平成9年2月10日より
経済コラムマガジン




03/6/30(第303号)
経済の循環(その2)

  • 漏出と注入
    先週号で述べたように、経済は循環しており、概念的に生産、分配(所得)、支出の三面等価が成立している。そしてこれを前提に、経済循環がクローズ状態なら、遊休の生産設備や失業は発生しない。つまり今日問題になっているようなデフレに陥ることがないということを意味する。

    しかし現実には、経済循環から漏出するものがある。一つが貯蓄である。人々は所得の全部を使うことがなく、一部を貯蓄する。特に今日のように希望退職者が多い時代には、退職金も大きくなっている。この大きな退職金を一遍に使うような人はいない。しかしよく考えてみると、退職金の原資は、企業が生産所得である(土地を売却して原資を捻出するケースもあり、この場合は別の考えをすることになるが、これについては今週号では省略する)。もし所得や退職金の一部が貯蓄されるとしたなら、生産物が余ることになり、経済の循環が狂うことになる。

    これを経済循環のモデルで説明する。所得の10%が貯蓄されるケースで考える。500の所得の10%の50が貯蓄され、支出は450になる。支出が450になれば、生産も450に減少し、所得も450に減る。さらに所得450の10%が貯蓄されるため、支出もさらに45減り、405になる。二巡目の循環では、生産も所得も405とさらに小さくなる。この動きは所得がゼロになるまで続くことになる。このような貯蓄という漏出が存在する限り、経済はどこまでも縮小を続けることになる。

    一方、経済循環には注入がある。たとえば投資である。投資が行われれば支出(需要)がその分増えることになり、生産・所得も増えることになる。仮に貯蓄額と同額の50の投資が行われるなら、500の生産と500の所得は維持されることになる。つまり貯蓄額がそっくり投資されるなら、生産、所得、支出は不変ということになる。

    ついでに投資が貯蓄を上回るケースを考えてみる。たとえば投資が80、つまり30だけ貯蓄より大きいの場合である。30の支出(需要)は同額の生産・所得の増加を生む。つまり30の所得が増加するのである。この30の所得増の10%である3は貯蓄され、残り27は支出される。つまり27の需要が生まれる。そして27の需要増によってさらに27の生産・所得が発生し、これがさらに貯蓄と支出に別れる。このように所得は、増加率は段々小さくなるが、経済の循環の度に増えることになる。この増加額を算式で求めれば、無限等比級数の和ということになり、計算ではちょうど300増えることになる。ただしこの話は、支出の総額が生産能力の天井に達していないことが前提である。

    これこそまさに乗数効果である。乗数値の計算式は1÷(1−c)である。cは消費性向であり、上の例なら0.9である。したがって乗数値は10となり、投資の増加額30の10倍の所得が増えることになる。したがって所得は500から300増え、合計で800となる。しかし日本の実際の消費性向は0.6くらいであり、この場合乗数値は2.5になる。このケースでは、所得は30×2.5=75増え、合計で575となる。ところで反対に投資が貯蓄を下回る場合には、乗数効果は逆に働くことになり、所得は減少することになる。


    しかし現実の経済はこのモデルよりずっと複雑である。漏出も貯蓄だけでなく、税金や輸入がある。一方、注入には投資だけでなく政府支出や輸出がある。小さなものでは、保険料のローンの返済は漏出になる。また一口に投資と言っても、民間企業の設備投資以外に、政府の公共投資や民間と政府の住宅投資がある。

    ただ単純なモデルで説明してきたように、漏出より注入が小さくなれば、経済は縮小に向かうということである。また現実の経済において、貯蓄が投資にうまく回るには、銀行の仲介機能が大事になる。ところが今日銀行は国債ばかりを買っている。このように貯蓄が投資に回らない場合、その分は政府支出と言う注入が代わりに必要になる。国債を発行して資金を集めても、それが財政赤字の補填だけで、注入に使われないなら経済は縮小する。

    今日政府が行っている主な経済政策は、外為市場に対する介入による円高阻止である。これによって輸入という漏出を小さくし、輸出という注入を確保することである。一方で、小泉政権は、政府支出という注入を減らし、税金という漏出を増やすことを実行しようとしているのである。


  • 理論と現実の融合
    主な注入の項目である投資・政府支出・輸出は独立的(自生的)である。一方、漏出の方は、貯蓄・税金・輸入など、所得金額が決まれば自動的に金額が決まるものばかりである。そして前者を独立変数、後者を従属変数と分類できる。また輸出額から輸入額を差し引いた額を純輸出と表現することがある(純輸出は金額的に小さいので、とりあえずここからの説明では省略する)。

    ところで参考までに、このような変数の性質に着目し、所得額を算出する方法がある。投資、政府支出といった自生的支出の金額の合計が200兆円で、乗数値が2.5とすれば、所得は200兆円×2.5=500兆円となる。また乗数値が2.5の時の消費性向は0.6であるから、消費支出は、500兆円×0.6=300兆円である。したがって自生的支出の200兆円と消費300兆円で、支出の合計は500兆円になる。この場合、三面等価の関係で、生産と所得も同様に500兆円になる。

    さらに投資などの自生的支出が30兆円増えたケースでは、所得は(200兆円+30兆円)×2.5=575兆円となる。つまり前段の計算と同じ結果になる。


    次は現実の経済政策を考えることになる。結論として、デフレ克服に必要な政策は、経済循環において注入を大きくし、漏出を小さくすることである。

    しかし貯蓄を政策的に小さくし、消費を大きくすることはちょっと無理である。「皆さん貯蓄をやめて、消費を増やしましょう」と言っても、将来不安があり、物の値段が下がっている時代に消費を増やす人はいない。むしろ今日のように経済の不調が長く続けば、所得水準が下がり、貯蓄ができなくなる状態になると思われる。いわゆる経済の縮小均衡による貯蓄の減少である。実際、消費性向は極めて安定していることが観察されている。したがって今日の状況では、貯蓄を減らし、消費を増やすには、預金金利をマイナスにするといったような荒唐無稽な政策が必要である。

    また政策的に民間の設備投資を大きくすることは難しい。民間の投資は、期待収益率の大きさに左右される。需要がなく、将来の儲けが分らないのに設備投資だけが増えるということはちょっと考えられない。実際、設備投資の増加を意図して、投資減税が実施されているが、今日依然として設備投資は低迷している。今日のように需要が期待できない状態で、設備投資を喚起する政策を行っても投資は増えない。


    結局、消去法で、政策的に経済成長を実現するために今日残されている手段は、財政支出増という注入の増加と減税という漏出の減少ということになる。これは本誌がずっと主張してきたことでもある。こんなに当り前の政策が何故採られないのか不思議でならない。現実は、反対に、財政支出のカットとたばこ・発泡酒の増税であったり、社会保険料の徴収増である。このように政府の経済政策はむちゃくちゃである。

    本誌の基本的なスタンスは「理論と現実の融合」である。経済理論がどれだけ現実に適合するかが問題である。国民所得計算においても、生産、分配(所得)、支出の三面等価は、多少の統計上の不突合があるが、ほぼ成立している。乗数効果も消費性向が安定しているなら成立つ。たしかに現実の国民所得計算のGDP統計には、持ち家の帰属家賃などが含まれており、単純にはピッタリと計算通りには行かない。しかし財政支出などの自生的支出の増大がGDPを押し上げることははっきりしている。

    問題は、今日、多くの経済学者やエコノミストが主張している「創造的破壊」である。どのようにしてこれによって今日のデフレが克服できるのかである。先週号から説明してきた経済の循環で、「創造的破壊」がどのような意味を持つのかを考えてみる必要がある。場合によっては、今日の「創造的破壊」論者達は「詐欺師」と呼ばれてもしょうがないかもしれない。そして最大の問題は、経済がまるで解らない小泉首相が、「創造的破壊」論者達から「改革は順調に進んでいる」と聞かされ、満足していることである。



来週号は、「理論と現実の融合」をテーマに、「創造的破壊論」がどのような意味を持つのか考えたい。

小泉政権のやっていることは、実にくだらない。コメントもしたくないほどである。「骨太の方針」といって、どうでも良いことばかりを取上げ、これを「改革」と称している。「コンビニで薬を売るかどうか」「幼稚園と保育園を一緒にするか」など、役所の係長が相談して決めれば良いような問題ばかりである。これを「改革だ」「抵抗勢力うんぬん」と言い張っているのだ。三位一体の改革はもっと酷い。4年間で4兆円の補助金を削り、8割の税源を地方に移譲するという話である。要するに計算上、年間2,000億円の政府支出が節約されるという話である。年間でたったの2,000億円である。

政治家や官僚も頭がおかしくなったのではないかと心配される。為替介入には今年に入って既に7兆円使っている。りそなには2兆円投入することが決まっている。それなのにたった2,000億円をめぐって、財務大臣は「地方はもっと節約することを考えろ」と息巻いている。これこそ構造改革というのだから大笑いである。

デフレは進行し、人々は政府の政策に何の展望も見出せない。雇用情勢は最悪で、社会もだんだん荒れており、変な事件ばかり起っている。人材の劣化もどんどん進んでいる。小泉政権は日本の憲政史上最低の政権である。ところが驚くことに、森派の幹部は、小泉首相を再選させるため、政界を駆けずり回っている。この人々の行動を見ていると「日本の政治家はここまで愚かになれるのか」と驚嘆する。小泉政治で、国民がどれだけ痛い目に会っているか、一瞬でも考えたことがないのである。小泉政治を喜んでいるのは、物価下落で潤っている金利生活者だけである。

小泉首相の再選を目指して駆けずり回っている政治家の行動が奇妙である。当の森派の他の政治家も熱心に再選に向けて活動しているという雰囲気はない。どうしても小泉首相を再選させなければならない事情がある人がいるのであろう。



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