- 「なまこ」が意味するもの
日本と中国の国交回復は、72年の日中国交正常化交渉の妥結による。それと同時に日本は中華民国、つまり台湾との国交がなくなった。長い間、日中国交回復は難しいテーマと見なされていた。しかし日本の頭越しに、米国が電撃的に中国との国交を回復した。ニクソン大統領が対ソ連戦略の都合で実現したのである。これによって日本国内でも、日中国交回復のムードが一気に高まった。交渉に当ったのは、田中角栄総理と大平外務大臣である。
日中国交正常化交渉に先立って、田中角栄氏と福田赳夫氏が総理総裁の座を巡って闘った。福田氏はどちらかと言えば台湾派と目されていた。しかし田中角栄氏の方もとりわけ中国寄りということではなかった。自民党の総裁の選挙で日中国交回復が大きな争点になったため、田中角栄氏は選挙戦略上、日中国交回復の推進を前面に出しただけである。ところが中国や中国に迎合する日本のマスコミは、日中国交回復は、田中氏でなければ実現しないという誤ったムードを作った。
しかし後日漏れ伝わってきた話によると、中国側の本音は福田赳夫氏が総理に選ばれていても、日中国交回復を進める腹づもりだったということである。つまり日中国交回復は、日本のためではなく、中国の都合によって成されたのである。中国は、これを実現するには福田氏より田中角栄氏の方が組みやすいと踏んだのである。前に本誌で述べたように、実際、日中国交回復は、日本にとってのメリットがほとんどなかった。中国からパンダとトキがやってきたくらいのものである。
国交交渉はまとまり、両国の首脳の間で晩餐会が催された。興味が引かれるのは晩餐会で出された料理が「なまこ」であったことである。「なまこ」料理が安物料理ということではないが、中国料理の最高級食材と言えばやはり「燕の巣」「フカヒレ」「アワビ」であろう。おそらく中国では、通常、賓客に「なまこ」なんか出すことはないはずだ。このように口先では中国首脳は、日中友好と言っていたが、「なまこ」料理に見られるように、当初から内心では日本を見下していたのである。実際、中国民衆や中国首脳部の中には、日中国交を回復することに強い抵抗感を持つ者がけっこういた。
間抜けなことに当時、日本の政治家達は、中国が本心から友好関係を築きたいと思っていると誤解した。日中国交正常化交渉に携わった政治家達は、帰国後も、しばらくは「なまこ」料理が最高級料理と勘違いしていたそうである。このように日中国交再開は、中国首脳が日本に対して屈折した感情を持ったままでのスタートであった。
たしかにこれまでも中国首脳の間にも温度差がある。しかし日本に理解を示した政治家はいたが、このような政治家は総じて短い間に失脚している。さらに問題は中国の民衆の対日感情である。中国首脳でさえ、大事な晩餐に「なまこ」を出すくらいだから、一般の中国民衆が日本人に厳しい感情を持っていることは容易に想像される。日本側にも言い分はあるが、なにせ聞く耳はないとみた方が良い。
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」で引用した戦前の話「中国における小学教育は「排日」の為にのみ存する」が決して大袈裟ではないと思われる。中国の教育の基本は反日教育と考えれば良い。本来理性的であるはずの大学生が、反日活動の中心になっていることでも納得が行く。
今日、日本と中国の関係を「政冷経熱」と称している。政治関係がまずくても経済関係には影響しないという考えである。90年代の愛国教育の行過ぎという意見もある。また中国首脳部の権力闘争が反映しているという意見がある。さらに所得格差や役人の汚職に対する民衆の不満の摺り替えという意見もある。つまり国内政治の矛盾の鉾先が、日本に向けられているという解説である。たしかにどれも今日の中国の現状の分析において、部分的には正しいのであろう。
しかし筆者は、中国人に脈々受け継がれている体質というものに着目している。中国は、度々異民族に支配された歴史を持っている。しかし数百年もの時間をかけ、最後には異民族を追出している。戦前も、租借地を与えることによって、かろうじて列強による分割統治を免れた。ところがその租借地もいつの間にか奪い返している。数年前には、香港とマカオを取返した。
しかし中国人は自分達に都合の良い考えに固執する。台湾は中国の一部と考え、台湾回収を主張している。尖閣諸島についても同様である。相手の主張を全く考慮しないか、あるいは知らないフリをする。チベットやウィグル自治区の漢民族化もこの延長線上にある。
- 日本と中国・韓国の関係
このように中国という国は、一旦外国勢力を受入れても、50年、100年かけてこれらを追返すのが得意技である。相撲に「かんぬき」という技がある。貴ノ波の得意技であった。もろ差しになって優位になったと思った相手の両腕を深く抱え込んで、相手を動けなくする逆転技である。たしかに戦前に欧米列強や日本が中国に投資したものが、いつの間にか投資されたものは中国のものになっている。
筆者には、欧米や日本が今日中国にせっせと投資しているものも、いつかは中国のものになってしまうのではないかとなんとなく思われる。90年代、中国は為替をどんどん切下げ、先進国からの設備投資を呼込む下地を作った。さらに特区を作り、税制などの優遇措置を準備した。特区はまさに戦前の租界に相当する。
中国には、欧米の企業が早く進出した。当初、むしろ日本の企業は中国進出に慎重であった。日本の企業も、中国人の反日感情を分っていた。しかし中国政府が、日本の企業に「欧米の企業はどんどん進出していますよ。日本も遅れないよう中国に進出して来なさいよ。」とさかんにラブコールを送った。しかし日本企業は、中国人の反感を買わないないように直接投資は避け、中国企業に生産を委託するという方法で進出を始めた。
ところが「戦略的パートナシップ」と言われ始めた数年前から、日本企業の中国への進出が加速されることになった。また企業の中には最先端で戦略的な生産拠点を中国に建設するところまで出てきた。さらに下請け企業を連れて中国に移転する大企業まで現れ、中国への警戒心というものがなくなったような印象を受ける。そこに今回の反日デモ騒ぎが起ったのである。
あまり話題にならないが、戦前だけでなく、戦後においても進出した日本企業が、撤退を余儀なくされた例がある。日韓条約締結後、日本企業が韓国に進出した。当初は現地でも歓迎するムードがあったようである。しかし時間が経つと、日本企業への風当たりが強くなった。表面的には労働組合の活動が激しくなったことが挙げられる。しかし進出した日本企業から技術移転が済めば、日本人は追出そうという雰囲気が当初からあったという話である。このような事が続き、日本企業は韓国への進出を躊躇するようになった。
韓国経済は順調に伸びたが、そのうち頭うちになった。技術革新について行けなくなり、むしろASEAN諸国など、発展途上国の追い上げが厳しくなったからである。そこで韓国は日本に最先端技術の移転を求めてきた。ノテウ大統領までが来日し、液晶や半導体技術などの移転を迫ったのである。韓国の反日的雰囲気を知っている日本の経済人にとっては、この要求には複雑な思いであったであろう。
このように中国や韓国のように、公然と反日教育が行われている国への企業進出には、常に困難な問題が伴う。このようなことを知っていた企業人が、当初、中国進出に二の足を踏んでいたのである。ところが最近ではそのようなことに対する反省もなくなり、大挙して日本企業が中国に進出することになった。しかもなんとジェトロなどの日本の政府機関がこれを斡旋し、後押ししているのである。
中国にとって必要なのは日本人ではなく、日本の技術、資本、そして日本の市場である。もっと言えばその中でも技術である。中国政府の首脳部にも色々な意見があると思われる。中には日本との経済的パートナシップをずっと続けようという人もいるであろう。またもう少しだけは日本の企業の誘致が必要と思っている人もいる。しかし中には「もう日本人は必要なくなったから中国から出て行け」と考える人もいると考える。中国政府の動きを見ていると、色々な意見が交錯していると読取れる。
日中各々に言い分があるだろう。しかし中国人が日本人に対して良い感情を持ってないことは事実である。そのような国の大都市の目抜き通りに、日本の大企業はズラッと大きな看板を掲げている。このような企業の幹部ほどグローバリズムの信奉者が多い。欧米各国で通用することは、中国でも通用するとまことに単純に考える。中国人の日本嫌いは徹底している。このような中国人が、目抜き通りの日本企業の大きな看板を見れば気分を害するのが当然である。
逆の立場で考えてみれば良い。もし逆の立場で銀座や渋谷の一等地に中国や韓国の大企業の看板がズラッと並んでいたなら、日本人は面白くなく思うはずである。何か騒動が起れば、どさくさにまぎれて石の一つも投げたくなるのが当然である。
日中関係が「政冷経熱」のままで続くはずがなく、いずれ「政冷経冷」となるのが当然のなり行きである。「中国は日本経済の生命線」というばかげた事を言う者が多い。まさにこれは戦前の「満蒙は日本の生命線」という虚言・妄言に匹敵する。戦後の日本経済の復興には、満蒙はおろか中国や韓国の存在は全く関係がなかったではないか。そして忘れてならないのは、日本の中国への投資が増えたり、日中貿易が大きくなる前の方が、日本の名目GDPはずっと大きかったことである。日本政府に求められる政策は、海外への投資の推進や外需依存ではなく、大胆な内需拡大である。
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