平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




05/2/28(379号)
マスコミの暴走

  • 日本社会党の落日
    05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」で取上げたように、マスコミが政治的権力を握ろうとして、1991年のテレビ朝日の椿局長の事件が起った。椿局長は、国会で非自民政府樹立を画策して番組製作を主導してきたことを認める証言を行っている。しかし筆者が問題にしたいのは、マスコミの権力指向的な体質だけではない。マスコミが後ろ楯となったり、支持する政治勢力が、往々にしてとんでもないしろものという事実である。

    当時、椿局長が画策した非自民政権の中心は、日本社会党ということになる。筆者に言わせれば、日本社会党はとんでもない政党であった。おそらく民主主義的体裁が整っている国の政党の中で、最低レベルの政党であったろう。このような政党を日本の政治の中心に据えようとした椿局長という人物は、権力のガリガリ亡者と言える。


    随分昔になるが、筆者は、たまたま何人かの社会党の国会議員達と酒を酌み交わす機会があり、色々な話をしたことがある。そのうちの一人は、社会党左派の三月会の中心となっていた参議院議員であった。この国会議員は酔っていたこともあるが、「俺は本心では原子力発電に賛成しているが、明日は原発の反対運動に参加しなくてはならない」と筆者達にボヤいていた。見方によっては実に率直な政治家であるが、筆者達にとって驚きであった。

    まさにこのようなところが旧社会党の本質である。表向き、社会党は「安保反対」「自衛隊反対」「原発反対」「成田空港反対」の政党であった。しかし日頃から現実の政治に接している政治家が、これらの全てに反対しているとは到底思われなかった。ところが自民党の政治家がこれらに関して、口を滑らせ問題となると、社会党を始め野党は一斉に攻撃した。マスコミもこれを煽った。しかしこのようないい加減な社会党という政党を抱えた日本では、政策がどんどん歪められた。


    細川・羽田政権が倒れ、「自社さ」政権が誕生した。村山首相を始め、社会党の政治家は、これまでの方針を180度転換させ、安保・自衛隊を容認することにした。もちろんマスコミのこの社会党の変心への攻撃は熾烈を極めた。しかし筆者は、社会党の政治家が心変わりしたのではなく、本音で行動を始めただけと考える。社会党の政治家も元々本心では、「安保・自衛隊・原発」に反対していたのではなかったのである。

    政治とマスコミの関係は、「自社さ」政権の一件でも分かる。政治家はマスコミが勝手に作ったイデオロギーを主張している間は、マスコミに庇護される。しかし一旦マスコミの論調に反する行動を行うと鋭く攻撃されるか干される。その後マスコミに見捨てられた日本社会党は、消えてなくなった。


    ここで注目されることは、政治が主ではなくマスコミが主ということである。マスコミがイデオロギーを主張し、これに政治家がついて行くという姿である。先々週述べたように日本のマスコミは「戦前は軍国主義を鼓舞し、国民の戦闘意識を高めた。戦後は一転して左翼イデオロギーに染まり、共産主義・社会主義国家を礼讃していた。そしてべルリンの壁崩壊後は、「小さな政府」とニュークラシカル経済路線を推進している。」

    マスコミの社会党への攻撃を強めた「自社さ」政権の時は、ちょうど左翼イデオロギーからニュークラシカル経済路線への転換期にあたっている。今回のNHKと朝日新聞の問題は、左翼イデオロギーの残党の最後のあがきみたいなものである。ところが最近では労働者の味方を気取っていたはずの朝日新聞であるが、シカゴ大学出身のニュークラシカル経済学派のエコノミストが客員論説員として論文を載せている。いつの間にか朝日新聞は、弱い者いじめの「構造改革派」に変身しているのである。

    マスコミ人には「前衛」という変なプライドがある。「民衆はばかだから、自分達がオピニオンリーダとして民衆を指導しなければならない」と考える(それにしてはマスコミ人は知識が浅く、軽率である)。したがって日本のマスコミは、戦前なら軍国主義であり、戦後は社会主義・共産主義であり、今日では小さな政府の構造改革派である。学者や識者といわれる人々も、簡単にこのマスコミに迎合するような主張を始める。彼等は、マスコミに干されないように、マスコミの奴隷となって働くのである。


  • 一億国民総玉砕
    マスコミが暴走を始めると誰も止められない。戦前ならマスコミによる軍国主義の鼓舞である。当初、軍部や政府がマスコミを使って、国民の戦闘意識の昂揚を図ったかもしれない。しかし軍部も米国や英国との戦争までは考えていなかった思われる。特に海軍の主流派は非戦の立場であった。しかしマスコミとアジテータが一体となって、国民の戦闘意識を高めた。

    軍部もマスコミと扇動者に煽られた国民の意向を無視することが難しくなった。いつの間にか国内で非戦論を唱える者は非国民のレッテルを貼られる風潮が出来上がった。当初、非戦の立場であった海軍も「国民のお金を随分使っているのに、戦わないとは申し開きができない」と開戦に同意することになった。開戦の報を聞いて、多くの国民は「これですっきりした」と開戦を歓迎したのである。これも国民全体が、マスコミと扇動者にマインドコントロールされていたからである。

    戦後、マスコミは自分達が行った軍国主義の鼓舞を軍部や検閲のせいにしていた。自分達はむしろ被害者と居直っていたのである。「戦犯」については色々議論があろうが、マスコミと扇動者の責任は重大と筆者は考える。ところが卑怯なことに戦後は、一転してマスコミは戦前の日本を全否定する立場に変わった。戦前の日本には悪いところもあろうが、良いところも沢山あったはずである。こんなところにもマスコミ人の軽薄なご都合主義的な面が見られる。


    世論を誘導するためマスコミを利用しようという人々がいる。しかし一旦、利用したはずのマスコミが走り出したら、戦前の例にあるように誰も止められなくなる。今日の構造改革運動と財政再建運動、そしてグローバリズムの礼讃もその一つである。これらに問題があると指摘する者に対しては、マスコミは全て既得権者のエゴとレッテルを貼る。

    04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」で事務局は、文芸春秋の1998年7月号に掲載された山家悠紀夫氏(当時、第一勧銀総合研究所取締役専務理事)の「『日本の財政赤字は危機的』は大ウソ」という昔の論文を用意した。当時はようやく薄日が射してきた日本経済が、橋本政権の逆噴射的な緊縮財政によって、一転奈落の底に転落した頃である。

    山家氏は論文の最後で「ある大蔵省OBが非公式の席で現在の惨状を『今回は薬が効きすぎた』と述べた」ことを紹介している。大蔵省が財政改革推進のために赤字を強調したが、意外にもマスコミの積極的な賛同を得ることになり、国民にあまりにも直戴に浸透してしまったという意味らしい。つまり大蔵省がマスコミを使って財政改革のムード作りを図ったが、それが行き過ぎたということである。たしかに日経新聞は、この頃「2020年からの警鐘」という気持ちの悪い特集を延々と続けていた。

    事の発端は大蔵省かもしれないが、マスコミの財政改革運動の暴走は止まらなくなっている。今日8年後のプライマリーバランスの回復と言っても、鉛筆をなめながら作った空想である。8年後にはこれに関わった大半の官僚や政治家は既に引退している。一方、日本の社会は永遠に続くデフレでガタガタになっている。ところがこれまでどれだけ財政改革運動を行っても、財政が良くなっていない。そのうち「責任者は出てこい」という声が起るのは必至である。


    財務省の中で意見が分かれていることは想像される。いまだに歳出カットと増税によって財政を再建するのが正しいと一途に信じている原理主義者もいるだろう。しかし一方には、筆者達が考えているような政府貨幣の発行や国債の日銀買入れで対処ができると柔軟に考えている人もいるはずである。その意味で2年前、財務省が招いたスティグリッツが「政府貨幣発行」について講演を行っていることが注目される。

    筆者は、05/1/31(第375号)「財政当局の変心」で述べたように、財政当局にも今日のジリ貧路線からの脱却の必要性を感じている人々がいると考えている。しかし財政再建路線にのめり込んで入るマスコミが簡単に論調を変えることは考えられない。財政当局が、今さら積極財政でデフレからの脱却なんて言えば、「裏切り者」のレッテルが貼られ、日本社会党のようにマスコミから総攻撃を受けることになる。とにかく日本のマスコミの論調の先には、「一億国民総玉砕」が見える。



来週はクローバリズムについて考えたい。

ライブドアのニッポン放送買収劇では、マスコミ上で相当不正確なセリフが飛び交っている。堀江社長は、最初の頃、テレビに登場して35%の株式を買ったのだから、半年間は売却できないと言っていた。10%以上の株主は特定株主と呼ばれる。しかし特定株主といっても短期に持ち株を売却できないことはない。ただし短期売却の場合、会社の請求によって売却益を返還するケースがある。しかし売却益がない場合は関係がないはずだ。そもそもライブドアはいきなり35%の株式を購入したのだから、特定株主でさえなかった。35%の株式を購入した時点で特定株主になったのだ。したがってその後買増しした分の株式だけが売却益返還の対象になる。

誤解を招く表現も多い。フジテレビがニッポン放送の新株予約権を実行すれば、即、既存株主の権利が侵害されるようなコメントがある。株式には議決権と、配当を受取るなどの経済権がある。理論上は、フジテレビが妥当な株価で新株予約権の実行を行えば、株主の経済権が侵されることはない。問題は議決権である。しかし少数株主にとって議決権はほとんど関心がないと思われる。議決権についてはライブドアと村上ファンドのみに関係してくる。

ところで堀江社長自身も議決権の過半数を取得したなら、増資してフジテレビの議決権を削ぐと以前発言していたはずである。つまり自分も今回フジテレビがやったことと同じことをやると言っていたのである。この発言は裁判で問題でなるような気がする。堀江という人物は、この程度の中途半端な知識でよく買収劇を演じている。

今回の件でも証券会社、投資銀行、投資ファンドといった怪しい存在が暗躍している。しかしこれらの仕掛人のことは、テレビではあまり話題にならない。本誌でも前に述べたが、証券会社は芸能プロダクションみたいなものである。有望な企業(タレント)を探してきて、デビュー(IPO:株式公開)させることが飯の種である(そのためにはどこに事務所をかまえろとかこと細かな指示をする)。ところが時々、たまたま刑事役をやったタレントが、自分は本物の刑事ではないかと勘違いすることがある。今回の一件もこのようなことの一つと理解している(今回の買収劇の陰の主役は村上ファンドと理解している)。

株式市場のことを知っている者は、ライブドアと村上ファンドに対して様々な評価をしている。特に前者の株式は、度重なる株式分割で、ネット投資家の売買が急増した。これもこれまで株式市場では、株式分割を行う企業の株価は上昇するという根拠のない風潮ができていたからである。これによって株価が上昇し、ライブドアの時価総額が大きくなった。ライブドアはこれを利用(株式交換など)して、携帯電話販売会社、ソフト会社、ネット証券会社、消費者金融会社などを買収してきた。誰もライブドアをIT関連企業とは思っていない。

亀井静香勝手連の掲示板のアドレスが変更された。新しい掲示板には亀井静香勝手連のトップページから入ってもらいたい。亀井静香勝手連のアドレスは(亀井静香勝手連のホームページhttp://www.nb-j.co.jp/katteren)である。



05/2/21(第378号)「マスコミが流す誤った概念」
05/2/14(第377号)「日本のマスコミの権力指向」
05/2/7(第376号)「日本のマスコミの体質」
05/1/31(第375号)「財政当局の変心」
05/1/24(第374号)「経済成長の条件(その2)」
05/1/17(第373号)「経済成長の条件(その1)」
05/1/10(第372号)「中国経済の実態」
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」
04/12/6(第370号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その3」
04/11/29(第369号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その2」
04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」
04/11/15(第367号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その1」
04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」
04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
04/10/25(第364号)「クライン博士を招いてのシンポジウム」
04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」
04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」
04/9/27(第360号)「豊かな社会ーー競争と共生」
04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
04/4/12(第340号)「火星の土地」
04/4/5(第339号)「円高は構造的」
04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
04/3/22(第337号)「矛盾の出発点」
04/3/15(第336号)「日経の貧乏神」
04/3/8(第335号)「実感なき経済成長」
04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
04/2/16(第332号)「為替介入資金の働き(その2)」
04/2/9(第331号)「為替介入資金の働き(その1)」
04/2/2(第330号)「為替介入政策の限界」
04/1/26(第329号)「今日の政治課題」
04/1/19(第328号)「今年の政局の課題」
04/1/12(第327号)「今年の日本の景気」
03/12/15(第326号)「日本の公的年金」
03/12/8(第325号)「足利銀行の破綻処理」
03/12/1(第324号)「日本経済を支えているもの」
03/11/24(第323号)「総選挙結果から見えるもの」
03/11/17(第322号)「総選挙結果の分析」
03/11/10(第321号)「総選挙の結果他」
03/11/3(第320号)「総選挙の予測」
03/10/27(第319号)「動態的会計による企業価値算定」
03/10/20(第318号)「道路公団、財務諸表の怪」
03/10/13(第317号)「藤井総裁解任劇」
03/10/6(第316号)「総裁選と総選挙」
03/9/29(第315号)「総裁選の総括」
03/9/22(第314号)「ドキュメンタリー総裁選」
03/9/15(第313号)「レポート総裁選・・その2」
03/9/8(第312号)「レポート総裁選」
03/9/1(第311号)「混迷の終始符」
03/8/25(第310号)「急がば回れ・・再び」
03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」
03/8/4(第308号)「日本の実稼働率」
03/7/28(第307号)「設備投資の実態」
03/7/21(第306号)「企業経営と創造的破壊」
03/7/14(第305号)「頭が破壊されている人々」
03/7/7(第304号)「頭が混乱している構造改革派」
03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
03/6/23(第302号)「経済の循環(その1)」
03/6/16(第301号)「経済政策の混乱」
03/6/9(第300号)「りそな銀行の件」
03/6/2(第299号)「規制緩和と日本経済」
03/5/26(第298号)「経済学と経営学」
03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」
03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」
03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」
03/4/21(第294号)「逆噴射の財政政策」
03/4/14(第293号)「危機管理下の経済政策」
03/4/7(第292号)「国債の管理政策」
03/3/31(第291号)「経済再生政策提言フォーラム」
03/3/24(第290号)「日本の有名経済学者達」
03/3/17(第289号)「波乱の株式市場」
03/3/10(第288号)「政府貨幣の理解」
03/3/3(第287号)「軽視される高橋是清の偉業」
03/2/24(第286号)「日本の清貧の思想」
03/2/17(第285号)「日本のデフレの原点」
03/2/10(第284号)「小泉首相の「もっと重要なこと」」
03/2/3(第283号)「スローパニック経済」
03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」
03/1/20(第281号)「マネーサプライ政策の限界」
03/1/13(第280号)「データに基づく経済論」
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