- 同化政策の失敗
フランスで移民の二世・三世の暴動が起り、人々の注目を集めている。問題を起こしているは、北アフリカなどフランスの旧植民地からの移民である。しかしヨーロッパ諸国で、移民が問題になっているのはフランスに限ったことではない。ドイツはトルコからの大量の移民を抱え、昔からこれらの移民とネオナチとの間で激しい衝突が続いている。英国ではイスラム系移民が地下鉄の同時爆破テロを起こしている。
日本のマスコミはほとんど報道しなかったが、オランダでもやはりイスラム系移民と白人オランダ住民との間で内戦さながらの抗争が起っている。これについて本誌は04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」、05/3/28(第383号)「株式に関する非常識」などで取上げてきた。構造改革を押し進めれば、必ずグローバリズムの問題に突き当たる。その一つが移民問題である。財界や有力者は移民の受入に積極的であり、そのうち日本も移民問題が他人事でなくなると考える。
日本のマスコミは、構造改革を礼讃している。したがってこのようのグローバリズムの負の側面である移民がからむ問題を避けたがっている。また反グローバリズム運動にも冷淡である。しかし一年前のオランダの出来事をほとんど取上げなかった日本のマスコミも、さすがに今回のフランスの騒動は取上げざるを得なかった。
ヨーロッパ諸国の移民の問題の根底には民族の同化政策の行き詰りがある。しかし一口に移民の同化政策と言っても、米国などのように移民で成立っている新興国の場合と、ヨーロッパ諸国のように歴史と伝統がある国では訳が違う。そこを軽視したり、誤魔化しながらヨーロッパ各国が移民を積極的に受入れてきたたことが、今日の大問題を発生させたのである。この点は移民を受入れた国の読みが外れたと言えるし、また時の政権が無責任であったとも言える。
しかし移民を受入れる以上、元の国民と同化しないことを理由に社会的な差別を行うことは間違いであると筆者は考える。差別が起るなら、移民の受入れを止めるか、あるいは問題が生じない程度に移民を制限すべきであった。このように問題がこじれてから、これまでの移民政策を反省しても遅いのである。
移民が就くのは、人々が避けたがる職種や低賃金の職ばかりである。しかしそういった職業でさえも経済の低迷と、移民の増加によって、取合いになっている。また筆者は、ヨーロッパ諸国で移民問題が顕在化してきた背景に、EU拡大の影響があると見ている。ドイツやイタリアほどではないが、生産拠点がフランスから人件費の安い東欧に移転したり、これらの地域から人の流入がある。移民はグローバル化の結果であるが、さらなる経済のグローバル化によってこれらの移民が被害を被っている。
また経済の構造改革が進み、仕事が高度化すれば、十分な教育を受けていない移民の子弟はさらに職を得ることが困難になる。これは同化政策の失敗や社会的差別以前の問題であるが、移民を抱える国にとって雇用問題を一層難しくしている。フランスを始めヨーロッパ諸国は、とんだ問題を抱えたものである。筆者は、英国やフランスのオリンピック代表にアフリカ系の人々がどんどん増えるのを見ながら、いずれ大きな移民問題が発生するのではないかとずっと注目してきた。
欧米は、長い間、日本が移民や難民をほとんど受入れないことを非難してきた。日本のマスコミもこれを安受けし、日本政府を攻撃してきた。中には「ねずみ講」構造の公的年金制度を維持するため、移民をどんどん入れろと主張する大ばか者が出る始末である。筆者は、国民の厚生を引上げるには、グローバリズムに反して、ある程度国を閉じる他はないと考える。これについては来週号で取上げる予定である。
- フランコ将軍のスペイン
前段で移民の受入れる側の責任ついて述べたが、一方の移民の側に対しても意見がある。移民は、祖国を離れ、他の国の国民になることである。これには移民を認めてくれる国が必要である。したがってもし移民として認められるのなら、その国に忠誠を誓うことは当り前であり、さらにその国の文化や伝統を尊重することも当然である。移民者は、受け入れ国の国民に成りきる努力が必要である。
これらを曖昧にしたまま移民が行われてきた結果、ヨーロッパで今日のような移民問題が起っている。極端なケース、不幸にして移民先の国と祖国が戦争になることだってあり得る。この場合、移民は、移民先の国の国民の一人として祖国と戦うかどうかという苦しい立場に置かれる。これほど移民というものには、本来重い決意が求められるものである。もし移民達が、移民先の国の文化や伝統を否定し、元の住民と妥協せず、受け入れ国の国民の価値観を認めないと言うのなら、移民とは名ばかりの侵略者になる。
今日のフランスの移民の暴動報道を見ていると、どうしてもドウス昌代(最近ではイサム・ノグチについて書いている)の「ブリエアの解放者たち」というノンフィクション作品が思い出される。この作品は、20年以上も前に文芸春秋に掲載され、後に単行本になった。これは第二次大戦における、米国移民の日系二世部隊(主にハワイ出身者)の活躍を描いている。
日系二世の若者にとって、米国内の人種差別を克服し米国民として認められるには、米国民の一員として大戦に参加する他はなかった。日系二世の志願兵で構成された素人部隊は、当初、米国軍の中で全く相手にされなかった。しかしこの日系人の部隊は多大な犠牲をものとせず、勇敢にドイツ兵と戦い、次々と戦勝を重ね、ついにはブリエアというフランスの町を解放した。この部隊について調べたところGo For Broke - 米国陸軍日系2世部隊442連隊(http://www5f.biglobe.ne.jp/~ssbohe/one_goforbroke.htm)に詳しい説明があった(ただしメールアドレスがないので、先方の承諾なしのままご紹介している)。
このような努力を積み重ねながら、日系人は米国での地位を確立して行ったのである。日本人として筆者は、このような日系人の行動を名誉と考える。しかし一方には、とても天皇陛下に弓は引けないと、自主的に日系人を対象にした強制収容所に入って行った日系人(主に日系一世)もいた。筆者は、この人々達も十分尊敬に値すると思う。近頃、日本の若者の間で、ファッションで米国の市民権を取得することが流行っている。昔の日系人の苦労を考えると、この軽さはなんなんだろう思われる。
今日問題になっているヨーロッパの移民問題には、この軽さを感じる。移民を受入れた国と移民の双方にこの軽さがある。これも軽薄で安易なグローバリズムの延長線上にあるのだろう。むしろ反グローバリズムの運動を行っている者達こそが、国や国家というものを真剣に考えているのである。
フランスの移民の暴動の解決方法は予想がつく。力による制圧である。今後、フランスを始め、移民を抱えるヨーロッパ諸国は、警察などによる警備をどんどん強化すると思われる。スペインでは30年程前まで、フランコ将軍という独裁者が権力を握っていた。フランコ将軍は、国民の不満を抑え独裁体制を維持するため、極めて多くの警官を国内に配備していた。当時のスペインはまさに「石を投げれば警官に当る」状態であった。これからのヨーロッパ各国は、この時代のスペインに劣らない警察国家になると思われる。
移民にまつわる問題は、たしかに移民の側にも原因があるが、受け入れる側に決定的に大きな責任がある。移民が自国民と将来うまく同化するかどうかなんて全く考えず、目先の利益だけを考え、どんどん移民を受け入れて来たのである。このご都合主義的な発想と態度は構造改革派の人々に共通する。
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