- マスコミの力
世の中には表に決して出ないが、社会に大きなの影響力を持った人々がいる。世に言う「影のフィクサー」と呼ばれる人々である。以前、筆者は、日本経済復活の会の小野会長と一緒に、そのような「影のフィクサー」的人物の一人、Yさんに会ったことがある。我々は「財政支出を増やした方が政府の債務のGDP比率はむしろ下がる」というシミュレーション結果を元に、政策を積極財政に転換させる方策をYさんに相談した。
Yさんは「いきなり政治家に動いてもらおうとしても無理がある」と、また「政治家もなかなか動かない」と指摘し、政治家を動かしたいのなら「まずマスコミを動かす」ことであるとおっしゃった。またYさんは「マスコミが動けば、自然と政治家も動く」のであり、その逆はないと断言された。そしてYさんからはいくつかのメディアを紹介してもらった。
たしかにいきなり政治家に話を持って行き、うまくその政治家が賛同してくれても、必ずしも成果が期待できないのが現実である。筆者が存じ上げているある政治家は、議員連盟を作ることが半ば趣味のようになっている。「僕は18も議員連盟を作ったよ」とよく言っておられた。しかしこれらの活動の結果は必ずしも芳しいものではない。たしかに政治家に話を聞いてもらい、議員連盟ができること自体は画期的である。しかしそれによって政策が、即、実現することにはならない。
一般の人々が政策を訴え、政治家が動き、一定の成果を生んているのが「拉致問題」である。拉致問題そのものは、かなり昔から囁かれていた。雑誌などで何回も取上げられていた。しかしなかなか進展がなかった。ところがテレビが取上げるようになってから、「拉致問題」が社会でクローズアップされるようになった。この頃から政治家も「拉致議連」を創り、本格的に動き始めた。「拉致問題」そのものはかなり前から知られていたが、政治家が本格的に動き出したのは、意外とそんなに昔からではない。まさに関係者の地道で弛まない努力の成果である。しかしこれついてもマスコミの働きが大きかったと見る。
これほど影響力のあるマスコミであるが、マスコミには重大な問題がある。問題が複雑で分かりにくいと、マスコミはなかなかそれを本格的に取上げようとしないことである。マスコミは大衆を相手にしている。そして大衆は大量の情報の渦の中にいる。その大衆を振向かせるのはなかなか至難の技であり、どうしてもマスコミは大衆が理解できる範囲の問題を取上げ、またその切り口も大衆へのアッピール度が第一と考える。特にテレビはこの傾向が強い。
例えば年金問題では、マスコミは本質的な議論を避け、「議員年金」や「社会保険庁のスキャクダル」ばかりを取上げる。経済の分野で取上げるのは株価、物価といった分りやすいものばかりである。金利、為替(為替介入)など説明が難しいものは避けたがる。また財政では政府の債務残高ばかりを取上げる。政府の債務残高から金融資産を差引いたところの純債務にはまず触れない(純債務のGDP比率は他の先進各国と変わらず、日本の財政状態が特に悪いということはない)。例えば政府・日銀は借入金で為替介入を行い、米国国債を買っている。つまり為替介入によって借金は増えるが、同時に米国国債という金融資産が増え、結果的に純債務の額は変わらない。しかしこのことには触れようとしない。
マスコミと言った場合、影響力の点で新聞とテレビが頭に浮かぶが、新聞よりテレビの方がずっと社会にインパクトがある。新聞を隅々まで読んでいるのは、現役を引退し、暇がある人々ぐらいである。新聞の投書欄を見ても、その傾向が分かる。以前、筆者は仕事で新聞に広告を掲載していたことがあるが、新聞社系の広告代理店の営業マンでさえ「新聞はテレビ欄しか効果がない」と言っていた(中には他の掲載面を勧めたい営業マンがいて、日本人はそれほどばかではないと言っていたが)。
新聞の記事が社会に影響力があるとしたなら、テレビが新聞のその記事を取上げた場合であろう。つまり今日、圧倒的に影響力のあるマスコミと言えばテレビということになる。しかしテレビは「ザッピング」という「難敵」を抱えている。視聴者が、その番組が面白くないと感じると、リモコンでどんどんチャンネルを変える行為である。したがってテレビ番組の制作者は、番組の始めから終わりまでチャンネルを変えられないよう、視聴者に分りやすい表現で刺激を与え続ける必要がある。とにかく分かりにくい表現や言葉は極力避けるようになっている。
したがってテレビの問題の取上げ方は、平板で単純であるが刺激的になる。テレビでは「日本の財政は悪い」ということが約束事のようになっている(それほど悪くないと言っても、その説明は複雑になるため、テレビの世界では「財政は悪い」ことになっている)。年金問題も、本質的な議論は複雑で難しく、テレビ番組にそぐわない。どうしてもテレビは年金問題についてスキャンダル的な取上げ方をする。つまり視聴率競争を行っているテレビというメディアは、問題を深く正確に伝えることに不向きである。しかしテレビは大衆に影響を与え、このことによって政治家に影響力があるのも現実である。このテレビが最近「格差」を頻繁に取上げ始めたのである。
- テレビの論調の変化
昨年あたりから、日本のマスコミは「格差」を取上げるようになった。今日問題にされている格差は「所得格差」と筆者は考える。一方には社会格差という捉え方もあるが、これでは話が広がり過ぎて、問題点が拡散してしまう。もっとも社会格差も、所得格差によって引き起されている面が強い。
「下流社会」とか「下層階級」といったテーマの本が売れ出し、新聞、雑誌などもこの問題を取上げるようになった。「構造改革」推進派であったテレビも、昨年の暮あたりから「格差」問題を取上げるようになった。
昔から、政治家などの有力者の子弟は、航空会社とテレビ局によく就職したものである。特に航空会社は「コネ入社」で有名だった。航空会社は花形産業であり、給料も高いということで人気があった。しかし最近では、規制緩和によって各航空会社とも経営が厳しくなっている。一方、相変わらず有力者の子弟の就職が目立つのがテレビ局である。
テレビ局の社員の給料が高いことは周知の事実である。これもテレビ業界が規制に守られているからである。構造改革派の人々は、「規制緩和」とさかんに叫んでいるが、全ての産業の規制が一斉に緩和されることは絶対にない。どうしても「規制緩和」は力のない中小企業の集まる産業がターゲットになる。もともと過度に競争的になりがちな業界にとって共倒れを防ぐ方策が「規制」であったが、これがどんどん緩和ないし撤廃されている。一方、テレビ局や新聞社は最後まで規制で守られることになっている。
テレビ局の制作現場は格差の典型である。多くの番組を実際に制作しているのは、下請のテレビ番組制作会社である。テレビ局正社員と制作会社の社員では、給料に雲泥の差がある。テレビ局は制作費を節約するため、番組制作を制作会社にどんどん丸投げしている。また制作会社の労働環境が厳しいことは有名である。ところが「勝組」の代表と思われるこのテレビ局が「格差」を取上げるのだから、筆者もちょっと驚きである。
おそらくテレビも無視できないほど、日本における「格差」の問題が深刻になり、また誰にでも身近なものになってきたからと考える。大衆を相手にするテレビは、この問題を取上げざるを得なくなっているのであろう。
3月31日のテレビ朝日系「朝まで生テレビ」で、この日本の格差社会の問題を取上げていた。わずか半年前まで司会の田原総一郎氏が「日本は社会主義国のように、所得格差のない国」と言い張っていたことが嘘のようである。この番組の詳細は来週取上げるが、内容は最近になく面白かった。特に「リフレ政策」の話とその具体的な実行方法が飛出したことは、ちょっと画期的な出来事であり、意外であった。
最近になって、新自由主義、あるいは構造改革派の力に陰りが見られる。昨年の暮れあたりから、この傾向が顕著である。やはり昨年の衆議員選直後の小泉内閣改造あたりが、これらの勢力のピークであったと考えられる。今後、どのような政権ができようとも、揺り戻しは必至である。何故ならテレビでさえ、「格差問題」を本格的に取上げるようになったのである。
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