- 日替わりの定義
日本の金融政策・財政政策を権力闘争の観点から取上げる予定であったが、一週間延期させていただく。これは、3月27日の日経新聞一面に「潜在成長率」の解説があり、是非ともこれを先に取上げる必要性を感じたからである。日経新聞の「潜在成長率」の解釈が、これまでと大きく変わっているのである。
筆者は、日本経済を語る時、「潜在成長率」や「潜在GDP」はほとんど無視して良いと考えている。何故なら経済生産力(供給力)の物理的な天井である日本の「潜在GDP」が、実際のGDP(需要)よりずっと上にあるからである。つまり経済成長に関しては、需要の動向だけが問題になるのであり、供給サイド(潜在GDP)はまず考慮する必要はないと考える。したがって生産力の天井である「潜在GDP」の変化率を表す「潜在成長率」なんて、議論の対象にもならないとさえ思っている。ただしこれは今日の日本の経済に関してである(時代錯誤の古典派経済学者や構造改革派が想定しているような大昔の経済・社会の状態ではない)。
これまで日経新聞は、3月22日6面の「潜在成長率」の解説のような説明をしてきた。ここでは「潜在成長率」を「経済成長の可能性を示す尺度。労働力や生産設備などの資源を有効に使ったときに達成できる国内総生産(GDP)の成長率を指す。」と説明している。ところで本誌が度々引用している日本銀行調査統計局の論文「GDPギャップと潜在成長率」は、「潜在GDP」を「現存する経済構造のもとで資本や労働が最大限に利用された場合に達成できると考えられる経済活動水準」と定義している。
この両者の「潜在成長率」定義自体はよく似ており、筆者達にも納得の行くものである(実際の潜在成長率の算出方法は別にして)。「潜在GDP」は物理的な生産力の天井であり、「潜在成長率」は「潜在GDP」の変化率という解釈になる。したがって文字通りに解釈するのなら「潜在GDP」を越える実質GDPは有り得ないことになる。ただし技術的に「潜在GDP」を正しく推計することが難しいことは筆者も承知している。
ところがである。3月27日の日経新聞一面での「潜在成長率」の解説はこれと全く異なる。ここでは「持続的な成長が可能な、経済の巡航速度ともいえる成長率。実際の成長率がこれを上回ればインフレが起きやすくなる。労働力、生産設備、技術革新など生産性の三つの要因から算出する。」と定義している。たった一週間で日経新聞は、「潜在成長率」の定義を全く異なったものに変えたのである。さらに3月31日の日経新聞三面では、「日本経済がインフレにもデフレにもならずに達成できる成長率」と、またまた潜在成長率の定義を微妙に変えている。まさに日替わりである。
筆者の理解では、前者は理論経済学で言うところの「完全雇用、完全操業つまりフルキャパシティでの生産力のレベルの話であり、潜在成長率はその変化率」である。ところが日経新聞の新しい定義は「持続的な成長が可能な、経済の巡航速度ともいえる成長率」と訳の分らないものに変わった。端的に言えば、物理的な生産力の天井を推計することを放棄し、過去数年の経済成長率の平均値などを「潜在成長率」と言っているに過ぎない。わずか一週間で「潜在成長率」の定義が全く違ったものになっている。いや、日経新聞は両者を時と場合によって使い分けていると言う方が正確かもしれない。言うならばダブルスタンダードである。
- 日経新聞の偏向
ところが度々引用している日本銀行調査統計局の論文「GDPギャップと潜在成長率」も実はダブルスタンダードである。論文の冒頭で「潜在GDP」を「現存する経済構造のもとで資本や労働が最大限に利用された場合に達成できると考えられる経済活動水準」と定義しておきながら、06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」で述べたように、別のところでは「過去数年の実際のGDPの動きの平均などを潜在GDPと見なす」と、それまでと全く違う定義の数字を使っている。もっともいずれの算出方法でも「潜在GDP」と「潜在成長率」は、机上で計算されている数字に過ぎない。つまり現実の正確な潜在GDPの算出が難しいことを良いことに、数々のいい加減な方法で算出した数字を潜在GDPとして使用しているのである。
日経新聞は、日銀のダブルスタンダードを真似ているとも言える。悲しいことに日本のほとんどの経済学者やエコノミストは、これらに異義を唱えない。それどころかこれらに近いことを言っている。したがって筆者は「潜在GDP」や「潜在成長率」という言葉が登場する文章は、まともには相手にしないことにしている。
ここ一週間の日経新聞の「潜在成長率」の定義の急な変更を見ていると、日経新聞が慌てているというか、狼狽していることが垣間見られる。これは、最近、政府が「昨年10ー12月の需給ギャップが逆転し、需要が供給力を上回った」と発表したことがきっかけと筆者は見ている。本来、越えるはずのない物理的な天井である供給力(潜在GDP)を、ついに需要(GDP)が上回ったというのである。間抜けな話である。
今日の経済、特に日本経済を考える時、「潜在GDP」や「潜在成長率」は気にする必要はない。たとえ需要構造が変わっても、ほとんど時を置かず供給サイドは対応できる。つまり需要があればどれだけでも経済は成長するのである。「潜在GDP」や「潜在成長率」の正しい算出方法なんて、暇人が南海の孤島で飽きるまで議論しておれば良いことである。
実際、供給サイドがところどころでネックになっている中国でさえ、旺盛な需要を背景に経済は急成長している。中国は電力が不足して、工場が週に3日、4日しか操業できない状態にもかかわらず、毎年10%の経済成長を続けている(このため中国では、最近発電設備への投資が激増し、数年で供給力が需要を上回る見通し)。何故、日本が供給サイドが問題になって、年間2%しか経済が成長できないと言っているのか理解できない。供給サイドを問題にする人々は、農業、手工業、そして単純な機械工業が中心だった時代の経済を念頭にでも置いているのであろう。実際、構造改革派の人々は、古典派の古臭い経済理論の信奉者である。
日銀は、需給ギャップがほとんどなくなり、デフレの心配がなくなったと量的緩和政策の解除を決めた。しかし一般の消費物価が上昇する懸念はない。筆者は、政策転換に際して日銀はむしろ需給ギャップうんぬんの話を持出すべきではないと考える。問題があるのは資産インフレの方である。特に土地は再生産ができない財であり、供給サイドにネックがある。全国的にはまだ地価は下落を続けているが、地価総額の大半を占める大都会の地価が上昇し始めている。まだ心配するほどの上昇ではないが、超緩和の金融面のスタンスを変えても良い時期ではある。だいたい金融政策だけで、デフレからの脱却を考える政府の政策がおかしいのである。
「潜在成長率」の件だけでなく、日経新聞の論調は極めて偏向している。「赤旗」や「聖教新聞」と同じと考えて良い。むしろ「赤旗」や「聖教新聞」の場合、機関紙として認識されて読まれているのに対して、日経新聞が中立を装っていることの方が大問題である。これまで98/2/23(第54号)「日経新聞と経済を考えるーーその1」などで本誌が取上げたように、日経新聞はインチキ経済理論まででっち上げてきた。最近、筆者が知っているエコノミスト(有力外国紙にも定期投稿している)は、日経新聞があまりにも酷いので、怒って日経新聞の購読を止めたという話である。
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