- 会社は誰のもの
ライブドアのニッポン放送買収劇以降、マスコミで「会社は誰のもの」という話がよく取上げられている。法律の上では、株主のものであることは誰でもが知っている。ところが現実はそうではないから混乱が起っているのである。
会社といっても色々とある。今日問題になっている会社は、その中でも大きくて歴史のある会社である。このような会社の従業員は、口先では「お客様のもの」「視聴者のもの」というかもしれないが、内心では「会社は自分達のもの」と思い込んでいる。まず株主のことなんか日頃は眼中にない。株主に関する事柄を処理しているのは総務の担当部署であり、この部署の者も気にしているのは総会屋のような特殊な株主だけである。(ただし後ほど述べるが、最近、外資の株式持ち株比率の高くなっている会社の状況は変わっている)
このような会社風土が出来上がった背景を考えてみる必要がある。明治・大正・昭和初期、そして戦後間もなく生まれたような会社は、たしかに当初は開業資金を拠出した資本家の力が強かった。しかしこのような古い会社は、高度成長期に大きく成長した。日本の場合、間接金融が発達していたので、成長期には銀行融資によって事業を伸ばした。貧弱な日本の株式市場から、会社の成長に必要な資金を調達するところはほとんどなかった。つまり資本家の力を借りずに、自分達が会社を大きくしたという思いが強い。
会社の従業員にとって、古くからの株主なんて縁の遠い存在である。世間並の配当をしておけば良いというような感覚であった。もっとも株主の方も、当時毎年のように株価が上昇していたので特に不満はなかった。また高度成長期に企業の株式の持合いが進み、株主の安定化が図られた。この頃に銀行などの金融機関の持ち株比率も大きくなった。
企業の株式市場からの資金調達が増えたのは70年代の後半あたりからである。大企業は株式の時価発行や転換社債の発行によって大きな資金を調達した。しかし調達した資金は設備投資などにはほとんど使われず、借入金返済や財テクに使われた。既に経済の高度成長は終わっており、大きな設備投資案件というものがなくなっていたのである。
このような日本の会社と資本家の関係から、会社の従業員が「会社は自分達のもの」と思い込むのも無理な話ではない。さらに従業員でなくとも、長い間その会社に関わってきた者も同じ様な気持ちを持つようになる。昔は会計監査をやっている会計士の中には、長く監査している会社のことを「うちの会社」と呼ぶ者さえいた。考えてみれば上場会社の株主は、株式を市場で売れば、その会社と縁はなくなる。それに反して、会社の従業員達は一生その会社と関わる。親子三代が同じ会社に働くというケースだってある。
はやりになっているM&Aであるが、多くの会社でうまく行っていない。それぞれの会社には風土というものがあり、違う者同士が一緒になっては効果が生まれるとは限らない。友好的な企業合併であっても、互いに足を引っ張り合いが起ったり、冷や飯を食った側から嫌がらせのために社内の機密情報が漏れることもある。
会社と従業員の関係が希薄と言われている米国でさえ、敵対的企業買収はうまく行かず、今日では行われていない。ましてや日本において、敵対的買収でライブドアがニッポン放送会社に乗り込もうという話である。まともに受け入れられるはずがない。何かがおかしいのである。
本音では会社の関係者は「会社は株主のものではない」と根っから思っているのに、法律では会社は株主のものと規定されている。絶対的に株主の会社所有権というものが規定されているが、これが現実と遊離している。その法律の不備をカバーしてきたのが、株式の持合いなどの企業の対抗策である。ところがこのような対抗策が時代遅れと否定し、持合いを解消してきたことが、今日のような混乱した事態を招いたのである。
持合いを解消の過程で、株価が下がった株式を購入したのが外資である。実際、株式の30%,40%が外資が占めている先端技術を持っているような会社は、外国人投資家の動向を意識せざるを得ない状態に追い込まれている。本来社業に専心すべき会社経営者が、外国の投資家の元に企業説明(IR)をするため、世界中を飛び回らなくてはいけない今日の状況がおかしい。
- ポリシーのない商法改正
とにかく法律の世界は混乱しており、その傾向は90年代以降特に酷くなっている。もっとも法律の世界だけでなく、行政も混乱している。面白いことに日本の官僚もほとんどが法律家だという事実である。つまり日本の法律家の頭が混乱しているのである。経済だけでなく現実社会が変化している。ところが法律家、そして法律が現実に追い付いていない。と言うより法律家が現実のことを本当に知らない。この現実を知らない法律家が、反対に触らなくとも良い法律まで無理にいじって、現実の経済の混乱を大きくしている。
一つだけ行政の現実離れした施策の例を上げておく。4月に実施されたぺイオフ解禁である。日本においてぺイオフが何故必要なのか全く理解ができない。どうも預金者は、自分の金を預ける金融機関を自分の判断で決めることが大事ということらしい。しかし金融庁だって検査しなければ銀行の経営状態が分らないのに、これを素人にやれと言っているのと等しい。筆者はぺイオフ解禁の理にかなった説明を聞いたことがない。
ぺイオフ対策を巡って行政当局や銀行も混乱した。銀行間の提携や保険も検討された。最終的には決済用預金口座を新設することになった。この口座はぺイオフの対象外で、預金の全額が保証される。しかしこのような口座を認めるのなら、ペイオフなんか行う必要は全くなかった。ところが数年前亀井元政調会長が最初にペイオフ解禁を延長した時、日本中のマスコミやエコノミストが一斉にこれを非難をした。日本中が狂っていたのである。
また2年前、部分解禁を行ったが、中小の銀行や定期預金から資金流出が起った。その後も定期預金から流動性預金への資金シフトが続いている。しかしこの流動性預金への資金シフトは、銀行の長期の貸出しを行う上で障害になる。このように全く意味のないペイオフ解禁が、現実の経済に悪影響を与えている。筆者は、ペイオフ解禁を預金保険機構を温存するための施策と考えている。
戦後、商法は幾度も改正されている。しかし商法改正にポリシーが感じられない。商法は法曹界の人々を中心にした審議会が答申し、国会の承認を経て改正される。本来、商法は現実の商行為を規定するものであるが、商売や会社での経営に携わったことがない学者や官僚が、「こうであるべき」と改正を続けてきた。頭だけで考え商法を改正するので、法律が現実から遊離し、常に問題が起っている。
たとえば株式会社の最低資本金の額である。以前は7人の発起人と1人の株式申し込み者の計8名が最低5万円の出資金を拠出した。つまり登記費用を除けば、40万円で株式会社が設立できた。しかし株式会社には債権者保護と信用が必要という話になり、平成2年(1990年)に最低の資本金の額が1,000万円に引上げられた。その代わり、発起人は1名に削減された。
また当時はバブル崩壊前後で、企業舎弟というものが問題になっていた。会社設立そのもののハードルを高くしたのである。資本金の払込を受ける銀行も、簡単には払込業務を引き受けなかった。当時、筆者の知人は有限会社を設立しようと銀行に掛け合ったが拒否された。本人は「自分は人相が悪いので銀行がいやがっている。」と言っていた。この人物は、何百万円もの定期預金を設定し、なおかつ時間を置いて、やっと有限会社設立に漕ぎ着けた。
ところが最近では様変わりしている。「1円」で会社の設立が許可され、次には資本金は自由、有限会社の株式会社への統合などが現実になろうとしている。あれだけ強調された会社の債権者保護と信用というものはどこに行ったのか。
株式の額面も混乱の変遷を辿っている。以前は、電力会社などの一部の会社を除き、額面は50円であった。ところが昭和56年(1981年)の改正で5万円に引上げられた。50円が安すぎると言うことであろう。さらに当時、無償増資が行われるようになり、端株の発生が問題になっていた。これを単位株に統合するという主旨もあったと記憶する。しかし上場企業など、既存の会社の額面は強制的に変更しなかった。株式市場が混乱するという理由であろう。
ところが昭和56年(1981年)以降設立された企業が上場されるようになって不都合が発生した。額面が高いので、一株の価格も高くなる。もっとも額面が50円の株式も通常、1,000株単位で取引されるので、同じことであるが。ただ受ける印象で敬遠された。たしかに知名度の低い会社の株価が200万円、300万円では、一般の投資家が近付き難い。また当時の値幅制限の関係で、高価格の株式の株価の動きが鈍かった。
小泉政権発足前後、株式市場は低迷していた。そこで一般の投資家の参加を呼ぶ込むため、2001年から株式分割を容易にした。また同年には額面株式が廃止され、これで完全に額面を5万円に引上げた意味がなくなった。当初、株式分割は業績の良い、高株価の株式の分割を想定していたと考えられる。しかしこれを盛んに利用したのは、額面が5万円の新興市場の会社であった。
ところが株式分割を行うと、理屈に合わない現象が起った。2分割をやれば、株価は半分になるはずであるが、実際は半分以上の株価をキープするようになった。たしかに株価が安くなり、流動性が増すという理由はある。このような株式市場の性質に目を付けたのが、額面5万円の新興市場の会社である。頻繁に株式の分割が行われ、結果的にこれらの会社の時価総額が大きくなった。
株式分割を行うと、株券の交換が行われる。これには一ヶ月半くらいの期間を要する。何故かこの間にこれらの会社の株価が高くなるのである(高株価になるよう操作されていた可能性もある)。だいたい株式分割後の株式が到着するまで一ヶ月半かかり、既存株主は売れないので、株価はさらに高くなる。また株式分割後の株式が到着後に売られても、理論値をはるかに越えた株価が維持される。
ライブドアの場合は、3分割した後、10分割、100分割、10分割と頻繁に分割を行った。実に合計で3万分割である。分割が行われ、株価が下落しても、株数がそれ以上に増えるので、株主が全員儲かる。つまり株式分割が行われる度に、株式資産は大きく増える仕組みである。またこれだけ頻繁に分割が行われると、株主は、次の分割を期待して株を売らなくなり、これがさらに株価を高めることになる。ちなみにライブドアの株価は3円台であり、取引単位が100株であるから、300円ちょっとで買えることになる。特に最近のネットによる株式の売買の活発化により、このような株式が人気を呼んだ。
ライブドアは、自社の時価総額を大きくし、さらに時価発行増資によって調達した資金や自社株を使って脈絡のない企業買収を続けている。この会社にとって時価総額を維持し、大きくすることは重要である。このために株主に常に夢を与えアッピールする行動が必要になる。企業買収、プロ野球、草競馬、そして今回のニッポン放送買収もその一環と考える。これを怠ると、時価総額の大きさに比べ収益力が劣る同社の株価は自然落下すると予想される。
筆者は、株式会社の最低資本金の引上げと株式額面の変更は全く必要のなかった法改正と考える。商法だけでなく、経済関係の法律を頭だけで考えて改正するとかえって不都合が発生し、これを是正する必要に迫られる。ところが法律は簡単に改正できないだけでなく、改正がまた法律の穴を作っている。今回のライブドアの行動は、このような法律の不備や穴を巧みについたものと解釈している。
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