- 権力の「三すくみ」
日本において政策がどのように遂行されているかを検証したい。ここで言う政策には、日銀の金融政策や、財務官僚が中心に行っている為替介入政策なども含まれる。また司法・検察も独自の価値判断で、政策を実施することがある。たしかに法律は、選挙で選ばれた政治家が制定・改廃する。しかし法律の具体的な執行の場面では、大きな範囲で裁量というものが入り込む余地がある。この部分は官僚の判断に委ねられていると言って良い。
またかなりの法律が官僚の都合で提出されていることを考えると、日本は官僚主導の国家と言っても差し支えない。ただし官僚が法律案を作っても、なかなか通らないケースもある。「人権擁護法案」や「外国人への参政権付与法案」などである。これらについてはかろうじて政治がノーを突き付けている。もっとも中には政治や国民のチェックをかいくぐり、知らない間に成立した問題法案もある。今日、問題になっているPSE法案や裁判員制度などである。裁判員制度なんか国民の誰もが気付かないうちに成立した法律である。建築基準法の改正も、これに近い形で通過したと考えて良い。
ここまでの話では、官僚(司法を含め)と政治家が、日本の政治を左右していることになる。しかし政治の世界にはマスコミが大きな影響力を持っている。つまりおおざっぱに言って、日本の権力構造は官僚、政治家、マスコミの「三すくみ」状態と考えられる。また財界や業界も政策決定に影響力がある。彼等はこれら政治家、官僚、そしてマスコミに働きかけることによって、現実の政策に関わっていると考えて良い。
それでは国民不在の政治ではないかということになる。たしかに小選挙区制が実施された後、一般の国民の声は以前に比べ政治に届かなくなっている。もっとも国民の声というものが実際にはマスコミに影響されていることを考えると、結果的には政治家や官僚もマスコミの方を向くことになる。つまり所詮「国民の声」と呼ばれているものも、マスコミが取上げないと力にならない。最近、政治家も「格差」を問題にするようになったが、これはマスコミがこの問題を取上げるようになったからである。また最近の政治の「官僚いじめ」もマスコミの最近の論調を意識した行動と考える。
マスコミについては来週また触れることにする。冒頭に述べたように、実際の政策遂行に関して官僚にかなり大きな裁量が与えられている。2年前、財務当局・日銀は35兆円もの為替介入を行った。ところが35兆円を使うことに政治家のチェックは全く入らない。政治家も円高になると困るので、官僚の行動にノータッチである。一方、政治家達はつまらない議員年金で大騒ぎをしているのである。
つまり日本では、大きなことは官僚が判断しこれを実行し、政治家はどうでも良い小さなことに関わっている。またマスコミは、何がなんだかさっぱり解らないから為替介入など専門性のある事項には触れたがらず、議員年金みたいな世間にアッピールする問題だけを取上げる。スキャンダルはマスコミの第一の好物である。また特別会計などは重要であるが、これらも専門的で複雑なため、マスコミはこれらの問題から逃げている。そしてマスコミが取上げないから、これらに対して政治家も関心を示してこなかった。したがって特別会計などは官僚の自由広場である。つまりマスコミの力は強いが、力が及ぶ範囲に限度がある。
あまり注目を集めないが、官僚の間には激しい権力闘争というものがある。これが官僚の行動を規定し、最終的に日本の政治・行政を動かすことになると筆者は考える。官僚組織は一種の「村」であり、村には「村の掟」がある。本誌も99/9/27(第132号)「日銀の独立性(その1)」でこれを取上げた。しかし問題は、各省庁が「村の掟」を守ることが国家・国民の為になるかどうかということである。財務省などは、「村の掟」に過ぎないはずの「財政再建」を、うまく「国民の願い」に摺り替えることに成功している。
筆者はかなりの官僚が心の底では国家・国民のことを大事と考えていると感じる。中にはこの自分達の「村の掟」が、国民にとってひょっとするとむしろ有害と思っている官僚もいるはずである。このような官僚はジレンマに置かれているのである。もっとも一方には、自分達の「村の掟」が、国民にとっても良いことと思い込んでいる頭の固い(悪い)官僚もかなりいる。
- 主計官僚の力の源泉
官僚は、迷いながらも「村の掟」を守ろうとする。さらに省庁に「村の掟」があるように、省の中の局にも「村の掟」があるから複雑である。官僚は、夫々自分達の「村の掟」を「御旗」に権力闘争を行っている。筆者は、日本の政策決定が科学的、客観的に行われるのではなく、大筋は省庁間のこの権力闘争で決まると考えている。
今日、日本の官僚で抜群の力を持つのは財務省の主計官僚と言われている(実際にあるかどうかを別にして)。これは誰でも認めるところである。官僚を取上げる場合、主計官僚のことは避けることができない。誰でも彼等を官僚の中のエリートと見ている。
官僚のトップは事務次官である。大蔵・財務省の事務次官には主に主計畑を歩んできた者がなってきた。しかし以前は、主計畑以外の大蔵官僚が事務次官に就くこともあった。今日のように主計畑の者しかトップにならなくなったのは、ここ20年余りの話である。数年前、月刊文芸春秋にこのことを指摘する記事が掲載された。ようするに財政再建のためにゼロシーリングが導入されたのをきっかけに、大蔵省内での主計の絶対優位が確立されたというのである。
また財政再建運動によって主計官僚の力が強くなり、これによって大蔵省の力が一段と強くなった。ゼロシーリングによって予算に枠がはめられたため、予算を査定する主計官僚の他省庁への力は自然大きくなった。消費税導入を目論み大平内閣以降の政権では、財政再建運動が活発になり、大蔵省・主計官僚の力が一段と強くなったのである。そして主計官僚の方も一旦掴んだ影響力を失いたくない。したがって事有るごとに「財政危機キャンペーン」を行って、自分達の権力維持を図っている。
さらに主計官僚の力を補完する勢力が随所に存在している。日本の要所には、多くの大蔵・財務省出身者が配置されており、彼等が大蔵省・財務省の応援団になっている。例えば公正取引委員会である。歴代の委員長16名のうち、大蔵省・財務省出身者は9名を数える。つまり公正取引委員会は大蔵省・財務省の影響下にあると見て良い。公正取引委員会は、新聞やテレビといったマスコミに力を持つ。テレビは完全な規制業種であり、新聞は再販売価格制度で特殊指定を受けている。
したがって新聞やテレビは、いつも「財政危機キャンペーン」「反公共事業キャンペーン」を行って大蔵省・財務省にごまをすっている。一方、マスコミの中でも規制に守られていない週刊誌や駅売りのタブロイド紙は、比較的自由な論調を維持している。主計官僚は、予算だけでなく、新聞やテレビといったメディアを通じて、各方面に対する影響力を保持しているのである。ただここに来て、テレビの官舎非難キャンペーンや、政治家の再販売価格制度で特殊指定支持を見ていると、新聞・テレビの財務省離れが起っているのではないかと注目される(実態はせいぜい牽制程度かもしれないが)。
主計官僚の力は抜きん出ており官僚の中のエリートであることは事実であが、彼等が他の官庁を全部支配していると言うことではない。彼等が影響を及ぼすのは、予算の面に限られている。むしろマスコミによって、財務官僚の力が過大に宣伝されているきらいがある。官僚組織の特徴は、他の「村」に口を出さないことである。この点は財務官僚も徹底している。
バブルの終末期、大蔵省は管轄金融機関の土地投資資金の流れを強烈に絞った。しかし大蔵省の管轄外の金融機関がこれらに代わって資金を流した。住専、農林系金融機関、信用組合などである。これによってバブルの規模が最高潮に達した。金融機関でさえ、大蔵・財務省の力が及ばないところがあるのである。
特別会計についても、財務省は単なる集計業務だけを行っているに過ぎない(最近では道路特別財源を一般会計に取込もうとしているが)。特別会計の実際の管理と運営は、各省庁が独自に行っており、財務省は手が出せない。社会保険庁が特別会計でゴルフボールを買っても財務省はノータッチである。もっとも社会保険庁の経費(俸給を除く)を特別会計に持って行ったのは、むしろ財務省の方である。そうすることによって一般会計の財政支出をその分削減できるからである。そして重要なことは、財務省が巨大な特別会計のマクロ経済への影響に全く関心がないことである。
日銀の量的緩和政策の解除を考える場合、日銀だけの行動を見ていては判断を間違う。金融政策と財政政策をセットで考える必要がある。そしてこの場合、財政には一般会計と地方財政だけでなく、特別会計も含めなければならない。金融政策と財政政策については再来週あたりに取上げるつもりである。
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