- 「インナー」と呼ばれる談合組織
参議院による郵政民営化法案の否決。小泉総理による衆議院解散。反対派議員の非公認。さらに反対派議員の選挙区に対立候補の擁立。目まぐるしく政治情勢が動いている。解散総選挙は9月11日が投票日となっており、この投票結果によっては、さらに大きな波乱が考えられる。本来、本誌は経済に関するテーマを中心に作成されている。しかししばらく経済より政治が中心になるであろう。
たった一ヶ月半前まで、世間やマスコミは、郵政法案を巡る政局に全く関心がなかった(意識的に無関心を装っていた可能性はあるが)。何と7月5日の衆議院の採決においては、当初、どのテレビ局も中継する予定がなかった。筆者は、朝刊のテレビ欄を見て唖然としたが、かろうじてNHKだけが急遽予定を変更し、採決の様子を中継したようだ。ところが参議院での郵政民営化法案の否決の可能性が濃厚になるにつれ、マスコミの関心は異常に盛上がってきた。
今回の一連の流れの中で注目されることがいくつかある。一つは衆議院の採決の直前になって、全ての大新聞の郵政法案に対する論調の足並みが揃ったことである。新聞各社は、「郵政の民営化」に賛成し、小泉首相の「改革路線」を支持することを鮮明に打出した。新聞だけでなく、テレビ局の論調もこれに従っている。
大新聞の論調の影には、どうしても05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」で取上げた「インナー」と呼ばれる談合組織の存在が思い浮かぶ。実際、岸井という毎日新聞の論説委員は、参議院の採決の直前の8月6日に各大新聞の政治部長が集まって、参議院の採決の票読みを行っていたことをテレビで思わず漏らしていた。
日本の大新聞のこの談合体質は極めて問題である。また新聞の論調がもとになって、テレビもこれに追随する。新聞やテレビは世論の形成に大きな影響を与える。橋梁メーカの談合が問題になっているが、大マスコミの談合体質は日本にとって比べようがないくらい危険なことである。新聞の談合が、記者クラブの存在や一斉値上げの段階に止まっていのなら筆者はさほど問題にしない。しかしこの談合体質が、新聞の論調に影響を与え、さらに談合組織そのものが何者か別の組織や政治勢力に影響されているとしたなら、由々しき問題である。
今日のマスコミの状態はまるで戦前に戻ったようだ。もっともマスコミは、戦前・戦中軍国主義を鼓舞し、戦後は共産主義・社会主義を礼讃し、自衛隊を否定していた。また消費税導入に真っ向から反対していたはずである。ところが冷戦が終わる頃から、米国のような競争社会が良いのだと、「小さな政府」論に大きく傾いた。いわゆる構造改革の礼讃である。このように日本のマスコミ人は、主張の流れがメチャクチャであり、流れに身を委ねる薄っぺらな人々の集まりである。しかしマスコミ人の「自分達が正しい」という傲慢さだけはいつの時代でも変わらない。
一連の小泉首相の言動は、どう見ても権力亡者そのものであり、病的である。ところがマスコミは「小泉首相は信念の人」といった人間像を創作した。実際は、この政治家ほど言っていることが変質した者はいない。
自民党から郵政法案反対派が自民党から追出され、民主集中が一気に進んだ。末端で自民党に携わる人々の考えなんて今後は無視される。面白いのはパートナーの公明党も民主集中の組織である。このような民主集中の二つの政党が連携する今回の選挙で、日本の国民がどのような判断を下すのか興味がある。また大マスコミの露骨な小泉自民党への肩入れが、はたして功を奏するのか注目される。ただ一口にマスコミと言っても、タブロイド版の夕刊紙や週刊誌は、決して小泉支持一辺倒ではないことが注目される。
- 小泉首相はスターリン
小泉首相の周りには、構造改革派の若手議員や学者が取り巻いている。小泉首相が自民党の中で異質ということで定評があるが、周りの若手議員も世間知らずの原理主義者である。彼等の多くは二世・三世議員であり、また「小さな政府」と「構造改革」の信奉者である。しかしこの変な若手政治家達の考えは、これまでの自民党支持層ととうてい相容れない。
今の自民党の一連の政策は、明らかに従来の自民党の支持者に背を向けたものである。したがって小泉内閣の支持率が高くても、選挙では自民党は確実に得票数を減らしてきた。衆議院で自民党はかろうじて過半数を確保しているが、これは公明党の選挙協力で達成されたものである。さらに小泉首相と彼を取巻く若手政治家は、従来の自民党の支持層の票でなく浮動票の獲得を目指している。したがって従来の自民党の支持層を犠牲にしても、マスコミ受けの良い政策を唱える。「小さな政府」と「構造改革」がそれである。
「構造改革」については本誌は何度も取上げた。筆者は今日の「構造改革」を社会改革運動と捉えている。民主党がこれを唱えるのなら納得するが、保守である自民党が「構造改革」を政策の中心に据えることに強い違和感を感じる。つまり自民党はもはや保守政党ではなくなったのである。ところで筆者は、「構造改革」を一種の革命ということに早く人々は気付くべきと考える。
「構造」とは変わることがないか、あるいは変わりにくい社会の基本的な骨組みである。本来ならその変わらない「構造」というものを前提に政策を行うのが普通である。その「構造」そのものを変えようという社会的ムーブメントが「構造改革」運動である。
ほとんどの「構造改革」や「革命」は、人々が解放され自由になるという唄い文句で始められる。歴史を振返れば、清教徒革命、フランス革命、ロシア革命、そして文化大革命などである。これらの革命は、国王の圧制や資本家の支配から人民や労働者を解放するという建前で始まった。ところが革命の後に実際に行われたことは、反対派に対する粛正と人民の管理の強化である。
一見「小さな政府」は、政府の機能を小さくし、人々が自由に経済活動ができる社会の実現と誤解する。しかし政府の関与をなくすということは、市場経済での優勝劣敗をそのままにしておくことである。富や所得が勝者に集中する世界である。しかしこのような社会では人々の身分が固定化され、社会が荒れる。日本を始め世界の先進国は、この富や所得の再配分を適宜行ってきた。これが社会の安定を保つ政策であった。
このような富や所得の再配分を絶対的に否定するのが構造改革派である。彼等は、富を持つ者や高所得に大きな税負担を課し、それを財政の無駄遣いに使うから日本経済は低迷から脱却できないとことある毎に主張している。この考えに沿って日本では所得税の最高税率は大幅に下げられ、法人税率も下がった。構造改革派の主張が実行されたのである。しかし投資は増えるどころか、大企業はむしろ借金の返済を進めている。このように富を持つ者や高所得者に有利な税制改革を行ってきたが、名目国民所得の伸びがマイナスということもあって、単に税収が大幅に減っただけであった。
これまで完全と言えないが、税制改革以外でも、構造改革派の主張に沿った政策が行われてきた。各種の規制緩和や公共投資の削減などである。つまり国による富や所得の再配分政策の見直しと競争の促進である。もし構造改革派の主張が正しかったなら、もう日本の経済はかなり良くなっていなければおかしいことになる。しかしそこで構造改革派の人々は「まだ構造改革が進んでないから、一層の改革が必要」という嘘をつく。
現実の社会は、正社員が減り、派遣社員やアルバイト・パートといった低所得者層が増えた。今日本の工場は派遣社員などの臨時雇用で溢れ、工場内の雰囲気はギスギスしているという話をよく聞く。犯罪も確実に増えている。悪質リフォーム会社を始め、詐欺などの経済犯が急増している。日本はタクシーで忘れ物をしたら二度と戻ってこない社会に変貌した。このように日本社会は確実に荒れてきた。しかしこれらは構造改革運動が進めば起ると予想された事柄である。
つまり構造改革を行い小さな政府を目指せば、必ず弊害が起る。しかし構造改革を目指す国の政府は、国民の管理の強化でこれに対応しようとする。アルゼンチンのETCの例(これによって人々の車による移動を監視できる)を前に出したが、構造改革を行った国はおしなべて国民の管理や監視が強化されている。米国では電波の傍聴や電話の盗聴が当たり前になっている。英国の監視カメラによる国民の監視は相当のものである。これらは決してテロ対策だけが目的とは考えられない。日本でもコンビニ・金融機関や繁華街に監視カメラが数限り無く設置されている。住基ネットもこの一環と筆者は捉えている。
このように構造改革を進める国はどうしても強権的な国家になる。小さな政府というユートピアを目指してい言っておきながら、政府による監視国家が出来上がる。どうしても国民の不満を抑えるには強権が必要になるのである。またメディアも政権の支配下に置かれる。たしかに批判的精神が必要なはずの日本の大マスコミが、既に小泉政権と一体化している印象を受ける。
さらに小泉総裁誕生後、自民党自体が強権体質に変わっている。郵政民営化法案の自民党内での扱いも極めて強権的であった。執行部の進め方はこれまでの自民党になかった強引な手法であった。反対派を公認しないだけでなく、選挙区に対立候補を立てるといった反対派の露骨な追い落としを行っている。自民党の地方の県連に対する圧力も尋常ではない。今後は党中央直轄の県連の設置も考えられているという。小泉首相は、自分を織田信長に擬しているが、彼はむしろスターリンに似ている。
|