- 二つのポイント
リチャード・A・ベルナーの「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)」には重要なポイントが二つある。一つは貨幣の流通がGDPに反映されるものと、GDP取引以外のものに分けられるとの指摘である。前者は通常の貨幣の流通であり、後者は不動産取引や金融取引に係る貨幣の流通である。
ベルナー氏の理論を理解するには、まず貨幣の交換方程式を説明する必要がある。通常、交換方程式はMV=PYで表現される。Mは貨幣流通量、Vは流通速度、Pは物価水準、Yは取引量である。この方程式は、昔から経済学ではおなじみである。ただこれを使う者によって、何をもって貨幣流通量とするかが微妙に異なる。また右辺のPYは、名目の総取引額、つまり名目GDPとなり、Yは実質GDPになる。また流通速度のVは一定と考えられてきた。
特にミルトン・フリードマンは、この貨幣の交換方程式を重視した。フリードマンはMをマネーサブライとし、流通速度のVが一定であることに着目した。つまりマネーサブライMは、PY、つまり名目GDPの増加率と同じ率で増やす必要がある。しかしそれ以上の比率でマネーサブライを増やしても、Pの物価水準だけが上昇し、Yの実質GDPは増えないと主張する。このことからフリードマンは、経済運営において政府が行なうことは、このマネーサブライの管理だけであると主張する。つまり政府はマネーサブライ管理以外の余計なことはやるなと言いたいのだ(貨幣数量説)。このようなフリードマンの理論の信奉者達はマネタリストと呼ばれている。
フリードマンの貨幣数量説は一世を風靡し、日本でも78年から日銀によってマネーサブライ管理が試みられた。しかし色々と工夫したが、中間操作目標であるマネーサブライがうまく管理できず、直にこの管理方式は行なわれなくなった。他の先進国でも同様の試みがなされたが、いずれもうまく行っていない。さらにフリードマンが一定とした貨幣の流通速度Vが、各国とも低下しているのである。
交換方程式MV=PYから、流通速度V=PY/Mが導かれる。つまり名目GDPをマネーサブライで割り返した数値である。流通速度Vが低下しているということは、マネーサブライが伸びているのに名目GDPがあまり増えない現象である。
ところで流通速度Vの逆数1/V=M/PYはマーシャルのkである。つまり流通速度Vが低下するとは、このマーシャルのkが大きくなることと同じ意味になる。本誌でも04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」で日本のマーシャルのkが大きくなっていることを指摘している。
「虚構の終焉(フィクション・エコノミクス)」のもう一つの重要なポイントは、日銀による窓口指導、具体的には信用割当・信用統制と呼ばれるものである。ベルナー氏は、日本では銀行に対して日銀による厳格な信用割当がずっと行なわれてきたと主張している。日銀は、全ての銀行に対して貸出額と貸出先を指定し、これを破った銀行に対してペナルティーを課していたという。このため銀行は日銀の指示を忠実に守って来たとベルナー氏は主張する。
しかし統制色が強いこのような日銀による信用割当は国際的に批難され、表向きには82年に終了したことになっている。しかしベルナー氏は、日銀の窓口指導は91年まで確実に続けられており、このことを計量経済学の手法で証明したと説明している。さらにベルナー氏は、91年以降も日銀の信用統制は続けられていると言っている。
ベルナー氏が想定している日銀と銀行の信用割当で特徴的なことは、民間はいつも資金を必要としていて、銀行融資に対して常に飢餓状態に置かれているという前提である。つまり日銀が信用割当を行なえば、銀行は民間に自動的に同額の融資を行う。さらに融資を受けた先はそれを全部投資に使うということになる。つまり日銀から民間の投資まで一本の線で繋がっていることになる。したがって民間の投資額は、金利水準など他の要素は関係がないとベルナー氏は割切っている。
- 本誌の主張との共通点
一般に貨幣の流通量のことをマネーサプライと呼ぶ。しかしベルナー氏は、今日マネーサプライとして定義されているものは実質的に貯蓄額であり、これが投資に回る保証はないと説く。投資が行なわれ、名目GDPを大きくするものは、マネーサプライの内でも銀行の信用創造、つまり銀行の融資相当額である指摘している。ベルナー氏は交換方程式をMV=PYから、CV=PY(Cは銀行融資額)に修正している。さらに日銀による厳格な信用割当を前提にすれば、Cの銀行融資額は日銀の信用割当額ということになる。
さらにベルナー氏はCの銀行融資額をGDPに反映される業態へのものと、GDP取引以外の業態へのものとの二つに分けている。後者の業態として不動産、建設、ノンバンクの3業態(サービス業の一部を含めると4業態ということになる)を挙げている。これらに対する融資は、全部が土地・金融融資ということになる。つまり不動産、建設、ノンバンクへの信用割当は、土地や金融といったGDP取引以外に使われ、名目GDPを押し上げないものであると割切っている。
ベルナー氏は、ここでも計量経済学の手法を用い、日本の過去の銀行融資額と名目GDPの関係から、夫々のケースで貨幣の流通速度を推定している。面白いことにGDP取引以外の3業態への融資額を除くと、Cの銀行融資額の伸び率と名目GDPの伸び率がほぼ同じになっている。つまり貨幣の流通速度は一定であると分析されている。つまり土地や金融に使われる融資の影響を取除けば、貨幣数量説は成立つというのである。ただしこの場合のMにはマネーサプライではなく、Cの銀行融資額を使うことになる。
一方、不動産、建設、ノンバンクの3業態に割当てられた銀行融資は、名目GDPを押し上げることなく、地価の上昇だけを招いたと断定している。バブル期にはマネーサプライは大幅に伸びた。しかしベルナー氏の分析結果のように、意外にも名目GDPの成長率は低く、物価も上昇しなかったが、地価だけは高騰した。
ところでベルナー氏の指摘のように、日銀の信用割当政策がずっと続けられてきたことが事実なら大変なことである。バブルが起ったのも、バブルを潰したのも、さらに今日の日本経済がデフレから脱却できないことも全て日銀の責任になる。またベルナー氏は、窓口指導は秘密裏に行なわれており、財務省や政治家も実態を知らないと主張している。つまり彼の分析によれば、日本のマクロ経済全体を支配しているのはこの日銀ということになる。
筆者も04/4/19(第341号)「デフレ体質の日本経済」以来(単発的には経済コラムマガジン創刊以来ずっと)、土地取引とデフレ、そしてマネーサプライの関係を度々取上げてきた。そして04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」から3週間に渡り、これらの分析をまとめた。
筆者は、土地の売買が活発に行なわれたことによって、日本のマネーサプライが増え、またバブル潰しのための高金利によってこのマネーサプライがさらに膨らんだことを説明してきた。しかも日本のマネーサプライは巨額であるが、ほとんどが凍り付いて動かない。この結果、マーシャルのkが大きくなり、貨幣流通速度のVが低下した。このように現象面では、ベルナー氏の分析と同じような結論になっている。
しかし問題へのアプローチ方法がかなり違う。ベルナー氏は銀行の信用創造に着目しているのに対して、筆者は家計部門の土地の売却代金の行方に注目した。筆者は、家計部門の土地の売却代金のほとんどが貯蓄され、マネーサプライが増えるが、この大部分が凍り付くことを問題にした。
筆者は、GDP計算における生産・分配(所得)・支出(需要)の三面等価の概念を念頭に置いている。家計部門が土地を売却した際、莫大な代金を受取る。しかしこの土地の売却代金が消費に回らずほとんど貯蓄されるということになれば、その分需要が不足することになる。
日本のように地価が異常に高く、かつ大量に土地が売却された場合には実物経済にも大きな影響を与えるのである。つまりその貯蓄に相当する資金が金融機関から融資され、それが他の消費や投資に使われない限り、生産されたものが余ることになる。バブル期には、金融機関から活発に企業に融資がなされ、なんとか経済は回っていた。しかしバブル崩壊後、土地の売却代金による過剰貯蓄が、ボデイーブローのように効いてきて、日本経済は長期のデフレに陥ったと筆者は考えた。
つまりバブル期の土地の売買に着目した点では、ベルナー氏と筆者は共通である。たしかに銀行の銀行の信用創造の一部は、最終的に家計部門の土地の売却代金となっている。しかしこの点を除けば、本誌の主旨とベルナー氏の主張に重なる部分はほとんどない(ただ構造改革派に対する攻撃には共感しているが)。
さらに筆者は、日本経済のデフレ体質は、バブル崩壊後ではなく、日本列島改造の土地ブームの後、つまり70年代の半ばから始まったと認識している。ところでリチャード・A・ベルナー氏は、見た目には老けているが、67年生まれで、今年まだ37才である。つまりベルナー氏がドイツの小学生だった頃から、既に日本はデフレの問題を抱えていたと筆者は考えている。
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