- 量的クラウディング・アウト?
リチャード・A・ベルナーの「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)」を取上げてきたが、今週はまとめとして、これに対する筆者の評価を行ないたい。全体を通して、一番特徴的なことは、著者ベルナー氏の「強烈な思い込み」である。日本においては、日銀が全能であり、日銀が日本全体を支配しているという思い込みである。したがって日銀、そして銀行の信用割当というものが絶対的であり、これが日本経済の動向を決定していると言うのである。
したがって金利や為替なども実態経済には影響を与えないというのだから凄まじい。ここで二点だけ反論を行なう。バブル崩壊後、日本政府は公共投資などの財政支出を行ない、景気の下支えをおこなった。ところがベルナー氏はこの財政政策は効果がなかったと断定している。
ベルナー氏は、財政支出を行なうために国債が発行され、これによって民間企業で設備投資に使われるべき資金が吸い上げられたと主張している。一種のクラウディング・アウトである。したがってその分だけ民間の設備投資が減少したというのである。しかし本当にクラウディングアウトが起っていたなら金利が上昇しているはずだが、金利上昇は起っていない。ところがベルナー氏は、金利上昇を伴わない「量的クラウディング・アウト」というものがあり、これが起ったと苦しい説明をしている。
そこで「量的クラウディング・アウト」とかいう奇怪な現象が本当に起ったのか、下の表を使って検証してみる。
88年度から95年度までの経済数値の推移(兆円、%)
| 名目GDP | 設備投資GDP比率 | 設備投資額 | 公債発行額 | 名目経済成長率 |
| 88年度 | 394 | 17.6 | 69 | 7 | 6.8 |
| 89年度 | 433 | 19.0 | 82 | 7 | 7.1 |
| 90年度 | 483 | 20.0 | 96 | 7 | 8.0 |
| 91年度 | 501 | 20.2 | 101 | 7 | 5.6 |
| 92年度 | 504 | 18.4 | 93 | 10 | 1.9 |
| 93年度 | 509 | 16.0 | 81 | 16 | 1.0 |
| 94年度 | 519 | 14.6 | 76 | 17 | 0.4 |
| 95年度 | 535 | 14.6 | 78 | 21 | 2.3 |
たしかにバブル崩壊後、設備投資額の減少に合わせて公債発行額が増えている(むしろ設備投資額の減少に多少遅れて公債発行額が増えている)。つまり公債発行額を増やして、政府は財政支出による経済浮揚政策を行なった。ところがベルナー氏は、公債発行で経済浮揚政策を行なったから、民間の設備投資が減ったと譲らない。
しかし通常の日本の設備投資GDP比率は15%くらいであり、バブル期の20%の比率は明らかに大き過ぎた。経済が急拡大を続けない限り、企業には過剰設備が発生する。もちろん企業は、バブル崩壊でブームが過ぎたことを認識し、急激に設備投資にブレーキをかけた。ピークの91年度の101兆円から94年度には76兆円と25兆円も設備投資は減った。しかし94年度の設備投資GDP比率の14.6%は、日本では通常の設備投資レベルであり、とりわけ低いレベルではない。
米国では、設備投資GDP比率が2000年の12.7%から2002年の10.6%へ、たった2.1%減少しただけでバブル崩壊と騒がれ、ブッシュ政権は大型減税の景気対策を行なうはめになった。日本の場合は5.6%も減ったのである。しかし繰返すがこれでも決して低い設備投資水準ではないのである。
公債発行額を増やして財政支出を行なったから、設備投資に回る資金がなくなり設備投資が減ったのではない。話は全く逆で、民間が急速に設備投資を減らしたから、危機感を持った政府が財政支出を増やしたのである。これ以外に景気対策として住宅建設の促進政策も行なった。バブル期より住宅価格が少し下がったからと、住宅建設はかなり増えた。もし「量的クラウディング・アウト」とかいう現象が起っていたなら、住宅投資も減っていたはずだ。「量的クラウディング・アウト」なんて、ベルナー氏が「企業はいつも資金に飢餓的な状態に置かれている」という奇妙な仮定を設定したから、苦し紛れに思いついたのであろう。
ベルナー氏は、バブル期において一貫して日銀が、銀行に土地関連業界に資金を供給することを強いていたと主張している。しかし日銀は、土地などの資産価格が上昇してきたので、むしろ87年には金融引締めに動いた。
ところが不幸なことに87年の11月にブラックマンデー、つまり世界同時株安が起り、反対に金融を緩和せざるを得なくなった。87年には日本だけでなく、ドイツも利上げに動いていた。結果的には、最初にドイツが強引に利上を行ない、プラザ合意後の国際的な協調態勢が壊れ、これがブラックマンデーの引金となった。この時には、政治と大蔵省が日銀の利上に対して圧力をかけた。このため89年5月まで金融引締めが遅れ、この影響でバブルはより大きくなったのである。これが二つ目の反論である。
ところでバブル期の後半では、地価の高騰は政治問題になっていた。このため地価税の導入の動きや国土利用計画法の改定があった。旧国鉄用地の汐留操車場跡地の入札による売却が、地価の高騰をさらに煽るという理由で中止になった。また土地融資の規制を行なったが、当初、銀行は関連ノンバンクを通じ迂回融資を行なった。
しかしバブル末期には、さすがに銀行も、土地融資を控えるようになり、系列の住専への融資も絞るようになった。ところが大蔵省・日銀の管轄外にあった農林系の金融機関が、住専へ肩代わりの貸出を増やした。銀行が引いた分、農林系が貸出を増やしたのである。また同様に大蔵省・日銀の管轄外の信組(当時は都道府県の管轄)も土地融資を続けた。この他にも色々な出来事があって、要するに当時の大蔵省・日銀が、うまくバブル生成を制御ができなかったのが実状であった。
このようにバブル生成の責任が全て日銀と決めつけるベルナー氏の主張は極めて奇異である。もっとも67年生まれのベルナー氏はバブルの頃はまだオックスフォード大の学生であり(何を勉強していたのか知らないが)、当時の日本の経済の状況をリアルタイムでは全く知らないのである。
- MOF担
この他にもこの本には奇妙なことが多過ぎる。説明が長くなるのでおかしいところだけを列記する。歩積み両建てのことは語られていない。BIS規制のことがほとんど触れられていない(わずか一ケ所)。そもそも銀行が融資すれば、必ず借りる企業があり、それを投資するという仮定は現実離れしている。また銀行はバブル期に料亭のおかみに1兆円ほどの株式投資資金を貸出して焦げ付かせている。これも日銀指導による信用割当というのか。
何よりおかしいのは、大蔵省や政治が日銀の窓口指導・信用割当の詳細を全く知らないというベルナー氏の話である。しかし大蔵省の役人は沢山銀行に天下りしている。一番笑ったのは、窓口指導の詳細は大蔵省にも秘密にしているとベルナー氏は指摘しているが、窓口指導による貸出増加割当額を示す表の出所が野村総合研究所になっていることである。
バブル期の銀行の行動はたしかにおかしかった。銀行が融資したい大企業は、自己資金が豊富で銀行から借りようとはしない。実際、無借金の企業もけっこう増えていた。80年代には直接資金を市場から調達する大企業が増え、銀行離れが進んだ。当時、1%くらいの金利の転換社債で一千億円単位の資金が市場からどれだけでも調達できた。どうしても銀行に資金を頼ったのは、中堅企業、中小企業、不動産関連企業だけである。地銀も地元には借手がいなく、都会の土地融資にのめり込んでいた。
これは他に指摘する人はあまりいないが、筆者は銀行が土地融資にのめり込んだ原因としてBIS規制を取上げたい。BIS規制は元々、日本の銀行の海外での融資攻勢を牽制するものである。日本の銀行は、低い収益率と極めて小さい自己資本比率を組合わせることによって海外の市場を席巻していた。欧米、特に欧州の金融界はこのような日本の銀行の活動を制限するために、自己資本比率による規制を持出した。
自己資本比率8%は日本の銀行には高いハードルであった。BIS規制を控え、銀行は自己資本を厚くすることを迫られた。BIS規制が始まる前に、ベルナー氏の言うところの信用創造をどんどん行ない、大きく儲けることが必要になったのである。
成長が見込める中堅企業を探してきて、融資を行なって育てるといった悠長なことはやっていられない。融資額が半年で倍になる土地関連業種こそ銀行の融資先としては理想的であった。担保の掛目も大きくして、さらに融資額をどんどん増やしていった。このように筆者は、バブルはむしろ銀行主導で大きくなったと見ている。金融の超緩和がこれを助長したのである。
85年のプラザ合意後の円高不況から脱出策は、財政政策ではなく、金融政策に偏重した。むしろ大蔵省は、消費税の導入を睨み、緊縮的スタンスを保持していた。この結果、バブル期は、政府部門が貯蓄主体になっていたほどである。このように金融の超緩和による円高阻止と景気回復を望んだのは、当初、日銀ではなくむしろ大蔵省の方であった。
バブル崩壊後は、さすがにベルナー氏も日銀の信用割当がうまく機能しないことを認めている。ベルナー氏は、この原因を銀行の不良債権の存在としている。しかし少なくとも銀行は、バブル崩壊後も貸出にはむしろ積極的であった。貸し渋りが顕著になり、貸し剥がしに及んだのは、早期是正措置が本格的に発動されてからである。
ベルナー氏は、90年代に採るべきだった数々のデフレからの脱却策を提唱している。日銀がハイパワード・マネーを増やしても銀行が不良債権で信用創造機能が動かないと信じている(筆者は、銀行の貸出が増えないのは不良債権だけのせいではないと考える。当然、過剰設備の存在と需要不足が影響している。)。ベルナー氏は、そこで金融機関に参加者が限定されている公開市場を一般企業や個人に広げることなどを提案している(実現性や効果の有無は別にして)。
しかしこのような政策は、岩田規久男学習院大学教授が昔提唱していたものと重なる。本誌でもこれらについては5年も前に99/11/15(第139号)「金融のさらなる量的緩和」で紹介した(効果がどれだけあるか疑問ではあるが)。もっともベルナー氏の主張は、これらに加え日銀による資産の買入れや企業への直接貸出を提唱しているところに特徴がある。ただし資産の買入れと言っても金融資産(手形、国債、社債、株式、外国為替など)に止まらず、不動産などの実物資産までも含んでいる。例えば日銀公園を造っても良いと言った具合であるから物凄い。さらに銀行の不良債権を簿価で買い入れることも提唱している。
中には納得するものもあり、日銀の国債の買いオペの増加や日銀による株式の購入(これは政府がやる政策であり、日銀の株式の購入には筆者は反対している)など、一部は既に実施されている。しかしベルナー氏の提唱している政策は全体的に荒唐無稽過ぎる。日銀公園の建設なんて公共事業そのものではないか。ベルナー氏は、日銀がやれることをやらなかったから、日本のデフレが解決しなかったと日銀を責めている。具体的にいえば日銀公園の建設や銀行の不良債権の簿価での買入を、できるのにやらなかったと日銀をなじっているのである。
筆者は、セイニア−リッジ政策による資金使途としてベルナー氏と似たような政策を提唱してきた。しかしこのような政策を実施するのはあくまでも政府であり、決して日銀ではない。ベルナー氏の意見が矛盾しているのは、ベルナー氏が日銀の独立性を否定しておきながら、このような政策を日銀に求めていることである。
先々月、ある大蔵省OBの方を事務所に訪ね、色々な話をした。話は面白かった。ところが最近古い雑誌を読んでいて、この人物のことを詳しく書いた記事を偶然見つけた。この方は2年間日銀に出向していて、何と日銀の営業局で仕事をしていた。まさに営業局は銀行の窓口指導をやっているところである。つまりベルナー氏は、窓口指導が、大蔵省や政治家に秘密裏に行なわれていると、とんでもない思い違いをしているのである。もちろん日銀と大蔵省の間にはこのような人事交流がある。
ベルナー氏は、日銀の一方的な上意下達で銀行の貸出が決まると思い込んでいる。しかし貸出方針は、実質的に日銀、大蔵、銀行の三者面談で決まると考える方が自然である。したがって日銀の信用割当と実績が一致するのは当り前である。これこそが日本の「護送船団方式」の結果である。ベルナー氏は「護送船団方式」の実態を計量経済学の手法を用いて証明しただけである。そうでなければ銀行のMOF担(大蔵省を担当していた銀行のエリート役員)はやることはないではないか。
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