平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




05/2/14(377号)
日本のマスコミの権力指向

  • 「インナー」と呼ばれる談合組織
    NHKの「政治家による番組改変圧力事件」は、いつの間にか収束状態である。このような重大な問題をうやむやにしたのも、先週取上げた大手マスコミの談合体質のなせる技と考える。一見、大手マスコミは互いに激しい足の引っ張り合いをやっているように見える。

    しかし他のメディアを攻撃するのは、相手にスキャンダルが発覚した時だけである。決して他の大新聞や大手テレビ局の政治的な主張を論評したり非難することはない。筆者などは、むしろマスコミ同士のスキャンダル報道はもう良いから、大手マスコミは互いの政治的主張を検証すべきと考える。それどころかマスコミは、互いの主張をチェックするどころか、政治的に同一歩調をとる場合が多い。これについては後ほど取上げる。


    昔からマスコミは、政治的権力を奪取することに執着している。大手マスコミの実力者がグループを形成しているという噂が絶えない。「インナー」と呼ばれる仲良しクラブの存在である。「インナー」と呼ばれる談合組織を組織することによってマスコミが、一種の政治的権力を握ろうという魂胆である。森前総理に対する全マスコミの一斉攻撃などは、このような「インナー」の存在抜きには考えにくい。

    筆者は、01年11月20日の全国紙の朝刊の社説に注目している。「小泉首相は、守旧派の反体勢力の抵抗にひるまず、改革を断固つら抜け」と一斉に同じ内容の社説を掲げた。全ての全国紙が同一の内容の社説を掲げるなんて、偶然とは絶対に考えられない異常な出来事である。外国人から見れば、まるで日本の大新聞は誰かに検閲されているのではないかと思うであろう。このようなところにも「インナー」と呼ばれているものの影を感じる。


    話はこれに関連するが、この全社一斉の社説から分かるように、大手マスコミは小泉首相の改革路線を支持している。これは重要なことである。どういう訳か揃って日本の大手マスコミは、今日日本人の中の負け組と言われている人々に対して極めて冷淡である。しかし小泉改革に賛同しているとすれば、それも納得が行く。

    つまり田原総一郎氏が特別の考えを持っているのではなく、大手マスコミ主流派の考えが田原氏と一致しているのである。そもそも小泉純一郎という人物が総理になったのも偶然ではない。長年改革路線を推進し、日本に改革の土壌を造ってきたマスコミの大きな働きがあったからである。したがって小泉首相が失脚したり、任期を満了し、次の総理が誕生しても、大手マスコミ主流派の考えにそぐわなければ、いつ森前総理のように引き摺り降ろされるか分からない。


    また日本の大手マスコミは、政治家の力を削ぐことに一生懸命である。ひと頃に比べ、政治家と金の関係はずっとクリーンになったとよく聞く。むしろ大統領選を見ても分かるように、米国などの方がずっと政治に金を使っている。しかしマスコミの政治家と金との関係についての追求は止まない。

    今日の議員年金への攻撃も政治家の力を削ぐことが目的と考える。議員年金と国会議員の国民年金未納の問題は、昨年の年金法改正が問題になった国会の混乱から派生した。しかしマスコミは、年金問題の本筋から完全に離れたこれらの問題に焦点を摺り替えた。ところがマスコミが騒ぎ立てたことは全く理屈に合わない。

    まず国民年金は保険料を納付した者に対して、納付額にプラスして国費が投入され、これが将来年金として支給される制度である。国民年金は一つの社会保障制度である。保険料を納付した者が、納付額の何倍かの年金を受取るのである。もし保険料を納付していなければ、年金の受給資格がなくなり、本人が損するだけである。極端な話、保険料を納付する者がいなくければ、将来、国の負担はなくなる。しかし無保険者が増えれば、将来、たいへんな社会問題になる。このことから国民年金の保険料の納付を義務といっているに過ぎない。この「義務」という言葉を捉えて、理屈に合わないばか騒ぎをマスコミが行ったのである。

    議員年金への攻撃はもっと不合理である。長年政治と金の問題が続いたため、政党助成金という形で公的資金を支出することにしたはずである。これは政治家が政治資金を集める負担を軽減するためである。ところが議員年金を縮小したり廃止すれば、国会議員は今のうちから将来引退後の生活資金をより多く確保する必要に迫られる。へたをすれば資産家か、宗教団体の支持を受ける者しか国会議員になれないという事態が考えられる。そしてもし国会議員が将来のために無理な金集めを始めれば、それこそマスコミの格好の標的になりそうである。


  • 柳田邦男氏の正義感
    マスコミが政治的権力を握ろうとしたことが始めて問題になったのは、1991年のテレビ朝日の椿局長の事件である。椿局長は、国会で非自民政府樹立を画策して番組製作を主導してきたことを認める証言を行っている。これは明らかな国民主権の侵害行為である。しかし椿局長の件は氷山の一角であり、このようなマスコミによる政治介入は連綿と続いていると考えるべきである。

    日本のマスコミの力が巨大になったため、政治家の行動にも深刻な影響を与えている。マスコミが作った論調に自分の主張を合わせようとする国会議員が増えた。特に小選挙区制導入によって、当選するためにより多くの得票数が必要になった。このためにはマスコミに登場することが効果的である。このためか若手を中心に、マスコミの論調に迎合する国会議員が増えている。まさに彼等はマスコミの奴隷である。

    例えば若い国会議員に議員年金の縮小廃止を唱える者が多い。しかし若い国会議員に資産家が多いとは思えない。マスコミに迎合するために主張を曲げているのなら由々しき問題である。また「議員年金が優遇されているから、国会議員が年金の改革に真剣に取組まない」というとんでもない発言をくり返す政治家がいる。大手のマスコミは喜んでこの政治家の発言を取上げている。

    話は逆であろう。国民の年金を議員年金に近付けるのが本筋である。よく似たケースで、国会議員は決議で報酬を減額している。デフレ経済が続き国民の給与水準が下がっているから、国会議員の報酬を引下げたという話である。筆者は、むしろ国会議員の報酬を倍増しても良いから、国民経済を立直すのが政治家の仕事と考える。自分達も我慢しているのだから、国民も辛抱せよと言っているようなものである。これも政治家が、大手マスコミの「罠」にかかっていることを示す行動である。


    ここまで日本の大手マスコミの批難を続けてきた。もちろんマスコミ人にも正義感や常識のある人はいる。しかし大手マスコミの論調が一旦決まると、このような人々も異なる主張を行うことが難しくなる。特にこれまで述べてきたように、日本のマスコミは、安全保障などの一部のテーマを除き、論調を合わせる。そして大手マスコミは互いに主張を検証しようとしないから、主張が間違っていても、これが国民に影響し、政治家を動かす。

    そこで問題になるのが、誰がマスコミの論調を決めているかということである。マスコミは「国民の声」を聞いていると居直るかもしれない。しかしマスコミが「国民の声」を作っている側面の方が強い。そこで問題になるのが前段で紹介した「インナー」のような存在である。


    このように日本の政治は、マスコミの動向を抜きには語れなくなった。ところが日本では、どういう訳かマスコミの論調が間違っているか、あるいは不合理なケースが圧倒的に多い。過去の事例を見ても、重大な問題でいつの間にか主張を180度変えている。ところがマスコミ人からは「自分達が間違っていた」という反省の声が全く聞かれない。

    古くは「安保」がある。明らかにマスコミは安保条約に反対するよう国民を煽った。消費税の導入にも反対していた。住専問題の時にも公的資金の投入に反対していた。そして今日では「小さな政府」と「財政再建」を主張し、小泉改革に賛成している。むしろ小泉改革は手ぬるいと批難しているくらいである。


    どうも日本のマスコミ人はイデオロギーに染まりやすい体質を持っている。その時々の時流に乗った片寄った思想に染まるのである。戦前は、軍国主義を鼓舞し、国民の戦闘意識を高めた。戦後は一転して左翼イデオロギーに染まり、共産主義・社会主義国家を礼讃していた。そしてべルリンの壁崩壊後は、「小さな政府」とニュークラシカル経済路線を推進している。

    日本のマスコミの主張のベースには、いつもこのような宗教的なイデオロギーがある。宗教だから科学性に乏しい。マスコミは「小さな政府」「公共投資が無駄」などと主張しているが、「なぜ小さな政府が良いのか」「なぜ公共投資が無駄なのか」についての明解な説明を聞いたことがない。それにもかかわらず、自分達の主張の賛同してくれる識者とやらをやたら紙面やテレビに登場させ、世論を誘導しようとしている。


    柳田邦男というノンフィクション作家がいる。この人物は昔NHKの職員で番組の製作に携わっていた。73年のオイルショック当時、トイレットペーパや洗剤が商店から消えるという物不足パニックが起った。この時、商社や問屋が商品の売惜みをしているという話になった。マスコミは一斉に「商社・問屋悪玉」報道を行った。NHKも問屋の倉庫を取材し、商品在庫がうず高く積まれている様子を放映し、流通業者の悪徳さを訴えた。

    ところが後日調べたところ、NHKが取材した問屋の在庫数量は通常レベルであることが判明した。つまりその問屋は売惜みをやっていなかったのである。この番組を製作した柳田邦男氏は、これに責任を感じてNHKを退社して作家になったのである。柳田氏のような正義感のあるマスコミ人が昔はいたのである。

    翻って今日のマスコミ人を見ると情けなくなる。妄言「構造改革なくして経済成長なし」を振りかざすの小泉改革によって、修復不可能なくらい日本には大きな社会の歪みが発生しているのに、大手マスコミは見て見ぬふりを決めている。もはや日本のマスコミにとっては、「正義感」という言葉が死語になっている。



日本のマスコミが仕掛けている間違った概念には色々ある。今週取上げた「小さな政府」や「公共投資の否定」の他に「何でも民営化が良い」や「構造改革で競争力をつける」などがある。来週号はこのうち前者の二つを取上げる。

ニッポン放送株購入に関して、ライブドアや村上ファンドの資金の出所が問題である。それにしても短時間のうちにライブドアが大量に株式を買占めたいきさつがちょっと理解できない。貸し株という話もあるが。

フジ・サンケイグループのサンケイ新聞の経済論調は、極端な小さな政府賛同・構造改革である。つまり資本の論理の徹底を主張するのがサンケイ新聞の立場である。したがって株式の持ち合いを否定し、日本的なもたれ合いを否定するはずである。そこで今回のライブドアのニッポン放送株購入にどのような反応をするか注目される。本来ならサンケイ新聞は、今回のライブドアの株式買収を歓迎する立場のはずであるが。

放送法の関係で、外資が一定以上の株式を保有することが禁止されている。20%以上の株式を外資が保有すると放送権の停止という話である。しかしこれは外資による株式の直接保有だけの話である。今回のように日本の企業を介し、しかも持ち株会社を支配するという形で外資が影響を持ちうる形は想定していない。ライブドアの転換社債を全額リーマンブラザースが引き受けている。外資規制が現実に追い付いていないと感じる。

フジ・サンケイグループには扶桑社という出版社がある。ここは「新しい教科書を作る会」の歴史教科書を発行している。外資による日本のメディア支配とともに、この扶桑社への対応も注目されるところである。

亀井静香勝手連のアドレスは(亀井静香勝手連のホームページhttp://www.nb-j.co.jp/katteren)である。



05/2/7(第376号)「日本のマスコミの体質」
05/1/31(第375号)「財政当局の変心」
05/1/24(第374号)「経済成長の条件(その2)」
05/1/17(第373号)「経済成長の条件(その1)」
05/1/10(第372号)「中国経済の実態」
04/12/13(第371号)「第一回財政研交流会」
04/12/6(第370号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その3」
04/11/29(第369号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その2」
04/11/22(第368号)「構造改革派の常套手段」
04/11/15(第367号)「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)その1」
04/11/8(第366号)「第二次南北戦争」
04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
04/10/25(第364号)「クライン博士を招いてのシンポジウム」
04/10/18(第363号)「日本経済のデフレ体質の分析(その3)」
04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」
04/9/27(第360号)「豊かな社会ーー競争と共生」
04/9/20(第359号)「レーガンの規制緩和の実態」
04/9/13(第358号)「今こそ大胆な政策転換を」
04/9/6(第357号)「虚言・妄言が跋扈する世の中」」
04/8/30(第356号)「日本の「韓国化」」
04/8/2(第355号)「日本の分割統治」
04/7/26(第354号)「自民党大敗北の要因分析」
04/7/19(第353号)「参院選で見たもの」
04/7/12(第352号)「日本のエネルギー自立政策」
04/7/5(第351号)「危うい石油の確保」
04/6/28(第350号)「テロと中東石油」
04/6/21(第349号)「対談の論点(再)」
04/6/14(第348号)「対談の論点」
04/6/7(第347号)「富の分配と公正」
04/5/31(第346号)「小泉首相訪朝の成果」
04/5/24(第345号)「日本に必要な財政赤字政策」
04/5/17(第344号)「土地売買の盲点」
04/5/10(第343号)「日本経済の体質と財政政策」
04/4/26(第342号)「凍り付くマネーサプライ」
04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」
04/4/12(第340号)「火星の土地」
04/4/5(第339号)「円高は構造的」
04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
04/3/22(第337号)「矛盾の出発点」
04/3/15(第336号)「日経の貧乏神」
04/3/8(第335号)「実感なき経済成長」
04/3/1(第334号)「為替介入ではなく財政支出を」
04/2/23(第333号)「為替介入への道」
04/2/16(第332号)「為替介入資金の働き(その2)」
04/2/9(第331号)「為替介入資金の働き(その1)」
04/2/2(第330号)「為替介入政策の限界」
04/1/26(第329号)「今日の政治課題」
04/1/19(第328号)「今年の政局の課題」
04/1/12(第327号)「今年の日本の景気」
03/12/15(第326号)「日本の公的年金」
03/12/8(第325号)「足利銀行の破綻処理」
03/12/1(第324号)「日本経済を支えているもの」
03/11/24(第323号)「総選挙結果から見えるもの」
03/11/17(第322号)「総選挙結果の分析」
03/11/10(第321号)「総選挙の結果他」
03/11/3(第320号)「総選挙の予測」
03/10/27(第319号)「動態的会計による企業価値算定」
03/10/20(第318号)「道路公団、財務諸表の怪」
03/10/13(第317号)「藤井総裁解任劇」
03/10/6(第316号)「総裁選と総選挙」
03/9/29(第315号)「総裁選の総括」
03/9/22(第314号)「ドキュメンタリー総裁選」
03/9/15(第313号)「レポート総裁選・・その2」
03/9/8(第312号)「レポート総裁選」
03/9/1(第311号)「混迷の終始符」
03/8/25(第310号)「急がば回れ・・再び」
03/8/18(第309号)「自民党の総裁選に向けて」
03/8/4(第308号)「日本の実稼働率」
03/7/28(第307号)「設備投資の実態」
03/7/21(第306号)「企業経営と創造的破壊」
03/7/14(第305号)「頭が破壊されている人々」
03/7/7(第304号)「頭が混乱している構造改革派」
03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
03/6/23(第302号)「経済の循環(その1)」
03/6/16(第301号)「経済政策の混乱」
03/6/9(第300号)「りそな銀行の件」
03/6/2(第299号)「規制緩和と日本経済」
03/5/26(第298号)「経済学と経営学」
03/5/19(第297号)「政府紙幣発行の認知度」
03/5/12(第296号)「滝田洋一氏への反論」
03/5/5(第295号)「政府紙幣発行政策の誤解」
03/4/21(第294号)「逆噴射の財政政策」
03/4/14(第293号)「危機管理下の経済政策」
03/4/7(第292号)「国債の管理政策」
03/3/31(第291号)「経済再生政策提言フォーラム」
03/3/24(第290号)「日本の有名経済学者達」
03/3/17(第289号)「波乱の株式市場」
03/3/10(第288号)「政府貨幣の理解」
03/3/3(第287号)「軽視される高橋是清の偉業」
03/2/24(第286号)「日本の清貧の思想」
03/2/17(第285号)「日本のデフレの原点」
03/2/10(第284号)「小泉首相の「もっと重要なこと」」
03/2/3(第283号)「スローパニック経済」
03/1/27(第282号)「所得を生むマネーサプライ」
03/1/20(第281号)「マネーサプライ政策の限界」
03/1/13(第280号)「データに基づく経済論」
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