- ハロッド・ドーマの経済成長モデル
今週は、経済成長を取り上げる。これについては過去に、99/9/13(第130号)「欲求と日本経済成長の関係」、00/9/25(第178号)「経済成長率の話」、01/6/18(第212号)「需要があっての経済成長」と3回取上げており、述べることもほぼ尽くしている。
今週、改めてこれを題材にしようと思ったのは、先週のサンデープロジェクト(テレビ朝日系列)の「今年の景気がどうなるか」というテーマの討論を観たからである。専門家集めての討論ということであったが、森永氏を除き、パネリストも含め酷いメンバーであった。中でも渡辺氏という経済同友会の幹部の発言が気になった。
この渡辺氏という人物は、テレビなどのメディアに時々登場し、能面のような無表情で独特の意見を述べている。氏はさながら経済同友会の広報担当のようである。渡辺氏の意見は常に変わらない。一貫して日本が経済成長するには「「日本政府は減税と財政支出を削減によって、小さな政府を目指す必要がある」「徹底した規制緩和が必要」と訴え、「日本は社会主義国家だから成長力を失った」と決めつける。まさにニュークラシカル経済理論(カルト)の論客そのものである。筆者は「まだこんな事を言っている人々がいるのか」とあきれている。
まずこれまで述べてきた経済成長の理論を概括する。ハロッド・ドーマの経済成長モデルでは、g(経済成長率)=s/vとなる。sは貯蓄率であり、貯蓄の所得全体に占める割合である。vは資本係数であり、v=K(資本)/Y(生産・所得)で算出される。1単位の生産・所得を得るのに必要な資本量である。s(貯蓄率)が0.2、v(資本係数)が5とすれば、g(経済成長率)は0.04、つまり4%となる。
伝統的な経済学の世界では貯蓄はまわり回って、最終的には投資されることになる。s(貯蓄率)が大きいと言うことは、その国の国民が、なるべく生産物を費消せずに、将来の生産能力増強のために残しておく割合が大きいと言うことを意味する。つまりこのモデルでは、貯蓄率が大きく、生産性が高く資本係数が小さい国の経済成長率が大きくなる。
また人口の増加によっても経済は成長する。ただしこれは単純な人の数の増加ではなく、生産を担う人の数の増加である。さらに貯蓄が投資として投下されるパターンの他に、技術進歩によっても経済が成長する。人口の増加による経済成長率への寄与度をn、技術進歩による経済成長率への寄与度をtとすれば、モデルはg(経済成長率)=s/v+n+tと修正される。
しかしこのモデルは、一国に閉鎖された経済を前提にしている。今日のように資金が世界中を動く時代、一国の貯蓄率が経済の成長を決定的に制限することはない。実際、米国のように貯蓄が少なくても、各国から資金が流入し、それが投資され経済が成長するケースがある。また銀行の信用創造機能によって、投資資金が融資されれば、貯蓄がなくても経済成長が可能である。さらに経済成長に必要な機械設備も外国から輸入して調達することができる。
そしてこのモデルの一番の問題点は、生産されたものが全て消費や投資され、費消されるかどうかである。生産されたものの一部が売残った場合、生産=所得とならなくなる。あくまでもこのモデルは供給サイドの経済成長の物理的な上限を規定したものである。つまり「生産されたものは全て費消される」という現実離れした前提でしか有効ではない。
ハロッドもこのモデルの均衡条件は、現実においては極めて難しく「まるでナイフの刃の上」のできごとのように不安定と指摘している。実際、過剰の設備と大きな潜在的な失業を常に抱える日本経済においては、慢性的な需要の不足が発生しており、この経済成長モデルから大きく乖離している。
ニュークラシカル経済理論の論客達はこの点をごまかしている。ひたすらg(経済成長率)=s/v+n+tの右辺の数値を大きくする方策を唱えているに過ぎない。実際、日本は、国内の需要不足を補うため、輸出を増やし、なんとか大きなマイナス成長を避けている。また外需依存によって招くはずの円高を、常軌を逸した為替介入でさらにごまかしている。
- 日本人のアボリジニー化
今日、経済成長を決めるのは、供給サイドではなく、需要の大きさである。米国や中国のように需要があれば投資資金も集まる(反対に日本のような低成長の国からは資本が流出する)。また今日のように技術進歩が常態化している場合には、小さな投資で大きな供給力を得ることができる。たとえば通信分野は技術進歩によって、わずかな設備投資によって何倍もの通信が可能となっている。また技術進歩によって減価消却費の範囲内の設備投資でも、大きく生産力を増すことが可能である。
つまり今日の世界では、供給サイドがネックになって経済成長ができないとういう事態は、少なくとも先進国では考えられない。典型的な例として、米国や中国のように電力や石油精製設備が不足していても、経済成長をしているという事実がある。たとえ原油代が高くなっても、そのうち省エネ投資が行われ経済は成長することができる。つまり需要が旺盛ならどれだけでも経済は成長するものである。
また今日、小子化が経済成長のネックのごとく言われている。つまり将来、生産力の確保が難しいというのである。しかし仮に人手不足が起っても。工場の無人化やサービス部門の自動化・セルフ化で対処できる。むしろ人件費が安いから、日本ではガソリンスタンドのセルフ化が進まないのである(賃金が安いからといって外国人を闇で使うなどとは、これに逆行している)。また中国も一人っ子政策を行っているが、経済は成長している。反対に子沢山のはずのアフリカは経済が成長していない。
ここからは経済成長についてもっと根源的なことを考えたい。経済成長には需要が必要ということは、人々の欲求というものが重要なポイントとなる。「空を飛びたい」と思っても、具体的な方法がない時代においては妄想である。しかし今日のように飛行機やテレビなど、便利な各種電化製品が身近にあれば、需要が具体的となり、経済は成長する。
ところが世界の中には経済成長に背を向けた人々がいる。例えばオーストラリアの原住民のアボリジニーの人々は、文明を拒否し、古来からの自分達の生活スタイルを変えようとはしない。また米国のフィラデルフィアの近郊にある、キリスト教の一宗派の信者の集落では、近代的な機器を一切受け入れない。この村では電気や電話はなく、交通手段は馬車である。このような人々にとっては経済成長は無縁なものである。
日本の地方では、これらに近い感覚の人々がけっこういる。地方の人々の中には、人里離れた不便な所に住むことを厭わない人々がいる。情報化が進んでいる日本においても、このような人々は携帯電話やインターネットに興味を示さない。せいぜいテレビがあれば十分と感じている。むしろ情報から閉ざされているが、平穏な生活の方を望む。
筆者が心配することは、長く経済の不調が続いている事自体が人々のマインドに影響していることである。あまりにも不況が長過ぎるのである。特に若者の多くは、経済成長をしていた日本経済を知らない。彼等は、今日のような経済状態がずっと続くのが当たり前と考えるようになっている。若い政治家の中には、何の根拠もないのに「日本経済の実力はこんなものですよ」と賢ぶる者もいる。
今後、政府の経済政策が、積極財政に大きく変わることがあり得る。しかし「日本経済はもうだめだ」と長年マインドコントロールを受けてきた日本国民が、このような政策を素直に支持しない可能性がある。また予算の削減しか考えてこなかった官僚は、財政支出を増やしても良いとなっても、良いアイディアが浮かばない。若者には多くのフリータや無業者がおり、労働力としては劣化が始まっている。
企業家も橋本・小泉政権のような逆噴射的経済政策を経験しており、政府の経済政策が転換しても、政府を信用せず投資に及び腰になる可能性がある。実際、ここ数年で破綻したり窮地に陥った企業の多くは、バブル崩壊後も、政府が日本経済を立直すと信じて、投資を続けたところばかりである。つまり政府の経済政策を信じた企業が窮地に陥ったのである。
筆者は、日本経済を正常な方向に戻すには、大胆な積極財政への転換しかないと考える。それも何年も続ける必要がある。しかし今日の世間の雰囲気は、とてもそのような政策を行えるような状態ではない。今日、社会保険料の負担増や定率減税の廃止、さらに消費税のアップが話題になっている。無責任なエコノミスト達は、このような国民負担を増やすくらいなら「公共事業をもっと減らせ」「役人を半分にしろ」とアジ発言を続けている。
たしかに公共事業や公務員については問題があるとしても、このような政策を行えば日本の経済はさらに落込む。今日、必要な政策は、日本経済全体のパイを大きくすることであり、人々の間の所得の分配の問題ではない。
アボリジニーの人々は、経済が成長しない生活スタイルを、自ら選択しているのだからかまわない。しかし日本国民は知らない間に去勢されている。今の経済がさらに続けば、若者を中心にもっと自信を失う社会になる。そして日本は政策が適切ならもっと経済成長ができたはずであり、今後も成長できるはずと考える。
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