての関係には疑問を持っている。筆者は、これらに対応する施策は、もっと専門家の研究が進んでからでも遅くないと主張したいのである。
- 京都会議の意義
決して筆者は京都会議の意義の全てを否定していない。各国が一同に会して二酸化炭素を論ずることは、有意義であり、重要である。ただ、科学的にはっきりしないと考える「二酸化炭素と地球温暖化」の問題にあまりにも比重が置かれ過ぎのに対して反対なのである。「環境問題」にはこの他にも「オゾン層の破壊」「ダイオキシン」「酸性雨」「窒素酸化物」など色々ある。これらも各国の利害にからむものである。むしろこちらを優先して解決を図る方が良いと筆者は考えている。 たしかに化石燃料の使用を制限することによって二酸化炭素だけでなく、「酸性雨」や「窒素酸化物」の発生を押さえることができる。さらに省エネは大切なことと考えるが、二酸化炭素の問題だけに注目が集まるとおかしいことになるのである。例えば、ディーゼルエンジンはガソリンエンジンに比べ二酸化炭素の排出が少ないとされている。つまり、ここまでならディーゼル車は環境に良いと言うになる。しかし、このことによってガソリンエンジンよりディーゼル車を増やすような施策を採られたら問題と考えるのである。と言うのは、かりにディーゼルエンジンがガソリンエンジンより逆に「窒素酸化物」の排出が多いとすれば、この施策は環境問題に逆行する可能性があるからである。 地球温暖化で沈む島が考えられるが、それが避けられないとすれば、対策ももっと現実的になされるべきである。つまり堤防を早くつくるとか埋め立て用の土石を輸出するとか色々施策が考えられる。地球規模の気温をコントロールすることによってこれを解決すると言う考えは、全く現実離れしている。 日本の提案は二酸化炭素の排出レベルを90年の5パーセント減に抑えようと言うものであるが、マスコミからは評判が悪い。この提案は米国とヨーロッパの間の数値である。しかし、人類の活動による二酸化炭素と地球の温暖化の関係が今だはっきりしていないと考える筆者のような立場からは、日本の提案は現実的であり、妥当と考えるのである。これに強く反発する人々がいるが、その人達にはその科学的根拠を聞きたいのである。
「環境問題と経済」についてはもっと述べたいことがあるが、現在の経済の動きが激しくなっているので、来週号からまた「景気と対策」をテーマとして取り上げたい。
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