- 朝日新聞の本質
何ヶ月か前、知人から聞いた話である。彼はある大手のメディアの記者から、ある件で電話取材を受けた。たしかに取材の内容は微妙であった。そして最後に記者から「それでは、これこれしかじかですね」と念をおされた。ところがそれが知人が話した内容とまったく違うので「それは違う。そのようなことは言っていない。」と訴えたが、相手のメディアの記者は全く取り合わないのである。
困った知人は、たまたまそのメディアに面識のある記者が別にいたので、この事情を彼に話した。結局、この記者が取材した記者を説得してくれて、ニセ記事は世の中に出なかった。この出来事は、今回のNHKと朝日新聞の「政治家による番組改変圧力事件」に通じる。
メディアの記者には色々いる。たしかに真面目に裏をきっちり取らずには、記事を書かないタイプの記者がいる。しかし一方には、センセーションだけを狙い、ロクに取材もせず自分の想像や心情だけで記事を書く記者がいる。特に取材をする記者と記事を書くことを分業にしているメディアの場合には、実際に話したことと世の中に出回る記事の内容がまるで異なる恐れがある。仮に訂正記事が掲載されても、間違って報道された人の名誉は簡単には回復されない。
報道で知る限り、安部・中川両氏に対する朝日新聞の取材手法は、冒頭に引合に出した知人への取材と似ている。自民党の国会議員は、毎日何十人もの人々と面会する。だいだい面会の時間は一組30分くらいである。しかし面会と次の面会の間にも、挨拶といって訪ねてくる人が大勢いる。このような状況を考えると、4年も前の面会時に話したことを正確に思い出すことは容易なことではない。記者の質問の仕方によっては、答があいまいになるのも無理はない。
当初、この番組改変問題は、NHKの番組に政治的な圧力があったのかどうかが焦点であった。ところが途中からNHKと朝日新聞の言い分のどちらかが正しいかに移った。それによって番組への政治的な圧力といった当初の問題がぼやけた。自民党は、(NHK番組に関する朝日新聞の報道問題についてhttp://www.jimin.jp/jimin/info/jyouhou/004.html)で、朝日の記事の内容と安部・中川両氏の言い分をホームページに掲載している。ここで両氏は、朝日新聞の記事の間違いと取材手法を手厳しく非難している。
NHKも朝日新聞の記事の間違いを指摘し、さらに取材手法を非難している。NHKは公開質問状という形で、数々の辻褄の合わない事柄について朝日新聞に弁明を求めた。記者会見でNHK元松尾総局長は、朝日新聞の問題の記者が関係者の裏が取れていると、嘘をついて取材していたと指摘した。さらにNHK側の記者会見の前日に、朝日新聞から「証言の摺り合わせをしたい」という申し入れがあったこともバラした。
このように安部・中川両氏、NHKの双方から朝日新聞は、弁明と記事の訂正、そして謝罪を求められている。ボールは朝日新聞側にある。その朝日新聞が記者会見を行うというのだから注目した。ところが驚くことに朝日新聞は「我々の記事は適切な取材の元に書かれ、記事の内容は正しい」の一点張りであった。逆にNHKを名誉毀損で訴えるというのである。記者会見で、記事について安部・中川両氏、NHKの双方から具体的な反論が出ていることに対して、朝日側はどう答えるのか注目した。誰もが一番聞きたい点である。ところが何と朝日新聞は「今回の件は裁判沙汰になる可能性があるので、それらについては答えられない」と逃げた。何となく朝日新聞の本質を見たという感想である。
外部からは事の真相を正しく知るには限界がある。これ以上この問題の真相には立ち入らない。むしろ筆者が関心を持ったのは、他のメディアのこの問題の取扱い方である。安部・中川両氏への関心が薄れ、NHK対朝日新聞のケンカに焦点が摺り変わった。「子供のけんか」とか「どっちもどっち」という意見に問題が矮小化された。何故か、本質に迫る話は、うやむやになったのである。
さらに驚くのは、NHKの別の幹部の「番組について政治家に、通常の業務として説明することもある」という発言を捉え、NHKの体質や政治の報道への介入といった一般的な問題にさらに変質した。朝日新聞の取材手法の問題は、他のメディアの問題でもあるばずだ。このような問題の摺り替え記事を最初に掲載したのは東京新聞である。今度は救世主が現れたとばかり、メディアは一斉にこの記事に飛びついた。筆者などが一番知りたいのは、当初問題になった4年前の「疑似裁判」の詳細であり、何故、唐突にこの時期に朝日新聞がこの問題を取上げたかという点である。
- マスコミの談合体質
以上のように朝日新聞は反論に全く答えず、他のメディアは報道は誰に向かって行うかという抽象的な問題に逃げた。テレビの登場する者達は皆「我々は視聴者、そして国民に向かって番組を製作し、報道する義務がある」とシャアシャアと大嘘をついて、この問題をうやむやにしている。本当のテレビが向いている方向は視聴率であり、その次がスポンサーや宗教団体などではないか。とにかくこの問題は収束に向かっている。
本誌が今週問題にしたいのは、ここまで取上げた出来事に見られるような、日本のマスコミの談合体質である。メディアは自己の主張をするが、他のメディアの主張を論評することは一切しない。いつも自分達の独自の主張を言い放しにして、互いの主張を検証し合うことはない。かろうじて文芸春秋に「新聞エンマ帖」があるくらいである。これとても経済面は弱い。今回のNHKと朝日新聞の言い合いは極めてめずらしいケースであり、大いに注目していたのに残念である。
日本のマスコミは本当に談合体質が染み付いている。記者クラブ制度もその一つである。最も談合体質が最も発揮されるのは一斉値上げの時である。バブル崩壊後、日本はずっとデフレ経済が続いており、あらゆる物の値段が下がっている。ところが新聞だけは何回も一斉値上げをしている。
建設・土木やタクシーのような同質のサービスを提供する業界は、競争が促進されるとどこまでも価格が下落する傾向がある。一方、マスコミのように商品差別型寡占の業界に談合があった場合、ユーザには選択肢がなくなる。宅配されている新聞を、価格が上がったから取るのを止めるという人は少ない。ましてや一斉値上げとなれば、他の新聞に変える理由がなくなる。つまりマスコミは価格競争上、強い立場にいる。ところが日頃から、マスコミは建設・土木業界の談合体質を手厳しく弾劾している。まさに弱い者いじめである。
ここでマスコミのこの談合体質は、日本経済の現状認識までに及んでいる。先週に取上げた「朝まで生テレビ」では教育問題を取上げていた。日本の生徒の学力低下が話題になった。これに対して日本の所得格差が広がっていることが強く影響しているという話が出て、多くのパネリストの賛同を得ていた。成績の良い生徒の学力は変わっていないが、下の方の生徒の学力が低下しているため、平均値が下がっているという説明であった。
日本の低所得層の親は教育に金を掛けられず、子弟の教育を受けさせる意欲もなくしている。また正社員の門戸も狭くなっており、成績の悪い生徒にとっては、多少努力しても明るい未来が全く描けないのである。昔なら成績の悪い生徒も少しでも良い点を採ろうと努力したものであるが、今日ではこのような生徒はあっさり白紙のまま答案を出す。つまり白紙答案の増加が、日本の学力調査結果の低下の大きな要因というのである。
しかしマスコミ人を中心に日本はまだまだ所得格差が小さく、社会主義国家のようだという誤解が強い。ところが教育問題もつきつめてみれば、所得格差など経済問題ということになる。しかし今日の日本経済が問題の核心となれば、小泉・竹中コンビの改革路線を支持しているマスコミ、ここでは田原総一郎氏にとって、議論がまずい方向に進んでいることになる。
なんとここで田原総一郎氏が、盛上がる議論を制するように、「ここにいるあなた達(つまりパネリスト達)も勝ち組でしょう」と発言した。この発言を翻訳すれば「あなた達も勝ち組なのだから、負け組の貧乏人のことはほっとけば良いでしょう」ということになる。すると田原氏の隣にいた訳の分からないパネリストが突然、脈絡もなく違う別の話を始めた。ここで教育と経済の関係の話は途切れた。
これまでも「朝まで生テレビ」では、このような場面が幾度もあった。議論が白熱し、話が核心に迫ると必ず、唐突な事を発言する者がいて、話の腰を折る。このためいつもの議論が生煮えのまま終わるのである。話を折るパネリストは、いつも田原氏の近くに座っているような気がなんとなくする。
日経新聞を始め、新聞を広げれば、日本経済は回復しているという論調である。しかし教育問題に見られるように、いびつな形(所得格差の増大など)に日本の経済は変質している。この日本経済の変質の影響は、教育問題だけに止まらない。犯罪や雇用情勢の悪化も日本経済の変質が大きく関係している。
しかしマスコミは、田原総一郎氏のように、無理矢理、日本経済は順調に回復していることにしている。若者が練炭を使って集団自殺をしても、背景にある経済問題は無視する。あくまでも小泉・竹中コンビの改革路線を支持する姿勢が、大手マスコミには感じられる。
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