平成9年2月10日より
経済コラムマガジン


来週号はゴールデンウィークにつき休刊である

06/4/24(434号)
もう一つ勇気を

  • 森永氏の問題発言
    テレビを始め日本のマスコミが、一斉に国内の「格差」問題を取上げ始めた。しかし「格差」そのものについての定義は、議論する人々の間でバラバラである。所得格差を指す場合や、将来の就職機会での格差など様々である。また「格差」を計る統計資料も貧弱である。よく格差の実態を示すために用いられるジニ係数は、世帯単位の所得格差を示す。しかし世帯人数がずっと減少している日本では、実際に所得格差が拡大しているとしても、世帯人数の減少による影響を取り除く必要がある。ジニ係数だけでの説明では正確さを欠くのである。

    また所得と言っても、給与や事業の所得の他に、資産から生まれる所得もある。これ以外に、公的年金や生活保護などの社会補償の収入を加える考えもある。このように一口に格差と言っても、議論する人によって念頭に置く「所得や収入」というものの概念が異なっており、意味のある議論にならない。


    格差を巡る議論は白熱している。大きな「格差」があり、またこの「格差」は年々拡大しており、日本の格差問題は重要という人がいる。一方、格差が発生しているがそのうち解消する範囲のものであると楽観的に見る人がいる。また統計上では「格差」が大きくなっているとは認められなく(従来からの格差のまま)、つまり日本で取り立てて今日問題にするような格差はないと主張する人々がいる。さらに格差があることは当然であり、むしろ無理に格差を縮めることの方が問題であり、それこそ悪平等に繋がる不健全な考えであると決めつける論者もいる。

    だいたい格差を問題にする野党の立場の人は一番目の認識である。一方、与党や権力に近い人々は、二番目から四番目の認識である(本心は分からないが)。これだけ人々の間に格差について認識の差があるのだから、通常格差に関する議論は白熱する割にはまともな結論は出ない。ところが3月31日のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」で、これに対する有効な対策が飛出したのである。


    同番組では、格差に関する識者と言われる論客と与野党の国会議員を集め議論がなされた。「格差拡大、格差問題有り」の代表は、エコノミストの森永卓郎氏であった。森永氏は、大企業と中小企業の給与の推移、貯蓄無し世帯の増加、さらに正社員と非正規労働者の給与格差といった具体的な数字を用いて、今日の格差社会の実態を説明した。

    参加者は、森永氏と森永氏の論調を支持しそれに補足する意見を述べる者のグループと、これに真っ向から反対するグループ、さらに時として森永氏に賛成し時には反対すると言った風見鶏派の三つに割れた。だいたい森永氏に同調するのが野党的な立場の人々であり、反対するのが与党の立場の人々である。


    そして番組がかなり進行してから、森永氏から問題発言が飛出した。議論が進み、司会の田原総一郎氏でさえ、日本の格差問題は深刻という意見に賛同せざるを得なくなった雰囲気になった。田原氏はそこで森永氏に「では格差問題を解消する具体的な方策はなにか」と問うた。森永氏は日本の金融政策が問題と指摘した。これに対して田原氏「何を言っているの、日本は金融を超緩和にしている」と反論した。当然の反論である。しかし森永氏は「日銀の金融緩和は、本当の金融緩和ではない。単に銀行の当座預金が積み上がっているだけで民間に流れない。」と指摘した。ちょっと一般には理解が難しい話である。また森永氏は「バブルの清算時にもっと適切な金融政策が行われていたなら、リストラも行われずこんなに非正規雇用が増えなかった」と述べた。田原氏は「それじゃ具体的にどうすれば良かったのだ」と畳み掛けた。そしてついに森永氏は「日銀がどんどん政府発行の国債を買えば良かったのですよ」と爆弾発言を行った。これこそまさに筆者が長年主張している広義の「セイニアリッジ政策」である。


  • 森永氏の腰砕け
    森永氏がこの発言を行った瞬間、出席者から「おう!」といった声が漏れた。「ついに言ってしまったか」という雰囲気であった。「セイニアリッジ政策」は日本の論壇ではタブーである。ところが他のパネラーからも「デフレ時には中央銀行が国債を買って、リフレ政策を行うことは世界の常識になっている」、「バーナンキ現FRB議長でさえも日本に来て、同様の政策を奨めていた」と次々に賛同する声が続いた。ちなみにバーナンキ現FRB議長の発言は、04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」で紹介した、平成3年5月31日の日本金融学会の講演での話である。まさに森永氏はパンドラの箱を開けたのである。


    「セイニアリッジ政策」と言えば、日銀の国債引受けだけではなく、当然政府貨幣(紙幣)発行という方法がある。こちらは03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」で述べたように、スティグリッツ教授が、日本経済にとって政府紙幣(プリンティングマネー)発行が有効と講演で話をしている。ただこの中で「経済学者が政府紙幣発行を主張する時は、経済学界から追放されることを覚悟しておかなければならない」と半分冗談を言っている。ようするに常識のあるまともな(頭がおかしい構造改革派に対抗する意味で)経済学者は、日本経済にとって「国債の日銀引受け」や「政府貨幣(紙幣)」が有効な処方箋と主張しているのである。しかしこの政策は、経済論壇の中では経済学者とって身に危険が及ぶタブーなのである。

    注目すべきことは、この経済ノーベル賞学者スティグリッツ教授を日本に招待したのが日経新聞であり、政府紙幣(プリンティングマネー)発行発言が飛出したのが財務省主催の講演会である。構造改革派の巣窟である日経新聞と増税と財政支出削減に熱心な財務省にも、一部にまともな考えの人々がいるということである。今日のような財政再建運動が続けば、日本はボロボロになる(今日十分その徴候は現れている)と危惧する人々がいるのである。

    ところで日本では経済財政諮問会議というものが政府の最高意思決定機関ということになっている。今日経済財政諮問会議では、経済成長率と長期金利の動向について喧々諤々(けんけんがくがく)の議論がなされている(筆者は全く興味がないが)。どうも将来の増税額に影響するという話である。しかし経済の諸条件が全く異なる他国の実績を、互いに持出して議論しても何のたしになると言いたい(基本的な財政の数字も莫大な金融資産を持つ日本と、そうではない他の先進各国と比べては誤解を招くだけである)。

    この論争は世間からも「神学論争」と揶揄されている。この延々と続く議論にあきれたあの経済オンチの小泉首相さえが、「マンキュー(米国の経済学者)だかサンキューだか知らないが、財政支出の削減だけを考えれば良い」と怒り出す始末である。間抜けな経済学者や民間委員の間抜けな議論に、小泉純一郎という酔っぱらいが「からんだ」と言った構図である。なさけないがこれが日本の最高意思決定機関の現状である。日本政府が中国や韓国にばかにされ、からかわれるのも当り前である。日銀の国債買上げによるリフレ政策といった、まともな政策からはるか遠い間抜けな議論が政府の最高意思決定機関で延々となされているのである。


    しかしここまで思いきった発言を行った森永氏であるが、それ以降腰砕け状態になった。田原氏から「国債の日銀引受けは良いとして、その金を何に使うのか」と突っ込まれ、とたんに森永氏は口ごもってしまった。もちろん「財政支出」に使うとはっきり言えば良かったのである。国債の日銀引受けというタブーを突破してくれたが、もう一つのタブーである「財政支出増大」までは言い及ばなかったのである。森永氏には「もう一つ勇気を」と言いたいところである。

    森永氏の指摘するように、単純に日銀の当座預金を増やし、マネーサプライを増やしても効果は期待できない。03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」で述べたように、財政支出を通じ所得を発生させる形でマネーサプライを増やしてやることが必要である。この財源は国債の日銀引受けである(増税では効果が減殺される)。ともかく森永氏の「国債の日銀買入れによるリフレ政策」発言は大きな前進であった。しかしさらにもう一言付け加えるならば、日銀が国債を買入れ(引受け)た場合、その国債は実質的に国の借金にはならないことも説明してもらいたかった。



来週号はゴールデンウィークにつき休刊である。再来週の5月8日号は、予定通り金融政策と財政政策の関係を取上げる。

亀井静香勝手連の掲示板のアドレスが変更された。新しい掲示板には亀井静香勝手連のトップページから入ってもらいたい。亀井静香勝手連のアドレスは(亀井静香勝手連のホームページhttp://www.nb-j.co.jp/katteren)である。



06/4/17(第433号)「格差とマスコミ」
06/4/10(第432号)「官僚の力と限界」
06/4/3(第431号)「日経新聞のダブルスタンダード」
06/3/27(第430号)「金融政策の失敗の歴史」
06/3/20(第429号)「量的緩和解除の波紋」
06/3/13(第428号)「コンビニ弁当の話」
06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
06/2/20(第425号)「労働力と経済成長」
06/2/13(第424号)「大衆社会における経済論議」
06/2/6(第423号)「皇室典範改正法案に一言」
06/1/30(第422号)「ホリエモンと政治家」
06/1/23(第421号)「改革の旗手の危機」
06/1/16(第420号)「今年の景気予想」
06/1/9(第419号)「思考停止の日本」
05/12/19(第418号)「日本人の変質」
05/12/12(第417号)「日本的経営の行く末」
05/12/5(第416号)「アメリカ人」
05/11/28(第415号)「遠ざかる豊かな社会」
05/11/21(第414号)「移民問題と市場経済」
05/11/14(第413号)「ブリエアの解放者たち」
05/11/7(第412号)「第三次小泉内閣の感想」
05/10/31(第411号)「現実経済の乗数値」
05/10/24(第410号)「公共投資に伴う誘発投資」
05/10/17(第409号)「誘発投資の拡張版」
05/10/10(第408号)「経済理論上の乗数」
05/10/3(第407号)「政治家達の沈黙」
05/9/26(第406号)「大谷氏への公開質問状」
05/9/19(第405号)「デマの検証」
05/9/13(第404号)「選挙結果の雑感」
05/8/29(第403号)「今回の総選挙を読む」
05/8/22(第402号)「今回の総選挙の沿革」
05/8/8(第401号)「中国経済の本当の脅威」
05/8/1(第400号)「中国の為替戦略」
05/7/25(第399号)「経済のグローバリズムの行末」
05/7/18(第398号)「経済のグローバリズムの本質」
05/7/11(第397号)「郵政法案と小泉政権の行方」
05/7/4(第396号)「経済のグローバリズムと競争の公正」
05/6/27(第395号)「日本語の研究」
05/6/20(第394号)「公的年金とセイニアーリッジ」
05/6/13(第393号)「日本国民全員がばん万歳の政策」
05/6/6(第392号)「公的年金とマクロ経済」
05/5/30(第391号)「マクロ経済政策で解決するもの」
05/5/23(第390号)「ヴァーチャルなもの(その2)」
05/5/16(第389号)「ヴァーチャルなもの(その1)」
05/5/9(第388号)「中国進出の主導者」
05/4/25(第387号)「鎖国主義への誘惑(その2)」
05/4/18(第386号)「鎖国主義への誘惑(その1)」
05/4/11(第385号)「ノストラダムスの大予言」
05/4/4(第384号)「法律と現実社会との間」
05/3/28(第383号)「株式に関する非常識」
05/3/21(第382号)「人とグローバリズム」
05/3/14(第381号)「資本とグローバリズム」
05/3/7(第380号)「貿易とグローバリズム」
05/2/28(第379号)「マスコミの暴走」
05/2/21(第378号)「マスコミが流す誤った概念」
05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」
05/2/7(第376号)「日本のマスコミの体質」
05/1/31(第375号)「財政当局の変心」
05/1/24(第374号)「経済成長の条件(その2)」
05/1/17(第373号)「経済成長の条件(その1)」
05/1/10(第372号)「中国経済の実態」
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」
04/12/6(第370号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その3」
04/11/29(第369号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その2」
04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」
04/11/15(第367号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その1」
04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」
04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
04/10/25(第364号)「クライン博士を招いてのシンポジウム」
04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」
04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」
04/9/27(第360号)「豊かな社会ーー競争と共生」
04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
04/4/12(第340号)「火星の土地」
04/4/5(第339号)「円高は構造的」
04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
04/3/22(第337号)「矛盾の出発点」
04/3/15(第336号)「日経の貧乏神」
04/3/8(第335号)「実感なき経済成長」
04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
04/2/16(第332号)「為替介入資金の働き(その2)」
04/2/9(第331号)「為替介入資金の働き(その1)」
04/2/2(第330号)「為替介入政策の限界」
04/1/26(第329号)「今日の政治課題」
04/1/19(第328号)「今年の政局の課題」
04/1/12(第327号)「今年の日本の景気」
03/12/15(第326号)「日本の公的年金」
03/12/8(第325号)「足利銀行の破綻処理」
03/12/1(第324号)「日本経済を支えているもの」
03/11/24(第323号)「総選挙結果から見えるもの」
03/11/17(第322号)「総選挙結果の分析」
03/11/10(第321号)「総選挙の結果他」
03/11/3(第320号)「総選挙の予測」
03/10/27(第319号)「動態的会計による企業価値算定」
03/10/20(第318号)「道路公団、財務諸表の怪」
03/10/13(第317号)「藤井総裁解任劇」
03/10/6(第316号)「総裁選と総選挙」
03/9/29(第315号)「総裁選の総括」
03/9/22(第314号)「ドキュメンタリー総裁選」
03/9/15(第313号)「レポート総裁選・・その2」
03/9/8(第312号)「レポート総裁選」
03/9/1(第311号)「混迷の終始符」
03/8/25(第310号)「急がば回れ・・再び」
03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」
03/8/4(第308号)「日本の実稼働率」
03/7/28(第307号)「設備投資の実態」
03/7/21(第306号)「企業経営と創造的破壊」
03/7/14(第305号)「頭が破壊されている人々」
03/7/7(第304号)「頭が混乱している構造改革派」
03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
03/6/23(第302号)「経済の循環(その1)」
03/6/16(第301号)「経済政策の混乱」
03/6/9(第300号)「りそな銀行の件」
03/6/2(第299号)「規制緩和と日本経済」
03/5/26(第298号)「経済学と経営学」
03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」
03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」
03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」
03/4/21(第294号)「逆噴射の財政政策」
03/4/14(第293号)「危機管理下の経済政策」
03/4/7(第292号)「国債の管理政策」
03/3/31(第291号)「経済再生政策提言フォーラム」
03/3/24(第290号)「日本の有名経済学者達」
03/3/17(第289号)「波乱の株式市場」
03/3/10(第288号)「政府貨幣の理解」
03/3/3(第287号)「軽視される高橋是清の偉業」
03/2/24(第286号)「日本の清貧の思想」
03/2/17(第285号)「日本のデフレの原点」
03/2/10(第284号)「小泉首相の「もっと重要なこと」」
03/2/3(第283号)「スローパニック経済」
03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」
03/1/20(第281号)「マネーサプライ政策の限界」
03/1/13(第280号)「データに基づく経済論」
02年のバックナンバー

01年のバックナンバー

00年のバックナンバー

99年のバックナンバー

98年のバックナンバー

97年のバックナンバー

日頃忙しいビジネスマンへのオンラインマガジン