- 森永氏の問題発言
テレビを始め日本のマスコミが、一斉に国内の「格差」問題を取上げ始めた。しかし「格差」そのものについての定義は、議論する人々の間でバラバラである。所得格差を指す場合や、将来の就職機会での格差など様々である。また「格差」を計る統計資料も貧弱である。よく格差の実態を示すために用いられるジニ係数は、世帯単位の所得格差を示す。しかし世帯人数がずっと減少している日本では、実際に所得格差が拡大しているとしても、世帯人数の減少による影響を取り除く必要がある。ジニ係数だけでの説明では正確さを欠くのである。
また所得と言っても、給与や事業の所得の他に、資産から生まれる所得もある。これ以外に、公的年金や生活保護などの社会補償の収入を加える考えもある。このように一口に格差と言っても、議論する人によって念頭に置く「所得や収入」というものの概念が異なっており、意味のある議論にならない。
格差を巡る議論は白熱している。大きな「格差」があり、またこの「格差」は年々拡大しており、日本の格差問題は重要という人がいる。一方、格差が発生しているがそのうち解消する範囲のものであると楽観的に見る人がいる。また統計上では「格差」が大きくなっているとは認められなく(従来からの格差のまま)、つまり日本で取り立てて今日問題にするような格差はないと主張する人々がいる。さらに格差があることは当然であり、むしろ無理に格差を縮めることの方が問題であり、それこそ悪平等に繋がる不健全な考えであると決めつける論者もいる。
だいたい格差を問題にする野党の立場の人は一番目の認識である。一方、与党や権力に近い人々は、二番目から四番目の認識である(本心は分からないが)。これだけ人々の間に格差について認識の差があるのだから、通常格差に関する議論は白熱する割にはまともな結論は出ない。ところが3月31日のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」で、これに対する有効な対策が飛出したのである。
同番組では、格差に関する識者と言われる論客と与野党の国会議員を集め議論がなされた。「格差拡大、格差問題有り」の代表は、エコノミストの森永卓郎氏であった。森永氏は、大企業と中小企業の給与の推移、貯蓄無し世帯の増加、さらに正社員と非正規労働者の給与格差といった具体的な数字を用いて、今日の格差社会の実態を説明した。
参加者は、森永氏と森永氏の論調を支持しそれに補足する意見を述べる者のグループと、これに真っ向から反対するグループ、さらに時として森永氏に賛成し時には反対すると言った風見鶏派の三つに割れた。だいたい森永氏に同調するのが野党的な立場の人々であり、反対するのが与党の立場の人々である。
そして番組がかなり進行してから、森永氏から問題発言が飛出した。議論が進み、司会の田原総一郎氏でさえ、日本の格差問題は深刻という意見に賛同せざるを得なくなった雰囲気になった。田原氏はそこで森永氏に「では格差問題を解消する具体的な方策はなにか」と問うた。森永氏は日本の金融政策が問題と指摘した。これに対して田原氏「何を言っているの、日本は金融を超緩和にしている」と反論した。当然の反論である。しかし森永氏は「日銀の金融緩和は、本当の金融緩和ではない。単に銀行の当座預金が積み上がっているだけで民間に流れない。」と指摘した。ちょっと一般には理解が難しい話である。また森永氏は「バブルの清算時にもっと適切な金融政策が行われていたなら、リストラも行われずこんなに非正規雇用が増えなかった」と述べた。田原氏は「それじゃ具体的にどうすれば良かったのだ」と畳み掛けた。そしてついに森永氏は「日銀がどんどん政府発行の国債を買えば良かったのですよ」と爆弾発言を行った。これこそまさに筆者が長年主張している広義の「セイニアリッジ政策」である。
- 森永氏の腰砕け
森永氏がこの発言を行った瞬間、出席者から「おう!」といった声が漏れた。「ついに言ってしまったか」という雰囲気であった。「セイニアリッジ政策」は日本の論壇ではタブーである。ところが他のパネラーからも「デフレ時には中央銀行が国債を買って、リフレ政策を行うことは世界の常識になっている」、「バーナンキ現FRB議長でさえも日本に来て、同様の政策を奨めていた」と次々に賛同する声が続いた。ちなみにバーナンキ現FRB議長の発言は、04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」で紹介した、平成3年5月31日の日本金融学会の講演での話である。まさに森永氏はパンドラの箱を開けたのである。
「セイニアリッジ政策」と言えば、日銀の国債引受けだけではなく、当然政府貨幣(紙幣)発行という方法がある。こちらは03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」で述べたように、スティグリッツ教授が、日本経済にとって政府紙幣(プリンティングマネー)発行が有効と講演で話をしている。ただこの中で「経済学者が政府紙幣発行を主張する時は、経済学界から追放されることを覚悟しておかなければならない」と半分冗談を言っている。ようするに常識のあるまともな(頭がおかしい構造改革派に対抗する意味で)経済学者は、日本経済にとって「国債の日銀引受け」や「政府貨幣(紙幣)」が有効な処方箋と主張しているのである。しかしこの政策は、経済論壇の中では経済学者とって身に危険が及ぶタブーなのである。
注目すべきことは、この経済ノーベル賞学者スティグリッツ教授を日本に招待したのが日経新聞であり、政府紙幣(プリンティングマネー)発行発言が飛出したのが財務省主催の講演会である。構造改革派の巣窟である日経新聞と増税と財政支出削減に熱心な財務省にも、一部にまともな考えの人々がいるということである。今日のような財政再建運動が続けば、日本はボロボロになる(今日十分その徴候は現れている)と危惧する人々がいるのである。
ところで日本では経済財政諮問会議というものが政府の最高意思決定機関ということになっている。今日経済財政諮問会議では、経済成長率と長期金利の動向について喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がなされている(筆者は全く興味がないが)。どうも将来の増税額に影響するという話である。しかし経済の諸条件が全く異なる他国の実績を、互いに持出して議論しても何のたしになると言いたい(基本的な財政の数字も莫大な金融資産を持つ日本と、そうではない他の先進各国と比べては誤解を招くだけである)。
この論争は世間からも「神学論争」と揶揄されている。この延々と続く議論にあきれたあの経済オンチの小泉首相さえが、「マンキュー(米国の経済学者)だかサンキューだか知らないが、財政支出の削減だけを考えれば良い」と怒り出す始末である。間抜けな経済学者や民間委員の間抜けな議論に、小泉純一郎という酔っぱらいが「からんだ」と言った構図である。なさけないがこれが日本の最高意思決定機関の現状である。日本政府が中国や韓国にばかにされ、からかわれるのも当り前である。日銀の国債買上げによるリフレ政策といった、まともな政策からはるか遠い間抜けな議論が政府の最高意思決定機関で延々となされているのである。
しかしここまで思いきった発言を行った森永氏であるが、それ以降腰砕け状態になった。田原氏から「国債の日銀引受けは良いとして、その金を何に使うのか」と突っ込まれ、とたんに森永氏は口ごもってしまった。もちろん「財政支出」に使うとはっきり言えば良かったのである。国債の日銀引受けというタブーを突破してくれたが、もう一つのタブーである「財政支出増大」までは言い及ばなかったのである。森永氏には「もう一つ勇気を」と言いたいところである。
森永氏の指摘するように、単純に日銀の当座預金を増やし、マネーサプライを増やしても効果は期待できない。03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で述べたように、財政支出を通じ所得を発生させる形でマネーサプライを増やしてやることが必要である。この財源は国債の日銀引受けである(増税では効果が減殺される)。ともかく森永氏の「国債の日銀買入れによるリフレ政策」発言は大きな前進であった。しかしさらにもう一言付け加えるならば、日銀が国債を買入れ(引受け)た場合、その国債は実質的に国の借金にはならないことも説明してもらいたかった。
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