- グローバリズムは地方にとって不利
国内の産業分布というものを考えると、どうしても都会に競争が制限されている産業が集まり、地方により競争的な産業が配置される。先々週号で、寡占状態の産業が中心の先進国と、農業などの完全競争状態の産業が中心の発展途上国が交易を行った場合、先進国に有利になるという話をした。これは競争が激しい産業の生産物の方が安く買い叩かれるからである。これを日本国内に当てはめた場合、都会が有利で、地方が不利であることがご理解できるであろう。実際、日本では、一人当たりの所得が地方より都会の方がずっと大きい。
ここで競争の制限について説明しておく。競争の制限は法律などによる規制だけでなく、少数の企業によって市場価格が支配されている状態、つまり市場の寡占状態も競争の制限と考える。また近年先進国で比重が大きくなっているのが、金融関係などのサービス産業である。金融関係の業種は規制に守られているだけでなく、情報が片寄っている(情報の非対称性)。この情報の片寄(情報の非対称性)も完全競争を阻害するものである。そして金融のような情報の非対称性が強い産業が集まるのも大都会である。
以前、ある週刊の経済雑誌が大企業の社員の年収のランキングの特集を組んでいた。年収が大きいのはテレビ局・新聞などのマスコミを始め金融関係など、競争が制限されている業種ばかりであった。この特集の最後に「なんてことはない。規制されている業種の給料が高いだけではないか。」という解説があり、これが結論であった。筆者に言わせれば「ようやくそれに気がついたか」ということになる。また医者、弁護士の所得が高いのも、参入が厳しく競争が制限されているからである。そしてこれらの職業の人々が多いのも都会である。
地方のほとんどの産業は、国内の競争だけでなく、最近では海外との厳しい競争に晒されている。農業はある程度保護されているが、海外との競争で苦戦が続く。国内の工場は新興国との競争が激しく、競争に破れれば簡単に工場は海外に移る。いわゆる産業の空洞化である。
日本だけでなく、世界的に競争の制限されている産業が都会に集まり、地方には競争的な産業が配置される傾向にある。このため世界的に見ても、大都市に住む人々の所得は高く、一方、地方の人々の所得は低い。このため人口の都会への流入が起り、国によっては大都市への人口流入に制限を設けている。
ここからが重要なポイントである。経済のグローバリズムの信奉者、つまり構造改革派の人々は、世界経済は一国の経済の延長に過ぎないと見なす。また市場が大きくなるほど競争が激しくなるため、経済はより高く成長すると考える。したがって経済活動に国境なんかない方が良いと思っている。構造改革派は国内の規制だけでなく、国際的な規制を取除くことを強く主張する。彼等はWTOの働きに賛同し、FTAの推進に熱心である。またいつも自由貿易協定の交渉で障害となる農業などは邪魔な存在と考える。
しかし筆者は、国内における競争と競争が国境を越える場合では、話の次元が全く異なると考える。競争が激しくなれば勝者が生まれるだけでなく、必ず敗者が生まれる。したがって全ての人々が勝者になることは決してない。グローバリズムの信奉者、つまり構造改革派の人々はこの点を誤魔化す。
上記で説明したように、経済のメカニズムによってどうしても地方より都会の方が所得が大きくなる。今日の経済においては、都会に競争が制限されている産業が集まるのは自然であり必然と考える。また情報が集中する都会に「情報の非対称性」を利益の源泉とする業種が集まるのも自然な流れである。したがって都会の所得水準は、どうしても地方より高くなる。
しかしここに政府というものが存在する。政府が所得を再配分を行い、都会と地方との間の所得格差をある程度是正する。例えば税金は、都会で「揚超(あげちょう)」、地方で「散超(さんちょう)」となっている。つまり政府は都会で税金をより多く集め、地方により多くの税金を使っている。累進課税の採用によって、高額所得が集まる都会でより多くの税金が自然と集まる。
もっとも最近この所得の再配分のメカニズムが、地方に甘く都会の人々には不利だと非難を受け、この機能が徐々に弱められている。特に構造改革派が台頭してからこの傾向が強くなっている。最高税率の大幅な引下げによる税体系のフラット化や公共投資の削減もこの線に沿った政策である。この結果、デフレと言われながらも都会の経済は底堅く、反対に地方経済はグローバリズム化の進展と所得の再配分メカニズムの見直しの二重の打撃を受けている。
- 「国土の均衡ある発展」の危機
日本に「国土の均衡ある発展」という政治テーマがある。政府の所得の再配分機能もこの考えに沿ったものである。以前はこれに異義を唱える者は少なかった。経済の高度成長期には、地方から沢山の出稼ぎ労働者が都会に集まった。そこで地方の経済を活性化させ、人々が出稼ぎに出なくても良い社会を創ることは、日本国民のコンセンサスを得られていたと一応考えられていた。
政策的に都会に集中していた工場を地方に分散する措置が採られた。また公共投資予算を地方に厚めに配分した。これらの政府の政策によって地方の経済が活性化し、所得の格差はある程度是正された。しかし地方の所得が増えることは、地方の購買力が増すことであり、国全体の経済にとっても良いことでもあった。
もっとも工場の地方分散化は、都会の地価の高騰や人件費の上昇といった経済の自動メカニズムに負う面もあるので、政府の政策によってこれらが全て実現したという訳ではない。しかし日本の所得格差是正に、日本政府の働きが大きかったことは認められるところである。ところが今日では「国土の均衡ある発展」という言葉が空文化している。公共投資の激減と経済のグローバリズム化による空洞化によって、地方経済はどんどん衰亡している。
前段で「構造改革派の人々は、世界経済は一国の経済の延長に過ぎないと見なす」と述べたが、筆者は経済が国境を越えるかどうかは大きな問題と考える。なぜなら、極めて単純であるが、「世界政府」というものが存在しないからである。国境を越えて、競争が起り、その結果敗者が生まれても、所得の再配分を行う世界機関がないのである。わずかに先進国によるODAの実施や債務の帳消しが検討されている程度である。
日本の「国土の均衡ある発展」という政治テーマはかなり形骸化しているが、それでもまだ政府のこの機能は残っている。また失業者や生活困窮者に対するある程度の手当がなされている。しかし経済のグローバリズム化がどんどん進めば、とても一国の政府が対処できなくなる。
経済のグローバリズムの進展によって利益を得る者と、損失を被る者に別れる。競争がグローバリズム化しても競争に晒されにくい人々が前者であり、常に競争にさらされる人々が後者である。後者は具体的に、農業や、製造業の中でも汎用品など参入障壁の低い製品を作っている企業である。また移民や外国人労働者と職場が競合する単純なサービス業や製造業に従事する人々もこれに含まれるであろう。
今日の野方図な経済のグローバリズム化の問題の一つは、まず先々週号で述べたようにとても国際間では、公正な競争がなされないことである。この話に関しては、関税や補助金だけでにく為替や環境などの問題がある。しかし仮にこれらが解決しても大きな問題が残る。経済のグローバリズム化は、どうしても競争の激化を伴う。経済のグローバリズム化は、都会の人々、あるいは大きな寡占企業本体にとって好ましいことかもしれないが、地方に配置された産業にとっては致命的になる。地方の工場が閉鎖され、これをコストの安い国に移転することを考えれば解り易いであろう。これによって地方の経済は疲弊するが、都会にある本社は生産拠点をコストの低い国に移すことによって、生き延びることができ、あるいはもっと利益を増やすことができるのである。
フランス国民は、国民投票でEU憲法の採択を否決した。面白いのはパリなどの大都市では賛成票が上回り、地方は反対票が上回ったことである。もっと細かく見ると、地方でも失業率が11%を越えるほとんどの選挙区では反対票が上回った。これはEUが拡大されることによって、地方の経済が疲弊し、反対に都会は潤っていることが原因である(もっとも都会も二分化しており、これについては来週取上げる)。
経済のグローバリズム化の進展によって、地方経済が落込むのは、論理的に必然と考える。決して偶然とか、地方の人々の努力が足りないという話ではない。フランスにおけるEU憲法採択の国民投票の結果は、日本の経済のグローバリズムを考える上でも参考になる。
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