- オイルショック前後からの日本経済と経済政策
日本のデフレに関しては、バブル崩壊後の分析はよく見かける。しかし前にも本誌で触れたことがあるが、筆者はそれ以前に、日本は既にデフレ体質に陥っていたのではないかと考えている。むしろ日本経済の体質の変化に気がつかないままに経済が運営されたから、バブルが生成されたと考える。この様子を見るには、オイルショック前後からの経済を振返るのが良い。
73年末のオイルショックで「日本列島改造ブーム」は終了する。政府は狂乱物価を抑えるために総需要の抑制政策に転じた。ついに74年には日本経済はマイナス成長を記録することになる。オイルショックを境に、日本経済の体質は様変わりした。オイルショック前の実質経済成長率は10%であった。しかしオイルショック後は4%くらいになった。
73年末の第一次オイルショックで世界は同時不況に陥る。日本は財政政策と輸出急増によって他国より早く不況から脱出した。オイルショック後の不況から抜け出せない各国は、日本に内需拡大政策を要求した。福田元首相ははっきりと積極財政に転換した。国債の発行が増え、公共投資も活発に行なわれた。特に78年のボンサミットでは、日本とドイツに世界経済の機関車役が期待された。
このように内需拡大路線に転換したはずの日本であったが、突然政策が転換した。まず79年に日銀が金融引締めに転じた。一つの理由は、第二次オイルショックに対して日銀が過剰反応したことである。第一次オイルショック後のような物価の高騰を警戒したのである。さらに政府も、福田政権から大平政権に交代し、緊縮路線に転換し始めた。しかしこれには伏線がある。
第一次オイルショック後に景気の落込み、税収が減った。さらに景気対策が必要になり、公債発行が急増した。財政当局はこれに危機感を持った。当時の日本の税収は、所得税と法人税といった直接税に大きく依存していた。これでは税収が景気変動に大きく左右されることになる。そこで財政当局は、景気変動に左右されにくい欧州型の付加価値税、つまり今日の消費税の導入を目論んだ。しかし大型間接税の導入には、国民の反発が強かった。このため政府は緊縮財政に転換することによって、消費税導入の下地を作った。新幹線の建設がストップしたのもこの時代である。
80年代の緊縮財政により国内の需要が伸びないため、日本の輸出が増えた。そしてこの頃、80年に米国に登場したのがレーガン大統領である。そして有名なレーガノミックスが開始された。レーガノミックスの特徴は大型減税と高金利政策である。高金利政策はボルカーFRB議長が主導した。減税によって米国の消費は増え、日本からの輸出は急増した。
しかし高金利による「強いドル」政策は、日本から米国への大量の資金流出を促した。このため本来、輸出急増によって為替が円高になるべきところが、反対に円安になった。この結果、為替の価格調整メカニズムが働かず、一段と輸出が増えることになった。一時、日米間で貿易摩擦が起ったが、日本の米国への輸出依存体質は変らなかった。この円安は85年のプラザ合意まで続いた。この間、大平、鈴木、中曽根と三代の政権は緊縮財政を維持した。しかし米国への輸出増加によって、大きく景気が落込むことはなかった。しかしこの間に矛盾が蓄積されて行ったのである。
85年のプラザ合意で、為替は米ドル安・円高となった。輸出に頼る日本経済は、急激な円高で円高不況に見舞われた。政府・日銀は円安政策、そして景気対策のため財政政策と低金利政策を行なった。しかし当時、日本政府は、消費税導入を意図して緊縮財政を行なっていた。したがって不況に対する政策は、財政政策ではなく金融緩和に片寄った。これが土地ブームと相まってバブルを生成することになった。
このように85年から再び土地ブームが起った。地価の高騰が問題になり、日銀は89年から金融の引締めを開始した。しかし勢いのついたブームは簡単には収まらなかった。最後には土地融資の規制と言った極めて直接的な施策によって、ようやく土地ブームは沈静化した。その後、地価は下落に転じ、バブルが崩壊し、金融機関の不良債権などの諸問題が発生した。
不幸なことに87年にブラックマンデー、つまり世界同時株安が起った。このため地価の高騰が起っていたにもかかわらず、政府・日銀は金融引締に転換することができなかった。このようにオイルショック後、日本の経済政策は迷走を続けた。さらに今日の経済政策が将来の増税を睨んで、緊縮財政のスタンスを維持していることが注目される。今日、輸出の増加によって景気が少し良くなっている。しかしこれらは85年のプラザ合意前の状況に似ている。さらに米国が「双子の赤字」、つまり貿易赤字と財政赤字を抱えている点も共通している。
- デフレの定義と本論の結論
冒頭04/10/4(第361号)「日本経済のデフレ体質の分析(その1)」に述べたように、日本がデフレに陥った原因には、色々な仮説がある。しかしデフレに陥った原因を論議する前に、我々はデフレとデフレギャプの定義が人によって異なっていることを指摘する。そして筆者は、デフレの定義をデフレギャップが存在している状態と考える。また抽象的な概念で、デフレギャップの定義は「完全雇用・完全操業であれば達成されるはずの「潜在的GDP」と言う天井から、現実のGDPが下回っている場合の両者の差額」で良いと考える。
しかし問題は「潜在的GDP」捉え方が人によって異なることである。例えば日本政府は、今日デフレギャップはほぼ解消したという見解を発表している。しかし現実を見れば、日本には遊休生産設備が有り、地方では失業問題が深刻である。これは政府が「潜在的GDP」を過去数年の平均値や、日銀の景気動向指数の正常値を採用しているからである。日銀は、景気過熱でもなく、不況でもない景気の状態の景気動向指数を正常値としている。そしてその時の企業の資本設備稼働率で「潜在的GDP」を算定している。しかしこのような算定方法では、長い間、異常に低い生産レベルが続けば、この低い生産レベルが正常値になる。
もっとも資本設備稼働率を正しく捉えること自体が難しい。今日のようにハイテク産業の比重が大きくなれば、生産設備の陳腐化が早まり、何が遊休生産設備なのかの判断が難しくなる。このようにデフレは、抽象的な概念として理解できても、現実の経済においては判定に意見が別れる。
IMFは「2年連続物価が下落する現象」をデフレと定義している。現象面からは分りやすい定義であり、一つの参考になる。しかし物価の上昇・下落には様々な要因がある。市場の競争状態の変化もその一つである。またこの定義を元にすれば、デフレの解決には、公共料金を上げたり、消費税を増税すれば良いことになる。
そこで筆者は、デフレを厳密に定義することは困難という立場に立って議論を進める。筆者は現実のGDPの伸びより、著しく設備投資が増加した時にデフレギャップが生じたと推定する。次の表は設備投資の名目GDP比率の推移である。
設備投資の名目GDP比率(単位:%)
| 70年 | 21.0 | 78年 | 13.7 | 86年 | 16.4 | 94年 | 14.6 |
| 71年 | 19.0 | 79年 | 14.9 | 87年 | 16.5 | 95年 | 14.6 |
| 72年 | 17.5 | 80年 | 15.7 | 88年 | 17.6 | 96年 | 14.5 |
| 73年 | 18.5 | 81年 | 15.8 | 89年 | 19.0 | 97年 | 15.9 |
| 74年 | 18.4 | 82年 | 15.3 | 90年 | 20.0 | 98年 | 15.5 |
| 75年 | 16.4 | 83年 | 15.0 | 91年 | 20.2 | 99年 | 14.5 |
| 76年 | 15.1 | 84年 | 15.7 | 92年 | 18.4 | 00年 | 15.5 |
| 77年 | 14.1 | 85年 | 16.5 | 93年 | 16.0 | 01年 | 15.5 |
通常の日本の設備投資の名目GDP比率を15%とすれば、バブル期の20%前後の設備投資水準は明らかに高すぎる。これによって日本は過剰設備を抱えることになった。今日、日本経済はデフレという認識が一般的である。しかし第一次オイルショック前の「日本列島改造ブーム」の頃も20%前後の高い設備投資水準であった。オイルショック後には、バブル崩壊後と同様に5%くらい設備投資の名目GDP比率が下がっている。つまりオイルショック後にも日本はデフレに陥っていた可能性がある。ただ物価上昇率がプラスだったので、デフレと一般的に認識されなかっただけと考える。
オイルショック後とバブル崩壊後は、共に景気が後退したため、政府は景気対策を行なっている。しかし財政赤字を心配する政府は中途半端な状態で、景気対策を止めている。このため過剰設備を抱える企業は、どうしても活路を輸出に求めるしかなくなったのである。しかし輸出に頼る日本経済は、必ず貿易摩擦と円高に直面することになる。今日、円高に対しては、民間の資本の流出と政府・日銀の為替介入で対処している。
日本経済を浮揚させるため、大きな財政赤字や名目金利ゼロ政策といった諸外国では見られない手法が採られている。しかしこれだけ行なってもデフレは解決していない。それほど日本経済のデフレ体質は深刻なのである。この背景には、日本人の過剰貯蓄体質がある。特にブームの時には設備投資が増えると同時に土地取引が活発に行なわれる。この土地の売却代金のほとんどが凍り付いたマネーサプライになる。ブームの時には銀行の融資が活発で、このことが表面化しない。しかしブームが去ると、過剰設備とともにこの過剰貯蓄が日本経済のデフレからの脱出を妨げる。
長く続く物価の下落は、金利が低くても預貯金の価値を大きくする。したがって凍り付いたマネーサプライが一段と凍り付く。凍り付いたマネーサプライが溶け出すことは現状では考えにくい。したがって政府は、もっと大胆に財政赤字政策を行なう必要がある。ただし凍り付いたマネーサプライやデフレギャップの額を合理的に測ることは困難である。そこで政府・日銀は、物価上昇率や金利に目標を定め、これらが達成されるまで、財政政策と金融政策を押し進めることが求められる。
ただし金利の急上昇は問題を引き起こす。金利上昇は、これまで低金利で借入れを行なっている人や企業に負担になる。そこで日銀が国債を買入れ、金利の急上昇を和らげる必要がある。この場合、借入金利子に対する財政による補助も一つの対策である。
政府と日銀の協調的な体制が必要である。政府は、物価上昇率を考慮に入れながら、財政政策を行なう。一方、日銀は短期金利のみならず長期金利の動向にも責任を持つ必要がある。デフレ脱却までは、日銀の独立性が多少犠牲になることも容認されるべきである。
以上が3週に渡った「日本経済のデフレ体質の分析」である。これはノーベル経済学者のローレンス・R・クライン博士を招いて、10月19日午後1時から九段会館で行なわれる、日本経済復活の会(小野盛司会長)主催のシンポジウム(http://tek.jp/p/)に合わせて作成した。シンポジウムは、経済政策のシミュレーションが中心に行なわれる予定である。つまりこのレポートの主旨は、シンポジウムとは直接関係はない。ただ我々としては、一つの参考にしてもらえば良いと考えている。英語版も作成したので、クライン博士に届けてもらうことにした。問題は、これをクライン博士に読んでもらえるかどうかである。
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