- 校門圧死事件とマスコミ報道
前号までの2回で「ロッキード事件」「リクルート事件」を取り上げ、マスコミの関心がその政治的な側面だけに集中し、他の観点から見られることがなく、特に経済に係わる方面がないがしろにされやすいことを指摘した。しかし場合によっては、後者の方が重要なこともあるのである。 以前、神戸の新設高校で「校門圧死事件」と言うものが起こった。これは女子高校生が校門の門扉に挟まって死亡した事件であった。始業時間ギリギリに飛び込んできたため、遅刻を監視していた男性教師が扉を閉めた時、誤ってその生徒を挟み、圧死させたのである。この事件を覚えている方は多いと思われるが、本当に悲劇であった。マスコミはこれを「学校の校則が厳しく、画一的な管理教育の結果」と捉え、学校とその教師を責めたてた。たしかにこの事件の前には、全国的に学校が荒れており、これが社会問題として考えられいてた。学校の規則が厳しくなったのもこの反動と考えられる。特に兵庫県における管理教育は、全国的に見ても厳しかったようである。 その後、何年か過ぎ、ある雑誌にこの事件が取り上げられた。この記事を書いた人の疑問は「大の男が力を一杯こめなければ動かないような頑丈な門扉がなぜ高校に必要なのか」と言うことであった。この門扉について調べてみると、その規格は自衛隊の駐屯地の門扉と同じであったことをつきとめたと言うことである。自衛隊の駐屯地はデモ隊などがやって来ることを想定するため、それなりに頑丈な門扉を設置する必要があるであろう。しかし、高校に誰がデモをしかけると言うのであろうか。たしかにこの記事を読み、筆者もまさしく「目から鱗が落ちる」思いであった。 当然、頑丈な門扉は通常の門扉に比べ値段は高いはずである。また、学校の建設にあたっては、門扉だけが必要以上に頑丈であったとは思われない。とかく公共事業については査定が甘いと言う指摘はよくきくことである。しかし、査定が甘いだけではなく、不要な設備も多いことが容易に想像される。この事件はそのところをかいま見させてくれたのである。 一つの出来事が起こり、それがマスコミに乗ると同じ視点で報道される。たしかに新聞は、各社のイデオロギーに若干の違いがあるためか、論調にある程度の違いがあるが、テレビはどの局も同じニュアンスで出来事を伝える。筆者にはテレビ局が裏で談合しているのではないかと思われることさえある。すくなくともこの校門圧死事件を当時、公共事業の問題として捉えたマスコミは当時一社もなかったことは確かである。
- 公共事業と景気対策
日本経済はほっておくと需要が不足する。そのため輸出が増え、各国との摩擦が増える。その次には為替が高くなり、経済は不況になる。最後には政府が公共事業を行ない景気の回復を図る。財政赤字累積のかなりの部分はこの景気対策のための公共事業による。なぜ、日本経済が貯蓄過剰で、需要が経常的に不足するかにはいくつか説はある。その一つは年金の積立金である。積立時期と支給時期に時間の差があるからである。現在までは積立額の方が支給額が多いため、その差額の分需要が不足する。この現象は2,000年頃まで続くことになる。もっともこの資金の余剰は財政投融資にまわされ公共事業に使われている。これの他の要因については色々仮説があるが、決定的なものはよくわからない。本誌でも9/15(第33号)「住宅と貯蓄を考える(その2)」で日本人の貯蓄のある程度は住宅の減価償却の引当金であることと、土地政策がまずくて内需が拡大しないことを指摘してきた。 筆者は、内需拡大のためには、社会資本の充実が必要と主張してきた。つまり、道路や鉄道の建設により有効に使われる土地の範囲を広げ、内需を拡大することである。具体的な例としては首都圏の大深度地下に高速地下鉄の建設することである。これにより、通勤圏を広げ、農地として使われている土地の高度利用が可能となると言うアイディアである。大深度地下の利用について補足すれば、これは10年ほど前に検討されたが、それ以降立ち消えになっている。なぜ立ち消えとなったか分からない。法律の問題なのか、競合する鉄道会社からの反対があったのかよくわからない。地下の利用については他の先進国の政府はかなり自由に行なってることを付け加えておきたい。 同じ景気対策のための内需拡大としての公共事業と言っても、筆者の公共事業と政府が実際行なっている公共事業では内容が違う。政府の公共事業はフローに重点があり、とにかく予算を消化することにポイントがある。筆者の言う公共事業は社会資本の充実により、民間の投資や誘発したり、消費を誘発するものである。つまり公共事業によるストックの充実である。需要が不足する時、公共事業の増加により需要を喚起することについては、両者とも一次的な効果においては同じであるが、それ以降に誘発される経済効果が違うのである。昔なら両者にはそれほど差がなかったのかもしれないが、ストックがある程度累積した現在では、事業を選んで行なうことが重要である。県道の隣に農道を造ったり、高校の門扉を頑丈に造ってもそれ以上の経済効果は期待できないのである。今日、公共事業はマスコミでも評判が悪い。不明朗な入札や談合事件と公共事業にはアゲンストの風が吹いているが、筆者は必要なものは必要と考える。
- 福田元総理と公共事業
景気対策として行なわれる公共事業が、予算の消化に重点がおかれいたことはかなり昔からである。たしかに昔はこのような公共事業が失業対策事業と呼ばれていたこともある。主たる目的が失業対策だったのである。この雰囲気が公共事業全体に影響している。事業で出来上がったものより、事業そのものが目的化しているのである。 不思議なことに経済的効果が期待される高速道路や新幹線の資金は財政投融資から、つまり借金である。一方、現在では経済効果がよくわからない一般道路の建設は一般会計である。高速道路の毎年の建設費は1兆円に対し、一般道路は毎年15兆円もの予算である。新幹線にいたっては毎年1,500億円くらいであろう。たしかに高速道路については年間2,000億円の利子補給が一般会計から行なわれているが、一般道路の予算に比べたらゴミみたいなものである。さらに不思議なことにマスコミは「無駄な公共事業」の代表としていつも高速道路と新幹線を取り上げるのである。たしかに借金で建設しているから採算が問題になるのかもしれないが、莫大な予算の一般道路については殆ど触れないのはおかしいのではないか。車のほとんど走っていない道路が一般道路予算で日本中に建設されていることを知らないのであろうか。 高速道路を建設している道路公団に問題があることは、昔から言われていたことである。とりあえずここではこの問題には触れない。筆者は高速道路の建設には一般会計からもっと支出すべきと考える。日本の場合はどうしても諸外国に比べ建設費が高くなることから、借金だけで高速道路を完備することは無理と考える。一般会計からの支出を増やし、利用料金を下げることによって利用者を増やすべきである。企業によっては経費の節減のため、高速道路の利用に制限するところもあるらしい。これではなんのための高速道路かわからなくなってしまうのである。 福田元総理は元々は財政均衡主義者であった。ところが78年のボンで行なわれたサミット出席あたりから考えが180度変わったようだ。当時は第2次オイルショックで世界的な不況下であり、強い国として、日本とドイツ、特にいち早く不況を脱した日本に期待が集まった。サミットでは日本が7パーセントの経済成長を目指すことを約束してきた。帰国後の福田総理の指示は「とにかく公共事業を増やせ。ただし用地買収に金がかかるものは景気刺激とはならない。すぐに景気に跳ね返る事業をやれ。」と言うものであった。そしてこの考え方がそれ以降、景気対策としての公共事業を行なう場合にはこの方針が踏襲された。 当時は大蔵省の主計官が逆に各省庁に公共事業を追加するよう要求したくらいである。今日ではとても考えられないことである。しかし、当時としたら他に方法がなかったのかもしれないが、この公共事業に対する考え方が、今日まで引き継がれているのがおかしいのである。だから用地買収の必要のない学校の立て替えなんかは一番好まれたのである。必要以上に頑丈な学校の門扉も問題にならないのである。 日本では政策の決定が遅い。景気対策もタイミングを逸することがしばしばある。そのためその効果も減少する。そしてそれを補うためさらに大きな対策をうつことになる。短期間に事業を行なうため予算の消化だけが注目され、そのストックの経済効果には関心が持たれない。そしてこれが問題なのは、この経済的効果を軽視する傾向が、公共事業全般の事業のやり方にも波及していることである。例えば、せっかく高速道路を作っても、その先のアクセスがなかなか整備されないと言う具合に、その経済的利用価値がよく考慮されていないことなどに反映されている。 現在、日本経済は不況色が濃くなっている。いずれ景気対策が行なわれるとおもわれるが、めぼしい対策はない。したがって消去法で考えるなら、やはり最後には公共事業を行なわざるを得なくなるのではないかと筆者は思っている。その場合には福田総理時代と同じ考え方で行なわれることになると思われる。景気対策として公共事業を行なうことには筆者も反対ではないが、従来のやり方からそろそろ卒業しても良いのではないかと考える。そして筆者は、これには「私権の制限」など、法律の改正などによる公共事業の環境整備がやはり必要と考えるのである。 本誌の読者から「30年後には為替レートはどのくらいなると考えているか」と言うご質問を受けたが、今週号がちょっと長くなったので、これについての筆者の考えは来週号以降で述べるつもりである。
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