- 土地取引と凍り付くマネーサプライ
次に日本の過剰貯蓄体質の原因を考える。まず思い浮かぶことは、長い間の日本における貯蓄奨励政策である。しかし筆者がここで最も注目したいことは、日本における土地取引である。もっと具体的に言えば、土地の売却代金の行方である。誰でも知っているように日本の地価は異常に高い。日本全体の土地代で、米国がいくつも買えると言われているくらいだ。したがって土地取引が活発になると、この土地の売却代金は莫大なものになる。
日本では、戦後の農地改革で小規模な農地を所有した農家が多数生まれた。土地の一つの流れは、このような農家の農地が急激な都市化の進展とともに手放され、住宅用地や工場用地に変ったことである。また大都市の小規模の住宅用地が、道路やビルの建設のために買収された。いずれにしても個人所有の土地が法人や政府に売却されている。これが一般的な土地の流れである。
日本経済に対する土地の売却代金の影響は大きい。このようなことは欧米を始め、諸外国では考えられない。まず高い地価を反映して、前述したように売却代金が大きくなることである。もう一つ重要なことは、個人が得た土地の売却代金のほとんどが貯蓄されることである。土地の売却代金のうち消費や投資に回される割合は極めて小さい。
この原因は色々考えられる。代々受継ぐべき先祖伝来の土地を売却したのだから、その代りに売却代金を子々孫々に残すという考えである。また売却代金は恒常所得ではなく、消費に回りにくいという性質がある。さらに重要なことは、一旦このような預貯金となった土地の売却代金は、ほとんど再び世の中に現われないことである。土地の売却代金は金融機関に眠ったままになってしまう。このようにして日本では巨額のマネーサプライが凍り付いてしまう。
土地の売却代金が消費や投資に回りにくいという認識は日本政府にもある。政府は、景気対策として公共投資を行なう際、これに関する経済効果を試算する。しかし土地の買収に関る部分は経済効果を生まないものと見なしている。公共投資から土地の買収額を差引いた額を「真水」と称している。「真水」の部分だけが乗数効果があると認識している。つまり土地の買収に伴う財政支出の部分は、乗数効果が中断されるという考えである。したがって景気対策として公共投資を実施する場合には、なるべく土地の買収の必要のない案件が選ばれる。ちなみに1972年から30年間の政府の土地の買越し額の合計は約100兆円である。
次の表は70年から93年までの24年間の家計の土地の売越し額である。
家計の土地の売越し額(単位:兆円)
| 年度 | 売越し額 | 年度 | 売越し額 |
| 70年 | 1.9 | 82年 | 2.9 |
| 71年 | 3.4 | 83年 | 3.4 |
| 72年 | 5.6 | 84年 | 3.2 |
| 73年 | 6.3 | 85年 | 6.9 |
| 74年 | 2.6 | 86年 | 6.6 |
| 75年 | 1.9 | 87年 | 8.5 |
| 76年 | 2.1 | 88年 | 11.2 |
| 77年 | 1.0 | 89年 | 14.8 |
| 78年 | 0.7 | 90年 | 18.4 |
| 79年 | 2.7 | 91年 | 12.7 |
| 80年 | 3.5 | 92年 | 8.5 |
| 81年 | 4.1 | 93年 | 7.5 |
(国民経済計算年報:内閣府経済社会総合研究所編)
乗数効果が中断される土地取引が活発に行なわれると、土地取引されたこと自体が経済に影響を及ぼす。ところで80年代後半のバブル期の土地取引は誰でも注目するが、今日では70年代の土地ブームのことが忘れ去られている。田中元総理の「日本列島改造ブーム」の頃である。家計部門の土地の売越額は、72年が5.6兆円、73年が6.3兆円である。これはGDP比で72年が6.1%、73年が5.6%となる。今日のGDPを500兆円とすれば、この比率は約30兆円に相当する。この数字は決して小さくはない。また土地取引の活発な時期に日本のマネーサプライの増加率が大きくなっている。
家計部門は70年から93年までの24年間で140兆円の土地を売越ししている。ただし家計部門内の土地取引額は相殺されており、この数字に含まれていない。家計部門全体の売越し額は、家計から家計に売却されたケースの売却代金をこれに加える必要がある。ところがこの金額は公表されていないので、金額を推定する他はない。家計部門全体の売越し額の合計は200兆円前後になると推定される。また土地の売却は資本取引と見なされ、売却代金は国民所得計算上の所得にカウントされていない。つまり売却代金を所得に含めるならば、日本の貯蓄率は公表されている数字よりさらに大きくなる。
- これ以外の過剰貯蓄体質の原因
土地の売却代金の他にも日本の過剰貯蓄体質の原因がある。毎月の給料に比べ、賞与や退職金の金額が大きいことがその一つである。特に退職金の方は税務上の優遇があるため、金額が大きくなっている。日本では主に企業の規模によって退職金の額に開きがある。大手の企業の場合、毎月の給料の数十ヶ月分の退職金が普通である。特に最近では希望退職が増えており、この場合には割増退職金が別に支払われる。一般の会社員で退職金が5,000万円ということもめずらしくない。退職金が数週間分の給料という米国とは比較にならない。問題は、退職金の性格から、退職金がほとんど使われないことである。つまり退職金のほとんどは貯蓄される。
日本の住宅の耐用年数が短いことも貯蓄を増やす要因となっている。日本の住宅の耐用年数は30年と、欧米の50年から70年に比べ極端に短い。つまり住宅の購入者は、住宅を購入後、住宅の建替え費用を貯蓄する必要がある。さらに日本では中古住宅の評価額が低い。価値があるのは土地だけであり、建物の評価は極めて低い。欧米では、住宅の建物は資産であるが、日本では消耗品である。したがって住宅が資産となる欧米人は、それだけ貯蓄の必要性が小さいと言える。さらに日本の場合、地価が高いことも貯蓄が大きくなる要因になっている。
寿命が延びていることも人々を不安に駆り立て、貯蓄を増やす要因になっている。日本は世界一の長寿国である。つまり現役を退いてからの期間が長い。人々は、将来の長生きに備え、より大きな貯蓄が必要と考える。また日本は、大家族制のもと農業を営んでいた時代から、核家族による都市生活へ急速に生活スタイルが変った。これによって昔ながらのコミュニティーがどんどん壊れている。したがって今日では各々の人々に自助が求められており、そのための備えも大きくなる。
このように土地の売却代金以外にも、日本人は直ぐには使う予定のない多額の預貯金を持っている。さらにバブル期後半のバブル対策のための高金利政策で、この預貯金がさらに大きくなった。元本が凍り付いているのだから、その利息も凍り付く形になっている。ちなみに利子所得は土地の売却代金と同様、国民所得計算上の所得にカウントされていない。
さらに国民だけでなく、国の公的年金の積立金が莫大になっている。今日、国民年金、厚生年金、公務員共済の積立金の合計は197兆円もある。年金の積立金がほとんどない欧州各国と好対照である。また日本では、労働組合までもが貯蓄をしている。ストをすることがないのにスト資金を毎月積立てている。このように日本中の人々がこぞって貯蓄を行なっている。
10月19日午後1時から九段会館にて、日本経済復活の会(小野盛司会長)主催のシンポジウムが開催される(http://tek.jp/p/)。メインの講演者は、ノーベル経済学者のローレンス・R・クライン博士である。リチャード・クー氏や宍戸駿太郎国際大学・筑波大学名誉教授も講演をされる予定である。筆者達もこのシンポジウム開催に協力することになった。
そしてこのシンポジウムの基調論文の一つとして、昨年5月31日日本金融学会でのバーナンケFRB理事の講演内容が適当ではないかという話になった。筆者にもこれが送られて来たので、目を通した。氏はリフレ政策や日銀の国債の買増しなどを提案している。バーナンケ氏のこれらの提案は、極めて適切なものであり、ほとんどの点で賛同できるものである。
ただどうもバーナンケ氏は、日本経済がデフレに陥った原因を大きく誤解しているようである。日本のデフレをリカードの均衡理論で説明しようとしている。これは公的債務が増えると、国民はこれが将来の自分達の負担になると考え、支出を減らすという理論である。バーナンケ氏は、これが日本のデフレの原因と言う認識である。筆者は、このような理論が日本に適用できるはずがないと考える。たしかに日本人の中にも、将来の公的債務の国民負担を心配して消費を控えるといった変わり者が、100人に1人くらいいるかもしれないと言った程度のものである。
実際、日本人の過剰貯蓄の問題は、日本の財政赤字が問題なるずっと前から起っていた。しかしバーナンケFRB理事だけでなく、米国の多くのエコノミストが同様の誤解をしているのではないかと危惧される。そこで筆者は、日本のデフレに陥った原因について、このレポートをまとめたのである。日本の多くの論者は、主にバブル崩壊以降の経済の動きで、日本のデフレを説明している。我々は、それ以前にデフレの徴候が、既に現われていたことを指摘したかったのである。むしろこのような日本経済のデフレ体質を理解しないままの迷走した経済政策がバブルを生んだと考えている。
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