- アメリカ人にとっての快適
今週は予定を変更して「アメリカ人」というものを取上げる。本誌は、04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」でアメリカ人というものを一度だけ取上げた。今回が二回目である。もっともアメリカ人を本格的に取上げたら、どれだけ紙面があっても足りないであろう。またアメリカ人に関して筆者にはそれほどの知識もない。さらにアメリカに行ったこともなければ、アメリカ人の知人がいるわけでもない。せいぜい筆者で話ができるとしたなら、断片的なアメリカ人論ということになる。
ブッシュ政権は、イラク政策でもたつき、スキャンダルやハリケーン対策のまずさで支持率が急速に低下し、求心力を失いつつある。一方、日米間ではBSE牛の輸入再開問題や普天間基地移設問題という難問を抱えている。日本政府は、小泉政権の得意技のトップダウンでこれらの問題が解決したかのように装っている。しかしこれらの問題の解決はそんなに簡単ではない。米国が後ろ楯になっている小泉首相の求心力は、11月1日の人事をもって頂点を打ち、今後急速に低下すると筆者は見ている。日米関係を考える上で、この時期にアメリカ人というものを改めて考えてみるのも面白いと思う。
筆者が感じるアメリカ人の行動のキーワドは「移動性」と「快適」である。前者の「移動性」については前述の(第366号)「第二次南北戦争」でも少し触れた。今週号のメインテーマはもう一つの「快適」である。ともかくアメリカ人のことを考えることは、日本人のことを考えることに繋がると筆者は考える。
ニクソン大統領は、夏場、ホワイトハウスの中の自分の部屋をガンガンに冷房をかけていた。普通の人には耐えられないほど部屋を冷たくしていた。このように寒い部屋の中で、なんとニクソン大統領は暖炉に火を入れて暖をとっていた。これが大統領にとって「快適」なスタイルだったのである。
アメリカ人は「快適」を求めることに貪欲である。暖房も全館を暖めるセントラルヒーティングである。日本人なら、自分達のいる場所だけに暖房を用いる。「こたつ」こそが典型的な日本の暖房である。日本人は無駄な資源を使うことを嫌う。資源を浪費すれば、そのうち「罰(ばち)」が当ると畏れる。
アメリカ人のばかでかい家も無駄だらけである。誰も泊りにこないのにいくつもベッドルームを設ける。使わないバスルームやトイレが沢山ある。誰も泳がないのに庭にプールを作る。芝刈が大変なだけの広い芝生の庭がある。日本人なら掃除をすることを考えても気が滅入る。しかしこれがアメリカ人とっての「快適」なのである。
住居環境も日本と随分違う。日本人は大都市の郊外と言っても近郊に住む。通勤・通学には、もっぱら電車などの公共交通機関を利用する。むしろ最近は都心に居を構える人が増え、高層マンションが売れている。一方、アメリカ人は都市の郊外といってもかなり遠方に住み、毎日一時間も車を運転して職場に通う。しかしこれもアメリカ人にとって「快適」な生活スタイルなのであろう。このような状況では公共交通機関も発達しない。筆者などは、アメリカ人がなぜもっと都心に近い便利な所に住まないのか不思議に思っている。
- 日本のアメリカ化
アメリカ人は車もばかでかいものを好む。たしかに最近こそ日本や韓国の小型車が売れるようになってきたが、全体的にはまだまだ大型車が大きなシェアーを持つ。二度のオイルショックによって、日本では車に限らずあらゆる分野で省エネが進んだ。日本の原油・石油製品の輸入量も微増で収まっている。一方、米国の省エネは遅々として進まない。
1976年から2000年の原単位(100万ドルのGDPを産むのに必要なエネルギーのトン数)の改善は、米国が433から255、ドイツが184から146、そして日本は126から92である(三井住友銀行調べ)。この数字を見る限り一見、米国の省エネが進んでいるような錯覚を生むが、最近に到っても日本の1976年当時の倍程度である(この数字は1976年と2000年の比較であるが、1973年の第一次オイルショックの前との比較なら、日本の省エネの進展具合がもっとはっきり分るものと考える)。またエネルギー消費金額見た場合、米ドル安と円高の結果、さらに日米の格差は広がっているいると考えられる。おそらく米国で省エネが進んだのは産業分野だけであろう。
オイルショックによるエネルギー価格上昇の対応で、日米で大きな違いが生じた。日本人は石油が限られた資源として省エネに真面目に取組んだ。しかしアメリカ人(少なくとも一般のアメリカ人)は、ほとんど個人の生活スタイルを変えていない。先進国では、米国を除きどの国もガソリンに高い税金を掛けている。しかし米国では、ガソリンに高い税金を掛けるなんて、国民の反発が恐くてどの政治家も口に出せない。
生活が多少窮屈になろうと省エネに邁進する日本人に対して、石油がなくなれば他に探しに行けば良いではないかと発想するのがアメリカ人である。アメリカ人は火星に石油があるとなれば、火星にロケットを飛ばしそれを取に行こうと考えそうである。イラクへの攻撃は、表向きはテロとの戦いということになっているが、どう見てもイラクの石油資源の確保が最重要な目的と見られる。このように快適な生活スタイルを維持するためには、どこにでも出掛けるのがアメリカ人である。一方、島国に住む日本人は、長い間国が閉じられており、その中で問題を解決しようとしてきた。
省エネだけでなく、日本人とアメリカ人ではメンタリティーの違いが随所に見られる。治安が悪くなれば、塀を高くしてガードマンを雇えば良いとアメリカ人は考える。遺伝子組替え作物にもアメリカ人は抵抗感がない。BSE騒動で、牛肉の価格が下がったが、価格が下がったことによって米国の牛肉の消費は逆に増えた。日本人には理解できないことばかりである。
そんなアメリカと日本は軍事同盟を組んでおり、日米関係は、日本にとって一番重要な二国間関係になっている。日本人にとって、アメリカという国の存在が当り前に成り過ぎている。たしかに日米関係は重要であるが、どこまで米国が信頼できるかということである。
企業会計制度、司法制度、金融制度などを米国に合わせようという動きがある。小学校から英語教育を行う予定もある。このままでは日本は米国と一体化し、米国の51番目の州になってしまう。ところが「日本が米国の植民地でなぜ悪い」と、日本人の中にはそれを望んでいる人々さえいるのである。しかしアメリカという国がそれほど立派な国とはとうてい思えない。
英語を理解しない数千万のヒスパニックの存在、国内産業を犠牲にした野方図な中国製品の受入れなど、米国人は国家の意識が希薄になっている(特に冷戦終了後この傾向が強まったように思われる)。最近の米国を見ていると、米国は一部の人々の利益を守る傾向がますます強くなっている。このような米国は、「快適」を求める個人の集合体であり、国家としての呈をなしていない。このままではアメリカが没落する方向にあると思われて仕方がない。しかし日本も他人事でなく、確実に日本社会のアメリカ化が進んでいる。
以前、日本の人気テレビ番組を米国人に見せて彼等の番組に対する反応を見ようという、北野たけしが司会するテレビ番組があった。いくつかの人気番組は、米国人にも好評であった。しかし米国人が凍りついた番組が一つあった。幼い子供のお使いを隠しテレビカメラで追った「初めてのお使い」という番組である。日本では「ほのぼの」とした番組として根強い人気がある。しかし社会が荒れている米国では考えられない企画で、米国人は一斉に「クレージ」と叫んでいた。ところがここ10年間のうちに、日本の社会の方が見事にアメリカ化したのである。これもアメリカを手本にした社会を創ろうとしている構造改革派の成果である。
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