- 現実の投資
先週号で、ケインズの乗数と、サミュエルソン達、新古典派(ネオクラシカル)が提唱した誘発投資に伴う超乗数について述べた。両者の違いのポイントは、超乗数の乗数効果が生産水準が限界まで達した時に起るのに対して、ケインズの乗数効果は生産水準とは関係がない。ケインズ理論の場合、仮に現行の設備の稼働率が60%程度と低くても、予想収益率(期待収益率)が高ければ、追加の投資がなされ、乗数効果が起るということになる。
実際、奇妙なことに日米の比較では、常に米国より日本の方が設備稼働率が低いにもかかわらず、日本のGDPに対する設備投資比率は米国のそれをずっと上回っている。日本の方が投資が活発なのである。この結果、日本は常に過剰生産設備を抱えることになった。一方、米国は生産資本不足の国である。例えば慢性的な電力不足にもかかわらず、電力関係の設備投資が一向になされない。また、石油精製設備が不足していることがはっきりしているのに、ここ30年間新規の製油所の建設が全くなされていない。つまり米国の企業は、生産力の限界まで需要が高まってていても、収益が期待できない場合には投資を行わないのである(産業の競争状態や株主の発言力が影響していると思われる)。これらの投資状況から考えても、サミュエルソン流の誘発投資の存在は疑わしいと言える。
一方、過剰設備を抱えるほどの旺盛な日本の設備投資は、必ずしも予想収益率だけを勘案して実行されたものとは考えにくい。この点は、ケインズの考えが日本ではそのまま通用しない面である。少なくとも日本の企業の投資活動は、予想収益率だけではなく、ライバル企業の投資状況や業界でのシェアーの確保といった長期的観点を考慮する必要がある。このように現実の投資に関しては、ケインズ流の予想収益率やサミュエルソン流の生産力の限界では説明のつかない様々な現象があると筆者は考える。
サミュエルソンは、所得(Y)が増えることによって誘発投資が起る(所得(Y)が増加することにより消費(C)が増えるため)とした。しかし筆者は、誘発投資をそのような狭い定義ではなく、もっと拡張することを提唱する。例えば新技術や新機軸の登場も投資を誘発する。新技術が登場した場合、しばしば企業は、企業の存続を賭け、新技術を体化した設備を導入せざるを得ない立場に置かれる。この場合には、設備の過剰のおそれとか収益というものが概して軽視される。半導体産業などはその典型であろう。
このような観点から、政府が科学技術の新興や新技術の開発に力を入れることには意義がある。また新技術を体化した設備を導入することに対して、政府が投資減税や補助を行うことも投資を誘発し経済的効果があると考える。
さらに新しい道路や鉄道の新線の開通も新規の投資を誘発する。沿線に住宅が新築され、商業施設が新設される。公共投資という自生的(独立的)投資が、住宅投資や設備投資を誘発するのである。また公共投資自体が工事関連の設備投資を誘発する。
また以前に本誌が取上げたように、規制の緩和や規制の強化によっても、投資を誘発する可能性がある。例えばタクシー業界の規制緩和によって、タクシーの台数は増えた。またディーゼルトラックの排ガス規制の強化によって、排ガス規制をクリアーする新型トラックがかなり売れた。
このように新技術の登場、投資減税、選別された効果的な公共投資、規制の緩和や強化などによって、サミュエルソン流とは違う形の誘発投資が生まれることが考えられる。もしこれが本当なら財政支出の増大を行わなくとも、日本経済がデフレから脱却するのは簡単なような気がしてくる。実際、このようなことを主張するエコノミスト、識者、政治家、官僚は実に多い。しかしそんなに簡単な話とは筆者は考えない。
- 規制緩和による誘発投資
先週号で説明したように乗数は、消費比率をcとすれば1/1-cとなり、ケインズ理論では、自生的(独立的)支出(政府支出、投資、輸出など)なら乗数値は皆同じである。もちろん政府支出の種類を問わない。したがってケインズ理論では、個別の公共投資の案件によって乗数が大きいとか、反対に小さいということはない。
ところが前段で説明したように、公共投資によって誘発される民間の投資があり、これを経済効果に含めるとしたなら、個々の公共投資によってはこの大きさに違いが生じる。一見これはケインズ理論を否定するものである。しかしそもそも誘発投資は、時間の要素を考慮しない短期静学であるケインズ理論の体系からはみ出す考えではある。
公共投資の生む誘発投資についてもっと説明を加える。公共投資には二つの種類の誘発投資が考えられる。まず第一には公共投資に伴う工事に付随した民間の投資である。公共投資が増大すれば、建設・土木会社によって工事に関わる設備投資が行われる。具体的には工事用の重機やトラックへの投資である。
第二の誘発投資は前段で説明したような、道路などの公共インフラができることによって誘発される商業施設などの民間の投資である。これに関して、都会における公共投資の方が地方での公共投資より、この誘発投資は大きいと考えられる。第一の工事に直接関わる誘発投資が都会と地方の間で差がないのに対して、第二の誘発投資は都会の方がかなり優位と考える。人里離れた所での道路建設より、当然都会での公共投資の方が誘発投資は大きいのである。これを敷衍(ふえん)すれば、地方での公共投資は本当に無駄ということになる。これに対する反論は来週号で行う。
しかしこのようにサミュエルソンの誘発投資の拡張版としての数々の誘発投資の存在を認めるにしても、その次の問題はその大きさや影響力である。代表的なものを検証してみよう。まず今週は「規制の緩和」を取上げる。規制緩和ついては、本誌は何回も取上げ「規制緩和にはプラスとマイナスの効果があり、合計して仮にプラスが大きいとしても差額は決して大きくないと筆者はずっと主張してきた。
しかし一頃、規制緩和が景気対策になるというばかげた議論が流行し、経済学者や研究機関も数多くの論文を発表していた。筆者は、それらのいくつかを点検したが、科学性のあるものは皆無であった。どの規制緩和についてもプラス効果とマイナス効果を並べ、差額のプラス効果の方が大きいから規制緩和は経済効果があるといったものばかりであった。しかし規制緩和の効果として取上げる項目はその学者達が全く恣意的に選んでいた。したがってもし大きなマイナス効果の項目を取上げなければ、常に規制緩和は効果があるという結論が出るといった具合である。
例えばどの研究も規制緩和の成果の一つとして携帯電話の普及を取上げていた(そもそも筆者は携帯電話の普及をテクノロジーの進歩の結果と考え、規制緩和の成果と考えていない)。携帯電話の普及による数々のプラス効果を並べていた。対するマイナス効果は固定電話の売上減少くらいなものだけであった。要するに分かりやすいプラス効果とマイナス効果を並べただけである。そもそも論理学上も閉じた集合になっていないのである。
したがってどの研究でも携帯電話関連の売上増に伴う、他の消費支出の減少という分かりにくいものは取上げていない。しかし現実の経済では、携帯電話関連の支出増大によって、消費者は他の支出を減らしている。筆者の知人も学生街で居酒屋をやっていたが、携帯電話の普及とともに学生に対する売上が減り、とうとう店を閉じた。最近、高校生の喫煙率が低下しているという報告がある。これも携帯電話費用に小使が喰われていることが原因らしい。
消費に関して「所得効果」の他に「代替効果」というものがある。消費はまさに所得の関数であり、所得の増減に応じて消費も増減する。これが消費の所得効果である。つまり所得が決まれば、総消費額が自動的に決定する(消費比率、消費性向というものが安定的とすれば当然の結果である)。総消費額が一定とすれば、携帯電話関連への支出が増えることによって、他の消費がその分減少することは自然である。これこそが消費の代替効果である。
消費の代替効果を考えれば、規制緩和による誘発投資が発生しても、いずれ時間が経てば消費が減った分野の投資の減少が起ることになる。つまり結果的に両者の差額は微々たるものに収まるということが筆者の結論である。筆者は、規制緩和による誘発投資を否定しないが、マクロ経済全体で見れば、とても規制緩和が景気対策になるとは考えない。デフレ対策にはやはり総需要政策が必要である。
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